私がどのようにイエス・キリストを救い主として受け入れたか、書きたいと思います。

私の家はクリスチャンホームで、物心ついた時は、すでに神様の存在を信じていました。小学校時代は近所の子に聖書の話をしたり、教会へ誘い、連れて行ったり、積極的でした。特に「みことばカード」をもらうのがうれしくて、もらったカードを大切にし、暗唱していました。
しかし、中学校くらいから、友達の誘いを受けることも増え、映画や他校の学校祭、試験の前の勉強等があると、教会を休みたい、と思う気持ちも出てきました。母に聞くと、「日曜日は神様に礼拝をささげる日。神様には余った時間をささげるのではなく、第一にしなければならないんだよ」と許されませんでした。「お父さんやお母さんは自分で選んでクリスチャンになったからいいけど、私はキリスト教を選んだわけじゃないのに・・・」とふくれながら教会へ行ったこともありました。

18歳の時、私は進学のため、札幌で一人暮らしをすることになりました。我が家はけっこう厳しい家庭だったので、私は不安よりも期待と解放感でいっぱいでした。
でも、日中は私の行っていた教会の開いていた救世軍の保育園で、見習いとして働き、夜は学校で3年間学び、保母と幼稚園教諭の資格を取るという生活で、午後9時に授業が終わって、ピアノの練習、バドミントンのサークル、そしてお風呂屋さんへ10時半頃駆け込み、本当に枕に頭が着くともう眠っているという毎日でした。それでも日曜日は、毎日顔をあわせる園長が教会でメッセージなので、もちろん休むことなく、毎週教会に行っていました。(これは一人暮らしの条件として両親との約束でもあったのです)
しかし、私の気持ちは、神様は信じているけれど、イエス様の十字架は遠い昔の物語のようであり、自分と繋がっている実感がありませんでした。

そんな21歳のある特別集会の夜、イエス様が私たちの罪のために十字架で死なれたことが語られていました。いつもは「またその話か・・・」という気持ちでいるのですが、その時は、心の中で「神様、あなたがわたしを求めておられるのは、わかっています。でも勇気がありません。K先生を遣わしてくださったら、私は前へ踏み出します。」と祈ってみました。
すると、離れた所にいたK先生が、私の隣に来ていて「私と一緒にお祈りしませんか?」と声をかけてくださいました。
「神様は私の祈りを聞いてくださっている!!」と心が打たれ、素直な心でK先生から話を聞きました。そして、私の罪のためにイエス様が十字架で死なれたこと、私の罪が赦されたということを信じることができました。
その時、与えられたのは、ヨハネによる福音書15章4-5節の
「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。もし、人がわたしにつながっており、わたしが、その人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」との御言葉でした。

神様はなんと気が長いお方でしょう。21年もわたしがしっかり神様に向き合うのを待っていてくださったのです。
それまで神様は私にとって、いつも見られている、厳しい、息苦しい存在でした。でも、それからは、赦された、愛されている喜びでいっぱいになりました。

神様が私を新しくしてくださったのです。

今、私は教会学校の教師の一人に加えて頂いています。子供たちに聖書が語られ、御言葉を暗唱しているのを見ながら、今、まかれているこの種が、いつ、この子たちの人生で花を開くのかと思うと、希望でいっぱい、うれしくなります。

テモテへの第2の手紙3:15
「幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。」

神様は生きておられ、豊かに私たち一人一人に働きかけ、日々、つくり変えてくださることに感謝しつつ、神様と共に歩んでいきたいと思います。

月報2007年11月号より