今月はアメリカ建国250年を迎えますね。私も7月6日にこの国にやってきてから34周年を迎えます。大英帝国の支配、特に代表者を送ることができない一方で、戦争に次ぐ戦争の負担故の重税を負わされることに反発して立ち上がり、勝ち取った独立から250年。今やこの国は世界最大の国になって、世界に大きな影響を与えるというか、世界を動かす国になりました。
日本の教会で育った私にとって、アメリカは、日本に多くの宣教師を送ってくれて、日本のために多くの人が献金をささげ、祈ってくれている国でした。また、プール開きには神主が来てお祓いをする公立小学校を卒業した私は、大統領が就任するときには聖書に手を置いて誓約をする国に驚きと憧れを持っていました。そんな私のナイーブさは社会学部に入った大学生活で思いっきり打ち砕かれるのですが、それでも、今から34年前、アメリカの土を踏んだときには、新しくこの国に移ってきた私たちを、日系人の方々のみならず、多くの人々が歓迎してくれて、生活をサポートしてくれることに、その懐の深さを感じていました。
大きな空気の変化を感じたのは、9-11の後です。街にはGood Bless Americaが流れ、「一つになろう」といいながら、イスラムの人たちを排斥したり、アフガニスタンへの空爆開始に拍手喝采を挙げる人々に心を痛めていました。また、イラク戦争に反対したフランスに反発して、人々がFrench fryをFreedom fryと呼び始めたのには、私が知っているアメリカはどこに行ってしまったんだろうと思いました(あれは一時的な現象で、今はFrench fryに戻って良かったです・・・)。もしかしたら、脳天気な私が知らなかっただけで、表面的にしか見ていなかった自分が気がつかなかっただけで、元々アメリカはそういう国だったのかもしれません。
今から2000年前、イエスがこの地上を歩まれたときに、ロバに乗ってエルサレムに入られました。それは、ご自分が、力を誇示して、人々を支配するローマ帝国の指導者たちとは違う存在であり、仕えるしもべとして、人々の心に愛を満たし、平和をもたらす方として、この世界に来られたことを表すためでした。
アメリカに住む者として、この国に守られ、支えられている者として、建国250年を迎えたこの国が、世界に仕えていく国として、歩んでいくことを祈ります。軍事力や経済力で周りを抑え込んで、平和をもたらしているような勘違いをするのではなく、世界に仕えていく中で、人々に平和を与えていく存在となっていくように祈ります。そして、まず、自分自身、イエスのしもべとして、イエスの愛をいただいた者として、人々に仕えていく、そのような歩みをさせていただきたいと思わされています。
「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。」(マタイの福音書20章25~26節)
