私が語学留学のため、6年間の教員生活にピリオドを打ち、NYに単身やって来たのは去年の5月でした。誰一人、知人友人もいない、全くのゼロからスタートして、この約一年半の間に、大きなケガや病気もなく、たくさんの良き友人に恵まれ、心の寄り所となる教会に出会い、またこの9月から大学に編入、再び学生として音楽を学ぶ機会を与えられたこと、神様に感謝しています。

そもそも、留学を真剣に考え始めたのは、ゴスペル・シンガーとして日本で活躍しているラニー・ラッカー氏主催の『Bright Lights Choir』の一員として活動している頃でした。私達はラニーさんの指導のもと、アメリカの黒人教会で歌われているようなゴスペル・ソングを歌っており、時々教会やイベントに呼ばれてミニ・コンサートを催したりする傍ら、座間キャンプや横田基地などの米軍基地で行われる、ゴスペル・ミュージック・ワークショップに参加してゴスペルを学んでいました。ちょうどその頃、本業の教員生活の方でも素晴らしい音楽専科の先生と出会い、にわかに合唱指導に興味を持ち始めていたので、忙しいながらも充実した毎日であったと思います。そのような生活の中で、英語の習得も兼ねて、本場アメリカでゴスペルを学べたら、という思いが日増しに強くなり、ついに留学に踏み切ったという訳です。

大志を抱いてこちらに来たのですが、滑り出しは必ずしも順調ではありませんでした。英語がすらすらと話せないため、電話の加入、銀行口座の開設などからして、あちこちたらい回しにされ、スムースに行くものが、2倍も3倍も時間がかかる始末。英語もできない小娘が何しに来た、という冷やかな対応をずい分受けたものです。当時同居していたヒスパニックのルームメートとの関係でも神経がすり減る事ばかりで、みじめな気持ちになっては日本をなつかしく思う毎日でした。経済的にも貯金が頼りの自費留学だったので、不安は常にあったし、誰一人頼る者もいない生活の中で、自分は果たしてやって行けるのだろうか、と悩みました。

NJ日本語教会に通い始めたのは、ちょうどそんな時でした。日本の友人が古くから錦織牧師を知っており、私が渡米するということを前もって連絡してくれていたのです。一本の暖かいお誘いの電話から、錦織先生ご家族、NJの教会の方々とのお付き合いが始まりました。日本に居た時からゴスペルを通じて教会へ足を運ぶ機会はあり、また遡れば幼稚園、小学校と日曜学校に通っていた経験もあったので、私にとってキリスト教は全く未知なものではありませんでした。実際にゴスペルを学んでいく課程でクリスチャンになることも幾度となく考えましたが、自分の中に整理できない問題もあり、それが解決するまでは、と思っていました。ゴスペルのワークショップで熱狂的な礼拝体験をしながらも、その雰囲気に押しながされるような形でクリスチャンにはなりたくなかったのです。私には平静さの中で、膝を交えてキリスト教について話し合える人が必要でした。

神様は思わぬ所で思わぬ方々との出会いを用意してくれているものです。錦織先生ご夫妻というのは、私にとって“膝を交えて何でも話せる”方々でした。初めて教会に足を運んだ日から、陰にまり日向になり私の事を見守って下さり、また辛抱強く私の言うことにも耳を傾けて下さったのです。何度か牧師館にもお世話になりましたが、お互いを知り合うような暖かいクリスチャン・ホームはとても居心地が良く、また教会にあっては、座る暇もない程働いていながら、いつも笑顔を絶やさないお二人の姿が印象的でした。また教会員の方々も見ず知らずの人間に本当に暖かく接して下さり、教会に通うことで殺伐とした毎日の生活を忘れ、心が安らぎました。そして、「クリスチャンになるのなら、この教会で。」と思うようになったのです。

昨年の12月に洗礼を受け、正式に教会員となりました。今は子供聖歌隊の指導や教会のバンドの一員としてご奉仕させて頂いています。また、毎年一度催されるゴスペル・ミュージック・ワークショップ・オブ・アメリカ(GMWA)に3度目の参加を果たし、ラニーさんや日本のクワイアのメンバーと再会できたことも大きな喜びでした。心細い中でスタートしたアメリカ生活でしたが、神様は本当に必要を満たして下さっているのだなあ、と思います。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ書43・4)

これは受洗の記念に頂いた聖書に錦織先生が書いて下さった言葉です。このアメリカ生活の中で何度も自分がちっぽけで取るに足らない存在であるよう思えて悲しくなることがあるのですが、その度にこの言葉は私を励まし支えてくれます。

まだまだクリスチャンとしては駆け出しの私ですが、これから聖書の学びを深めながら、私が受けた愛情を今度は他の人々に返していけたら、と思っています。

月報1998年10月号より