修養会講師: 島田 直師(サンロレンゾキリスト教会牧師)
『神に喜ばれるために (ローマ 12:2) 』- 2019年修養会
バイブルアワー1 : 聖霊の力 (ヨハネ 20:22)
聖日礼拝 : あなたを変える力 (マルコ 5:25~34)
バイブルアワー2 : 愛の力 (ヨハネ 13:34, 35)
バイブルアワー3 : 福音の力 (マルコ 16:15,16)
「蒔かれた信仰の種」
第2次世界大戦が終わり、数年が経ち、復興途中にあった京都にヨーロッパから2人の女性宣教師が来日しました。祖国での優雅で便利な生活を捨てて、日本人へ福音を届けたいという二人の熱い思いと祈りによって京都で伝道が始まりました。最初は高級住宅街の集まる北区で伝道が始まったのですが、より市民の集まるところへという思いから、下京区に拠点を移し、そこで開かれた土曜学校に父が導かれ、信仰を持ちました。
数十年後滋賀県の大津で家庭集会を始めた父はやがて母と結婚し、両親は地域の人を招いては伝道を続けてきました。私は、クリスチャンホームで育ったため、子どものころから「聖書は神の言葉であること」、「イエス様が私の罪のために十字架にかかって下さった」ことを信じて疑いませんでした。素直に、聖書の御言葉を受け入れることができたのも、多くの兄弟姉妹からの祈りの支えがあったからだと思います。
毎年クリスマスの時期になると、京都での働きを終えイギリスへ帰国した宣教師に手紙を送っていました。いつも丁寧な返信をくれ、そこには私たちのことを覚えて祈っていると書いてくれました。その言葉が子ども心に私の信仰を支えてくれました。
「聖地旅行」
小学校5年生になった冬休み、教会のメンバーと一緒にイスラエル旅行へ出かけました。初めての海外旅行。ドキドキワクワクしながら関西国際空港から出国しました。イギリスまで12時間、空港で6時間待ち、イスラエルへ6時間。合計24時間のフライトでした。長距離移動&時差ボケで、テルアビブ空港に着いたときは入国審査を待つ列で思わず座り込んでしまったのを覚えています。しかし、現地は朝の6時。ホテルで休むわけもなく、すぐにバスに飛び乗ってイスラエル各地を見て回りました。ガリラヤ湖、エルサレムなど、小さいころから聞いてきた聖書の舞台が次々に現れ、今もその光景が目に焼き付いています。この経験を通して、聖書の御言葉がより具体的で現実的なものへと変わりました。
「受洗」
中学・高校はソフトテニス部で活動しました。心は神様から離れていたわけではありませんが、中高の6年間は試合などで教会に行かない時が増えていた時期でした。周りはスポーツで勝つこと、よい成績を獲ることが大きな価値観である中、自分の人生にはどんな意味があるのか。信仰を持つとはどのようなことかをぼんやり考えていました。高校3年の時に大学受験に失敗した私は、高校卒業後、浪人をしました。それまで次の目標、次の目標と追い回されるように過ごしてきた人生で初めて。自分とじっくり向き合い将来についてじっくり考える大切な一年となりました。当時はクリスチャンとして歩むことの窮屈さや教会生活への反発から、洗礼を受けていませんでした。一人で毎日聖書を読み、信仰生活を守れば良いと考えていた私に、神様は「神の群れの中に入り、私に仕えなさい。」と語り、次の御言葉を与えてくださいました。
『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4章6-7節
受洗することは、神様に従う第一歩だという確信が与えられ、受験勉強渦中でありましたが、同時に洗礼準備クラスをお願いし、数か月の準備期間を経て、洗礼にあずかることができました。
「従弟からの一通のメール」
大学に入学し、私のクリスチャン生活もスタートしました。私の周りには、信仰に命を懸けている信仰の篤い先輩が多く、聖書の読み方や教会への仕え方、メッセージの仕方など、ビシバシとトレーニングしてくださいました。そんな大学生活も一年が終わろうとしていた頃、従弟から一通のメールが入ります。
「プロテスタントのクリスチャンが集まる全国集会があるらしいけど一緒に行かへん?」
それまで、自分の教会のグループのキャンプしか参加したことがなかったので、クリスチャンが多く集まる集会には興味がありました。
そこで「いいけど、申し込みの締め切りはいつ?」と返信すると。
「締め切りは今日!!今日中に〇〇の口座に33000円振り込んで!!」
おいおい、振り込め詐欺かと思いましたが、まだクリスチャンになっていなかった従弟がせっかく誘ってくれているので、その足でATMへ向かいキャンプ代金を支払いました。
この日の振り込みが、その後の人生を大きく左右することになります。実はこのキャンプが3年に一度行われるキリスト者学生会(KGK)の全国集会でした。5日間行われたキャンプで従弟ははっきりと信仰告白をし、洗礼を受けることができました。また私にとっては、このKGKとの出会いを通して、その後KGKと強く関わっていくこととなります。初めて、他の教団の人と一緒に聖書について話をすることは、とても新鮮な体験でした。熱く語り合い、共に祈り合う仲間が与えられ、出会った信友との交流は今も続いています。
「就職」
大学卒業後は教員になることしか考えてなかったので、大学3・4年生になっても就職活動は一切せず、また受験生のように教員採用試験勉強をしていました。そんな中、KGKの主事からの薦めもあり、金沢にあるキリスト教学校へ就職します。初めての仕事と一人暮らしとで最初は慣れませんでしたが、同僚や北陸地区のKGK友人、教会のみんなに助けられて楽しく仕事をスタートしました。
就職した学校は毎朝礼拝から始まる一日でした。生徒と一緒に御言葉を聞き、一日を始められるのはこの上ない幸いなことでした。また毎月講壇から全校生徒へ御言葉を語ることができることもすばらしい経験でした。「多くの子どもたちに福音を伝えたい」という、その夢がかなった瞬間でした。教科を教えることの他、キリスト教も中心になって仕事をさせてもらい、充実した日々を送ることができました。
「京都へ」
金沢での生活が3年目を迎えた頃、母親が体調を崩し長期入院しました。これをきっかけに、実家に戻ることを考え、京都の公立の教員採用試験を受け直し、京都の公立へ再就職しました。金沢を去るときは後ろ髪をひかれる思いでしたが、神様はこのことを通して新たなステージを開いてくださいます。
関西に戻った私は、学生時代にKGKで共に過ごした信友たちと再会します。その一人に妻の優子がいました。数年後、結婚に導かれ、京都での新しい生活が始まりました。
比叡山がよく見える部屋で、毎朝聖書を読んで一日をスタートする結婚生活が始まりました。私たちが住んでいたのは、地球温暖化防止京都会議で京都議定書が制定された国立京都国際会館のすぐ近くでした。
数年後、2013年10月、国際会館でエンパワード21全日本大会という大きなクリスチャンの大会があると聞き、大会の最終日に部活が終わったあと、ちょっと寄ってみるかと軽い気持ちで訪ねてみました。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/12147/20131014/news.htm
会場には2000人ほどのクリスチャンが集まっていました。あまりの人数に驚かされると共に、伝統的な教会で育った私にとっては、聖霊派の先生方のメッセージや祈りはとても新鮮で心にストレートに伝わってくるものでした。賛美と祈りと熱いメッセージで燃やされた後は、派遣集会が持たれました。全員が1列に並び、一人一人メッセンジャーから額に油を注がれ、それぞれの場へと再派遣されていったのです。
その時は何も感じませんでしたが、後から振り返ると、この時をきっかけに私たち夫婦は新たな導きの波に乗りました。
「滋賀に引越」
エンパワード21が終わると、不思議と滋賀の不動産情報がたくさん手元に集まるようになりました。当時京都から滋賀の教会へ通っていたので、ちょうどよい機会だと思い滋賀に家を探し始めます。そして、通っていた教会の近くによいマンションが見つかり、そちらへ引っ越すことに決まりました。
引越をして半年後、子どもが誕生し3人での新たな生活がそこで始まりました。忙しくも楽しい日々でした。私たちのマンションは教会から近いこともあり、いろんな教会員の方との交わりや相談の機会を持つ場所を提供することができました。
「アメリカへ」
当時、滋賀の教会は試練の時を迎えていました。開拓から10年ほど経ち様々な問題が教会内で起こり、教会員の愛と信仰が試される時期となっていました。私たちもその渦中で心身共に疲れ切り、どうにもできないことにただ祈り、待つしかできませんでした。そんなときに不思議にアメリカ行きが決定します。
バタバタと準備が始まり、2016年3月に家族3人で渡米しました。渡米先には妻がずっと行きたかったニュージャージー日本語教会が家からすぐ近くにあるということがわかり、渡米3日後から教会に通わせていただきました。アメリカでも主にある兄弟姉妹と日本語で礼拝できる機会に恵まれたのは、本当に感謝なことでした。またスモールグループでは錦織先生を通して、どのように生活の中で神様を知り、神様との関係を深めていくかについて学びをしました。日本でずっと奉仕に追われてきた私たち夫婦にとっては、大切な学びであり、その後の信仰生活にとって大きな財産となりました。
Perspective World Christian Movementという非宣教地域、他宗教への伝道の学び会に参加しました。そこでは、50人ほどの参加者と共に、聖書に基づいた福音とは何か、異文化へのアプローチ方法、教会形成など実践的な学びをしました。そこで気づかされたことは、日本は世界で最も福音伝道の進んでいない地域の一つだということです。世界宣教について共に学ぶ中で多くのアメリカ人が真剣に、熱く日本のために一緒に祈ってくれました。アメリカから日本を見ることを通して、日本への福音の必要性を再認識することができました。
「日本へ」
3年間のアメリカ滞在を経て日本へ帰国しました、改めて思うことは、これまでもこれからも私の人生は主が導いておられるということです。主はご自身の計画の中で私を生かし、訓練し、導いてくださいます。どのような導きに対しても、主が共におられるので、ただ私は信頼して歩むことができます。これから日本で主に仕えていくなかで、ただ主の栄光だけが輝くことを祈りつつ歩めたらと思います。
ニュージャージーでの主にある兄弟姉妹との愛の交わりを感謝します。教会のお働きが益々祝福され、多くの方が主に出会うことができますように。
『あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。』詩篇119篇105節
♫ わくわく・・・どきどき・・・うきうき・・・どきどき・・・
お金じゃ買えないものってあるよね〜♫
今年も8月の初めのJOY JOY キャンプでは子どもたちの元気な声が教会のジムにあふれました。今年のテーマは「わくわくタウン2」。教会のジムに突然現れた不思議な町で「〜のためにどうすればいいか?」という使命を受けて、買い物をする、という設定です。18年前の「わくわくタウン」が楽しかった、という声を当時の子どもたちから聞いて、いつかもう一度JOY JOY キャンプのテーマにしたいと考えてきて、今年ついにそれが実現!今年も「買い物の時間」は大盛り上がりでした。私は個人的には「探検」とかをテーマにしたほうがいいんじゃないかなあと思うのですが、何で子どもたちは、そんなに買い物が楽しいのでしょうかね。一説には「いつも、お父さんやお母さんが買い物をしているのを見てるけど、お金とかさわれないし、『自分ももっと自由に買い物したい!』と思っているんじゃないかな?」ということですが、さて、どうなんでしょうか?
今から50年くらい前、私が子どもだった頃は、教会はたくさん子どもであふれていました。クラスの中でも必ず何人か、友達が教会に来ていたものです。そして、みんなで聖書を覚えたり、休まないで来たりすることを競ったものです。でも、いつ頃からか、教会に来るのは、ほとんどが、「親が来ているから」という子どもたちになりました。他の子たちには教会は「関係のないところ」になったのです。「テレビとかゲームとか、他の楽しいことがあるから・・・」と言われたりするのですが、もしそうだったとしたら、それは他の楽しいことに負けている教会の問題でしょう・・・ということで、とにかく楽しいプログラム、そして、でも、楽しいだけでは終わらない中身のあるプログラム、をと考えてきました。子どもも大人も、楽しいことって、大切ですよね。でも、楽しいだけじゃ物足りなくなる。だから、これからも、本当に楽しい、本当に心に届く働きを続けていきたいと思います。
今年も思ったのですが、もしかしたら、今年のJOY JOY キャンプに来た子どもたち、会うのがこの時だけかもしれない、もしかしたら、来年は都合が悪くなったり、日本に帰国したり、他の地に引っ越したりして、もうJOY JOY キャンプには来られないかもしれない、そう思うと、何としてでも、「十字架にかかって、私たちの罪を赦してくださったイエス様」「そこまでして、私たちを愛してくださる神様」のことを話さなければ、と思うのです。そのことをなんとか伝えたい、子どもたちの心に残るものとして受け止めてもらいたい、そのように思うのです。これから、いろんな楽しいこともある、でも、それに負けないくらいの、辛いことや悲しいこと、やるせないこと、悔しいこと、全てを投げ出したくなること、そんなことを経験するだろう子どもたちに、「神様は、君のことを本当に大切に思っているんだよ」ということをわかってほしい、わかって、何かあった時に、また「教会に行ってみようかな」と思ってほしい、そのように思って準備してきました。
「わくわくタウンで買い物する」という毎日だったのですが、でも、本当に大切なものはお金では買えない。目にも見えない、そして、その大切なものを神様はくださるんだよ、と子どもたちにお話ししました。伝わったかなあ、どうかなあ、と思います。なんとか、子どもたちの心の中で、その聖書の言葉の種が、芽を出し、実を結ぶ時が来ますように。
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」コリント人への第二の手紙4:18
秋からも、教会の働きはそのことを伝えていく、また表していく、生きていくことが中心になっていきます。一人でも多くの方に、この神様の愛が届きますように。
「今度の土曜日、こちらの公園の南口で、うちの息子がお話をするから、ぜひ、来てくださいよ」
それは、20年以上お会いしていなかった友人の誘いでした。私がサバティカル休暇期間中、5月に日本に3週間ほど帰ることを人づてに聞いた彼は、日本に着いたばかりの私に声をかけてくれました。それは、東京の大きな公園のホームレスの人たちのための集まり。社会的にはある程度認められる地位にある彼が、毎週土曜日の朝、そんなに一生懸命ホームレスの方々のためにご奉仕しているのはどうしてなんだろう、という気持ちと、その息子さん、小さい時からちょっと天才肌だったなあ、どんな青年になっているのかなあ、という気持ちとで、幸い、時差ぼけで朝早く目が覚めたこともあり、出かけてみました。
最初に賛美歌を歌って、お話があって、そこまでは想像通りだったのですが、そのあと「さあ、食べ物や援助物資を配って解散かな」と思ったら、なんと、そこから15人くらいずつのグループに分かれて、今聞いた聖書の話の感想や、自分がどうしてここにいるのか、という話を始めたのです。それが、みなさんなんだか、生き生きと話をされるのです。「興味はあるんだけれども、まだ信じられないんだよねえ」という方が、一生懸命質問をしたり、すでにこの働きを通してクリスチャンになった方が、「僕も本当に惨めだったけど、イエス様に出会って、変わったんだよねえ」と自分の体験を話されたり、みなさんが心を開いて、本音で話をされているのです。「ああ、なんだかいいなあ」と思いました。モノや肩書きを失って、プライドも奪われた人々(「いや、自分はプライドがあったから、ホームレスだったんだなあ」と今は援助を受けて、家も仕事も得た人が言っておられて、それはそれで、また考えさせられましたが・・・)が、一人の人間として、神様を求めて、互いに向き合って、話をしている、住むところや仕事を見つけた人たちも、やはり、同じところに立って、話している。いや、この世では立派な肩書きを持っているような人も、そんなことはどうでもいいこと、として、一人の人として、向き合っている。それは美しくもエキサイティングなひと時でした。
それがあまりに魅力的な集まりだったので、私もそれから毎週土曜日の朝、その公園に通いました。
私たちはいつの間にかいろいろなものを身にまとって、身につけて、持ち物を増やして、でも、それによって失ってしまっていることもあるんじゃないかなあ、と思います。そういうものを一度全部おろして、一人の人間として互いに向き合ったり、神の前に出たりすることができればいいのに、と思います。
今年のJOYJOYキャンプのテーマは「わくわくタウン2」。お金じゃ買えないものあるんだよ、神様は、それをみんなにくださるんだよ、ということを子どもたちに伝えることができたら、と、また日々の教会の歩みの中で、そのことが自然と伝わっていくような働きができればいいなと思っています。
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」コリント人への第二の手紙4章18節
アメリカ、フロリダの地であなたは愚かで汚れきっている私を一番近くで見ていたのにもかかわらず、私をこれでもかと愛し、優しく包んでくださいました。あなたの愛をこの世界、そして日本に伝えるために私のからだを用いてください。
自分がどれほど愚かで無知であったかを思い知らされたのです。ああ神よ。私は獣のように見えたことでしょう。しかし、それでもあなたは私を愛し、私の右手をしっかりつかんでくださっています。 詩篇73:22~23(リビングバイブル)
去年の6月から今年の1月まで、アメリカのフロリダにあるディズニーワールドで約6ヶ月間のインターンシップに参加していました。これは、当時大学3年生の世界一流のホテルマンを目指していた私にとって素晴らしい機会であると同時に、親元を離れられる最高の機会でもありました。親が嫌いであった訳ではありません。むしろ大好きです。問題だったのは、私の信仰が神様を信じる信仰ではなく、神様を熱心に信じる親に対する信仰だったということです。クリスチャンファミリーに生まれ、物心つく前から教会にいました。洗礼は10才の時に受けて、高校生活が終わるくらいまでは特につまずくこともありませんでした。しかし、大学に入ると、徐々に自分の中でたくさん疑問が湧いてきました。「なぜ私は毎週日曜日に教会にいるのか」「この世界にはたくさん神様がいるのに、なぜ私はこの神様を信じているのか」――このような問いが自分の中にたくさん湧いてくる時に、立ち返る信仰という土台が私はしっかりしていなかったため、すぐに崩れてしまいました。この時は、教会に行かないと親に言ったら親を悲しませると思っていたので、しかたなく行っていました。そして、教会に行ったら熱心なクリスチャン両親を持つ息子として自分なりに良いクリスチャンのフリをすることをいつも考えており、偽りの自分で教会にいるのが嫌でしょうがなかったです。このタイミングで親元を離れて行く6ヶ月のインターンシップは、自分の中で大きな意味がありました。それは、自分自身の神様に対する信仰を自分で見つけられるかもしれないという期待の意味でした。
大きな期待を胸にアメリカに行きましたが、そんな甘くありませんでした。池田恵賜先生に勧められた日本人教会はタクシーで往復8000円かかり、日々を過ごすお金を稼ぐのにやっとの私は、教会にそれほどのお金を払って行く価値が見出せませんでした。そして持っていった聖書は一度も開かず、祈りもしなくなりました。週三回くらいのペースで同僚と夜のダウンタウンに行き、二日酔いになるまで遊んでいました。どんどん神様から離れていきます。かつて自分がアメリカに来る前に抱いていた期待を楽しさと酔いで忘れようとしていました。
帰国1ヶ月半ぐらい前になり、私は二つのことをずっと考えていました。一つ目は、日本に帰ったら親と違う教会に行こうということです。なぜなら、また偽りの自分でいなければいけないと思ったからです。二つ目は、こんな汚れきっている自分は教会に戻る場所すらないということです。自分のしていることが愚かで、もう神様に合わす顔がないと逃げていました。
そんなある日、「恵賜先生とマーティ宣教師がアメリカのフロリダにスポーツミニストリーの会議で来ているので、もし都合が合うなら会いなさい」と母からメールがありました。私は、この時正直「恵賜先生は帰国したらいつでも会えるし、マーティ宣教師って誰やねん!」と思っていました。しかし、ここでの出会いが私と神様の関係を大きく変えました。最初に恵賜先生と少し話し、そのあと初めて会うマーティ宣教師に、忙しい会議と会議の間の時間をとって頂きました。会話を始めるとすぐに、マーティは「君のスピリットはすごい!」と私に言い、マーティがすごく興奮していたのを覚えています。私は、彼がなぜこんなに興奮しているのか、そしてスピリットがなんのことを指しているのかもわからない状態でした。しかし、私が覚えているのは、こんなに明るくて楽しそうな人をディズニーでも日本でも今まで見たことがないということです。次のミーティングが始まるとのことでお別れすると思いきや、次のミーティングにぜひ参加してほしいと、参加費も払っていない私に対して言ってくださいました。そして飛び入りで参加したミーティングでは、オーストラリアのサーフィンミニストリーを代表する方がオーストラリアでのミニストリーの現状やこれからの課題を共有してくださいました。ずっと教会や神様から離れていた私としては、久しぶりに聞く神様の話でした。とても新鮮で神様のことをサーフィンで伝えたいという熱心な思いが、私には輝いているように見えました。そのミーティングに参加している皆が眩しかったです。
ミーティングが終わると、マーティは「私は今、フェスティバルを通して神様を伝える働きをしていて、日本全国を回っている。君に通訳をしてもらいたいから、早く戻ってきなさい」と言ってくれました。なぜか涙が止まりませんでした。もう帰る場所すらないと思っていたのに、神様はこんな私でさえも、とりこぼすことなく帰る場所を用意してくれました。すべてを知っている神様は、汚れていてもう自分ではどうしようもできない私に手を差し伸べてくださいました。マーティは泣いている理由も聞かずにただ自分を抱きしめ、「神様はあなたを愛しているよ」と言ってくれました。神様の愛は偉大です。私は神様の深い愛によって変えられました。今は、神様によってホテルマンへの夢が完全に取り去られ、献身する道に導かれています。神様がどのような計画を私に持っているか、まだしっかりわかりませんが、主に期待して歩んでいきます。
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主イエス・キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 ローマ8:39(新改訳第三版)
2019年3月28日本郷台キリスト教会木曜祈祷会での証し:ご本人と教会の許可をいただき転載