ロリー・ロナルドさんの証

(旧姓ヘギ、フジテレビで放送された[NY地区では2003年11月]、「通常の8-10倍の速さで老化が進んでいくプロジェリアという病気を持って生きているアシュリーちゃん」のお母さんです。ご本人の承諾をいただいて、http://www.progeriaproject.com/kids/Ashley/thennow.htmに掲載されているものを全文翻訳し転載致します。今から2年くらい前に書かれたものです。)

私の名前はロリー・ヘギ。アルバータ州の南部に10歳の娘、アシュリーと住んでいます。私の人生はアシュリーがプロジェリアという病気であることを知った時に全く変わってしまいました。しかし、もう一つわたしの人生を変えた出来事がありました。それは、3ヶ月前、イエス・キリストが私の罪を赦し、私との個人的な愛の関係を始めて下さったことです。

振り返ってみると、私はいつも愛の神の御手によって、危険から守られてきました。そして究極的には神のことを聞くことができるところへと導いて下さったのです。

12歳の時のことを思い出します。私は氷が割れて、氷の下に閉じこめられてしまいました。その時には友達が氷の割れ目から私の髪の毛をつかんで引き上げくれました。私はどのようにしてそこで助かったかよく分かりませんでした。半分凍った川をどのようにして岸までたどり着いたか何も覚えていないのです。私は自分の人生の中で、そのようにしてたくさんの事故や危うい出来事をすり抜けてきたことをいくつも思い出すのです。

私は自分の人生を自分の方法で歩んできました。私は規則とか責任とかを無視することが得意でした。学校を中退し、家出をして、盗みをはたらき、嘘をつきました。酒に、麻薬におぼれました。

私は17歳の時に妊娠しました。妊娠中だけはお酒や麻薬はやめました。私は自分のお腹の中で育つ赤ちゃんを産みたいと思ったのです。9ヶ月後、とっても素晴らしい贈り物が与えられました。アシュリー・ブルックです。母親となったことによって、私の歩みは少し変わりました。しかし、それでも、私は今までの自分の誤った選択や生活のストレスによる痛みや後悔を麻痺させてくれる、間違ったものに頼り続けていたのです、私はあいかわらず孤独で、すべてのことを何もかも自分一人でやらなければならないと感じていました。だれもあてにできる人なんかいないと思っていたのです。

アシュリーは9ヶ月の時に、プロジェリアと診断されました。同じ病気の13歳の子の写真を見た時に、世界が崩れていくような思いになりました。何を言ったらいいのか、何をしたらいいのか、何を考えたらいいのか、全く分かりませんでした。私は娘を愛していましたし、この子こそ私にとってのすべてでした。そして、心のどこかで「どうにかなる」とも思っていました。彼女は成長するにつれて力や知恵、愛と勇気とを身につける様になっていきました。彼女は私にとっての人生の土台、生きる意味となりました。こんなことが起こるのには何か理由があると思うようになりました。「何かもっと大きなことがここで起こっているにちがいない」と思っていました。自分の考えが正しいことを願っていました。「この人生にはもっと大きなことが起こるにちがいない」と。

それからの10年間、アシュリーの現実とうまくやっていくために助けになってくれるためのいろんなものにどんどん依存するようになっていきました。私はキックボクシングに夢中になり、「NINJA」(Kawasakiのバイク)を持ち、ハーレーに乗り、人々の羨望の的になりました。しかし、心の中では、何か満たされていなかったのです。人生は意味がなく、虚しいものに見えました。

2001年の12月の下旬のある日、私はもう前に進めない、と思いました。このままではもう生きられない、一時たりとも生きられない、と思いました。私は孤独でした。たくさんの過ちを犯してきました。痛みをごまかそうとすればするほど、むなしさを埋めようとすればするほど、それは大きくなっていくのです。私は自分が人間としても、母親としても失格だと思いました。膝をついて泣きました。泣き続けました。私は自分が間違っていたことに気がつきました。自分が悪い人間だと思いました。「赦してください、私は罪を犯しました」という言葉が繰り返し出てきました。それを止めることができませんでした。膝をついて顔を伏せて、涙が川のように流れました。その時のことをはっきりと覚えています。どうして泣いているか、誰に向かって叫んでいるのか分かりませんでしたし、そんなことはどうでも良かったのです。私はどん底にまで落ちました。トロフィーも、バイクも、鍛え上げた体も、羨望のまなざしも、何の意味もない、自分には何もない、と分かりました。私はその時には知りませんでしたが、神はわたしの叫びを聞いておられたのです。そして、神はわたしに答えてくださったのです。幾日かのうちに、私は変わり始めました。私はアシュリーの部屋で赤い聖書を見つけ、それを読み始めました。わたしの心の中のむなしさは癒やされ始めました。私は自分の人生について、私が持っているものについて、新しい見方をすることができ、感謝をできるようになってきたのです。

私はすぐに、誰にも説明もしないで、今まで持っていた関係をすべて捨てて、引っ越しをしました。今までの人生の中で持っていたもの、人間関係、すべて離れました。それらのものは自分の人生にとってプラスにならないことを知っていたからです。私はそれまでの自分の経験から、それらのものは私に平安も、満足も、希望も与えてくれないことを知っていたのです。私に虚しい孤独な思いを与えて去っていくことを知っていたのです。ありがたいことに、私にはアシュリーがいました。私の支えでした。私は100パーセント彼女と共にいてあげられませんでしたが、彼女は100パーセント私と共にいてくれたのです。しかし、それでも、私の中には痛み、罪意識、孤独、悲しみがいっぱいだったのです。

その時、私はイエス・キリストについて聞くことができました。主は私を二人の方々が聖書を教えているところへと導いてくださいました。その時に、はっきりと神の子イエスについて、そして、イエスがこの世に来られたのは十字架の上で死ぬことによって罪人を救ってくださるためだった、ということを聞きました。彼らはイエスが私の罪のために死に、死人の中からよみがえり、私にあふれる命を与えてくださることを教えてくれました。イエスは「私はあなたに命を与え、豊かに与えるために来たのだ」(ヨハネ10章10節)と言われました。このメッセージを聞いた三日後に私は罪の赦しという神のプレゼントを受けいれました。その時のことを決して忘れません。神は本当におられ、私が神を知ることを願っておられたのです。私は救われました。神の恵みによって地獄から天国へと救われたのです。何という救いでしょうか。もう罪に縛られていないのです。私は自由になりました。「あなたがたは真理を知る。そして、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8章32節)

聖書は、私は今キリストの内にいるのだ、と言っています。私は物理的にはここにいます。しかし、私のふるさとは天国にあります。主をほめたたえます。私が見つけたものを紹介します。死の恐れからの自由、悪魔の力からの自由、罪の重荷からの自由を見つけました。信頼できる方を見つけました。神の言葉である聖書を読むと、私は平安と喜びと、満足と、希望を得ることができます。キリストのゆえに、私には永遠の命があるのです。

私はその時からアシュリーが私の人生の土台ではないことに気がつきました。イエス・キリストが私の人生の土台なのです。私もアシュリーも一緒にキリストという岩の上に立つことができるのです。

「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものが一人も滅びないで永遠の命をえるためである。」(ヨハネ3章15節)

月報2004年1月号より

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