「大きな力の働きにより」

クリスマスプレゼント、サンタクロース、トナカイ、モミの木。幼いころの私がキリスト教と聞いて思いつく言葉を書き並べてみました。キリスト教、イコール、クリスマスだと、完全に勘違いしていましたね、今思えば。小学校の頃、教会という所は時々ただでお菓子をくれるらしいといううわさを聞き、少し違和感があったこともあります。幼稚園や小学校低学年の頃、何度も繰り返し学校の先生や親に言われたのは、知らない人にお菓子やお金をあげると言われたら、危ない人なので走って逃げなさいという教えでした。高校生になり、見かけたことのあるクリスチャンは、金髪の二人組の若い男性で、真夏の暑い沖縄でもネクタイを締め、自転車で走っている人達でした。自転車用のヘルメットにネクタイ姿は、当時の私には奇異に思われ、友達と笑いのネタでした。クリスチャン人口密度の高いと言われる(ということも最近知ったのですが)沖縄で生まれ育ってもこれくらいの知識しかありませんでした。
私が初めて礼拝に参加したのは、NJに引っ越してくる半年前でした。中国系のマレーシア人の友人がクリスチャンで教会に通っていると聞き、「えーー、アジア人なのに?」と実は思っていました。「ワザワザ西洋の神様を信じなくてもいいのに」とも思っていました。彼の教会は土曜日の夕方にも礼拝を行っていて、別にお金がかかるわけじゃないし、彼が毎回ピックアップしてくれるという送迎付きなので、土曜日の夕方の暇つぶしに通うだけでした。アメリカ人ばかりの教会でしたが、牧師の話し方が面白く(内容より笑いを期待してばかりいましたが)、短い間でしたが通い続けました。NYでの仕事が決まり、最後の礼拝の時に、友人に誘われて牧師に挨拶に行きました。その時の牧師はとても優しく暖かい目をしていたのが印象的だったのと、その友人の強い勧めもあり、引越し先でも教会に通う事にしました。
家から車で5分くらいの所に日本人の教会があるのをインターネットで知ったのがきっかけでした。(すいません、その頃から遅刻ばかりで…)日本語での礼拝に参加して初めて、アメリカ人の牧師が一番伝えたかった事を理解する事ができました。理解できても、罪の自覚とは別な事件の話で、なかなか受け入れられずにいました。少しずつ教会から離れていった頃、一年ほど前の9月11日の事件について考える様になりました。気づかされたのは、あの時の自分の奥底に潜む醜さでした。私は逃げるのに一生懸命で自分の事だけを考え、周囲の事は何一つ考えていませんでした。人を突き飛ばしたり、押しのけたりして逃げる事はなかったものの、イザそういう場面に直面したら、自分の事はさておいて他人を助ける事ができたか、と聞かれても答えられませんでした。ようやく自分の本性と対面し、「これかぁ、礼拝で錦織先生が口をすっぱくして言い続けていたことは」と気づきました。たまたまその後、レストランで友人と食事をしていた時、外から中の様子を覗き込む中国人がいました。よくみると中国人ではなく、教会でお世話になっている(これからも宜しくお願いしまーす)G夫妻でした。満面の笑顔で手を振って下さりました。そろそろ戻ってきなさいといわれた気がし、再び教会に通いだしました。
学びを始めた頃は、いつか受洗したくなったときにできるように、と軽い気持ちでした。というのも、いつ日本に帰るか分からないし、家族の理解を得る事はできないと思っていたからでした。弟は心の病を患っており両親は世話の為に沖縄を離れられず、遠く離れたアメリカでいきなり、私は今日からクリスチャンです、と言えば心配するだけだからです。という、私の小さな思いとは別の所で大きな力が働き、出会いから結婚、そして結婚式の為の両親の渡米、そして受洗と、教会に再び戻ってから大激震の一年でした。これからの歩みにおいて何が準備されているのかとても楽しみです。教会の中で一番の新米ですがこれからもよろしくお願いします。

ロリー・ロナルドさんの証

(旧姓ヘギ、フジテレビで放送された[NY地区では2003年11月]、「通常の8-10倍の速さで老化が進んでいくプロジェリアという病気を持って生きているアシュリーちゃん」のお母さんです。ご本人の承諾をいただいて、http://www.progeriaproject.com/kids/Ashley/thennow.htmに掲載されているものを全文翻訳し転載致します。今から2年くらい前に書かれたものです。)

私の名前はロリー・ヘギ。アルバータ州の南部に10歳の娘、アシュリーと住んでいます。私の人生はアシュリーがプロジェリアという病気であることを知った時に全く変わってしまいました。しかし、もう一つわたしの人生を変えた出来事がありました。それは、3ヶ月前、イエス・キリストが私の罪を赦し、私との個人的な愛の関係を始めて下さったことです。

振り返ってみると、私はいつも愛の神の御手によって、危険から守られてきました。そして究極的には神のことを聞くことができるところへと導いて下さったのです。

12歳の時のことを思い出します。私は氷が割れて、氷の下に閉じこめられてしまいました。その時には友達が氷の割れ目から私の髪の毛をつかんで引き上げくれました。私はどのようにしてそこで助かったかよく分かりませんでした。半分凍った川をどのようにして岸までたどり着いたか何も覚えていないのです。私は自分の人生の中で、そのようにしてたくさんの事故や危うい出来事をすり抜けてきたことをいくつも思い出すのです。

私は自分の人生を自分の方法で歩んできました。私は規則とか責任とかを無視することが得意でした。学校を中退し、家出をして、盗みをはたらき、嘘をつきました。酒に、麻薬におぼれました。

私は17歳の時に妊娠しました。妊娠中だけはお酒や麻薬はやめました。私は自分のお腹の中で育つ赤ちゃんを産みたいと思ったのです。9ヶ月後、とっても素晴らしい贈り物が与えられました。アシュリー・ブルックです。母親となったことによって、私の歩みは少し変わりました。しかし、それでも、私は今までの自分の誤った選択や生活のストレスによる痛みや後悔を麻痺させてくれる、間違ったものに頼り続けていたのです、私はあいかわらず孤独で、すべてのことを何もかも自分一人でやらなければならないと感じていました。だれもあてにできる人なんかいないと思っていたのです。

アシュリーは9ヶ月の時に、プロジェリアと診断されました。同じ病気の13歳の子の写真を見た時に、世界が崩れていくような思いになりました。何を言ったらいいのか、何をしたらいいのか、何を考えたらいいのか、全く分かりませんでした。私は娘を愛していましたし、この子こそ私にとってのすべてでした。そして、心のどこかで「どうにかなる」とも思っていました。彼女は成長するにつれて力や知恵、愛と勇気とを身につける様になっていきました。彼女は私にとっての人生の土台、生きる意味となりました。こんなことが起こるのには何か理由があると思うようになりました。「何かもっと大きなことがここで起こっているにちがいない」と思っていました。自分の考えが正しいことを願っていました。「この人生にはもっと大きなことが起こるにちがいない」と。

それからの10年間、アシュリーの現実とうまくやっていくために助けになってくれるためのいろんなものにどんどん依存するようになっていきました。私はキックボクシングに夢中になり、「NINJA」(Kawasakiのバイク)を持ち、ハーレーに乗り、人々の羨望の的になりました。しかし、心の中では、何か満たされていなかったのです。人生は意味がなく、虚しいものに見えました。

2001年の12月の下旬のある日、私はもう前に進めない、と思いました。このままではもう生きられない、一時たりとも生きられない、と思いました。私は孤独でした。たくさんの過ちを犯してきました。痛みをごまかそうとすればするほど、むなしさを埋めようとすればするほど、それは大きくなっていくのです。私は自分が人間としても、母親としても失格だと思いました。膝をついて泣きました。泣き続けました。私は自分が間違っていたことに気がつきました。自分が悪い人間だと思いました。「赦してください、私は罪を犯しました」という言葉が繰り返し出てきました。それを止めることができませんでした。膝をついて顔を伏せて、涙が川のように流れました。その時のことをはっきりと覚えています。どうして泣いているか、誰に向かって叫んでいるのか分かりませんでしたし、そんなことはどうでも良かったのです。私はどん底にまで落ちました。トロフィーも、バイクも、鍛え上げた体も、羨望のまなざしも、何の意味もない、自分には何もない、と分かりました。私はその時には知りませんでしたが、神はわたしの叫びを聞いておられたのです。そして、神はわたしに答えてくださったのです。幾日かのうちに、私は変わり始めました。私はアシュリーの部屋で赤い聖書を見つけ、それを読み始めました。わたしの心の中のむなしさは癒やされ始めました。私は自分の人生について、私が持っているものについて、新しい見方をすることができ、感謝をできるようになってきたのです。

私はすぐに、誰にも説明もしないで、今まで持っていた関係をすべて捨てて、引っ越しをしました。今までの人生の中で持っていたもの、人間関係、すべて離れました。それらのものは自分の人生にとってプラスにならないことを知っていたからです。私はそれまでの自分の経験から、それらのものは私に平安も、満足も、希望も与えてくれないことを知っていたのです。私に虚しい孤独な思いを与えて去っていくことを知っていたのです。ありがたいことに、私にはアシュリーがいました。私の支えでした。私は100パーセント彼女と共にいてあげられませんでしたが、彼女は100パーセント私と共にいてくれたのです。しかし、それでも、私の中には痛み、罪意識、孤独、悲しみがいっぱいだったのです。

その時、私はイエス・キリストについて聞くことができました。主は私を二人の方々が聖書を教えているところへと導いてくださいました。その時に、はっきりと神の子イエスについて、そして、イエスがこの世に来られたのは十字架の上で死ぬことによって罪人を救ってくださるためだった、ということを聞きました。彼らはイエスが私の罪のために死に、死人の中からよみがえり、私にあふれる命を与えてくださることを教えてくれました。イエスは「私はあなたに命を与え、豊かに与えるために来たのだ」(ヨハネ10章10節)と言われました。このメッセージを聞いた三日後に私は罪の赦しという神のプレゼントを受けいれました。その時のことを決して忘れません。神は本当におられ、私が神を知ることを願っておられたのです。私は救われました。神の恵みによって地獄から天国へと救われたのです。何という救いでしょうか。もう罪に縛られていないのです。私は自由になりました。「あなたがたは真理を知る。そして、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8章32節)

聖書は、私は今キリストの内にいるのだ、と言っています。私は物理的にはここにいます。しかし、私のふるさとは天国にあります。主をほめたたえます。私が見つけたものを紹介します。死の恐れからの自由、悪魔の力からの自由、罪の重荷からの自由を見つけました。信頼できる方を見つけました。神の言葉である聖書を読むと、私は平安と喜びと、満足と、希望を得ることができます。キリストのゆえに、私には永遠の命があるのです。

私はその時からアシュリーが私の人生の土台ではないことに気がつきました。イエス・キリストが私の人生の土台なのです。私もアシュリーも一緒にキリストという岩の上に立つことができるのです。

「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものが一人も滅びないで永遠の命をえるためである。」(ヨハネ3章15節)

月報2004年1月号より

「先日、六ヶ月振りに車を運転しました。…」

先日、六ヶ月振りに車を運転しました。
理由は今さら隠しても仕方ありませんが、飲酒運転で免許を取り上げられていたからです。待ちに待った六ヶ月でしたが、正直なところ、いざ運転してみると、自分でも怖いぐらい六ヶ月のブランクはなかったかのように、違和感がなく、すんなり運転できてしまいました。世間的には自分の汚点となるようなことなので、まるで臭いものにふたをするかのように、このまま何事もなかった顔で、六ヶ月前の元の生活に戻ってしまうことは簡単ですが、私にとってこの六ヶ月は、神様が私を個人的に取り扱ってくださり、一緒に歩んで下さった貴重なときであったことを確信していますので、是非今日は皆さんにそのことをお証したいと思います。
まず、最初にショキングなことをお書きしますが、私は同じことで警察に捕まったのは、実は今回が3回目です。一回目は学生時代に、二回目は10年前、そして今回です。二回目の時は車を廃車にしてしまうほどの自損事故を起こしての結果、警察を呼ばざるを得なくなり発覚しました。
その他にも、警察沙汰にはなっていませんが、やはり自損事故で、右側両輪を歩道ブロックにぶつけてパンクさせ、レッカーされたこともありました。このように過去を思い返すと、私は今までに何度も問題をおこしてきたにもかかわらず、改めることができない自分であったことがわかります。毎回、その度に「もうやめよう、もうやめよう。」と思ってはきたと思うのですが、しばらくすると、その時のことを忘れてまた同じことを繰り返してしまう。自分では良くないことはわかっているけど止めることができない。これが私の中にある罪の現実でした。
聖書には罪についてこのように書いてある箇所があります。
「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それをおこなっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」
ローマ7章19-20節
そして神様はそのたびに警察を通して、私に警告を発してこられてきていたのに、私はこれまで無視し続けていたのです。
今回問題となったのは今年4月の初めに、NJ州北部の町で仕事仲間の送別会を4人でした時でした。その日は11時ごろまで食事して、お開きになりましたが、翌日ふたを開けてみると、そのうち2人が警察にお世話になっていました。ただ、もう一人の方は、その送別会の主役で日本に帰国がまもなくだったのでなのか、何のお咎めもなく、「気をつけて帰りなさい」と言われただけで、免除されたそうです。結局、その日私一人だけが捕まったので、周りの皆んなは、そんな私のことを一様に「運が悪かったね。」と思ってくれていたようです。今までならば自分もそのように思っていたかもしれません。しかし今回は、わたしは「守られた」と心から思うことができました。というのも、私が警察に拘束されていて、身元引受人として家内に電話がかかった時、家内は家の電話のコールIDに「Ramsey 警察署」と出ていたのを見て、体が震えたそうです。夜の12時過ぎに警察から電話だと交通事故で人を傷つけたか、傷ついたか。もしくはそれ以上のことが私の身の上に起こったのではないかと思ったそうで、実際は事故ではなく、私が警察にお世話になっているので引き取りに来てほしいとの連絡に、内心ホッとしたと言っていました。確かに家内が言うようにこのままどんどん突っ走っていれば、その不安が現実のものになっていたかもしれません。飲酒運転においては何が起こっても不思議ではなく、一旦、事故となれば、運・不運の問題では片付けられないのです。「これは決して、不運ではなくて、自分で止めることができない私の弱さを神様が知っておられ、神様ご自身がこのような形でストップをかけて下さったんだ。」と思えたからです。
それから家内は夜中の1時頃、眠っていた2人の子供たちを起こして、迎えにきてくれました。私は眠そうな子供たちの顔を見たとき、なぜか涙があふれてきて、ただ、「ゴメンね、ゴメンね」と繰り返しました。後からお兄ちゃんの方には、どうしてお父さんが警察に捕まったのか彼にわかるように説明しましたが、その時彼は、「どうしてお父さんは、やっちゃいけないことをやったの。」と子供なりの素朴な質問をされ、私は返事につまりました。そして、その言葉がまるで、神様からのことばのように思え、私はハッと気付くことができたのです。
聖書にはこのようにも書いてあります。
「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」 ローマ8章11節
私は前の2回までは、まだクリスチャンではありませんでしたので、聖書を読んだこともなければ、神様の存在やその私に対する愛などは知りませんでした。しかし今回は明らかに、この聖書の御言葉通り、死に向かって突っ走りかけていた私の罪のからだを、主があわれみ、そこから救って下さったと身をもって体験しました。六ヶ月免許停止は私にとってこのように主によって取り扱われた大事な「聖め」の時となりましたが、しかし現実的には、この地においての私たちの生活を大きく揺るがす可能性を秘めたものでもありました。なぜなら、私にとって車は単に通勤だけではなくて、顧客周りの大事な足となっていましたので、車が運転できないならば、日本帰国は免れないだろうし、仮にこの地に残れたとしても、この車社会において物理的に六ヶ月を乗り切るのは至難の業と思えたからです。しかし、神様はそのことにも配慮して下さり、道を用意してくれていました。
会社の判断は、「周りの者が協力して助けるなら、特に問題は無し。」となり、車に代わる通勤方法を探すと、なぜか私は New Jersey Transit (鉄道)の最寄駅に歩いて5分の距離に住んでいて、朝6時半の電車に乗ると会社には9時前入ることができるようになっていたのです。幸い私は朝型人間でしたので、朝早いのは、全然苦にならなく、又夏の間だったので、冬のように朝晩暗く寒い中を歩いて行く必要もありませんでした。その他、この六ヶ月間にはいろいろな不自由を経験したり、その度たくさんの方の愛情に助けられてきました。しかしこのように無事乗り越えることができたのは、やはりそのすべてが主の御手のうちにあり、守られたからであったことは、今終えた自分の実感であり、紛れも無い事実として受け止めています。
思えば、今年の半分をこのことに費やし、気が付けば、残すところあとわずかとなりました。去年の今頃はこのような一年になるとは思いも寄らなかったですが、確かに主が私を取り扱ってくださった大事な一年となりました。そのすべてのことに感謝しつつ。
「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。」 詩篇86篇5節
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」 詩篇103篇2節

月報2003年12月号より

「神様への感謝」

2~3年前にアカデミー候補となった映画「About Schmidt」という題名の映画をご覧になりましたか?最近我が家ではDVDを借りて見る機会が多く、家内に「是非見たほうが良い!!」と薦められ一緒に見ました。一度目はなかなか身にしみる場面が多く、「なるほど、気を付けなくてはいけない」と感じました。その後数日、数週間が経過しても、どうもこの映画のことが頭から離れず、今度はDVDを買い、一人でじっくりと見ました。
主人公のWarren Schmidt は66歳、結婚42年、オマハの大きな保険会社のAssistant VP の職を最後にリタイアする当日の場面から映画は始まります。主人公自身の人生への思い、特にサポートをするアフリカの孤児Nduguへの手紙を媒体としての自己発見、妻との関係、娘との関係等を中心に話しが進みます。
映画の一つのテーマは、Warren の不満・怒り、「自分の人生は何であったか、会社仕事、自分は何かに貢献出きたか?」「妻はいつも自分をコントロールする、彼女の小さな仕草や趣味が気に入らない!」「娘はとんでもない輩と結婚しようとしている、許せない!」、そして、もう一つのテーマは感謝、「退職直後に脳梗塞で急死した妻への感謝」、「全く気に入らない娘のフィアン家族への感謝」、「Nduguへの感謝」。
私は今年で50歳となり、Warren の年までにはもう少し時間がありますが、会社・仕事・妻・娘とかなり身にしみる映画の設定で、とても共感できる映画でした。しかし、どうも何かが足りないという思いがずっと残っていました。考えてゆきますと、示される事は、足りないものは「神様への感謝」と思えてきました。自分との関係、家族との関係、知人・友人との関係の前に「神様との関係」。そして、「神様に似せて創られ、生かされていることへの感謝」、この根源的な部分の神への感謝、自分の支配でなく、神の支配への委ね、この大切な部分が描かれていない事が映画への消化不良の原因と確信出来ます。Warren から怒り・不満がなくならない。しかし、ふと自分を振り返ると、Warrenとあまり変わらない姿が見えてきます。自分に対して、そして会社・仕事・対人関係の不安・怒り・恐れ。自分では解決出来ない、どうすれば良い。自分には出来ないが、神様には出来る。全てをゆだね、全てに感謝し、生かされている自分がいると考えると、不思議いや当然、不安・怒り・恐れが去り、平安が与えられます。
1991年12月22日にJCCNJで正木牧師から洗礼をうけ、「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」 ヨハネ15-16の御言葉を頂きました。洗礼から12年、やっと神様の大きさ、偉大さを痛感しています。洗礼にあたり、この御言葉を語られ正木牧師を通して、特に私に選んでくれました神様に感謝です。
その後のWarren は教会、神様につながり、神様の力により沢山の実を結んだという「About Schmidt 2」を楽しみにしています。日々、働いて下さる神様に感謝!思いやり深い家族、特に妻に感謝です!

月報2003年11月号より

「無言の宣教」

去る4月16日朝、弟の毅が安らかに天に召されました。長い間教会の皆様にお祈り頂きましたことを遅れば
せながら心から御礼申し上げます。

この日は奇しくも私の72歳(年男)の誕生日で弟が俺の命日を忘れるなよと言っているような気がしていま
す。

さて、弟は長い間私達の家族の中で唯一人のクリスチャンでした。彼は小学生の時同級生で親友だった上野さんという方のご一家が敬虔なクリスチャンホームだったことから教会に導かれ高校一年生のとき洗礼を受けた様です。この上野家というのはお父様が東京朝日新聞社の社主というえらい方でありながら子供たちの友達が来るとお母様ともども一緒になって子供たちの話題に入って下さるような素晴らしいご家庭でした。翻って小学校6年生の時に父を亡くし、私とは歳が離れすぎていて家に帰っても話し相手もなかった弟が温かい上野家に惹かれて行きそのベースにあるキリスト教に親しみを感じたのは自然の成り行きだったのでしょう。

弟の偲ぶ会の席上、多くの方々から私の知らなかったことも含めて弟にまつわる様々なエピソードが語られました。その多くは「仲人口半分」に聴いてもいずれも弟は面倒見がよかった、弟に感化された、弟のお蔭でクリスチャンになった、というような話で彼はそんなに「偉大」だったのか!・・・という思いを抱かざるを得ませんでした。そして会の後で前出の上野さんが私に「タックン(毅のニックネーム)と出会えた事は本当に幸運でした。

私たちは真実盟友でした。彼は色々な意味で私の人生を変えてくれました。」と言って下さった時はじーんときて涙が出そうになりました。上野さんに弟が感化されたとばかり思っていたのに逆に弟が上野さんの人生を変えたなんて・・・・盟友というのはお互いに感化しあい向上しあうものなのか、そう思うと今までの人生に盟友といえる友人を持ち得なかった自分が薄っぺらで情けなく思われ、無性に弟が羨ましく感じられました。

同時に今、私が救われているのは実は弟のお蔭ではないのか、という思いが次第に大きくなってきました。弟は私に対して一言も宣教めいたことは言いませんでした。しかし弟の生きざまは全てが愛に満たされ、クリスチャンの生き方を具現していた様に思えます。私が受洗するにあたっては教会の皆様に引っ張り上げて頂いたりお尻を押して頂いたりしました。それは勿論有難く、私の救いの為の直接的なfactorでした。しかし、もし弟の存在がなかったらきっと傲慢で頑なな私は教会に足を踏み入れることすらしていなかったと思います。神様は弟を通して私を愛の道に導いて下さったのではないでしょうか。

天国の毅に感謝をこめて。

月報2003年10月号より

「主の愛に包まれて」

主の愛に包まれていました。八年過ごしたアメリカ生活を終えて、今、それまでのことを振り返ってみると、そう思います。どんなときにも主はともにいて下さいました。孤独、苦しみのどん底にあるときも、自分の力だけを信じていたときも、傲慢になっていたときも、神様の愛を知らないときも、その愛を知っていながら神様が悲しまれるようなことをしたときも、共に居てくださって僕を支えてくれていた。こんなにもどろどろとした心を持った弱い、罪人を。それを思ったときになんと大きな愛なのだと、こんな自分をここまで愛していてくださる方がいるのだと思ったときに抑えられない感動を覚えました。

その感動の中で特に心に残っていることを書かせていただきたいと思います。

二年前の八月だったと思います。その当時教会学校の校長先生をされていた姉妹から教会学校の先生をしてみないかという話がありました。それまでの自分は、絶対に僕には教会学校の先生は頼まれない、もし頼まれたとしても絶対に断ろうと思っていました。僕に頼むなんて血迷ったかとも思いましたが、そのときある御言葉に心を打たれていました。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた聖なる供え物としてささげなさい。」(ローマ人への手紙12章1節)神様のために何かしたいという思いが与えられていて、単純な自分は何も考えずにその御言葉を信じて引き受けますとその場で返事をしていました。

その後、家に帰って考えてみた時、自分がなんて大変なことを決めてしまったのか気づきました。というのは、自分は話すのが一番苦手だからです。冷静に考えてみると、自分には無理ではないのか、普通に考えたらやっぱりだめだよなーという思いでいっぱいになって、引き受けたことをすごく後悔しました。友達に教会学校の先生をやることになったと話したときには、「向いてないね」と皆に言われ、本当に自分はこの奉仕に向いていないのだと心のそこから思い、自分の至らなさに愕然としたのを覚えています。

その時、自分の心の中に五つのパンと二匹の魚で五千人の人のお腹を満腹にした話が浮かんできました。イエスについてきた五千人もの群集が周りに何もないとことにきて疲れ果て、食べ物を必要としていたが、イエスの弟子たちの手元にあったものは五つのパンと二匹の魚だけだったので、群集を近くの町に行かせるようイエスに提案した。しかし、イエスはそれを持ってきなさいと、五千人を前にして、弟子たちが持っていたちっぽけで何の役にも立たない食べ物を、イエスの元に持ってきなさいというのです。そして見事にイエスは何も役に立たないもので五千人もの人を満腹にしてしまったという話です。この話を思ったとき、自分はこの時の弟子たちと同じなのだ、自分にはちっぽけなものしかないけど、イエス様はそれを何十倍にも大きくしてくれるのだ、大事なのはその至らないところに働く力を信じて、そのままの自分を神様のために捧げることなのだと思わされました。そして教会学校の奉仕を引き受けたことを後悔していた自分に勇気が与えられ、やってみたいという気持ちに変えられていました。

そして二年間この奉仕をさせていただいた中で本当に主は至らないところに働いてくださる方なのだということを経験させていただきました。自分のようなものが担任をして生徒だった子供たちには申し訳ないという気持ちもありますが、自分ではなくて神様が確実に毎回のクラスにいてくださって子供たちを導いていて下さっていたのだと、人間の頭で考えるレベルを遥かに越えた事を日々されているのだと思わされました。

アメリカでの生活を終え、香港、中国本土で新たな生活を始めますが、どこに行っても、今までずっと共にいてくださった神様がこれからも共にいてくださると思うと、新天地での生活への不安が吹き飛んでいきます。これからどんな嵐が襲ってくるか分りませんが、その嵐の中を、僕を愛してくださる神様と共に歩んで行きたいと思います。

月報2003年9月号より

「私はこの6月、ペンシルバニアで行われた…」

私はこの6月、ペンシルバニアで行われた“クリエーション2003”というクリスチャンのイベントに参加しました。これは、1979年から続いているとても有名なクリスチャンコンサートで、イベントは5日間続き、参加者はテントに野宿しながら、コンサートや神様からのメッセージを5日間ノンストップで聞き、主を礼拝し賛美するものです。今回は、友達のデズリーの教会のユースグループで参加することになり、私も誘ってもらえたのです。こんな機会は一生に一度しかない!と興奮しましたが同時に5万人の若者が参加すると聞いた時にはちょっと心配でもありました。
キャンプの初日は、それまでの雨ばかり続いた天気とは打って変わって、90度を超える暑さとなり、この暑さの中どうやって5日間生き延びるわけ?と思い、私もデズリーもめまいがしてきました。でもプログラムがはじまったとたんに気持ちがしゃきっとしてきました。私は神様が私とともにおられることがわかりました。賛美の中には教会でもよく歌う“Above Allモ や メAwesome Godモなどもあり、その日のメッセージは、世界中に出て行って福音を述べ伝えなさい、というもので、夜には聖餐式もありました。
翌日の朝は礼拝から始まり、その日のスピーカーのトーマス牧師はクリエーションが始まって以来100人以上の若者に洗礼を授けた人でした。私は神様がこの私と共にいてくださるのと同じように、こんなにも沢山の若い魂に触れてくださっている事実に驚きすら感じました。その日の夜にはキャンドルサービスがありました。ろうそくを手にしてふと後ろを振りかえると、
5万人が入ったスタジアムがキャンドルでいっぱいになっている光景は、胸を打つものでした。
こんなにも沢山の人がひとつになって、主への賛美と感謝を捧げている姿は忘れられません。
次の日“PrayerTentモで起こったことは、私の人生を作り変えました。その夜のスピーカーのデイビッド牧師の「今、自分の人生を変えて神様にもっと近づきたいと思っている人」という招きに、私は立ち上がって前のテントに進み出ました。私は、昨年洗礼を受けてから、私の信仰生活はローラーコースターライドのようで、霊的な戦いの中にいたので、今私にそれが必要だということを感じていたからです。私は他の招きに応じた人たちと一緒に立ち上がり“PrayerTentモに行きました。友達のデズリーとデズリーの教会のYouth Pastorのデイヴも一緒に来てくれました。テントの中に一緒に座ったとたんに私は、心の中のすべてを注ぎ出す事ができました。クリスチャンになっても、いつも喜びと感謝に満たされているわけではないこと、未だに神様へ対しての飢え渇きがあること、妹とうまくやっていけないことなどを告白しました。デイヴとはまだ会ってから数日しかたってないし、あまりしゃべってもいないのに、彼は私の話を真剣に聞いてくれて、私が神様から目を離さないよう、霊的に強くなれるように祈ってくれました。そして、彼のクリスチャンとしての歩みの中にも同じようなことがあったし、これはクリスチャンが誰でも通る試練でもあることを話してくれました。そして、その試練は神様が私たちを強くしてくださるためであり、ずべての事において神様に立ち返るようにするためだとも教えてくれました。私はこの夜、自分が大きな思い違いをしていたことにはじめて気が付きました。私は、クリスチャンになったらその瞬間からすべてが変えられすべてが良くなると思っていたのです。でも実際は神様は私たちをテストして、私たちに色々な試練を経験させる、でもそれは、私たちを毎日少しずつ強めてくださるためだったのです。
一番大切なことは、そういった試練の中でも神様に立ち返っていくこと、決して神様に背を向けないことなのです。クリスチャンになったからといって一晩で何もかも変わるわけではないのです。デイヴの話のあと、私が“完璧”と思っていたデズリーでさえ、私と同じ体験をしたことを話してくれました。私は2人が私の話を聞いてくれて理解してくれたことをとてもうれしく思いました。そのあと、自分のテントに戻ってデズリーと他の友達と一緒に、夏が終わって、学校に戻ったら、まだイエスさまを知らない友達に対して、イエス様の良き証人となることができるよう、祈り合いました。私は神様がこのように一緒に祈り合える友達を下さっていることに本当に感謝しました。
このクリエーションでは、本当にクリスチャンが変えられるのです。私はこの5日間で、私が求めていたものすべてに出会うことができました。神様は本当に私の必要を全部ご存知でした。
なんて素晴らしいお方でしょうか。神様が私の必要を満たしてくださるために、このクリエーションへ送り出してくださったのです。この暑さの中、耐えられたのも神様が守ってくれた以外に考えられません。(教会の皆さんもお祈りしていてくれたことを後で知りました。ありがとうございます。)私は、こんな素晴らしい神様のことをこれからもまわりの人たちへ伝えてゆきたいです。

月報2003年8月号より

「しかし、わたしが与える水を飲む者は…」

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」(ヨハネ 4:14)。去年のイースターに、私はこの御言葉によって生まれ変わったのです。
この御言葉に導かれるまで、私は毎日が不安で、自己嫌悪ばかり感じていました。常になにかをやって目標を達成していかないと、周りに認めてもらえない、こんな自分は誰にも愛されない、と思っていました。自分に自信がなくて劣等感を感じる時もあれば、友達よりもテストの点数がいいと優越感を感じたり、誰にでもいい顔をする表面的な付き合いに嫌気がさしたり、自分が何なのかわ分からなくなっていたのです。何のために生きているのだろうと思ったことも少なくはありません。あることを成し遂げた直後は、達成感で心が満たされていたのですが、時間がたつと、またやらなきゃ。。。と、あせりを覚えることの繰り返しでした。心にぽっかりと空いた空洞を埋めるのに一生懸命で、「幸せ」というものを感じる余裕さえなかったと思います。埋まったと思ったらまた穴が空いてしまう心。どうしたらこの苦しみから抜けられるのだろう。。。といつも思っていました。
そんな時、私は錦織先生に出会いました。日本で通っていた、ミッション系スクールの聖書の時間と違って、聖書に書かれていることをただ勉強するだけでなく、先生は、私の悩みに親身になって相談に乗って下さり、聖書の御言葉の中に一つ一つの答えを見出して下さいました。その時の先生の言葉は、どんなアドバイスよりも、一番私の心に平安をもたらしてくれました。そして必ず、「どうか沙織ちゃんが心のドアを開いて、あなたの大きな愛を受け入れられるようになりますように。」と一緒にお祈りをして下さいました。その時初めて、私は神様が差し伸べて下さっている手を取っていなかったことに気付きました。そのことに気付いた途端、私は言葉では表せないような暖かいものを感じました。あの生まれ変わった時の喜びは、昨日のことのように鮮明に覚えています。
洗礼を受けてから、本当に毎日が明るくて、神様に愛されることが嬉しくて嬉しくてしょうがない日々を送っています。どんなに辛いことがあっても、苦しい思いをしても、「いつだって神様と一緒だから!」と思うと、何でも乗り越えられる気がします。物事がうまくいかなくても、「これは神様が私にベストだと思って立てて下さった、神様のご計画のうちなんだ。」と思うと、何も怖くありません。切羽詰っている時でも、お天気が良いことを喜んだり、おいしくご飯が頂けたり、生まれて初めて「余裕」というものを感じることができるようになりました。些細な幸せを感じられるほど、素晴らしいことはないと今感じています。
しかし、ある教会の仲間へ送ったEメールに書いたことなのですが、神様に救われて怖いものも怖くなくなった後も、「完璧なクリスチャンになるには」ということで随分悩みました。この一年間を振り返ると、心の中で沢山のことと葛藤していたような気がします。正直に告白すると、聖書をまだ全部読んでいないし、学校とピアノの忙しさにかまけて、教会にもあまり行っていませんでした。自分のお祈りの仕方が間違っているのではないかと悩んだことも何回もあります。更に、「神様なんていないんだよ。」と言いつつ、「ああ、神様助けて!」、「神様恨むよ!」と言う、ノンクリスチャンに腹を立ててしまったり(自分だってついこの間まではクリスチャンではなかったのに!)。。。時には、非クリスチャン的な自分は教会へ行くことも、ましてや聖餐にあずかることなんてふさわしくない!と、思いました。
と、この様に反省点ばかりなのです。でも、そんな私を聖歌隊の伴奏で使って下さったり、Genesistersに仲間入りさせて下さったり、たまに教会へ行っても温かく接して下さったり、一緒にお祈りをして下さる兄弟姉妹を見て、なんてみんな心が広いんだろう!と、感動しました。どんな人でも寛大な心で受け入れる。。。これが、イエス様を信じるクリスチャンなのですね。この一年は本当に兄弟姉妹にたくさん励まされた一年でした。今、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
私には今、大きな夢があります。自分と同じ子供が、衣食住に不自由したり、病気で苦しんだり、親を戦争で亡くして寂しい思いをしていることがいたたまれません。「受けるより、与えるほうが幸いである」という教えのように、神様から頂いた充分な恵みを、奉仕を通して多くの子供に分けてあげたいと思っています。皆さんが私にして下さったように、乾く心を持つ人々に、永遠の泉のあることを教えてあげることができたら、どんなに素晴らしいことだろうと思います。まだまだ未熟ですが、これからも神様を愛し仰ぎつつ、歩んで生きたいと思います。
皆様、どうぞお元気で! May God bless you~♪

月報2003年7月号より

「修養会で受けた恵み」

私たちの教会では、去る5月9日から11日まで、Pennsylvania州のStroudsburgのキャンプ場で修養会を持ちました。その時にいただいたフレッシュな恵みをお証ししたいと思います。

私は2歳の時に母を亡くし、母方の祖父母によって育てられました。父とも生き別れの状態になってしまったので、両親の愛を直接体験する機会を持たずに育ちました。祖父母が祖父母なりの愛情を以って私を大事に育ててくれたので、特に問題も感じずにずっと人生を歩いて来ました。ところが、クリスチャンになって、神様の愛、イエス様の愛のメッセージを聖書から学んだり、聞いたりする度に、その愛を自分の中でイメージすることが出来ない自分を発見しました。そして、「自分を愛するように、隣り人を愛せよ」と言われると、はたして私は「自分」を愛しているのだろうかという疑問を持ち始めました。イエス様の愛はアガペーの愛といわれ、犠牲を伴う愛、惜しみなく自分の命を捧げる愛であると言われます。そしてその愛を、親が子供を愛する愛に喩えて私達は理解しようとします。両親の愛を体験せずに育ったので、私には実感としてそのことが分からないのだろうと思いました。今回の修養会には特別ゲストとして、ハワイからRandy & Gay本郷先生ご夫妻が参加して下さいました。そして、ニューヨークで働いておられる息子さんのAndrewも加わって、3人で、本当に素晴らしいハーモニーの賛美を聞かせてくださいました。3人が心を合わせて賛美される中に、ご家族の愛があふれんばかりに伝わってきました。Andrewの清々しい笑顔の中に、ご両親の愛を一心に受けて育たれたことをひしひしと感じました。私のまわりにも、愛情を自然に表現できる方が沢山おられます。私はいつも羨ましい、私もいつかそうなりたいと思っていました。イエス様の愛で心を満たしていただけば解決すると信じて、いつも祈っていました。確かに祖父母(すでに亡くなっているので昔のことを思いだして)、主人や息子、身内の人たち、教会の兄弟姉妹、あるいは友達を通して示されるイエス様の愛によって、少しずつ心が満たされて行きました。それでも、なおかつ、心の中に満たされない部分が残っているのです。イエス様が私の罪の贖いのために十字架にかかってくださったその愛にお応えして、私も「愛の人」になりたいと心から思いました。でもいつも自分の愛の足りなさが示されるばかりでした。

今回の修養会では、ロンドンのJCF(Japanese Christian Fellowship)の盛永進先生がヨハネの福音書4章1節~42節のサマリアの女の箇所から、4回にわたってメッセージを語ってくださいました。先生のメッセージを通して、十字架にかかられ、3日目に甦られたイエス様が、現在に生きている私たちの現実、抱えている問題に深く関わってくださる方であることが伝わってきました。そして私たちの問題に具体的に解決を与えることのお出来になる方であり、「生きた水」を与えたいと願っておられる方であることを強く感じました。それで、2日目の夜の集会が終わった後に、盛永先生に私の問題をお話してみよう、何か解決が与えられるかも知れないと言う思いになりました。「先生、実は私は、、、」と私の生い立ち、私の抱えている問題を先生にお話しました。「うん、うん」と相槌を打ちながら聞いておられた先生が開口一番「無理なんですよね。」と言われました。「無理?」「イエス様の愛で満たしていただいて、人を心から愛せる人になれるようにお祈りしましょう」と言ってくださると期待していた私は、一瞬「ではどうすればいいの?」と思いました。先生は続けて「そういう境遇に育った人は、その部分が閉じ込められているからね。でもイエス様はそれで良いと言ってくださっているのだから良いじゃないですか。神様は愛の足りないまま受け入れてくださっているのだから。親の愛を知らずに育ったことが利点となることもあるのですよ。」と言って、祈ってくださいました。(ご両親の愛情を一杯に受けて育った方と同じように人を愛することは無理だ、という現実を示されて、そのことで頭が一杯になってしまった私は、先生が何を祈ってくださったのか思い出すことが出来ません。)部屋に戻ってからも、「無理だ」と言う現実を理解しようと試みました。確かに、私のような境遇に育った人、つまり、親に愛されることを体験せずに育った人は、その部分が開発されることはなかったのだなということが理解できました。例えば、生まれてから一度も歩いたことがないとすれば、歩くために必要な筋力、歩くために必要なバランスが開発されないままに成長していきます。後から歩く訓練をして歩けるようになっても、自然に歩ける人とは開発される能力が違うかもしれないと納得しました。親に愛されて育った方と同じように、同じ仕方で愛さなくてはいけないと思っていた事が間違いであったことに気づきました。

そして、神様は私の全てをご存知で、そのままで良いと受け入れてくださっているのだ、と言うことが分かりました。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」イザヤ書43章4節のみことばが心に浮かび、神様が受け入れてくださっているように、そういう自分自身を認め、受容する=愛することが出来ました。次に「わたしの恵はあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」コリント人への第2の手紙12章9節のみことばが心に響いてきました。わたしの内におられるイエス様の愛が、わたしの足りないところに完全に働いてくださるとは、何と心強いことかと感謝の気持ちで一杯になりました。私が精一杯がんばっても、示すことの出来る愛は小さなものです。限りのあるものです。その何倍も何十倍もの大きな愛が、神様の力によって表されるとしたら、何という恵みでしょう! 私にとって素晴らしいというよりは、その愛を受け取る方にとって、何と大きな恵みとなるでしょう。私が愛する以上に神様はその方のことを愛しておられるのですから、きっとその方にとって必要な方法で愛を表してくださるでしょう。そう思った時に、私は捕らわれていた物から全く解放され、喜びに満たされました。翌日の礼拝のメッセージの中で、盛永先生が「この世で大きな功績を残している人、特に文豪と言われる人の中の多くが孤児だったのですよ。それは、『わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』という聖書のみことばの成就です。」と語られた時に、神様がもう一度私にそのことを確認してくださったと、本当に感謝しました。私達は私達に与えられている利点だけを神様からの賜物と考えてしまいがちですが、不利な点も神様が賜物として与えてくださっていて、それを用いての使命も与えてくださっていると思いました。私に実行出来ることは小さなことかもしれませんが、そこに働いてくださる神様の偉大な力に信頼して、小さなことを忠実に行っていくことが出来るように、毎日を歩んで行きたいと思いました。

修養会を開いてくださった神様、盛永先生ご夫妻、本郷先生のご一家、錦織先生、修養会のためにご奉仕下さったお一人お一人、そして、家で不自由を忍んで留守番をしてくれた主人と息子に心から感謝いたします。
月報2003年6月号より

「僕を信仰へと導いてくれました敬愛する楠秀樹先生へ」

ニューヨークは3月に入っても寒い日が続いており、「春遠し」という感じです。こういう時にはカリフォルニアの気候が懐かしく思い出されます。

毎週日曜日に行っているLTG*の交わりを通して、本当に恵みが与えられていますこと感謝しております。また、毎週、先生にお祈り頂いていることで、日々の生活が主によって守られています。ありがとうございます。

さて、これは、昨年11月から開始したLTGにより、確かに神様が僕を変えて下さったことを証しする手紙です。これからもLTGの学びが豊かに祝福されることを祈りつつ、ペンを取りました。

先ず、今回の背景となる僕の置かれた状況についてここで、改めて申し上げます。先月、2年半勤めていた会社を退社しました。その理由は(1)営業マンとして会社が期待する結果が出せなかった(2)結果だけでなく、会社の求める能力が自分自身の能力を超えてしまった(3)会社が急速に変化してくスピードについていけなかった、の3点が挙げられます。誤解のないように申し上げますが、これらの理由は会社との数回にわたる話し合いで双方同じ理解のもとで到達した結論です。

とは言っても、これらのことはビジネスマンとしては致命的な人事考課であり、僕自身の努力不足、勉強不足を考慮しても、仕事中心のアメリカ生活を送っていた僕にとっては、とても受け入れ難い出来事でした。人は自分自身の能力を知らされた時が一番辛い、と言われますがまさにその通りでした。会社に対する過去2年半の貢献が否定されたようで、いわゆる挫折感を抱きました。

しかしながら、このような事実を素直に受け入れることができたのは、ずばり「イエス・キリストを救い主とする信仰」のおかげでした。もし、この信仰がなければ自暴自棄になり、かなり荒れていたことでしょう。そして、何かをスケープゴートにして自分自身を正当化していたと思います。たとえ荒れていなくとも、この事実を受け入れるには多くの無駄な時間と労力が必要であったと思われます。

素晴らしい信仰のおかげで、辛いことを素直に受け入れることが出来ただけでなく、感じていた挫折感が主への感謝にと変わりました。ハレルヤ!です。僕をクリスチャンへと導いてくれました先生に改めて、感謝申し上げます。「ありがとうございました。」そして、神様は今回の出来事を通して僕自身をも変えて下さりました。その変えられた点を下記の3点にまとめてみましたので、お伝えします。

1「ラストチョイス」から「ファーストチョイス」へ
クリスチャンになってから、これまで祈りや聖書の中で求めてきたのは、自分が勝手に決めた行動の結果への安心と平安でした。つまり、クリスチャンとしての歩みの過程で、転び、つまずき、傷つき、壁にぶち当っても、最後の最後には神様の守りがあるから大丈夫だという考えでした。今回の件も、神様が最後には守って下さるので「それまでは自分自身で進めるところまで行こう」という神様を切り札とした自分勝手な歩みでした。これこそ、神様に背を向けることであり、神様が最も悲しむことでした。神様は全てにおいて、最後の最後ではなく、最初の最初として、求めていくお方であると気づかされました。

2「欲望」から「希望」へ
正直言って、これまでの人生のモチベーションはすべてが「何々したい」でした。過去10年のアメリカ生活は特にそうでした。「経済的に成功したい」「社会的に成功したい」「人からよく思われたい」「人からほめられたい」など、満たされない物事をなんとしても満たしたいという心、つまり欲望が僕を支配していました。

そうではなく、神様を第一とする歩みの中に欲望ではなく「希望」だけがあることに気づかされました。それは神様が僕にとって益とされるものを備えておられるという確信です。まさに暗闇の中に与えられた光のようでした。今のところその光は遠くの遠くにポツンと輝いており、何時その光に到達するか知る由もないですが、僕にも僕にふさわしい光を与えて下さるという神様への信頼が希望になりました。

希望を与えられたことで、今回の件も神様の計画の一部であると受け入れることが出来て、神様がこれから僕に何を用意してくれているのかと思うとワクワクします。希望を待ち望むことは喜びでもあります。まさに、希望が「喜望」になりました。もっと素晴らしいのはこの希望は失望に終わることはないと、しっかりと聖書(ローマ人への手紙5章3節~5節)に刻まれていることです。ハレルヤ!です。

3「主人公」から「脇役」へ
僕の人生の主人公はもう僕自身ではありません。これまでは、天動人生(天動説のように自分を中心にすべてが回っているという人生)などという言葉を信念として、自分中心にそして自分勝手に生きてきました。しかし、上記のように神様を第一とする歩みにおいて、すべては神様であり、僕の人生の主人公は神様であると告白できます。

僕は今年10月で34歳になりますが、ここにきて僕の人生の第一幕が終わり、これから第二幕が開こうとしているようです。人生の第一幕では僕という素人芸人がなんとなく舞台に立っていましたが、第二幕では、ステージに上るのはイエス様です。僕は脇役か黒子か、もしくは客席で拍手をもって主人公であるイエス様をたたえることが僕に与えられた役割であると気づかされました。

「神様はラストチョイス」「欲望に支配」「自分が主人公」というこれまでの歩みを振り返ると、それは綱渡りと譬えられます。それでも、ここまで綱から落ちずに歩んでこられたのは神様の愛のおかげでした。もし、このままこの状態で歩み続けるならそれは、綱よりももっと細い糸の上を歩んでいくようなもので、ゾットします。そうではなく「神様がファーストチョイス」「希望に満たされて」「神様が主人公」とする歩みは、硬くて広い舗装された土台の上を進むことであるとイメージ出来ます。

神様のしっかりとした硬い土台の上に、仕事とは何か、家族とは何か、将来築いていく家庭とはどうあるべきか、人間関係はどうか、ということをひとつひとつ神様に導いてもらい、これからの人生を歩んでいきます。その大きな第一歩を今、踏み出しました。

このように毎週行うLTGの学びを通して神様が僕を変えて下さったということに付け加えて、先生にもう一つお伝えしたいことがあります。それは、神様は先生を通してその栄光を僕に見せて下さったことです。毎週の先生との分かち合い、罪の告白、そして祈り合いで先生に「癒され励まされ」「慰められ元気づけられ」ました。それは先生を介された神様の素晴らしい働きによるものであると確信しております。「ああ、素晴らしいではありませんか、そのように神様は私たちのLTGの学びにいつもいて下さったのですね。ハレルヤです。」

先生、お祈りさせて下さい。「愛する天のお父様。あなたの御名を賛美します。神様、あなたに背をむけていた的はずれの歩みをお赦し下さい。悔い改めます。あなたとの和解がイエス様の十字架の死によるもので、私たちの罪を贖ってくれましたことを覚えて、大いなる神の愛とイエス様の恵みに感謝します。また、先生を通してあなたの栄光を現して下さったことを感謝します。今一度、心よりあなたを賛美したい気持ちで満たされています。感謝です。アーメン。」

チコさんにもよろしくお伝え下さい。チコさんの健康が支えられますようにお祈りしております。それでは、また、次回LTGの学びでお話します。

・LTG(Life Transformation Groups):LTGとは2~3人でグループを構成して行う楽しみを備えた双方向のコーチングプログラム。1週間に約1時間ミーティングを持ち、そのグループの中で、心を開き、正直に、人格形成を促す会話と罪の告白を行う。LTGの学びで行うことは次の3点。

(1)あらかじめ決められた人格形成の質問事項に交互に答えていく。その質問内容は「先週、主イエス・キリストの偉大さを、言葉と行いを通して証ししましたか?」「先週、あなたの身近な人の気持ちをよく理解し、やさしく寛大に接しましたか?」「先週、誰かに対して腹を立て、怒りが収まらなくなったことはありませんでしたか?」などを含む計11項目。これらの質問項目に基づいて、罪を告白し合うこと、相互に報告義務を持つことを目的とする。
(2)グループごとにその週に読む聖書の箇所を決めて、同じペースで聖書の御言葉を繰り返し読む。
(3)まだ救われていない人々のために祈る。

詳細参照URL: 日本語  http://homepage3.nifty.com/rac/coach_ltg.html
英語   http://www.missionspokane.org/globalocal_life_transformation_groups.htm

月報2003年5月号より