「しかし、わたしが与える水を飲む者は…」

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」(ヨハネ 4:14)。去年のイースターに、私はこの御言葉によって生まれ変わったのです。
この御言葉に導かれるまで、私は毎日が不安で、自己嫌悪ばかり感じていました。常になにかをやって目標を達成していかないと、周りに認めてもらえない、こんな自分は誰にも愛されない、と思っていました。自分に自信がなくて劣等感を感じる時もあれば、友達よりもテストの点数がいいと優越感を感じたり、誰にでもいい顔をする表面的な付き合いに嫌気がさしたり、自分が何なのかわ分からなくなっていたのです。何のために生きているのだろうと思ったことも少なくはありません。あることを成し遂げた直後は、達成感で心が満たされていたのですが、時間がたつと、またやらなきゃ。。。と、あせりを覚えることの繰り返しでした。心にぽっかりと空いた空洞を埋めるのに一生懸命で、「幸せ」というものを感じる余裕さえなかったと思います。埋まったと思ったらまた穴が空いてしまう心。どうしたらこの苦しみから抜けられるのだろう。。。といつも思っていました。
そんな時、私は錦織先生に出会いました。日本で通っていた、ミッション系スクールの聖書の時間と違って、聖書に書かれていることをただ勉強するだけでなく、先生は、私の悩みに親身になって相談に乗って下さり、聖書の御言葉の中に一つ一つの答えを見出して下さいました。その時の先生の言葉は、どんなアドバイスよりも、一番私の心に平安をもたらしてくれました。そして必ず、「どうか沙織ちゃんが心のドアを開いて、あなたの大きな愛を受け入れられるようになりますように。」と一緒にお祈りをして下さいました。その時初めて、私は神様が差し伸べて下さっている手を取っていなかったことに気付きました。そのことに気付いた途端、私は言葉では表せないような暖かいものを感じました。あの生まれ変わった時の喜びは、昨日のことのように鮮明に覚えています。
洗礼を受けてから、本当に毎日が明るくて、神様に愛されることが嬉しくて嬉しくてしょうがない日々を送っています。どんなに辛いことがあっても、苦しい思いをしても、「いつだって神様と一緒だから!」と思うと、何でも乗り越えられる気がします。物事がうまくいかなくても、「これは神様が私にベストだと思って立てて下さった、神様のご計画のうちなんだ。」と思うと、何も怖くありません。切羽詰っている時でも、お天気が良いことを喜んだり、おいしくご飯が頂けたり、生まれて初めて「余裕」というものを感じることができるようになりました。些細な幸せを感じられるほど、素晴らしいことはないと今感じています。
しかし、ある教会の仲間へ送ったEメールに書いたことなのですが、神様に救われて怖いものも怖くなくなった後も、「完璧なクリスチャンになるには」ということで随分悩みました。この一年間を振り返ると、心の中で沢山のことと葛藤していたような気がします。正直に告白すると、聖書をまだ全部読んでいないし、学校とピアノの忙しさにかまけて、教会にもあまり行っていませんでした。自分のお祈りの仕方が間違っているのではないかと悩んだことも何回もあります。更に、「神様なんていないんだよ。」と言いつつ、「ああ、神様助けて!」、「神様恨むよ!」と言う、ノンクリスチャンに腹を立ててしまったり(自分だってついこの間まではクリスチャンではなかったのに!)。。。時には、非クリスチャン的な自分は教会へ行くことも、ましてや聖餐にあずかることなんてふさわしくない!と、思いました。
と、この様に反省点ばかりなのです。でも、そんな私を聖歌隊の伴奏で使って下さったり、Genesistersに仲間入りさせて下さったり、たまに教会へ行っても温かく接して下さったり、一緒にお祈りをして下さる兄弟姉妹を見て、なんてみんな心が広いんだろう!と、感動しました。どんな人でも寛大な心で受け入れる。。。これが、イエス様を信じるクリスチャンなのですね。この一年は本当に兄弟姉妹にたくさん励まされた一年でした。今、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
私には今、大きな夢があります。自分と同じ子供が、衣食住に不自由したり、病気で苦しんだり、親を戦争で亡くして寂しい思いをしていることがいたたまれません。「受けるより、与えるほうが幸いである」という教えのように、神様から頂いた充分な恵みを、奉仕を通して多くの子供に分けてあげたいと思っています。皆さんが私にして下さったように、乾く心を持つ人々に、永遠の泉のあることを教えてあげることができたら、どんなに素晴らしいことだろうと思います。まだまだ未熟ですが、これからも神様を愛し仰ぎつつ、歩んで生きたいと思います。
皆様、どうぞお元気で! May God bless you~♪

月報2003年7月号より

「修養会で受けた恵み」

私たちの教会では、去る5月9日から11日まで、Pennsylvania州のStroudsburgのキャンプ場で修養会を持ちました。その時にいただいたフレッシュな恵みをお証ししたいと思います。

私は2歳の時に母を亡くし、母方の祖父母によって育てられました。父とも生き別れの状態になってしまったので、両親の愛を直接体験する機会を持たずに育ちました。祖父母が祖父母なりの愛情を以って私を大事に育ててくれたので、特に問題も感じずにずっと人生を歩いて来ました。ところが、クリスチャンになって、神様の愛、イエス様の愛のメッセージを聖書から学んだり、聞いたりする度に、その愛を自分の中でイメージすることが出来ない自分を発見しました。そして、「自分を愛するように、隣り人を愛せよ」と言われると、はたして私は「自分」を愛しているのだろうかという疑問を持ち始めました。イエス様の愛はアガペーの愛といわれ、犠牲を伴う愛、惜しみなく自分の命を捧げる愛であると言われます。そしてその愛を、親が子供を愛する愛に喩えて私達は理解しようとします。両親の愛を体験せずに育ったので、私には実感としてそのことが分からないのだろうと思いました。今回の修養会には特別ゲストとして、ハワイからRandy & Gay本郷先生ご夫妻が参加して下さいました。そして、ニューヨークで働いておられる息子さんのAndrewも加わって、3人で、本当に素晴らしいハーモニーの賛美を聞かせてくださいました。3人が心を合わせて賛美される中に、ご家族の愛があふれんばかりに伝わってきました。Andrewの清々しい笑顔の中に、ご両親の愛を一心に受けて育たれたことをひしひしと感じました。私のまわりにも、愛情を自然に表現できる方が沢山おられます。私はいつも羨ましい、私もいつかそうなりたいと思っていました。イエス様の愛で心を満たしていただけば解決すると信じて、いつも祈っていました。確かに祖父母(すでに亡くなっているので昔のことを思いだして)、主人や息子、身内の人たち、教会の兄弟姉妹、あるいは友達を通して示されるイエス様の愛によって、少しずつ心が満たされて行きました。それでも、なおかつ、心の中に満たされない部分が残っているのです。イエス様が私の罪の贖いのために十字架にかかってくださったその愛にお応えして、私も「愛の人」になりたいと心から思いました。でもいつも自分の愛の足りなさが示されるばかりでした。

今回の修養会では、ロンドンのJCF(Japanese Christian Fellowship)の盛永進先生がヨハネの福音書4章1節~42節のサマリアの女の箇所から、4回にわたってメッセージを語ってくださいました。先生のメッセージを通して、十字架にかかられ、3日目に甦られたイエス様が、現在に生きている私たちの現実、抱えている問題に深く関わってくださる方であることが伝わってきました。そして私たちの問題に具体的に解決を与えることのお出来になる方であり、「生きた水」を与えたいと願っておられる方であることを強く感じました。それで、2日目の夜の集会が終わった後に、盛永先生に私の問題をお話してみよう、何か解決が与えられるかも知れないと言う思いになりました。「先生、実は私は、、、」と私の生い立ち、私の抱えている問題を先生にお話しました。「うん、うん」と相槌を打ちながら聞いておられた先生が開口一番「無理なんですよね。」と言われました。「無理?」「イエス様の愛で満たしていただいて、人を心から愛せる人になれるようにお祈りしましょう」と言ってくださると期待していた私は、一瞬「ではどうすればいいの?」と思いました。先生は続けて「そういう境遇に育った人は、その部分が閉じ込められているからね。でもイエス様はそれで良いと言ってくださっているのだから良いじゃないですか。神様は愛の足りないまま受け入れてくださっているのだから。親の愛を知らずに育ったことが利点となることもあるのですよ。」と言って、祈ってくださいました。(ご両親の愛情を一杯に受けて育った方と同じように人を愛することは無理だ、という現実を示されて、そのことで頭が一杯になってしまった私は、先生が何を祈ってくださったのか思い出すことが出来ません。)部屋に戻ってからも、「無理だ」と言う現実を理解しようと試みました。確かに、私のような境遇に育った人、つまり、親に愛されることを体験せずに育った人は、その部分が開発されることはなかったのだなということが理解できました。例えば、生まれてから一度も歩いたことがないとすれば、歩くために必要な筋力、歩くために必要なバランスが開発されないままに成長していきます。後から歩く訓練をして歩けるようになっても、自然に歩ける人とは開発される能力が違うかもしれないと納得しました。親に愛されて育った方と同じように、同じ仕方で愛さなくてはいけないと思っていた事が間違いであったことに気づきました。

そして、神様は私の全てをご存知で、そのままで良いと受け入れてくださっているのだ、と言うことが分かりました。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」イザヤ書43章4節のみことばが心に浮かび、神様が受け入れてくださっているように、そういう自分自身を認め、受容する=愛することが出来ました。次に「わたしの恵はあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」コリント人への第2の手紙12章9節のみことばが心に響いてきました。わたしの内におられるイエス様の愛が、わたしの足りないところに完全に働いてくださるとは、何と心強いことかと感謝の気持ちで一杯になりました。私が精一杯がんばっても、示すことの出来る愛は小さなものです。限りのあるものです。その何倍も何十倍もの大きな愛が、神様の力によって表されるとしたら、何という恵みでしょう! 私にとって素晴らしいというよりは、その愛を受け取る方にとって、何と大きな恵みとなるでしょう。私が愛する以上に神様はその方のことを愛しておられるのですから、きっとその方にとって必要な方法で愛を表してくださるでしょう。そう思った時に、私は捕らわれていた物から全く解放され、喜びに満たされました。翌日の礼拝のメッセージの中で、盛永先生が「この世で大きな功績を残している人、特に文豪と言われる人の中の多くが孤児だったのですよ。それは、『わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』という聖書のみことばの成就です。」と語られた時に、神様がもう一度私にそのことを確認してくださったと、本当に感謝しました。私達は私達に与えられている利点だけを神様からの賜物と考えてしまいがちですが、不利な点も神様が賜物として与えてくださっていて、それを用いての使命も与えてくださっていると思いました。私に実行出来ることは小さなことかもしれませんが、そこに働いてくださる神様の偉大な力に信頼して、小さなことを忠実に行っていくことが出来るように、毎日を歩んで行きたいと思いました。

修養会を開いてくださった神様、盛永先生ご夫妻、本郷先生のご一家、錦織先生、修養会のためにご奉仕下さったお一人お一人、そして、家で不自由を忍んで留守番をしてくれた主人と息子に心から感謝いたします。
月報2003年6月号より

「僕を信仰へと導いてくれました敬愛する楠秀樹先生へ」

ニューヨークは3月に入っても寒い日が続いており、「春遠し」という感じです。こういう時にはカリフォルニアの気候が懐かしく思い出されます。

毎週日曜日に行っているLTG*の交わりを通して、本当に恵みが与えられていますこと感謝しております。また、毎週、先生にお祈り頂いていることで、日々の生活が主によって守られています。ありがとうございます。

さて、これは、昨年11月から開始したLTGにより、確かに神様が僕を変えて下さったことを証しする手紙です。これからもLTGの学びが豊かに祝福されることを祈りつつ、ペンを取りました。

先ず、今回の背景となる僕の置かれた状況についてここで、改めて申し上げます。先月、2年半勤めていた会社を退社しました。その理由は(1)営業マンとして会社が期待する結果が出せなかった(2)結果だけでなく、会社の求める能力が自分自身の能力を超えてしまった(3)会社が急速に変化してくスピードについていけなかった、の3点が挙げられます。誤解のないように申し上げますが、これらの理由は会社との数回にわたる話し合いで双方同じ理解のもとで到達した結論です。

とは言っても、これらのことはビジネスマンとしては致命的な人事考課であり、僕自身の努力不足、勉強不足を考慮しても、仕事中心のアメリカ生活を送っていた僕にとっては、とても受け入れ難い出来事でした。人は自分自身の能力を知らされた時が一番辛い、と言われますがまさにその通りでした。会社に対する過去2年半の貢献が否定されたようで、いわゆる挫折感を抱きました。

しかしながら、このような事実を素直に受け入れることができたのは、ずばり「イエス・キリストを救い主とする信仰」のおかげでした。もし、この信仰がなければ自暴自棄になり、かなり荒れていたことでしょう。そして、何かをスケープゴートにして自分自身を正当化していたと思います。たとえ荒れていなくとも、この事実を受け入れるには多くの無駄な時間と労力が必要であったと思われます。

素晴らしい信仰のおかげで、辛いことを素直に受け入れることが出来ただけでなく、感じていた挫折感が主への感謝にと変わりました。ハレルヤ!です。僕をクリスチャンへと導いてくれました先生に改めて、感謝申し上げます。「ありがとうございました。」そして、神様は今回の出来事を通して僕自身をも変えて下さりました。その変えられた点を下記の3点にまとめてみましたので、お伝えします。

1「ラストチョイス」から「ファーストチョイス」へ
クリスチャンになってから、これまで祈りや聖書の中で求めてきたのは、自分が勝手に決めた行動の結果への安心と平安でした。つまり、クリスチャンとしての歩みの過程で、転び、つまずき、傷つき、壁にぶち当っても、最後の最後には神様の守りがあるから大丈夫だという考えでした。今回の件も、神様が最後には守って下さるので「それまでは自分自身で進めるところまで行こう」という神様を切り札とした自分勝手な歩みでした。これこそ、神様に背を向けることであり、神様が最も悲しむことでした。神様は全てにおいて、最後の最後ではなく、最初の最初として、求めていくお方であると気づかされました。

2「欲望」から「希望」へ
正直言って、これまでの人生のモチベーションはすべてが「何々したい」でした。過去10年のアメリカ生活は特にそうでした。「経済的に成功したい」「社会的に成功したい」「人からよく思われたい」「人からほめられたい」など、満たされない物事をなんとしても満たしたいという心、つまり欲望が僕を支配していました。

そうではなく、神様を第一とする歩みの中に欲望ではなく「希望」だけがあることに気づかされました。それは神様が僕にとって益とされるものを備えておられるという確信です。まさに暗闇の中に与えられた光のようでした。今のところその光は遠くの遠くにポツンと輝いており、何時その光に到達するか知る由もないですが、僕にも僕にふさわしい光を与えて下さるという神様への信頼が希望になりました。

希望を与えられたことで、今回の件も神様の計画の一部であると受け入れることが出来て、神様がこれから僕に何を用意してくれているのかと思うとワクワクします。希望を待ち望むことは喜びでもあります。まさに、希望が「喜望」になりました。もっと素晴らしいのはこの希望は失望に終わることはないと、しっかりと聖書(ローマ人への手紙5章3節~5節)に刻まれていることです。ハレルヤ!です。

3「主人公」から「脇役」へ
僕の人生の主人公はもう僕自身ではありません。これまでは、天動人生(天動説のように自分を中心にすべてが回っているという人生)などという言葉を信念として、自分中心にそして自分勝手に生きてきました。しかし、上記のように神様を第一とする歩みにおいて、すべては神様であり、僕の人生の主人公は神様であると告白できます。

僕は今年10月で34歳になりますが、ここにきて僕の人生の第一幕が終わり、これから第二幕が開こうとしているようです。人生の第一幕では僕という素人芸人がなんとなく舞台に立っていましたが、第二幕では、ステージに上るのはイエス様です。僕は脇役か黒子か、もしくは客席で拍手をもって主人公であるイエス様をたたえることが僕に与えられた役割であると気づかされました。

「神様はラストチョイス」「欲望に支配」「自分が主人公」というこれまでの歩みを振り返ると、それは綱渡りと譬えられます。それでも、ここまで綱から落ちずに歩んでこられたのは神様の愛のおかげでした。もし、このままこの状態で歩み続けるならそれは、綱よりももっと細い糸の上を歩んでいくようなもので、ゾットします。そうではなく「神様がファーストチョイス」「希望に満たされて」「神様が主人公」とする歩みは、硬くて広い舗装された土台の上を進むことであるとイメージ出来ます。

神様のしっかりとした硬い土台の上に、仕事とは何か、家族とは何か、将来築いていく家庭とはどうあるべきか、人間関係はどうか、ということをひとつひとつ神様に導いてもらい、これからの人生を歩んでいきます。その大きな第一歩を今、踏み出しました。

このように毎週行うLTGの学びを通して神様が僕を変えて下さったということに付け加えて、先生にもう一つお伝えしたいことがあります。それは、神様は先生を通してその栄光を僕に見せて下さったことです。毎週の先生との分かち合い、罪の告白、そして祈り合いで先生に「癒され励まされ」「慰められ元気づけられ」ました。それは先生を介された神様の素晴らしい働きによるものであると確信しております。「ああ、素晴らしいではありませんか、そのように神様は私たちのLTGの学びにいつもいて下さったのですね。ハレルヤです。」

先生、お祈りさせて下さい。「愛する天のお父様。あなたの御名を賛美します。神様、あなたに背をむけていた的はずれの歩みをお赦し下さい。悔い改めます。あなたとの和解がイエス様の十字架の死によるもので、私たちの罪を贖ってくれましたことを覚えて、大いなる神の愛とイエス様の恵みに感謝します。また、先生を通してあなたの栄光を現して下さったことを感謝します。今一度、心よりあなたを賛美したい気持ちで満たされています。感謝です。アーメン。」

チコさんにもよろしくお伝え下さい。チコさんの健康が支えられますようにお祈りしております。それでは、また、次回LTGの学びでお話します。

・LTG(Life Transformation Groups):LTGとは2~3人でグループを構成して行う楽しみを備えた双方向のコーチングプログラム。1週間に約1時間ミーティングを持ち、そのグループの中で、心を開き、正直に、人格形成を促す会話と罪の告白を行う。LTGの学びで行うことは次の3点。

(1)あらかじめ決められた人格形成の質問事項に交互に答えていく。その質問内容は「先週、主イエス・キリストの偉大さを、言葉と行いを通して証ししましたか?」「先週、あなたの身近な人の気持ちをよく理解し、やさしく寛大に接しましたか?」「先週、誰かに対して腹を立て、怒りが収まらなくなったことはありませんでしたか?」などを含む計11項目。これらの質問項目に基づいて、罪を告白し合うこと、相互に報告義務を持つことを目的とする。
(2)グループごとにその週に読む聖書の箇所を決めて、同じペースで聖書の御言葉を繰り返し読む。
(3)まだ救われていない人々のために祈る。

詳細参照URL: 日本語  http://homepage3.nifty.com/rac/coach_ltg.html
英語   http://www.missionspokane.org/globalocal_life_transformation_groups.htm

月報2003年5月号より

「備え給う主の道を」

今、私は20年11ヶ月のアメリカ生活に別れを告げようとしています。
過去40年薬学と製薬企業の中で働いてきましたが、良い薬は病気の原因を作っている仕組みを攻撃するけれども、正常な身体の仕組みには悪さをしないで、その使命を果たしたら速やかに体の外に出るべきものなのです。ここ10年余の私の専門は、薬が人の体に入ってから排泄されるまでの経路を追いながら、有害反応の可能性を臨床試験に入る前に見つけ出すということでした。かつてはあまり省みられていなかった領域でしたが、今では新しい薬の開発にとってかなり重要な事柄とみなされるようになりました。特にこの10年余、情報と技術の急激な進歩によって、製薬の研究開発過程で行われる試験の質も量も圧倒的に増加しました。それにつれて良い薬の標準は高まり、かつては死を待つばかりだった人々が新しい医薬のおかげで職場復帰できることがまれではなくなりました。一方、いまやどんな業界でもそうであるように、企業の生き残りをかけた競争のために、大手製薬企業の合併とその後に来る過酷なリストラが当たり前のように行われるようになりました。何と激しい時代に生かされてきたことかとしばしば思います。
あの国際多発テロは、この地での衝撃の体験でした。一人でも多くの命を救おうとする努力が医薬開発でなされている一方で、理不尽な大量殺人が行なわれたのでした。人権擁護思想が進歩して、これこそ人類の成長の証しかと思わせられる一方で、武力行使によって国際正義を打ち立てようとする旧約聖書の時代と変わらない戦術がとられています。平和共存にむけての人類の英知の進歩というものはないのかと心底問わずにはいられません。

女が海外で一人こんな時代を生き抜いてきたことを知って、尋常ならざるものが私の中にあると感じた方が、「ひょっとしてあの人はかつて全共闘の女闘士だったのでは?」と憶測されたと聞いていますが、それはかなりの見当違いです。
アメリカでの仕事の体験を学生に話して欲しいと言われてお話させて頂いたことがありますが、お招き下さった大学教授との昼食の折「私は本当に愚直としか言いようの無い融通の利かない生き方をしてきたのです。」と申しあげたところ、この方は我が意を得たりと言わんばかりに膝を打って 「そういえば、成功の秘訣は『運』『鈍』『根』といいますね!」とおっしゃいました。私が成功者かどうかは多いに疑問がありますが、その方の感のよさに感心したことでした。
私の場合、「運」とは信仰を与えられていたことにほかなりません。「鈍」は正真正銘文字どおり自分に優れた能力の無いことを自覚していましたから、神様の導きにすがって一歩一歩進むしかありませんでした。「根」とはそれに値しない者に神様から与えられた許しと恩恵に対する感謝の応答に他ならないのです。他から観たら馬鹿かと思われるほど、ある意味で私は「根」の続く人間です。

すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。(コリント第一1:19)

神様は確かに信じてより頼む者を担ってくださるのだとつくづく思うこの頃です。私の帰国の目的は老母を最善に介護するためでした。そのために昨夏以来、日本にいる妹達と知恵の限りを尽くして段取りをしてきました。しかし神様は2月28日満90歳の誕生日に母を召されました。それは私のこちらの住まいが売れた翌日でした。「人は心に自分の道を考える。しかしその歩みを導くものは主である」 (箴言 16:9)。私は今すべてを神様の導きに委ね、期待して日本での生活に向けて発ちたいと思っております。

月報2003年4月号より

「私は、小さいときは 神さまや…」

私は、小さいときは 神さまやイェスさまのことを何もしりませんでした。
クリスマスが イェスさまのたんじょうびだということもしりませんでした。クリスマスはサンタさんがプレゼントをもってきてくれる日とおもっていました。

5年前にアメリカにきて、おともだちにさそわれて、 たまにきょうかいに来るようになりました。でも、きょうかいがなにかはしらずに、きょうかい学校やJoy Joy キャンプに来ていました。れいはいのときも、まだgymであそんでいたので、 うえでみんながなにをしてるか、ぜんぜんしりませんでした。

2年前 に、お母さん がなくなってから、 きゅうにきょうかいの人たちとなかよくなって、はじめて「しゅうようかい」に行きました。しゅうようかいのときも、子どもはほとんどあそんでいたので、イェスさまのことはあまりわかりませんでしたが、とてもたのしかったので、また行きたいとおもいました。

それからまいしゅうきょうかいに行きはじめました。さいしょはなにもわからなかったけど、 行っている間に、みことばをならったり、イェスさまのことをすこしづつおしえてもらいました。
アメリカの きょうかいの ユース グループ にいきはじめて、そこのしゅうようかいにも行って、せいしょのお話をきいて、神さまが人間をつくったことなどをおしえてもらいました。

それから2年たって2002年のしゅうようかいに行ったとき、イェスさまについて行こうと思いました。このしゅうようかいでお話ししてくれた、くりす先生が
「イェスさまは わたしたちみたいな 人間 だった。」 って 言ったとき、
それから、「イェスさまが じゅうじかの上にいるとき、どんなにせなかが、すれていたかったか」 っていったときに、じぶんがいたいような気がして、どんなにイェスさまはいたかっただろうかと思って、すごく自分が つみびとだなってかんじました。
そして、それまでもイェスさまのことをもうしんじているけど、今、ちゃんとに神さまに、「しんじている」と、おいのりをして、きもちをつたえようとかんじて、せんれいをうけることをきめました。

その、しゅうようかい のちょっと まえ、ともだちから、あるしつもんをきかれました。
そのとき、じぶんの答えを secret にしたかったから、うその答えを言ってしまいました。
そのときは、べつにへいきだったけど、後になって、すごく guilty に思えました。
つぎの日、ともだちに学校であやまって、ほんとうのことを言いました。そのともだちは、ゆるしてくれました。
でも、あやまるときはとってもゆうき が ひつようでした。でも、あやまって本とうのことを言って、とてもきもちがあんしんしました。

もし、イェスさまが、わたしたちのために、じゅうじかにかかってくださったことをしらなかったら、うそを答えたことにあまり大きなguiltをかんじないで、さいごまで本とうのことを言わず、その子にはあやまらず、すこしたってわすれていたかもしれません。でも、イェスさまのことをかんがえると、とてもわるいことをしたんだなって思って、ゆうきを出してほんとうのことが言えました。
あやまってから、わたしの中で、もう、うそはつかない ようにしようときめました。

2002年12月 15日に、せんれいをうけました。

せんれいを うけた後、クリスチャンでないおともだちに、神さまや、イェスさまのことをつたえたい というきもち が大きくなりました。
わたしは 、おともだちに 神さまがいつもいっしょにいてくれることとか、せかいを作ってくれたのは神さまだとか、神さまはまちがえをしてない、とかをしってもらいたかったから、ほかのともだちがこういうことを しゃべっているときは、じぶんもいっしょにつたえたいと思うことがとてもおおくなりました。おともだちにまず 神さまをしってもらいたいとおもってます。

「しかし、かれをうけいれたもの、すなわち、その名をしんじた人々には、かれは神の子となる力をあたえたのである。」ヨハネによるふくいんしょ、第1章12節

イェスさまにかんしゃします。

月報2003年3月号より

「15年間の大きな恵」

「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」ヨハネ21章22節

2003年1月第2聖日説教が、この「ヨハネの福音書」最後の部分から「一人一人への召命」と題して錦織牧師を通して語られました時、著者ヨハネが自分の事を示すこの聖言葉を通して、この地域に日本語で福音が述べ続けられてきたのは、主のご意志であった事を、主は私に直接語りかけて下さいました。15年間ここまで教会として成長し、そして又、新たな夢と幻を持って新しい16年目をスタートしたこの教会の歩みにおいて、多くの牧師や信徒の献身的な働きがあった事は確かですが、その歴史の中に刻まれるのは個々の人間の名前では無く、ただ主の、私たちを赦し、救って下さった十字架のイエスのお名前だけなのだと言う事を明確に示してくださいました。

それは1通の日本からの手紙で始まりました。それまでいろいろな奉仕をさせて頂いた幾つかの日本語教会での信仰生活から離れて、英語の教会で日曜クリスチャンの生活に満足しきって過ごしていました者にとって、正木牧師からの「60歳の誕生日に裏山で祈っていたら主からニューヨークへ行って開拓伝道をしなさいと示されました。貴方をその責任者に任命しますから直ぐに準備を始めて下さい。」という全く予期していなかった、驚くような内容が書かれたお手紙でしたが、不思議にも非常に冷静に、そしてあたかも主が直接語られたように感じましたのは、長い年月が経った今考えます時、まさに聖霊様の働きであったのだと思わされます。人の思いで判断しますと、「何で数回しかお会いした事の無い牧師から?」とか「何で私なの?」といった感じを受けて当たり前の事ですのに、逆に自分がどこか遠くの方で感じていた使命感のようなものと共鳴して、「期は熟した。今がまさにその時!」といった言葉が語られたように感じました。本当に自然体でそのための一歩を踏み出せましたのは、主の導きが有ったからであり、まさに私にとりましては奇跡と言う他はありません。

今あらためて教会の出発時を思う時、私を洗礼へと導いて下さった主の御愛は、新しい教会をこの地で始めるという主の目的のために、多くの教会でいろいろな経験をさせながら導き、鍛えて下さる事に絶えず注がれていた様に感じます。その時その時の自分は何もそれを意識しておらず、自分で日々の生活を、信仰の歩みを進めて来たと自負していた事を恥ずかしく思い、悔い改めさせられます。サンタクララの教会で救いへと導かれ、多くの経験豊かな信仰の先輩方の中でそのご奉仕の姿を見せて戴き、ロサンジェルスに移され、開拓伝道と会堂建設に携わり、日本へ戻り大川従道牧師の教会で牧師の伝道旅行の鞄を持たせて戴き、他の教会の成長から学ぶ姿勢を教わり、そしてニューヨークでは日米合同教会で日英両語での礼拝と教会運営に触れ、テナフライの長老教会で米国教会の一員としての信仰生活。そのどれ一つも無駄の無い、欠かす事の出来ない素晴らしい経験として、主が活かして下さいました。そして約16ヶ月の準備期間を通して、それまでの信仰生活で交わりを持たせていただいた、牧師・信徒の方々が親身になって相談に乗ってくださり、力になって下さり、共に主に従う喜びを分ち合えました。しかしいざ日本語教会が始まりますと、ここまで導いて下さった主の労に感謝しつつも、この教会が1年間は維持できるだろうが、それ以上は無理だろうといった不信仰の思いが有りました事を今正直に告白いたします。主は私の思い煩いを見事に裏切って15周年を迎えるまでに成長させて下さいました。それは主の聖言葉、「わたしに従ってきなさい」だけがこの教会の支えであった事の証であり、主がお約束通りに導いて下さったのだと確信できます。この新しい年の初めに、一人一人が主に従って行く時、主が教会を成長させて下さる事を信仰の友と共に確認させて頂けました。

信仰生活の約半分を、この教会で過ごさせていただきましたが、これからの新しい15年は果たしてどのような道を主が御用意くださっているのでしょうか? 教会の中では孫もいないのに「爺様」と既に呼ばれる年齢になりましたが、期待に胸を膨らませ、祈りつつ主に従っていきたいと願っています。

「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいて下さいます。」 ヤコブ書4章8節


月報2003年2月号より

「新しい喜び」

1982年の夏、私が乗った伊豆大島へ向かう船の中は、海へ遊びに行く若者達であふれるばかりでした。なんて大きな空、なんて青くきれいな海、時々海面を魚が飛び跳ねる。船の中は賑やかでも、神様が造られたこの自然界のすばらしさ中に、生かされている自分を見つめるときでした。

この時の伊豆大島でのバイブルキャンプに,私は神様から何とか解決をいただきたい1つの課題をもっていました。それは1年以上抱えた心の中の葛藤でもありました。私が参加した学生キャンプには、東日本各地、カリフォルニアから、100人ほどの学生達が集まりました。3泊4日のキャンプは楽しいレクリエーション、きれいな海での海水浴、バーベキュー、バンドの演奏や賛美、聖書からのメッセージと、盛りだくさんのプログラムでした。キャンプ場は明るい話声や歌声が賑やかで、次々に神様の恵みを証して立ち上がっていく人の話を聞くと、自分だけが取り残されて行く思いでした。そんな中、ある方が「一緒にお祈りしよう。」と、声をかけてくださいました。短い祈りの時でしたがとても慰められる思いでした。

その時の私が1年以上抱えていた心の中の問題は、友人の事故死のことでした。当時、手紙のやりとりをする中、私が友人を傷つけてしまったため、生活が荒れ、事故のきっかけになってしまったのではないか・・・と長い間の心の痛みでした。交通事故はテレビでも報道され、その友人のご両親は即死したのは自分の子とは決して認めらないほど、ひどい状態でした。そのニュースを聞いた私はただ泣き叫ぶだけでした。既に教会に通っていた私は、友人を傷つけてしまったこと、キリストの愛を伝えられなかったことに、罪悪感を覚えたり、自分を責めることも度々ありました。この事において解決をいただかなければ、私はもう生きていても喜びが得られないと、解決がないならこのまま海に落ちてしまいたいとまで悩み苦しんで参加したキャンプでした。しかし、最後の晩、この時ばかりは神様に切なる願いをもって祈りました。「私の心のすべてをご存知な神様、既に過去の事であっても、私にはこの事においてはっきりとした解決が必要なのです。・・・」と、すがる思いでした。しばらくの祈りの中で、ヨハネ第1の手紙1章7節「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」の聖書のみ言葉が心にとまり、イエスキリストの十字架がわたしの心をとらえました。「十字架のもとに泉わきて、いかなる罪もきよめつくす・・・」賛美の中にイエス様の十字架がどんな罪からも私を救い、赦し、きよめてくださると、語られたようでした。そればかりではなく、もう生きていても価値がないのではないかと思っていた私に、神様は“あなたにしかできないことがたくさんある。”と、教えて下さいました。驚きでした。こんな小さな者でも、他の誰でもない、私にしかできないことがたくさんあるとは。そんなこと考えもしませんでした。目が開かれる思いでした。「そのことのために私をきよめて用いてください。」と、祈らされました。

この十字架の愛と赦しの体験は、私を心の底から変えてくださいました。どんな些細な事でも人のためになれる事が私の喜びと変えられる体験でもありました。なぜなら、こんなちっぽけな私が神様から愛され、生かされているのですから。既にクリスチャン生活3年目の出来事でしたが、私の第2の転機とも言えるほど、大島への船の行きと帰りでは全く違った積極的な生き方へと変えられた経験でした。神様はー歩ー歩の歩みを支え、確かな聖書のみ言葉をもって導いてくださいます。これからもイエス様の十字架の愛の深さを更に教えていただきたいと願います。


月報2003年1月号より

「聖書のことは前から知っていたのに…」

聖書のことは前から知っていたのに、大学では「キリスト教学」が必修科目で、試験の度にしっかり読んでいたはずなのに、それが、神様からの言葉としては自分に入ってこず、ずっと神の国からは遠いところにおりました。(でも、ずっと心にかけていただいていたわけですが。)卒業し、就職してからはプロとしての自分の技量を磨くことに忙しくなり、いつしか自分中心の考えを持つ典型的な人間になっておりました。それが...自分は会社に頼っていないとそれまで自負していたのに、アメリカに来て、実際に自分が勤めていた会社が破綻するという事実に直面したときに、実は会社や、自分の役職や、会社を通しての関係にどんなに寄りかかって生きていたかを思い知りました。

その頃、何故かまた教会(ニュージャージー日本語教会)に通い始めておりましたが、ある特別
伝道集会に参加したときの聖書の言葉で、それまでの自分のエゴと了見の狭い自分の人生哲学でコーティングしていた本当の気持ちが緩んで出てきたように感じました。その言葉は、ルカによる福音書8 章50 節の「恐れることはない。ただ信じなさい。...」でした。いや、そのときお話をしてくださった上野先生は、確かに「...信じていなさい。...」とおっしゃっておりました。「信じなさい」というより能動的な言葉ではなく、「そのまま信じていなさい、信じて見ていなさい」、とやさしく語りかけられたように思えました。後でわかったことでしたが、リビングバイブルでは、「恐れないで、私を信じていなさい。...」となっていました。私は、まさにそのように、確かに聞こえました。その言葉が、聖書の前後の意味とは関係なく、直接私に語りかけられたと思いました。そして、集会後のアンケートに洗礼を受けたいと書いたのでした。その後もいろいろと聖書や説教を通して、学び、気づかされたことは多いわけですが、結局このときの想いが私の信仰の中心にあるような気がします。

自分中心の考えはいけないと聖書は教えてくれます。私の信仰生活もそれが出発点でありました。でも、これを実践することはなんと難しいことでしょうか。毎日のいろいろな場面で、これを実践できない自分がいることに気づかされます。でも、最近、私たちは聖書に書かれていることを完全に実践はできないけれども、同時に、反省する機会を多く与えられていると感じております。 今の自分の態度は主が見て喜ばれるものだっただろうか、今の言葉は主をまた悲しませているのではないか、と。また、主はこのときどのようにしただろうか、と。でもまだ、事を起こす前に「主ならどうするか」と考えつかないのですが。

この世のものに執着していないかと見直す。一歩下がってものを見る。でも、一歩下がっているようでも、実は一歩主に近くなっているのではないか、一歩上がっているのではないかと、思えております。

信じること、でも、礎の確かなものを信じなければ、何の意味もありません。聖書の砂の上に家を建てるたとえの通りだと思います。今、私は、揺るがないものを信じている安心感があります。それでも、これからの人生でいろいろな苦難を味わうかもしれません。お金や仕事で渇望感を味わうこともあるでしょう。人間関係でもめることもあるかもしれません。でも、精神的には遠くに明るい光を望みつつ歩めるのではないかと楽観しております。

この私たちを取り巻く安心感に感謝します。

月報2002年12月号より

元Hi-B.A.宣教師 ケン・クラーク先生「主と共にふるさとに」

長年にわたってJCCNJ の協力牧師をしてくださいました元Hi-B.A.宣教師
ケン・クラーク先生からお便りをいただきました。 先生の許可をいた ミ介致します。

「主と共にふるさとに...」

『わたしは山にむかって目をあげる。
わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。』 詩篇121 篇1,2 節

2002 年10 月10 日 土曜日

親愛なる友人たちと祈りによって支えてくださった方々へ

きっとこの詩篇の箇所は、私たちにこれから特に大切な思いを起こさせてくれるでしょう。先週の土曜日、私たちはSteve を車椅子に乗せて、Virginia の山々がよく見えるようにと病院のホールからDay Room へ移動しました。そこはThomas Jefferson の故郷Montecello から遠くないところでした。私たちは詩篇のこの箇所を思い浮かべ、共に主を見上げて助けを請いました。

与えられたものは私たちが祈ったようなものでも、また、実際に私たちが願っていたものでもありませんでした。その午後、医師からSteve の肝臓と腎臓は今にも機能を停止しようとしていることを聞かされました。わが息子のSteve は、小さな子供だったころ、銅の排泄ができなくなるWilson 病と診断されました。蓄積される銅は、結局のところ、生命の維持に必要な内臓、器官に毒となります。そのとき医師は、息子は10 代後半までしか生きられないだろうとおっしゃいました。しかしながら、治療により、主は私たちにそれから30 年間の命をくださいました。息子は48 歳になっていました。そして、10 月7 日月曜日の朝、かれは主の許に帰っていきました。

今年の始め、息子の具合が悪くなり、医師と相談して、肝臓移植手術を2 月3 日に行いました。そしてその後2 ヶ月間入院と治療の後彼を家に連れ帰りました。それから3 ヶ月は息子は力を取り戻し、状態はよかったのです。しかし、その後、具合が悪くなり始め、8 月の半ばには状態は悪くなっていました。9 月3 日、再び入院し、ICU に10 日間入り、その後、一般病室に移りました。私たちは息子の両親としてこの間5 週間そばについておりました。コミュニケーションは困難なものでした。なぜなら、息子はささやくことしかできなくなっており、彼が何を言いたがっているのかを理解できないことがしばしばでした。私たちが息子のベッドの傍らで主を求めているときでした。彼が言いました。「お父さん、お祈りしてくれてありがとう。アーメン。」それが、最後の言葉でした。

息子Steve は24 年間連れ添った妻を1 年半前に亡くしました。そして、片親として、7 人の子供の世話をしつつ、書籍関係の仕事を続けていくことに勇敢に闘いました。

24 歳になる長男Jeremy は、結婚して3 人の小さい女の子(12 月に4 人目が生まれる予定です)がおりますが、現在、5 歳から18 歳の弟、妹の保護者になっています。そして、彼の父、すなわち私の息子Steve のビジネス、Virginia Publications を引き継ぐことになりました。

Memorial Service は水曜日の夜、家族Bethany UM Church で持たれました。

私たち家族は主に感謝し、Steve のためにお祈りいただいていた方々、Steve の家族にいただきました数々の愛情に感謝します。キリストの体のフェローシップは主の愛の真の形ある表現であります。

息子は彼のレースを走りぬき、ゴールして、信仰を保った。まもなく彼は主の足元に加わる誉れ
を受けるでしょう。よくやった、息子よ。

感謝して、そしてあなたを誇りに思う親、 Kenn and Jane Clark

以下に、実際に錦織先生がクラーク先生から受け取られましたメールを掲載します。悲しみを和らげる言葉は見つかりませんが、神様の愛と平安のうちに慰めを見出されますようにお祈りします。

“I lift up my eyes to the hills—
where does my help come from?
My help comes from the Lord…” Psalms 121:1,2

Sat.Oct.10,2002

Dear Friends and Prayer Backers:

These verses will always have special significance for us. For just last Saturday we took Steve downthe hospital hall to the day room in a wheel chair so he could see the mountains of Virginia. Not faroff was Montecello, home of Thomas Jefferson. We quoted this verse and looked together to the Lordfor help.

Help came in a way we had neither prayed for nor really wanted. That afternoon the doctors told usthat Steve’s liver and kidneys were shutting down. As a little boy Steve was diagnosed with Wilson’s disease, the inability of the liver to excrete copper. The copper eventually poisons the vital organs. Wewere told then that he would not live past his late teens. With medication the Lord gave us another30 years.He was 48. The Lord took him home on Monday morning,October 7.

Last New Years he felt ill,consulted doctors and had a liver transplant on Feb 3. After two months of hospitalization and therapy we brought him home. In the following three months he gained strength and was doing fine. Later he began to fail and by mid August things did not look good. On Sept 3 he was again admitted to the hospital first in ICU for 10 days and then in a hospital room.

As parents we stood by his bedside for those 5 weeks. Communication was difficult for he could only whisper and many times we could not understand what he wanted to say. As we stood around his bed seeking the Lord he said :”Thanks, Dad for praying,Amen.” It was his last sentence.

Steve lost his wife of 24 years a year and a half ago and was struggling bravely as a single parent to care for his seven children and run his privately owned book business.

Steve ユs oldest son,Jeremy,24 married with 3 little girls(and expecting a fourth in Dec)is now the guardian of the younger children ages 5 to18. The family has decided that he should manage Virginia Publications, his father’s business.

Memorial services were held on Wednesday night at the Bethany UM Church were his family attended.

Our whole family is grateful to the Lord and thankful for each and every one who prayed for Steve as well as all the loving care so many have offered Steve’s family. The fellowship of the body of Christ is a real and tangible expression of His love.

Steve has run his race, finished his course, kept the faith. Soon he’ll be awarded his crown to cast at the Saviour’s feet. WELL DONE, SON!

Thankful and proud parents, Kenn and Jane Clark

月報2002年11月号より

「私は、前から神様を信じていました…」

私は、前から神様を信じていました。でも、心の中では、何か言葉では言えない変な感じがありました。 だからいつも母に、『洗礼受けなくても、信じていれば天国へ行けるよね』と聞いていました。それは私の何かが洗礼は受けたくないと言ってたからです。

私はきっと神様が、『晶子の中にまだ来てないのだ』と思っていました。この気持ちで私は苦しみました。毎日、毎日神様に『なぜ来てくれないのですか?』と聞いていました。そして、一方で、みんなに洗礼受けなくても平気ですか、と聞いて歩いてました。

でも、いつもRachel Joy Scottの本を読んで、なぜRachelは12才で洗礼が受けられたのか不思議でした。私はRachelみたいになりたいとずーと思っていました。

あるとき私が行っていた教会のユウスグループのキャンプへ行きました。そこでは、毎日神様の学びをしました。一日に二回は礼拝がありました。ある日その牧師先生がこう言いました。それは、ルカによる福音書5章3節で、『その一そうはシモンの船であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、船の中から群衆にお教えになった。』というところです。つまり、イエス様はシモンの船をboat jackしたと。そこで、その牧師先生は言いました。『イエス様はあなた達に聞かないであなた達の船に乗り込む。』と。そこで私は、本当は、イエス様はもう私のところに来てくれていたんだと気がつきました。

その牧師先生は、「きっと、魚が獲れずに怒っていたシモンに、イエス様は、『おまえの魚は何処にある』と聞いただろう」と言いました。そこで、私達に聞いたのです。『あなたの魚は何処ですか?』 私は『魚』はイエス様の事だと思いました。イエス様はもう私のところに来てくれていたのに、それに気がつかないで、ずっと苦しんでいたんだと気がつきました。そのとき神様にあやまりました。変な事を言ってご免なさい。その祈りの後に本当に神様が許してくれたように、以前感じていた変な気持ちが消え、救われた気持ちになりました。

神様は私をアメリカに導いて、教会にも導いてくれて、今度はこのキャンプにも導いてくれたのです。心から感謝しています。ルカ5:11『そこで彼らは船を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。』私もすべてを捨てて、神様が用意してくれてた方向へ行きたいと思います。

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Rachel Scott情報
www.racheljoyscott.com
主な書籍
The Journal of Rachel Scott
Chain Reaction
Rachelユs Tears
The Martyrユs Torch
The Untold Stories of Columbine

1999年4月20日、コロラド州リトラトン(デンバー郊外)コロンバイン高校で、2人の男子生徒が、同高校内で13人を射殺後、自分たちも自殺しました。彼らの標的は人種的マイノリティとクリスチャンでした。犠牲になった13人のうち8人がクリスチャンでした。日本のメディアはこのことをほとんど報道しなかったので知らない方も多いでしょう。そして、この事件の本当の影響も。
昼食時間、外で昼食をとる女生徒に銃は向けられました。腹部と足が撃たれました。犯人は銃をその子の頭に当て、”Do you still believe in your God?”と問います。その子は答えます。”You know I do.” ”Then, go be with him.”の言葉とともに銃弾が彼女を貫きました。この女生徒がRachel Joy Scottでした。
犯人はさらに図書館へ向かい、同じような質問をし、Yesと答える者たちに容赦なく銃弾を浴びせていきました。

犠牲になったクリスチャンたちの葬儀では、その子供たちの証しが紹介され、生前の彼らの行動がいかに愛に満ちたものであったかが紹介されました。実に多くの同級生たちがその葬儀でイエスを主と受け入れ、救われました。

波はそれだけでとどまらずに、世界中に届こうとしています。3年以上を経過し、でもさらに強く私たちの心に語りかけてきます。彼らは確かに「一粒の麦」でありました。

月報2002年10月号より