牧師室より2021年12月号「神はどこにおられるのだろう」

サンクスギビングを過ぎて、いよいよホリデーシーズンだ、というところに水を差すように、新型コロナウイルスの「オミクロン株」出現のニュースが出てきてしまいました。7月の独立記念日のころ、ワクチンの広がりでずいぶん状況が落ち着いて、ああ、もう大丈夫なんだ、と思ったところに出てきたデルタ株、それが落ち着いてきた頃に出てきた、今回の変異株・・・。まだ詳しいことはわかっていませんが、出口が見えてきたかな、と期待したところに出てくる悪いニュースには、「またか・・・」とがっかりしますし、それは私たちへの心へのボディーブローのように効いてきます。

私たちは困難の中で、しばしば「神はどこにおられるのだろう・・・」と思います。「神がおられるならば、どうしてこんなことが起こるのだろうか?」と。

聖書はイエスが2000年前、ユダヤのベツレヘムで生まれたときに、「飼い葉桶の中に寝かされていた」と語っています。以下はルカによる福音書に出てくる天使の言葉です。

「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(2章11-12節)

「飼い葉桶の中に寝かされている赤ん坊」・・・それが救い主のしるしだったと聖書は語っているのです。「しるし」というのは「目印」という意味よりも、「象徴」という意味です。この救い主はどういう救い主かというと、低いところに降りてくる方であり、誰にも注目されないようなところに目を留め、共に歩んでくださる方なのだというのです。私たちは、多くの場合、「救い主」は力があって、カリスマ性があって、多くの人に注目されるそういう存在だと思っています。しかし、クリスマスに神から送られた救い主は「飼い葉桶」をトレードマークにするような、「こんなところに・・・」というところに来てくださる方だというのです。

今もそうです。神はすべてを超越したところで、超然と人間の苦しみを見ておられる方ではありません。神は、私たちが「神はどこにおられるのだろうか?」と悩み苦しむ現実の中に、来てくださいます。今も、がっかりして、落ち込んで、悩んで、苦しんでいる私たちの現実の中に共にいてくださるのです。今、あなたが苦しみの中におられるならば、神はあなたのそばにいてくださいます。一番近くにいてくださる方です。このクリスマスの時、まだまだ先が見えませんが、この困難の中で、私たちと共に歩んでくださる神に、イエスに目を留めてみませんか。

証し

私は 1963年11月に奈良県の生駒市に生まれました。大学に入学して親元を離れて、東京で下宿生活するまで、生駒で育ちました。父は、私が小学生の頃にサラリーマンを辞めて自分で会社を興しました。所謂、脱サラで、それ以来、仕事に没頭する日々が続きます。週日は会社に寝泊まりし、土曜日の夜に帰宅、そして、月曜日の朝に出ていくという生活が、私が大学に入学するまで続きました。母は、専業主婦でしたが、父の母(祖母)の影響、そして、父が独立したこともあって、毎朝・毎夕、先祖への御祈祷と般若心経を唱えていました。父の事業の成功祈願がその目的であったと思います。

高校卒業までは、特に生活に困ることも無く、また、大きな失敗や挫折も無く過ごしてきました。大学受験には一度失敗したものの、浪人生活を経て希望の大学に入学し、予定通り4年間 で卒業、そのまま東京で就職することになりました。大学時代も、親から仕送りを貰いながらアルバイトもしていたので、特に勉学や、生活に困るということはありませんでした。将来何 となく海外で仕事がしたいと思って、四谷の英会話学校にも通い、当時海外進出が著しかった自動車会社に就職しました。当時はバブル経済の直前で、円高が急激に進んだため、特にメーカーは採用を絞っていたのですが、幸い就職活動もスムースで、すんなり就職できました。

入社後は、輸出営業に配属され、担当地域はアメリカとなりました。当時は、貿易摩擦が大きな問題となるほど、各社ともにアメリカ市場を重要視しており、仕事も充実していました。就職して4年後にお見合いをして、今の妻と結婚、そして、その3年後にロス郊外にある子会社に駐在派遣されることになりました。会社も勢いがあり、また、アメリカでの車の売れ行きも 良かったため、待遇面でも今の駐在員に比べて、かなり良く、大変恵まれていたと思います。 また、1999 年に長男がアメリカで生まれ、2001 年に帰国し、次男が日本で生まれました。帰国後のキャリアも順調でしたが、2005 年に業務命令で、再度、同じロス郊外の子会社に駐在派遣されることになりました。2005 年当時は、会社の経営が思わしくなく、アメリカの子会社を 立て直す必要があり、それを実行するために、再度派遣されたもので、1 回目の派遣とは異なって、かなり責任が重かったのですが、何とかやり遂げることが出来、その結果、昇進も得られました。2011年に任期終了となり、帰国命令が下ったのですが、子供の教育面のことを考え て、そのままアメリカに残ることを決断、ローカル社員として雇用の切り替えを会社にお願い し、上司、会社の幹部からの理解も得て、特例措置として認められることになりました。これは会社としては、初めて行う極めて例外的な対応で、かなり恵まれた待遇と言えます。

このように、昇進も順調で、待遇面でも恵まれていたこともあって、会社員生活としては、満足しうるものでした。会社の先輩からも「この会社で、お前ほどラッキーな奴はいない」とまで言われ、かなり傲慢な気持ちになっていたのではないかと思います。ただ、一方では、何もかも希望通り行くので、どこかで落とし穴があるのではないかとの気持ちも持っていました。

それが具体的な形となって表れたのが、子供の教育・学校生活の問題でした。子供が 11 年生に なった 9 月に突然、不登校になったのです。彼は、小学生の頃から、授業態度に問題があり、 何度も先生から呼ばれるなどしていたのですが、当時は、何となく気になりながらも、その内、態度も収まってくるだろうと思っていました。学校からの勧めもあって、カウンセリングを受けたりしていましたが、私自身はそれ程、真剣に問題を捉えておらず、相変わらず、大きくなっていけば、その内、問題行動も収まってくるだろうと、たかを括っていました。そして、子供の問題責任を妻のせいにし、徐々に妻との関係も悪くなっていきました。カウンセリングでは、夫婦関係を修復することが大切であると指摘されたのですが、私自身、青少年時代、父親との接触が殆ど無かったにも関わらず、特に大きな問題も起こさず、大学を出て就職し、経済的にも問題ない生活ができているのだから、夫婦関係が原因であるとも真剣に捉えていませんでした。また、子供が問題を起こす度に、学校から呼ばれるのが苦痛で、そのため、彼が問題を起こす前に転ばぬ先の杖として、私が子供の手助けを行うような始末でした。

妻は、2014 年に洗礼を受け、毎週礼拝に通っていましたが、私は特に興味もなく、かといって、反対するわけでもなく、妻が教会に通うのを眺めていました。私が通っていた高校が日本聖公会に所属する学校であったこともあって、特にクリスチャンや教会に対するネガティブな印象もなく、とは言っても、ポジティブな気持ちもありませんでした。ところが、子供の問題が大きくなってから、教会の牧師先生を始め、教会の信者の方々から色々なアドバイスを妻が得るようになり、しかも、それが通り一遍のものではなく、信者の方々の経験などにも基づく、我々夫婦に寄り添ったアドバイスばかりでした。特に、当地での日本人社会はせまく、他人の問題が噂話になるようなことを見聞きしてきた私にとって、身内の問題はあまり話したくないと思ってきたのですが、教会の方々との触れ合いが深まるにつれ、自分のプライドは捨てても、本当に助けて貰いたいという気持ちが高まってきたのです。

毎週通いだした礼拝での聖書朗読、牧師先生のメッセージに触れ、これまでの私の奢った態度、姿勢、気持ちが徐々に砕かれていくのがわかりました。マタイによる福音書11章28節の「すべて、疲れた人、重荷を負っているひとは、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます」との一節に私は素直にすがりたいという気持ちで一杯となりました。

子供の不登校の問題が発生して以来、教会の礼拝に通うことが私の心の救いになったことに加え、夫婦で話す機会が増えました。これまでの私の奢った考え方を悔い改め、妻との関係ももう一度構築し直し、そして一致協力して子育てをやり直すことにしました。妻とはよく話し合った結果、長男を取り巻く環境や、彼の心身の状態を鑑み、彼を日本に帰国させ日本の学校でもう一度やり直す機会を与えることにしました。また、私の両親、妻の両親の健康状態も考え、2017年の夏に、我々家族も一度日本に帰国し、新たな生活環境の下で、家族、そして両親、みんなで助け合いながら生活することにし、仕事については、父親の事業をサポートすることにしました。そして、2017年5月14日に、アーバイン日本語教会の杉村牧師に導かれて、信仰告白を行い、帰国直前の同年7月19日に受洗しました。

日本に帰国後は、家内の実家近くの千里摂理教会(日本改革派教会)の客員会員となり、新たに日本での信仰生活を始めました。また、子供も実家近くの高校(インターナショナルスクール)に無事転校することが出来、新たに日本での学校生活を始めることが出来ました。子供は、まだ救われていないのですが、両親がクリスチャンになった影響もあってだろうと思うのですが、自ら、実家近くの別の教会(箕面国際教会、大阪大学に通う留学生や、外国人教授たちが中心となった教会)に時々通いだし、青年部の活動なども行うようになりました。そこで出会った教会員の方々にもアドバイスを貰いながら、何とか高校を卒業することが出来ました。主が働いてくださったものと感謝しています。

子供が苦労して高校を終えた後、生まれ育った米国でもう一度、学生生活を送りたいと望み、 親としては不安がありながらも、自立する必要性も認識し、再び、米国に送り出しました。それが、丁度2年前のことです。

我々夫婦は、もう二度と米国で生活することは無いと思い、家内は永住権を放棄しました。私は、子供の学費のことも考慮し、永住権をキープ、2 度再入国許可書を取得していました。2 度目の再入国許可書は今年の3月末が期限でしたが、渡米して手続きするのも面倒で、かつ、長期間休暇も無理なので、3月末で切れれば、その時点で永住権を放棄する予定でした。

ところが、昨年の9月にヘッドハンターから突然コンタクトがあり、ある会社が米国現地子会社の代表者を求めているが興味が無いかとの話が舞い込んできたのです。条件としては、来年3月末までに渡米し(再入国許可が失効する直前)、転職することでした。父親が90歳と高齢で、取引先、従業員含め、誰もが私が家業を正式に継ぐと思っていたので、その話に興味がありながらも相当悩みました。

ただ、子供たちが米国で生活し、日本に戻る意志が無いことを知っていたので、家族が一緒に 近くで生活出来ることを最優先に考えれば、この転職機会は、またとないベストの選択であることは確かです。しかし、そのためには、私が渡米する前に家業を処分することが必須で(父親の年齢を鑑み)、それが実行できる自信はなく、全てを主に委ねることにしたのです。10月にその転職話を取り敢えず受諾することにし、11月から急遽会社の売却を進めることになりました。そうしたところ、ある会社が私の条件、即ち、「3月までに売却手続きを全て完了させること」を承諾し、積極的に、かつ、友好的に売却手続きを進めることが出来たのです。通常、会社の売却には最低でも半年以上、こじれると1年程度は覚悟しなければならないのですが、無事、今年の2月(条件の3 月よりも一か月も早く)に売却が完了し、余裕を持って3月に渡米することが可能となりました。周りの誰もが、こんなにスムースに売却が進むのはあり得ないと言っていましたが、主に全てを委ねた結果の主のご計画によるものだと信じています。しかも、赴任地が、日本人があまり生活していない中西部ではなく(私の前職の自動車業界では、中西部地区に関連企業が多い)ニュージャージーで、この日本語教会に招かれたことも主のご計画の一つであることに間違いありません。

これから先の人生の歩みがどのようなものになるかは、全く想像がつきません。実に昨年の今頃は、子供たちのいる米国で再度生活するなど考えも及びませんでした。幸いにも子供のお陰で、家内と私は、救いを得て永遠の命を授かることが出来ました。これからも全てを主に委ね、主のご計画の下、信仰人生を歩んでいきたいと願っています。最後に私の好きな聖書の御言葉を記して、終わりにしたいと思います。

エレミヤ書29章11節

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」

終わり

自由と解放の絵を描こう

2022年の啓茶オリジナルカレンダーのテーマは自由と解放、画面を区切ってひとつづつ、線を描写してみましょう。


人物を描く時も同じように、画面の構図を考えましょう。


モデルはクロッキー帳を抱えたMさん、素敵な記念にもなりますね。


クロッキークラスの後は、錦織学先生による聖書のお話です。
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2022年の啓茶さんのカレンダーの中で、11-12月の絵のモチーフになった聖書の言葉をご紹介します。

兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」ガラテヤ5:13

神様は、私たちを自由にしてくださると聖書は語っています。これは私自身、経験したことです。イエス・キリストの愛を知るまでは、いろんなことを気にして生きてきました。周りの目を気にし、親の顔に泥を塗らないようにと頑張ってきました。でも、それが単に外側だけを繕って生きる生き方、偽善的な生き方だと気がついたときには、本当にがっかりしました。
しかし、そのときに、その私のためにいのちを与えて、十字架で死んでくださったイエス・キリストの愛を知ったのです。そのときに、私は自由になりました。人の顔色を気にする生き方から、この神様の愛に対する感謝をどのように表せばいいのか、ということを考えて生きるようになりました。
その自由を、周りの人々への愛のためにつかいなさい、と聖書は語っています。もっともっと、自由に、もっともっと人々を愛する者となることができますようにと願っています。

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「コロナ禍の中でも」

2020年1月に海外での新型コロナウイルス感染症のニュースを知り、買い物に行くにも緊張の日々が始まりました。それは、私自身、喘息の既往があることや過去(2009年)のH1N1ウイルス(豚インフルエンザ)感染症の流行時にクリニックで仕事をしていた時の状況を思い出したからです。実際に街中で風邪の症状の人は多く見受けられましたが、アメリカでの新型コロナ感染者は2020年1月30日のニュースではまだ数人・・・と。でも、『世界を往来する多くの人々が住むニューヨークの側で感染者がいないはずはない!』と思いました。そして、当時、ワクチンや治療薬はもちろん、気軽な検査の手段もない状況下、私どもの教会は、感染症の予防を優先して、州政府などの規制が始まる前の2月の終わりから、礼拝以外の集会は中止にして、礼拝だけはYouTubeでビデオ配信をするようになりました。その後間もなく、近所や知人からの情報でも新型コロナ感染により悲しい知らせを耳にするようになったのです。ニューヨーク州、ニュージャージ州の感染者の数、重症者、死亡者の数が急激に増え、どうか、教会の方々が守られますようにと、皆で必死に祈りました。

そのような中、ニュージャージー日本語教会では、3月半ば頃からZoomにより集会や祈祷会も持てるようになりました。慣れるまで、中心になってご奉仕される方々はご苦労も多かったと思います。コロナ前は考えられなかったことです。Zoom祈祷会では安否確認と情報交換、聖書の学び、祈り会がとても励ましの時となってきました。悲しいニュースが多い中、Zoomでお会いすると、ホッとしました。普段教会に集まれるのはニューヨークとニュージャージー北部在住の方々ですが、Zoomでは遠方へ移られた方々とも画面上で顔を合わせて交わることができます。

インターネットを用いての礼拝も、YouTube、Facebook Live、Zoomなどを用いてささげてきましたが遠方からも数多くの方々が、参加し、私たちを励ましてくださいました。

このニュージャージーで、出会い、教会の交わり、奥様会など、一緒に大笑いしてのおしゃべり、聖書の学びや涙のお祈り、本当に励まされ、信仰の友として、私にとって大きな存在の方がおられました。そのご家族がご帰国されたことは、本当に寂しいものでした。ああ、もうここには居られない・とお住まいだったお家の側を通っても実感し寂しかったです。そんな時、なんとその方がZoomでの祈祷会に参加してくださいました。時差のため日本とアメリカは夜昼逆転ですが、参加してくださることによって、また顔を合わせて祈れるのです。また一緒に大笑いしたり、一緒に心を合わせて祈れるのです。ああ、信仰の友はどうしてるかな?またZoom祈祷会で会えるかな?私の考えを超えて神様は不思議なようにZoom祈祷会の喜びを与えてくださいました。正直なところ、夜の祈祷会で、Zoomの画面上でウトウトしてしまい、「のりこさーん起きてますかー?」と声をかけられ恥ずかしいこともあるのですが、それでも笑顔で見守ってくださる方々と一緒の時間が嬉しいのです。

今はワクチンが進み、教会堂を貸してくださっている現地の教会が滅菌フィルターを入れてくださったことによって、マスクをしながらですが、礼拝や集会が対面で持てるようになりました。主を中心とした交わりの喜びを再確認しています。

マスクを外して共に賛美したり、皆さんと愛餐会で交われる日が早くきますように、心から願います。

また、毎週の礼拝メッセージはYouTube で見ることができます。

しかし、木曜日の祈祷会に限ってはZoomです。

どうぞこの祈りの輪の中にいらしてみてください。

「ふたりまたは三人が私の名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」                           (マタイ18章20節)