説教: 溝口 俊治師
聖書箇所 : マルコ12章31節
夏の間、私たちは月に1回、土曜日の午前6時半から、Fort Leeの川沿いの公園で「野外早天祈祷会」を持ってきました。それについてはこちらの集会紹介をご覧ください。そして、2025年は6月から9月の第一土曜日に「野外早天祈祷会」を持ちましたが、秋からも続けたい、という参加者の声もあり、11月から第1土曜日の午前8時半から教会で早天祈祷会を続けています。
日本の文化の中で「祈る」ということは個人的なことと考えられています。初詣などで神社やお寺に参拝するときも、祈りは声に出さないで、心の中で祈る方々が多いと思います。しかし、教会では共に集まって祈ることがよくあります。それは、イエスが「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイの福音書 18章19~20節)と言われたからです。
教会にとって、祈り会・祈祷会はその働きのための「原動力」とも言われます。何かイベントを考えたり、自分の力や、考えに頼るのではなく、神の導きを求め、神のなさることを期待して、祈って勇気をもって立ち上がります。また祈り会は「霊的なER」とも言われます。個人的な問題で行き詰まってしまったときにも、共に祈るときに、平安が与えられ、問題に取り組んでいく力が与えられます。
共に聖書を開き、2-3人のグループに分かれて、教会の課題のために祈り、また個人的な課題を分かち合って祈り合います。ほぼ1時間のプログラム。
そして、祈り終えた後は共に軽い朝食をとって、それぞれの用事に出かけていきます。
2026年6月から9月は野外での早天祈祷会を持ちます。時間は朝6時半からです。是非お出かけください。夏季の開催場所など詳しくは6月号の月報でお知らせします。
私は、米国に来て3年目の1993年5月に洗礼を受けました。いとこが30人以上いる大家族の出身で、初穂としてクリスチャンとなった者としては、大好きなイエス様を家族に伝えたいという思いをいつも持っていました。 たまに里帰りをすると、家族を教会に誘い、母は何回か来てくれましたが、説教中に居眠りしてしまう姿を見てはがっかりしていました。 錦織先生が日本に行く際は、『家族を訪問しますよ。』と言って下さっていましたが、母に勧めても、『今回はいい。』と言うのでした。 教会に来られた人や、同僚・友人などにイエス様を伝える機会は多くありましたが、私はまだ一番身近な家族に福音を伝え切れていない、という思いが常にありました。
それから時は流れ、70代半ばになった母に認知症の症状が現れ始めた、と弟から聞くことになりました。 アメリカから電話をすると、会話は極めて普通でしたので、まさかと思いましたが、里帰りし、実際会ってみると、5分間に同じ質問が何度も繰り返されました。 フレンチ・レストランでは、こどものように無邪気な笑顔で、ごはんとみそ汁が欲しいと駄々をこねる有様でした。 私はずっと親から庇護されてきた存在でしたが、今やそれが逆転し、これからは親をサポートしなければならない、そして時間は有限なのだと悟ったのでした。
主の慈しみは決して絶えない。 主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。(哀歌3:22)
時とともに母の認知症は進行し、家での世話が難しくなり、弟は母を実家近くの施設に入居させました。 COVIDで里帰りが難しい時期には、よく施設にいる母とビデオ通話をしました。 そんな中、私は2023年5月に失業しました。 私は、大きな喪失感の中にいましたが、急に時間が出来たので、その月に母に会いに日本へ行きました。 母は私と息子の来訪を喜んでくれました。 そして、心がとても柔らかく素直になっていました。 私は何かに促されるように、イエス様の十字架と復活や、罪からの救いが必要であることを話し、母の手を握って、『イエス様を信じようね。』と、勧めました。 母は、『とてもいいお話だね、そうするね。』と言い、一緒に罪が赦されたことを感謝するお祈りをしました。 失意の中にいた私に、神様は大きな慰めを与えて下さいました。 米国に戻り、錦織先生に母の信仰告白を報告すると喜んで下さり、どのように次(洗礼)に進めていくかを話をし始めました。
その後再就職し、2024年7月に日本に出張する機会がありました。 奇しくも(いえ神様のご計画で)錦織先生も日本への出張があり、先生の日程の最後と、私の日程の初めが一日だけ重なっていました。 そこで、私たちは一緒に母の施設に行き、信仰を確認出来れば、洗礼を授けようと計画したのです。 これこそ神様が備えてくれた千載一遇のチャンスだと思い、施設訪問の予約を行い、その日を数えて待っていました。 教会の友人は、サタンの邪魔が入らないように、そして高齢者施設でコロナが広まって訪問できなくなるような事態が発生しないようにと祈ってくれていました。
ところが、何と私の出発直前に錦織先生から、『コロナに感染した。申し訳ないが、その後の予定は全て中止せざるを得ない。』と連絡が入ったのです。 『えー。本当? こんな機会は二度と来ないでしょうに。神様、どうしてこのようなことになるのですか!?』 私は高齢の母の洗礼を心待ちにしていたので、大きなショックでした。 母がコロナにかからないようにとは祈っていましたが、錦織先生のコロナの為には祈っていなかったのです! このことを悔いました。
これを聞いた友人は、『錦織先生のご家族や、地元の牧師先生に施設に来てもらえないか相談してみれば?』と言ってくれました。具合が悪い先生に調整をお願いするのは気が引けて、すぐ行動できませんでした。が、2-3日後には考えを改め連絡すると、先生はすぐに動いてくれました。 錦織先生の日本のご家族は教会の修養会に参加され、そこでコロナになってしまった方が多かったようでしたが、感染を免れた兄上の錦織寛牧師が代わりに来て下さることになりました。
寛先生と施設に訪れ、再び母にイエス様の話をしました。 『お母さん、何も心配することはないよ。イエス様が私やお母さんの失敗や罪の為に死んでくれたから。 イエス様を信じれば神様の子どもとして、死んだあとも天国で永遠の命をいただくことができる。』 『このことを信じて 洗礼を受けますか?』との問いに、母ははっきり『はい。』と答えました。 そして、2024年7月25日に母の部屋で洗礼の恵みにあずかりました。 あれほど明確に答えられたことは驚きであり、心から神様に感謝しました。 その時、寛先生は『たとえお母さんが忘れたとしても、神様はお母さんが信じると言われたことを決して忘れませんよ。』と言ってくださり、私の目には高価でたっとい(イザヤ43:4)という聖書の言葉を書いて下さいました。
母はそれからすぐ要介護4となり、車椅子での生活になりました。昨年の6月には、食べられなくなったので、終わりが近いようだと連絡があり、すぐに日本へ飛びました。 施設に着くと、申し合わせていなかったのに、寛先生と奥様が母の部屋にいてお祈りをされていました。 暫くすると弟も到着し、寛先生を弟に紹介する機会となりました。 弟に、母はクリスチャンになったので、葬儀は教会でしたいと言うと、同意してくれました。
残りの日は短いと思っていましたが、神様はその後も半年ほど生かしてくださいました。12月に入ってから昏睡状態となり、弟はその頃から寛先生に連絡を取るようになり、葬儀のことなどを相談していたようです。そして、12/14に苦しむことなく、88才で老衰により召されていきました。
神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
私が12月に帰国できなかったので、1月に寛先生が牧会される東京中央教会でメモリアルをしていただくことになりました。 この為に里帰りし、打合せも兼ね、弟と共に東京中央教会に行きました。 弟にとっては教会デビューであり、初めて共に主日礼拝に出席することができました。
1/21のメモリアルでは、弟とその家族、父が他界して以来40年ぶりに会う、従兄弟、従姉妹たち、錦織先生のご両親など、約二十名が参列しました。 讃美歌が流れ、聖書の言葉が読まれる中、私は、母の人生を振り返りながら、どうして葬儀を教会で持つことになったのか、そして今は母が天国で永遠の命を生きていることを証ししました。
葬儀の後、弟は遺骨を父が入っている浅草の寺の墓に入れようと考えていたようです。 ところが、住職に依頼すると、『お経とお参りをしないといけません。戒名も必要。一番安いものは30万円ですが、一番安いものにする人は殆どいないんですよ。』と言われたのです。
それを錦織先生に伝えると、『教会にお墓があるのではないですか?教会員なのだから、聞いてみたら?』とのこと。 『えっ、教会員?』考えもしなかった言葉でした。 教会に行ったこともない母でしたが、寛先生に洗礼を授けていただいたがゆえに、東京中央教会の教会員になっていた母。 お伺いしてみると、教団のお墓があり、入れていただくことが出来るとのこと。 弟は、母の納骨手続きをしていただく中で、教会は拝金主義ではなく、イエス様を伝える為に全てのことを行っていると理解したようでした。
母に洗礼をと計画していたあの時、錦織先生がコロナに感染してしまい、落胆しました。 しかし、神様は私の思いを遥かに超えて働かれていました。 代わりに寛先生を備えて下さり、母の受洗から始まり、日本にいる家族や親族が福音を聴く機会が何回も備えられてきました。
弟夫婦は、教会の合同納骨式にも参加します。 納骨式は4/4(土)でイースターの前日ですから、永遠の天国の希望が高らかに語られることと思います。
弟は、かつては母のように、教会に行くように勧めても、耳が閉じられていた者でした。 しかし、今や彼にとって教会の敷居は高いものではなく、いつでも行くことが出来ます。 いつでも牧師先生に連絡することが出来るのです。 母を救った神様は、ほかの家族をも神様の時に神様の方法で救ってくださるのです。 そのことを今、先取りしてイエス様に感謝します。 アーメン。
信じるなら、神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。(ヨハネ11:40)
2026年は皆さんはどんな思いでスタートしましたか?
私はここ数年、毎年のように「健康に気を付けなければいけないな」とか、「からだを動かさないといけないな」と思います。今も、机の前には「燃」という漢字が2枚も貼ってあります。きっと「心燃やされて、脂肪も燃やす」という思いだったのでしょう。今年も、「最近、ほぼ同じテーマだけど、今年もそうだな・・・」と思いつつ、寒さに震えながら、余り動けないまま2月を迎えています。
個人としてはそんな感じですが、私たちの教会は、今年この御言葉をいただいてスタートしました。
「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」
エペソ人への手紙 4章16節
聖書は教会を「キリストのからだ」と語っています。これには何重もの意味があります。
このキリストのからだを建て上げていくことを今年の課題として、歩んでいこうと思います。そして、このための鍵になるものは「愛のうちに」ということでしょう。聖書は他のところでも、「キリストのからだのそれぞれの部分にはいろいろな働きがあるけれども、そのからだに属するすべての人が求めるべきものがある、それが『愛』だ」と語ります。愛があるから互いの違いを認められるし、愛があるから、互いに思いを寄せ合い、喜びも悲しみも共有できる、そして、愛があるから、イエスが生きたように、私たちも生きることができるのですよね。
でも、そもそも、私たちは愛に生きるためには、まず自分自身が愛されないとダメですよね。心が渇いているときに、心がすさんでいるときに、「愛しなさい」と言われても、そんなことできるわけがありません。だから、もっともっと、私たちは神に愛されていることを知っていこうと思います。私たちのために、十字架にかかって、私たちの罪を身代わりに負ってくださったイエスの愛を、その中に表された神の愛をもっともっと知っていこうと思います。そして、神に愛されている喜びの中で、感謝して、キリストのからだである教会を建て上げることができますように!
私たちは今、イエスの十字架への道をたどり、その御苦しみに心を向けて過ごすレントの期間を過ごしています。レントの期間、いろいろな過ごし方があると思うのですが、その一つは教会の外の方々への奉仕を考えるということです。
ちょうど去年の今頃、毎週のように訪問するホームレスの方がおられました。Harrisonの高速道路の下に日本人のホームレスの方がいるから、なんとかヘルプができないか、と教会に連絡があったのがきっかけでした。彼はパスポートもない、自分の名前も経歴も覚えていない、英語でのコミュニケーションは難しい、ということでした。早速、電話をくださった方と訪問して、それから、しばしば時間を見つけては、コーヒーやホットチョコレートをポットに入れて、彼を訪問し、あるときは一緒に座って彼のニーズを聞いて、何ができるかと模索していました。暖かくなって彼の活動範囲が広がるにつれて、訪問しても行き違いになることが続いているうちに、ほかのルートからのヘルプが入って、身元がわかり、彼は日本の家族のもとに帰って行きました。そのヘルプをされた方々は、彼を自分の車に乗せて病院のERに運び、身元探しに奔走されました。それに対して、自分のしてきたことは何だったんだろうかと思います。彼は今はどうしておられることでしょうか。家族のもとで必要なサポートが入り、元気にしておられるといいのですが・・・。
ちょうど15年前、東日本大震災の被災地支援のために日本に行っていた妻が、北九州でホームレスの方々の支援をされている牧師の講演会に行く機会がありました。講演の後、妻がその牧師に「支援を長くされていると、裏切られることもありますよね・・・」と語りかけたときに、その先生の返事は「そうだな・・・でも、俺もたくさん裏切ってきたからな・・・」というものだったそうです。
東京の下町で牧師をしていた父の元には、よくお金を無心に来る人々がいました。あるとき、身の上話をじっくり聞いて、「仕事の面接に行くための交通費が必要なんです。必ず返しに来ますから・・・」との言葉に、お金を渡す父の姿を見ながら、「ああ、あのおじさん、仕事が見つかって立ち直ってほしいな」と思っていました。でも、その後にやってきたのは面接の報告をするおじさんではなく、次々とお金を無心に来る人々。どうやら「あそこに行くとお金がもらえる」という話が広がっただけだったようです。その経験から、私はお金を無心しに来る人がいても、「自分もそんなに余裕があるわけじゃないのに、これがお酒やドラッグになるのは嫌だから・・・」とあまり関わらないようにしていました。
ですから、この北九州の牧師の言葉と、昨年のホームレスの方との関わりの経験は、今も大きなチャレンジとして心に突きつけられています。裏切られたから、もうやめた、じゃない、裏切られても仕え続けることの大切さを思わされます。イエスが十字架にかかったときに、弟子たちは皆イエスを捨てて逃げ去りました。それでも、弟子たちを赦し、弟子たちを諦めなかったイエスに目を向けて、私たちも、たとえ裏切られることがあっても、仕え続ける者とならせていただきたいと思わされています。
「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」(マタイの福音書 25章40節)
名前の由来
私たちの教会では、教会学校のことを 「The BRAVE」 と呼んでいます。
この名前になったのは、当時の先生たちが、「アメリカで暮らす日本人の子どもたちは、平日は現地校、土曜日は日本語学校に通う子が多い。だから、日曜日まで“学校”という言葉で負担を感じてほしくない」と願ったことがきっかけでした。
そこで先生たちは、「学校」という言葉の代わりに、子どもたちに大切にしてほしい聖書の言葉を五つ選び、その頭文字を合わせて The BRAVE(勇者たち) と名づけました。
新The Brave
2025年10月から、The BRAVE の活動は新しい形になりました。
これまでの「大人が聖書の学びをリードする教会学校」から、「子どもたちが主人公の教会学校」へと大きく変わりました。
この改革には、「神様との関係を積極的に育てていける子どもを育てたい」という先生たちの願いが込められています。
新しい The BRAVE では、幼稚園児から高校生までが一つのグループとして活動します。
The BRAVE を 「子ども礼拝」 と位置づけ、賛美は大人と同じ礼拝で過ごし、その後はジムに移動して子どもたちと先生たちだけで礼拝を守ります。
この時間では、だれもが安心して過ごせて、楽しい場所になるように、みんなで力を合わせて活動を支えています。
5つの目標
The BRAVE に参加する子どもたちは、次の5つを目標にしています。
この5つは、イエス様の心や生き方を表しています。
子どもたちはこの目標に近づくために、「祈り・献金・聖書の学び」といった教会の活動だけでなく、「シェアタイム」や「お楽しみ会」など、心が満たされる交流の時間も大切にしています。
子どもたちは、The BRAVE の活動を通して、「ここが自分の居場所だ」という思いを育て、信仰者としてのアイデンティティを育てています。
The BRAVE の願い
The BRAVE の教師たちは、「子どもたちが The BRAVE で学んだことを、日々の生活の中で実践できますように」と祈りながら関わっています。
なぜなら、「学び → 実践」の流れこそが、子どもたちが キリストに似た者として成長する大切な機会 だと信じているからです。また、先生たちは、The Braveの子どもたちが「光の子として歩む」ことができるように、日々祈りと願いを込めて彼らと向き合っています。
The BRAVEは、子どもたちと教師たちが、「神の家族」として互いに愛を示し合う場所 です。
私たちは、新しいメンバーをいつでも歓迎します。
そして、The Braveに集う一人一人が心を一つにして、主イエス•キリストの御名をほめたたえて、この世界の光となっていきたいと願っています。