BIGクラスでは、学校や放課後、週末に経験したことや、
みんな賛美が大好きで、”君は愛されるため生まれた” 、”強くあれ、雄々しくあれ”、を喜んで大きな声で賛美したり、
そして、最近のクラスでは、
この話をきいたこどもたちは、
これから、みんなが聖書の話を聞く時に、
注) 本人たち、保護者様より掲載許可をいただいています。
注) 本人たち、保護者様より掲載許可をいただいています。
私が妻と1歳の長男を連れてアメリカに渡って来てこの7月で33年を迎えようとしています。思いがけず、こちらでの生活長くなりました。渡米記念日を前にして、もう一度振り返って見て、一番自分にとって大きな出来事は、31年前、願っていた道が閉ざされて、何とか道が開かれて、NJにやって来たことでした。
「残念ながら、あなたを受け入れることはできません・・・」日本を出発する前から、繰り返し受け取ってきた不合格通知。今考えると、自分の考えの甘さゆえの当たり前の結果だったと思うのですが、その頃は、それなりに必死。ある時は郵便箱をチェックするのが怖くてできなくなることもあるほどでした。
そんな中で、唯一合格通知をくれたNJの大学の大学院。少し不本意ではありましたが、行くところがあるだけでも良かったと、レンタルの引越トラックに荷物を積んで、自分一人で運転して、アトランタからやって来ました(妻はちょうど2人目の出産直後で日本に滞在していました)。最初のサンディエゴ、次のアトランタには迎えてくれる知り合いがいたのですが、NJには知り合いもおらず、弟の知り合いのそのまた知り合いを頼って荷物を降ろすのを助けてもらって何とかアパートに入ることができました。でも、そのトラックを返したあとに大学まで帰ってくる方法がなくて(今のようにUberがあったら・・・と思います)、一緒に行ってくれる学生を何とか捜し出して、助けてもらったことも思い出します。
でも、頼る人がいないというのは、素晴らしいことでもありますね。一つ一つの新しい出会いに支えられてやって来ました。良い先生たち、仲間たちが与えられて楽しい学生生活を送りました。
特に、その大学院の2年目に、自分の研究テーマも見えてきた時に、それに光を当ててくれる先生が思いがけず移ってきたのは、本当にものすごい驚きでした。自分が最初に願っていた道が開かれていたらあり得なかった出会いでした。学位は取れずじまいでしたが、良い学びをさせていただきました。そして、この教会との出会いも、もちろん、特別な神さまの導きだったと思わされています。
まだ20代だった33年前の自分には、全く先が見えなかったけれども、そして、その頃願っていた道は閉ざされたのだけれども、一歩一歩神さまが導いてくださったのだな、と思わされます。
私も「老後のこと」とかをいろいろ聞かれる年代になってきました。自分でも考えなくもありません。無策でいいとも思いません。しかし、どんなに自分で準備をしていても、これからの歩みも思ったような道が開かれないこともあるでしょう。予定どおりに行かないこともあるでしょう。一年先だって、何があるか分かりません。でも、そんな中でも、神さまが共にいて導いてくださる。これまで導いてくださった神さまが、これからも導いてくださる。それを信頼して歩んでいこうと思います。
なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも
そこを泉の湧く所とします。
初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。
詩篇 84篇5~6節
どうも、モレノ禱人(ときと)です。14歳で中学3年生です。ニュージャージーには3年も暮らしていて、その前は大阪に住んでいました。ニュージャージーには家族がいるので、前にも旅行で来たことがありました。でも今は、お母さんと一緒にテナフライという小さな町に住んでいます。
もともとお母さんがクリスチャンだったので、僕は家族の信仰に沿って、家族と一緒に教会に行っていました。兄と姉がいて、年はだいぶ離れているけど、いつも一緒に教会に行っていました。兄と姉が社会人になってからはもう一緒に住んではいませんが、その後もお母さんと一緒に教会に行っていました。
学校のために教会を変えないといけなかったけど、それでも毎週日曜日はお母さんと一緒に教会に行っていました。小学生の時、友達の教会に行きたいと言って、箕面にある教会に通い始めました。それから4年間同じ教会に通って、そこで洗礼を受けました。
イエス様を信じた理由は、死んだときに天国に行きたかったからです。でも、イエス様を信じたときには、最初は「何も変わってないやん」と思っていました。でもその後、いろんな大変なことや困難があって、頼れる人が周りにいないと思ったときには、いつもそばにいてくれるイエス様のことを思い出しました。
「この人は絶対頼りになる」と思ったら、安心できるようになりました。今では、食べる前に感謝する時や、眠る前に今日の感謝と明日の祝福を祈ることを大切にするようになりました。
これからも、いつも通り教会に来て、ちゃんと教会の手伝いをやっていけるように頑張りたいです。そして、家でもちゃんと祈りを続けて、もっとイエス様と過ごす時間を増やしたいです。
そして、もっと教会に人を誘いたいです。本当は、日曜日は家でゲームをしたいけれど、中高生がもっと教会にいたら、もっと楽しく来ることができます。だから、中高生を増やすために、いろんなイベントに協力して、ユースを増やしていきたいです。
人物クロッキーエアードローイングをしてから
画面いっぱい大きく、画面に大きく描きましょう
真ん中はどこかな?
頭はクロッキー帳の上の方から描きましょう
箒を持った手は難しいですね、 思ったより大きいかな?
サイコロ、積み木の三角や四角を描いてから
家はどんなになりますか?
遠近法の理屈もちょっとお勉強しましょう
錦織先生による聖書のお話
今まで大自然って素晴らしいな〜って感じた時は、どんな時ですか?
「日蝕を体験した時〜」
「鳥の巣ができて親が毎年育てているのを見て〜」
「イエローストーンの景色〜」
「ペルーの夜空で見た落ちてきそうな大星群〜」
「NJの日の出〜、日没〜」
“天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。”
詩篇 19篇1節
大自然の荘厳で美しい風景のスライドを見ながら、
大自然を作ってくれた神様に感謝の時となりました。
素敵な夏休みをお過ごしください。
私とイエス様との出会い、それは私から探したり生み出したものは微塵もありません、ただただ一方的に与えられたギフトでした。
私は新潟で生まれ、幼少期を過ごしました。両親は青年の時、それぞれが宣教師の集会に誘われ、信仰を持ってクリスチャンとなり、その後出会い結婚しました。真面目で信仰熱心な両親の元、私は兄妹とクリスチャンホームで育ちました。
朝早くから父は聖書を読み、私達のために祈っている。その後ろ姿を見ながら、目には見えないけれど神様は居られるんだと、私は神様の存在を特に疑うことはありませんでした。
また自営でいつも忙しくしていた母は、日曜日は教会に行くために店を閉めてこの日を分け、私達子どもも礼拝を第一にするよう教えられてきました。私が生まれた頃は教会のベビーブームで同世代の友達が沢山いたので、私は教会で遊び、教会で育ちましたし、教会学校では聖書のストーリーを聞き、御言葉を競っておぼえました。
教会生活をしながら、神様の中にいる平安を味わっていたのだと今思い返します。また、両親の信仰と祈りによって、神様は私の信仰生活を守ってくださったことがわかります。
小学生時代は毎夏、父が兄と私をバイブルキャンプに連れて行ってくれました。そこで子供達とアクティビティを楽しみ、子供達の信仰に触れ、またスタッフのお兄さんお姉さんが喜んで奉仕している姿に私は心動かされました。
本来、私はとても怖がりです。特に暗がりが苦手でした。夜に自分の部屋がある二階に上がるのもビクビクしていたのを思い出します。またお仕置きと称して、父に物置に入れられる時は本当に怖くて怖くて。(ちなみに父とは青年期に話し祈る機会が与えられました、感謝)
小2の時、キャンプで覚えて帰った曲「祈ってごらんよわかるから♪」は、沈みがちな私の心を灯してくれました。「きみは神様にね話したことあるかい心にあるままを打ち明けて。天の神様はね、きみの事なんでもわかっておられるんだ何でもね。だから空をあおいで、神様、とひとこと祈ってごらんよわかるから。小川のほとりでも人混みの中でも広い世界のどこにいても。本当の神様はいまも生きておられ、お祈りに答えてくださる」
賛美を口ずさんだり、簡単な祈りをしたり。その小さな祈りを神様は聞いてくださっていたのです。気づけばいつからか暗がりがそんなに怖くない。怖いと思う時に神様に祈ると、主の平安が私と共にあって、恐れに縛られることはなくなっていきました。
高学年の夏に行ったキャンプで、私は聖書のメッセージを聞いて信仰告白に導かれました。
当時クラスの中でいじめに合っていたクラスメートに対して、私は何もできずにいました。いじめをしていた加害者ではなく、一緒に無視をしていたわけでもありません。でもその友達に対して何もできなかったことに私は本当に苦しんでいたのです。何もしない事がまさに罪であると知りました。その私の罪のためにイエス様が十字架にかかり死んでくださった。お部屋のカウンセラーのお姉さんと一緒に神様に祈りながら、罪の告白とイエス・キリストの十字架を信じることにより罪から救われるという祈りをしたことを記憶しています。
わたし(本人訳イエス・キリスト)はぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたし(イエス)にとどまり、わたし(イエス)もその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたし(イエス)を離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
ヨハネ15:5
強烈におぼえていることがあります。私は風邪を引き高熱でうなされた時、その度に見ていた悪夢がありました。火の燃える巨大な池の周りを無我夢中で自分が走っている、後ろから何者かが追いかけてくる、今にも捕まりそう。その瞬間ハッと我に返り起き、汗びっしょりな私は夢うつつでトイレに行き、その後現実に戻りホッとする。その度に憂鬱になるのです。でも気が付けば、いつのまにかこの悪夢を見ることは無くなっていました。
大人になって聖書の黙示録を読み、これは地獄の様だったと知るのです。 神様がイエス様を通して私を永遠の滅び、死から引き上げてくださり、神様のものとしてくださったと信じます。
その後、教会の方々が背中を押してくださって、中学2年のクリスマスに、同級生2名と一緒に洗礼を受けるよう導かれ、公にクリスチャンとして信仰のスタートを切りました。
臆病な私は、友達と一緒だったから洗礼を受ける決心ができたのです。今思い返すと、私はこの時点では聖書の真理をよく知らず、神様に信頼して日々歩むことがどんな事かもわかりませんでした。ただ信じる一歩を踏み出しただけです。でもその一歩によって、私の今までの歩みがどんなに神様に支えられ守られてきたか、振り返ると心が熱くなり感謝でいっぱいになります。
さて、その後は進学、仕事、結婚、出産と子育て。ライフステージが変化することで、私ももちろん沢山の問題と葛藤を経験しました。引越しの数々、国際結婚、義家での同居、家族の病気と転職、不妊、流産、3度の帝王切開による高齢出産と不調、家族の課題、そしてアメリカでの移住生活。
自らの愚かさによる失敗、知恵がないために起こる困難も多々あります。基本、石橋を叩いて渡るタイプなので、神様に聞きながら神様の御手の中にあると信頼して進んできました。ですがもちろん自分の力量はすでに超えていて、重すぎます。弱すぎます、私は。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
ヨハネ15:7
イエス様を信じた人は、神様の子どもとされました。子どもの時に覚えた歌のように、イエス様の名前を通して神様に祈ることができます。何でも自分をさらけ出して、心にあるありのままを話すことができます。そして驚くべきことに神様はそれを聞いておられるということです。賛美したり御言葉を読む時、神様の愛が私を満たします。
また他人の言葉や状況を通して神様は語られる時もあります。私が求めるときに、そこに居て応えてくださるお方。これは信仰生活を送りながら知った神の子の特権です。そしてこの特権は、イエス様の死と復活によって完全なものとされた(完了)という真理は、本当の意味で私はまだ知らないと思います。
いいえ、環境や現状を見て恐れ、もうだめだと否定的になり、この事には救いはないのではと、信仰のかけらさえ奪われやすい者です。 なので今日も自分の思う方法を手放します。
また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
エペソ1:19
私は家族が与えられて、自分の愛の乏しさを嫌というほど思い知りました。ユニークな子ども達の子育てを通して、こうでなければという私の枠が引き延ばされ続けています。これは、私自身が小さい頃から刷り込まれてきた、クリスチャンはこうあるべきという概念にも影響を与えましたし、すべては神様の愛の広さ高さを知るに至るのではないか、とさえ思うのです。いまは課題のすべては理解できませんが、そこにも神様のご愛があると想像できます。
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
ローマ8:28
神の子の特権は、私個人に与えられたもので終わらず、神の子達と共有することができます。
私は行く所行く所で、共に祈り合う仲間が与えられて来ました。教会の祈り場であったり、一緒に分かち合える信仰の友や先輩が備えられました。子育て中は子供を抱っこしながら。沢山の祈りの応答を見てきました。今は電話やメール、LINEでも分かち合い祈り合えます。御言葉と祈りによって癒されます。自分一人では祈れない時も、イエス様の名前で集まるところに神様が共にしてくださるので、祈りを通して働かれ、新しい力、出ていく力が与えられます。そして神様を信頼して行動することができます。
私が神様に聞くなら、神様は私に応えてくださる。私達が神様に聞くなら、神様は私達に応えてくださる。
神様、あなたは私に何をしてほしいですか。私達に何をしてほしいですか。あなたの御声を待ち望みます。
わたしは牧師の家庭に生まれました。気がついたらそこは教会だったのです。子どもの時から神さまの存在はあたり前、毎日聖書を読んでお祈りをして、日曜日は教会に皆さんが集まり、楽しく過ごす、良くも悪くもそれが当たり前の環境の中で育ちました。
でも、学校に行くと、そんな生活をしているのは少数派。それでも、小学校低学年の頃は日曜日には教会に来る友達もいました。でも、小学校高学年から中学に行く頃にはそんな友達も減っていき、「神なんているわけない」「神がいるならば、証明してみろ」「神がいるなら、おまえんちの教会はなんであんなにボロいんだ」なんて言われることが増えてきました。高校くらいになると、そんな意地悪な言葉だけではなく、もっと真摯な問いかけを受けるようになりました。「どうして錦織君は神さまを信じているの?ホントに信じているなら、それを説明してほしいな」とか・・・。そんな環境に揉まれる中で、私も、一度だけ、「ホントは神はいないのかもしれない・・・」と思ったことがありました。
しばらく悶々と過ごしたのですが、ちょうど新緑の頃だったと思います、何の気なしに窓から見た木々の葉に走る葉脈に、これすごいな、と思いました。そして、自分の手を見たとき、その複雑な動きに、これは偶然ではないな、神が造られたんだろうな、と思わされたのです。
つい先日、教会の方が「これ見てくださいよ」とあるテレビ番組(2025年4月27日放送 NHKスペシャル 人体III 第一集 命の源 細胞内ワンダーランド)を紹介してくださいました。人間の小さな細胞の中に本当に多くの物質があって、それがそれぞれの役割を果たして、命が支えられている、という番組でした。小さな細胞一つの中でこんなことが起こっているなんて、ホントにすごいなあと思って見ていたのですが、番組のまとめのところで、IPS細胞の山中伸弥教授が「まあ、わたしも科学者なんですが、ちょっとその、やっぱり、神がいるんじゃないかとか、そういう気持ちになってしまうこともありますね」と言っておられました。科学者の先生がそう言われるとホントに説得力ありますが、高校生の錦織少年も、まさに、その素人・超初心者バージョンの気持ちになったわけです。
そして、歳を重ねる中で、自然界の中で神を感じることが増えてきたな、と思います。
天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ話を伝え夜は夜へ知識を示す。
話しもせず語りもせずその声も聞こえない。
しかしその光芒は全地に
そのことばは世界の果てまで届いた。
詩篇 19篇1~4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ニュージャージーも6月になって外で過ごすのが楽しい季節になってきました。教会もいくつか野外での集まりがあります。
まずは、6-9月の毎月第1土曜日の朝6時半からFort LeeのRoss Dockでの、早天祈祷会。ハドソン川のほとりで、マンハッタンのスカイラインを遠くに見ながら、共に聖書を開き祈る時を持ちます。
また、6月15日(日)の午前10時からはParamusのVan Saun Parkでの野外礼拝。緑いっぱいの公園の片隅で、礼拝とランチ、レクレーションの一時を持ちます。
水と緑と動物たちと一緒に、私たちを、そしてこの世界を
造られた神さまの素晴らしさと力を賛美しましょう!