1月のお花シクラメン

2022年のクロッキー教室1月はオンラインで始まりました。
外は寒いけど、暖かいお部屋をZOOMで繋いでのクラスです。

好きな絵シリーズ、錦織先生から「星野富弘さんのお花」
とお題をいただきました。

オンラインで新年のご挨拶、私達はシクラメンの絵と
自分の好きな言葉を書きました。

絵を描いた後は、錦織先生からのメッセージです。

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今日、取り上げていただいた星野富弘さんは、今はクリスチャンなのですが、けがをされたときは信仰をもっておられませんでした。
けがをされて首から下が不自由になってから、信仰を持つまでの間のエピソードをいくつか書いておられるのですが、その中の一つにこんな話があります。
一人の男の子が自分と同じように首のけがで体が不自由になって入院して来ました。その時に、星野さんはまだ信じていたわけではない神様にこう祈られたそうです。「彼を癒してください。私はいいです。でも、彼はまだ子どもです。自由に動けるようにしてください」と。
その祈りが聞かれました。その男の子は少しずつ手足の感覚が戻り、手足が動くようになっていきました。「よかったなあ」と喜びながら、でも、心の片隅に、純粋に喜べない気持ちがあることに気がつきました。認めたくなかったけれども、それは嫉妬だったと言います。
それを認めた星野さんはすごいなあ、と思います。そして、彼は、自分の弱さを認めて、神の前にでて、洗礼を受けるのですが、その時の聖書の言葉はこちらです。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 」マタイ11:28
彼はキリストの「私のところに来なさい」と言われた言葉に素直に着いていきたいと思ったそうです。
私たちも、このイエスの招きにお応えして、この方にところに行こうではありませんか。

証し

日々導いて下さる主に感謝します。

去年からのコロナ禍の影響は大きく、この証を書いている時点でも新種株オミクロンが思いがけないスピードで私たちの生活を脅かし始めています。私自身も不安な日々を過ごしていますが、この度の教会への入会には主のお導きを強く感じています。

この5年近く聖書を読む会やクロッキー、カフェなどのお手伝いをさせて頂いているにもかかわらず、会員としてご奉仕したいという気持ちにはなかなかなれませんでした。日本の母教会を離れたくない気持ちもあり、Maywoodでの教会員としての生活が思い描けなかったのです。しかし、伝道という意思をはっきりと持って活動されている教会員の皆さんのご奉仕する姿を見て、サークル活動の延長のようなかかわり方であってはならないという気持ちが日々強まってきました。そんな時、ある会員の方から「そろそろ主にある家族になろうよ」と、声をかけていただきました。そうか、教会は「主にある家族」なんだということが強く心に響き、だからこそ信じあってともに祈ることが出来るのだと改めて思わされました。悟るに遅い自分の心が決まるよう少しずつ神様は備えて下さり、5年かかりましたが、この教会でご奉仕するように導いて下さったのだと思っています。

私がイエス様と共に歩むようになったのは、おそらく幼稚園の頃通い始めた教会学校からだったと思います。田舎の丘の上にある小さな教会でした。毎日曜日色々な絵がかいてあるみ言葉カードをもらうのが楽しみで、社宅の友達と喜んで通っていました。そのカードを入れた本は宝物でした。クリスマス会の劇やイースターのゲームなども楽しい思い出ですが、イエス様は心の清い人を喜ばれるという思いが、そこを離れてからも子供心にずっと残っていました。

我が家はおそらく祖父の代からクリスチャンだったようで、祖父は節(セツ)、父は羔三(こうぞう)という名をもっています。今は聖書には使われていませんが、羔は“こひつじ”という意味で、おまけに炎をあらわす4つの点の“レンガ”がついています。中学の頃、なんと“生け贄の子羊”ではないかと妙に感心したのを覚えています。祖父たちは明石のカソリック教会に所属していました。

母は、クリスチャンではありませんでしたが、色々な悩みがあるらしく救いを求めていました。PL教団に通っていたこともあり、私も変なお守り袋を首からつり下げさせられていました。しかし、母は東京に戻ってから父と二人で田園調布教会に通うようになり、いつしか洗礼をうけ婦人会でも積極的にご奉仕をしていました。婦人会の集まりもよく我が家で開かれ、私も一緒に牧師のお話を聞いたものでした。

毎日曜日仲良く歩いて教会に行く両親の後姿をみて、いつしか私も自然と教会に足が向くようになりました。大学4年の頃ヨルダン会という青年会に入り、修養会、文化祭など色々な行事をも通して聖書を学ばせていただきました。

ある年の12月、副牧師が洗礼希望者を募っておられました。この時、自分でも不思議ですが、私は迷うことなく手をあげクリスマスの日に洗礼をうけました。「あなたが私を選んだのではない。私があなたを選んだ」(ヨハネ15.16)というみ言葉が心にしめされ、洗礼を受けるということは主が私を選んでくださるということで、なんという光栄な事だろうと単純に思っていました。しかし、そこが主との交わりの出発点で、色々な試練を通して信仰について考えさせられる日々が続きました。

1982年に、夫がポストドクとしてカナダに2,3年の予定で勉強しに来たのですが、そのまま就職したため、来年で北米40年を迎えることになります。私は、しばらくカナダの日系新聞社で働いていましたが、合気道をやっていたときに腰を打ち動けなくなり、約2年はベッドで寝ていました。のちに病名が間違いだったとわかるのですが、当時はパーマネントの身体障害者として認定され5年は座る事もできず、夫が家事一切をこなしてくれていました。このときに重くのしかかってきたのが、「すべてのことに感謝しなさい」、というみ言葉です。この状況を感謝できるのか。痛みで体が硬くなり動けないまま人生が終わるのかどうかも分からず、頼れるのは主人のみという生活の中で祈っても祈っても不安が取り除かれることはありませんでした。幸い信仰を捨てようという思いには至りませんでしたが、長期にわたって癒されないことへの歯がゆさが、祈りとはなんだろうかという疑問を深めていきました。そんな私に、主は多くの信仰の友を与えて下さり、共に賛美をしたり聖書のお話をきいたり、彼女らに支えられて主を中心にした生活を送っていました。そして、いつしか自分の決断として、「この状況をも感謝していこう」、と思うことができるようになり、次に神様が何をして下さるかを期待しながら過ごすようになっていました。いつもイエス様が私とともに歩いて下さっていることにようやく気付いたのだと思います。

日本、カナダ、アメリカと生活の拠点が変わり、色々な試練がありましたが、行く先々でみ言葉から離れることなく祈りながら来れたことは本当に感謝です。今回は神様の導きにより準会員としてご奉仕できるようになり、新しい生活に希望と喜びをもって過ごさせていただけることに感謝しています。

第一テサロニケ5.16-18

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリストイエスにあって、神があなた方に求めておられることである。」

牧師室より2022年1月号「足下を照らす光をもって」

明けましておめでとうございます。

2022年もどうぞよろしくお願い致します。

12月の下旬、いよいよクリスマス、というときになって、オミクロン株の出現により、新型コロナウイルスの感染が爆発的に広がり、私たちの教会は24日のクリスマスイブのキャンドルライトサービスから、再再度、教会のすべての集まりをオンラインに移行しました。とても残念なことでしたが、お互いや、教会に新しく集う方々、一人一人の家族や友人、またこの地域全体の安全を最優先しての決断でした。

この2年間、何度も同じようなことを書いてきたような気もしますが、「あ、出口が見えてきたかな」というときに、「ああまだ先なのか・・・」ということが繰り返すと、ダメージがボディーブローのように効いてきますね。

そんな私たちのために、聖書はこのように語っています。

「あなた(神)のみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」詩篇119:105

トンネルの中で、出口が見えることはうれしいことです。しかし、たとえ、このトンネルがいつまでも続くものであったとしても、もしも、足下を照らす光があるならば、恐れないで、一歩一歩歩み続けることができます。聖書は、「神の言葉こそ、神からの語りかけこそ、私たちを守り、導き、暗闇の中でも、希望を持って歩ませてくれる光なのだ」と語るのです。

2021年は、私にとって、本当にこれはそうだなあ、と思わされる1年でした。自分は本当に神の言葉によって、聖書の言葉によって支えられて、生かされているのだ、ということを感じさせられました。困難の中で、悔しいこと、悲しいこと、不安になるようなことの中でも、「恐れるな」と語り、「私はあなたを大切に思っているから」「私が共にいるから」と語ってくださる神の言葉が慰めであり、力でした。

2022年、また、私たちは聖書の言葉を信頼して歩み始めます。毎朝聖書の言葉を少しずつ読んで、それを味わう「日々のみことば」をEメール配信しています。あなたも、毎朝、聖書の言葉を読んでスタートしませんか?ご希望の方はこちらからご登録ください。このトンネルがどこまで続くとも、また、トンネルを抜けた先でも、聖書の言葉は、あなたの人生を照らす光となることでしょう。

色の三原色は何色?干支のトラも描こう

色の三原色は何色?
青(Cyan)、赤(magenta)、黄(Yellow)です。
たった3色でも、緑も茶色も綺麗な風景画が描けましたね。
丸描いて〜線引いて〜しましま〜描いたらトラは簡単に描けました。
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クロッキークラスの後は、錦織学先生による聖書のお話です。
クリスマスの場面が書かれているルカによる福音書の2章には、このような言葉があります。
「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。」(ルカ2:11-12)
この「しるし」という言葉には2つの意味があって、一つは「目印」であり、もう一つは「シンボル」です。ベツレヘムの町で飼い葉桶に寝ている赤ちゃんをを探しなさい、それがあなたがたの救い主ですよ、という意味と、もう一つは「この救い主は、飼い葉桶の中に寝かされているような救い主ですよ」という意味です。
イエスはまさにそのような救い主でした。高いところから見下ろして、「かわいそうな人間たちを救ってやろう」と言うのではなく、私たちのところに降りてきて、落ち込み、悲しみ、叫び、悩む私たちのところに来て、私たちと共に歩み、私たちを救ってくださる方なのです。
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*JCCカフェ通信-第3号*

第3号 (Vol.3 Winter 2021 Issue)
あっという間に2021年が終わろうとしています。1年が経つのは本当に早いですね!皆さんはどのような1年を過ごされたでしょうか?コロナの状況も良くなっているかのように見え、普通の生活に戻りつつあるように思われましたが、ここに来て感染者がまた増えてきたようですね。JCCカフェもいつ再開できるか分からないのですが、皆さんに「カフェのことを忘れないで!また会える日を心待ちにしています!」と言う思いをお伝えしたく、今回もカフェ通信をお届けします。
Cafe Newsletter Vol.3.pdf  をお開きください。
◆トピック◆
  • メッセージ from コーヒーマスター
  • カフェコーナー ~ Bûche de Noël:チョコレートスイスロールケーキ ~ 
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  • 集会・プログラムのご案内
それでは、皆さん、安全で楽しいクリスマス&年末年始をお過ごしください!
 
NJ日本語キリスト教会
カフェスタッフ一同
 
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