アメリカにやってきてついに約4年の月日が流れた。アメリカのインパクトに押しつぶされそうになった初めてのJFKが目に浮かぶ。あれは、もう4年も前にさかのぼる。あのときから本当に僕は変えられた。教会が好きになり、イエス様の十字架を信じて洗礼を受けた。それもとても重要な出来事だったが、洗礼を受けたあとに発見することがとても多かった。そして、高校生になってから発見することが多かったように感じる。僕は、さまざまな場面で、神様のすごさを経験した。

そしてそれぞれの場面で、目が開かれた感じがした。それは気持ちのいいものだった。これから僕の目が開かれた代表的な場面を証したいと思う。

1)「祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。」             ペテロの第一の手紙3章9節

僕は、慶応NYの寮で生活していた。そこはNY州の郊外である。そのようなところに住んでいる僕がどのようにして毎週NJに来ていたのだろうか。答えは簡単明白。錦織牧師や教会の他の方々が、僕が行ける週末には慶応NYの寮まで迎えに来てくださったのである。所要時間はおよそ片道40分。ガソリン代が高騰している中で、家族が帰国してからほぼ毎週送り迎えしてくださったのだ。何気なく送迎していただいていることもあったが、改めて考えてみると労力がとても必要だったのだ。どう感謝していいかわからない。なぜ、こんなにも僕を愛してくれるんだ。と何度も思わされた。あるとき、こんなに良くしてもらうと、もうどれだけ返しても返しても返しきれない。と打ち明けたことがあった。するとこんな答えが返ってきた。「ほら、私たちも同じように人にいろいろとやってもらったの。だから、大輔君もほかの人にその感謝を返してね。わたしたちじゃなくていいんだから。」目が開かれた瞬間だった。そうか。ほかの人に返すのか。すると、頭の中で神様、イエス様の姿が浮かんできた。僕は罪人。そう。この罪がイエス様を十字架にかけた。それなのに、神様は僕の罪を赦してくださり、今でも僕を愛してくださっている。無条件の愛。僕は、この愛のお返しを神様、イエス様にすることなんて、人生を100回やっても返せない。しかし、この言葉から僕は気付かされた。神様、イエス様に返すだけではなく、ほかの人にその愛を少しずつ返せばいいんだ。分かち合えばいいんだ。と。その瞬間、僕も神様の愛や、教会の皆さんの愛を彼らにだけではなく、別の人に少しずつ分けることができればいいなと思うようになった。そして、そのようなことが聖書の中に記されているはずだと思い、母親の協力の下、ペテロ第一の手紙3章9節を発見したのだ。
将来、「僕も同じようにいろいろとやってもらったことがあったから、君も同じように別の人にその感謝を受け継いでね。」と言いたい。私たちの使命の一つは、祝福をすべての人に受け継ぐことだったのである。

2)「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:5-6
僕は、バスケットを部活としていた。うまくはなかったが、チームのメンバーとして多面的に貢献したと自負している。そして、自分がバスケをやっていたことに満足している。それは神様が導いてくれたからである。僕は、バスケのことでたくさん悩んだ。まず日程だ。土曜日、日曜日、関係なく練習は組まれていく。日曜日は僕にとって教会に行く日となっている。しかし、無情にも当然のように日曜日にも練習が組まれ、何度か教会を欠席した。僕は教会にいけないことを恐れた。なぜなら、教会に行かない日曜日はとても楽だったからだ。バスケの練習を2時間したとしても、一日は24時間。したがって22時間は自由なのだ。しかし、教会に行くためにはやはり一日仕事。したがって自由時間は就寝時間を除けば6、7時間程度になる。教会に行かないと楽だったのだ。このまま、自分は教会に行かなくなってしまうのではないかと思った。しかし、休息できているはずなのに疲れがたまっていく。精神的に疲れていくのだ。僕の通っていた慶応NYには「クリスチャン」が多くない。自称クリスチャンはいるが毎週教会に行くのは僕だけだったであろう。そんな中で生活していると教会では聞くはずもない言葉、会話が当然のようにされたりする。そのような環境だったためだろうか。僕は、教会にいけないのこんなにも大変なのかと気付かされた。つまり、教会がどれほど自分の心の支えになっていたことがわかったのだ。
次に、教会の友達の大きな支えだ。祈祷課題を言うとみんなが一つになって自分のために祈ってくれる。これほどの喜びはなかった。
バスケを通してこの御言葉が与えられた。箴言3章5、6節である。僕らは神様に信頼すればいいのだ。教会を休まなければいけない。こんな恐ろしいことはない。などと自分の知識で考えなくていいのだ。(確かに恐ろしいのだが)主に祈って、任せるのだ。すると神様は道をまっすぐにされる。僕にも、教会の大切さ、祈ってくれる仲間のすばらしさを再確認する機会として神様はバスケを与えてくれた。そして、それと同時にバスケをする楽しさも教えてくれたのだ。自分たちがなにを思っても神様の計画にはかなわないのだ。だから、これからも、信頼して歩んでいこうと心に決めた。

3)「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることはない。」                  ヘブル人への手紙13章8節

今まで、どれだけの環境がここに来た当時と今で変わったのだろうか。それは計り知れない。まず、学校が変わった。高校入学するということで、中学の友達と別れることになった。住む場所が変わった。家に住んでいたが寮生活となった。そのおかげで今まで得ることのできなかった自立することを覚えた。そして、一日中友達といることのすばらしさを学んだ。さらには、アメリカにいた家族は、日本に異動した。たった3年で衣食住すべてが変わったといっても過言ではない。すごい変化であると実感している。
しかし、たった一つ変わっていないことがある。それがイエス様なのだ。心の中に、神様、イエス様を迎えてからは、彼らが今で心の中にとどまっていて生きる原動力になっている。そう。洗礼を受けた当時から変わっていないことである。もちろん信仰がそのままであるのではない。信仰は少しずつではあるが成長している。神様だけは、これから生涯生きていく中で常に同じ道を歩んでくれると約束してくださる唯一の方だ。だから、環境が変化しようと、窮地に追い込まれようと、神様は常に一緒だ。この安心感は格別だ。だから安心して次の「異国・日本」というステップにも堂々と進める。イエス様の十字架。それは、勝利の印である。どんな苦難があったとしても、イエス様は復活されたように僕らも最後は乗り越えられる。それをこの御言葉から信じた。
ある人が分かち合ってくれたことだ。「教会があってよかった。」たった、それだけの言葉だったが、僕の人生に教会があったことがどれだけ助けになったことか。「教会があってよかった。」と絶叫したい気持ちでいっぱいなのだ。
だからこそ、これから僕に与えられている使命は明確だ。御言葉を用いて伝道すること。僕は、このアメリカの地で目の開かれる経験をたくさんしてきた。時には、自分の考えとぶつかり大変な思いもするが、すべてを捨て、神様に任せようと決めたとき、御言葉は与えられるのだ。そして、次のステップに行くのである。その経験をできるだけ多くの人にしてほしい。
人に神様を信じたいと思ってもらうには神様の力が必要だ。御言葉という神様の言葉に心を打たれる必要がある。だから、その覚醒のお手伝いができれば「祝福を受け継ぐ」ことになると信じている。だからこそ、僕は頑張る。いや、頑張れる。今こそキリストの愛に応えるときなのだ。

月報2008年7月号より