<牧師室より>2023年10月号「この国で共に生きる」

私がこの教会の牧師としてご奉仕を始めたときには、ご高齢の方々はそれほど多くはありませんでした。しかし、26年経って、ご高齢の方々のサポートの機会が増えてくる中で、自分が今まで知らなかったことがこれほどあったのか、と思い知らされています。そして、それらの情報は、教会の皆さんにためにも、私自身のためにも、もっと早く知るべきだった、ということばかりです。もし、この国で生まれ育っていれば、当たり前のように知っていて、互いに話題にしたり、共有したりしていたことかもしれません。しかし、日本からやってきた私たちにとっては「そうだったのか!」「へえ、そうなんだ?」ということがどれだけあるかと思わされます。

 その経験から、今回、10月21日の土曜日の午後、私自身が教会の方々のサポートのために、いろいろな方々に助けていただく中で、大きな力となってくださっている「ライフデザインサポート」の方々にセミナーをしていただきます。この国で歩んで行く中で、特にシニア世代や、そこにさしかかろうとしている皆さんにとってはもちろん、どの世代にとっても必要な情報をお話していただきます。詳しくはこちらの案内をご参照ください。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

 しかし、改めて考えてみれば、たまたま、今まで私たちの教会にシニア世代の方々がそれほど多くなかっただけで、教会の周りには、どれほどたくさんのサポートや情報を必要としている方々がおられるだろうかと思います。

 イエスは「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」(マタイの福音書 25章40節)と言われました。

 これを機会に、もっともっと、私たちが多くのことを学び、生活のあらゆる側面において、この地域の日本語を使う方々と共に歩んでいくことができるようにと願っています。

証し

私は96歳になります。日々、主に生かされ、日々、主に守られて恵みを受けております。そんな私でも、寄る年波で、病による痛みや苦しみがあります。そのような時は正直に「神様、痛いです。苦しいです。」と申し上げて、主に在る慰めをいただいております。

 私はかつて高ぶる者でした。主人との結婚生活において日々、口争いが絶えず、相手を傷つけ、私も傷ついてまいりました。

 クリスチャンとなってある日、教会の牧師先生に家庭のことを話したところ、ひどく叱責を受けました。私に同情してくれるどころか責め立てられるなど、思いもよらないことでした。しかし、神様の恵みは低いところに流れます。「謙遜になりなさい」という神様からのメッセージだと受け止めて、家庭においてへりくだることを心掛けました。

 しかし、そう易々と変化は起こりません。私の中で何かが変わり始めていたとしても、主人には伝わらず、相変わらずの結婚生活が続きました。そんなある日、こともあろうか、主人は突然、「家を出ていく」と言い出しました。

 すでに成人していた娘は驚きあきれ、弁護士を立てて離婚するよう勧めてきましたが、私の心の中に聞こえてきたのは「とどまりなさい」という声。「なぜ?なにを?どうやって?」と問い続けつつ、まだ夜が明けきらない暗がりの中で、聖書を開きました。意図せずに開いた聖書の箇所はヨハネの福音書15章4節。そこには、はっきりと「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。・・・。」と書いてありました。びっくりしました。と同時に、私の心の中に聞こえてきた声が神様からの声だったと確信できました。ならば、従おうと心に決めました。

 それからの道のりも、決して平坦だったとは言えません。離婚は思いとどまりましたが、その後、主人は大病をして治療に時間とお金がかかりました。「とどまりなさい」との御言葉を握りしめて、看病と介護にあたった日々でした。医療保険に入っていなかったため、医療費は莫大な額になり、私が長年積み立ててきた預金は底をつきました。さすがの主人も「すまない」と謝ってくれましたが、その時に私の口から出た言葉は「そんなことはいいから」でした。

 神様が主人の心に触れて下さいました。「そんな言葉を言わしめる神様はどんな方なのだろう。僕も黎子の信じる神様を知りたい。」主人は神様を求めて歩みだし、やがて信仰を得るに至りました。

 今、私は最高に幸せです。身体が衰え、酸素吸入器の手放せない毎日ですが、イエス様がいつもそばにいて下さいます。神様が語りかけてくださいます。大病が癒され、信じる者とされた主人が、かいがいしく私の身の回りの世話をしてくれています。

 ヨハネの15章4節は、こう続きます。「・・・枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」そして次の5節では、「・・・人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。・・・」人生の最期を迎えつつある今、神様が聖書で約束してくださっている多くの実を、私は見せていただいているのです。

 これから実りそうなものも、まだまだあります。神様の素晴らしさを、外へ出て行って伝えることはできなくなりましたが、家の中でたくさんの祈りをささげています。友人がクリスチャンとなってくれますように、祖国日本に福音が広まりますように、ウクライナで苦しむ人々のもとに平和が訪れますように・・・私の祈りのリストは長く、果てしなく、どれだけ時間があっても足りません。だから神様は、私をまだ生かしてくださっているのでしょうか。

 神様はすばらしい方です。神様の御言葉を信じ、とどまる者に、恵みを与えてくださいます。このすばらしい方のことを、一人でも多くの皆さんに知っていただきたいです。信じていただきたいです。

 すべての栄光を主にお返し致します。

名画の作者は誰?3つに分けて模写しましょう!

9月はアートの季節の始まりです。NYの美術館も画廊も展覧会が始まります。
メイウッドの教会からも熱い情熱!
どっちの絵がゴッホ?セザンヌ?ゲームを楽しみました。

有名画の人物カードの絵合わせをしました。

好きな絵を模写してみましょう。


3つに区切って頭、胴体、足〜、バランスどうですか?
夏休み何してた〜?久しぶりの人達ともおしゃべりできました。

絵に集中した後は、錦織先生による聖書のお話です。

今日はマタイの福音書25章31−40節を読みます。
人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、やぎを左に置きます。それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』(聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)

イエスは世の終わりに、人々を二つに分け、一方の人々に語られます。「あなたは私が苦しんでいる時に手を差し伸べてくれたね,ありがとう」と。でも、その人々はポカンとして、「いえ、私はそんなことをした覚えはないです」と答えます。それに対して、イエスは言われるのです。「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、私にしたのと同じだよ」と。

クロッキー教室がお休みだった8月、私たちはこのクラスに来られていた1人の方を天に送りました。突然のことで本当に驚きでしたし、またとても悲しい別れでした。しかし,今、その方は神さまの御許で安らいでおられる事でしょう。

その方はまさに、この聖書に出てくる人々のような方でした。弱い方、世の中では人の目になかなかつかない人々に心配り、声をかけ、支えてこられました。イエスはその彼女のあゆみに目を留めて、喜んでくださっておられるでしょう。

私たちも、周りにいるお互いのために、世の中では見逃されてしまうような人々のために、心を配り、愛を注いでいきましょう。

<牧師室より>2023年9月号「空の鳥を見てごらん」

8月の最後の日曜日は「ピクニック礼拝」。多くの皆さんが参加されて、楽しい時を持ちました。礼拝後のサンドイッチのランチや、その後のレクリエーションも良かったのですが、私自身はそれと共に、緑豊かな公園での礼拝の中で、イエスの言葉に従って「野の花に目を留める」ことを実践してみて、新しく目が開かれる思いがしました。

礼拝のメッセージの中で「では、皆さん、自由に歩き回って、野の花をじっくり見る時を持ちましょう」とアナウンスして、10分ほどそれぞれで野の花を見る時をもっていただきました。正直なところ、当日の朝、会場の公園に来てみて、かなりしっかりと刈り込みがなされていて、元々あまり花の多くない8月の下旬、「花なんて咲いてないじゃん」と言われるんじゃないかと思いました。でも、注意して見てみると、普段は目に留まらないような小さな花がいろいろ咲いているのですね。そして、その一つ一つ、花びらの形、その数、おしべが出ているかどうか、など、それぞれに個性があって、いくら時間があっても足りないくらいでした。ちょうど今、NHKの連続テレビ小説「らんまん」の主人公が這いつくばって、草花に見入っているのが、こんな感じなんだろうかと分かるような気がしました。

イエスは「野の花を見てごらん」と言われた後に、「その一つ一つの野の花よりも、神はあなたの事を何倍も大切に思い、心にかけておられるんだよ」と言われるのです。

「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」

マタイの福音書 6章30節

これからいい季節になります。散歩をしたり、空を見上げたりするときに、自然の中に込められた神さまのメッセージに耳を傾けてみませんか?

<集会案内>「JOY JOY キャンプ」(2023年9月)

1995年に始まったJOY JOY キャンプ。エネルギーのあふれている子どもたちが、教会で「静かにしていなさい!」とか「おとなしくしていなさい!」と言われることよりも、楽しいことをたくさん経験して欲しい、そして、その中で、楽しいだけじゃない、大切な神さまのメッセージを知って欲しい、とスタートしました。

夏の1週間のデイキャンプ(通いのプログラム)。毎年違うテーマを決めて、工作やお話、テーマソングなどもキットなどに頼らず全部手作りで準備してきました。お借りしている教会の体育館にセットを造って、トンネル迷路を張り巡らして、毎日、エキサイティングな探検をしながら、その中で聖書のメッセージを分かち合ってきました。地域の皆さんの間にも浸透して、たくさんのお子さんたちを迎えてきました。

ところが、2020年はコロナのために中止。オンラインでのアクティビティーをしました。そして、2021年は午前中のみ+人数限定で再開。2022年は午後まで時間を延ばして・・・と、少しずつ正常化を進めてきました。

そして、今年のJOY JOY キャンプは、8月7-11日の午前10時から午後3時、20人の参加者を迎えて持たれました。

今年のテーマは「JOY JOY 探検隊〜宝物を探しに行こう!」で、まずは毎日教会の地下の部屋やメイン会場のジムを探検して、宝さがし。そして、JOY JOY キャンプ名物トンネル迷路も「ミニ版」で4年ぶりに復活!やはり、子どもたちはこのトンネル迷路、とても楽しかったようです。

 

そして、テーマソングや教会の歌を歌って聖書からのお話。神さまが私たちに与えてくださった宝物を一つずつ取り上げていきました。毎日のテーマは「この世界、地球、宇宙」「家族や友達」「いのち」「自分自身」「イエスさま」。子どもたちは毎日真剣にお話を聞いていました。その中で、子どもたちから飛び出してきた名言・・・「宇宙は神さまの宝箱だね!」・・・まさに!です。

その後は、毎日工作をしたりゲームをしたり・・・ちなみに今年の工作は「宝箱」「風船ランプシェード」「ロケット」「宝石石けん」「クレーン」「プラ板」そして、「Tシャツプリント」などなど。そして、ゲームは「震源地」「十字おに」「鬼玉入れ」「しっぽ取り」「風船バレー」「水風船投げ」「スイカ割り」などなど。5時間があっという間に過ぎていく5日間でした。

そして、その週末、13日の日曜日の礼拝には半分以上の子どもたちが出席してくれて、教会の皆さんの前でキャンプの中で歌った歌やテーマソングを歌ってくれました。

 

コロナ前は40-60人の参加者を迎えて持ってきたJOY JOY キャンプ、これからも地域の子どもたちを迎えて続けていくことが出来るようにと願っています。

例年4-5月に申し込み受付を開始します。来年はどんなテーマになるか?お楽しみに!