<牧師室より>2023年5月号「神の時を待つ」

 昨年のクリスマス直前、12月22日の午後に携帯電話にテキストメッセージが届きました。「・・・旅行の帰り道にある出来事に遭遇し、その時神様がいらっしゃるという事を実感しました・・・」

 4月の最後の日曜日、今年初めての洗礼式を持ちました。今回の月報にも証しを書いてくださっていますが、クリスチャンの男性と結婚されて数十年、それからずっと教会に集って来られた方です。その方のために、御家族はずっと祈っておられたそうです。教会でもお祈りしてきました。その祈りが聞かれるまでは、時間がかかりましたし、もう、ずっとこのままなのかな、とも思いました。一緒に聖書の基礎の学びもしました。イエスの十字架の話も何度もしてきました。それでも、なかなか聖書の言葉が入っていかない、そんなもどかしさも感じていました。しかし、この時に、神様は特別な方法で、その方の心に触れてくださったのです。

 その前の週、4月4週目の日曜日は一人の方がカリフォルニアに引っ越されると言うことで最後に一言挨拶をお願いしました。その中で、NJで経験した一つ一つの出来事の中で、心に与えられた聖書の言葉を分かち合ってくださいました。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」(伝道者の書 3章11節)

 私たちには分からないことがあります。すべてを見極めることはできません。でも、神様の時があって、神様の時に美しいことをしてくださるというのです。

 私たちはしばしば、思い通りに行かないことに出会います。自分の願った道が開かれなくてがっかりすることもあります。「どうして?」と思うことにも出会います。でも、神様はすべてを美しく導いてくださり、神の時に御業をなしてくださるのです。その神の時を待ち望み、神様を信頼して歩んで行こうではありませんか。

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