「父が日本人、母がスペイン人。僕が生まれたのはイタリアです。…」

父が日本人、母がスペイン人。僕が生まれたのはイタリアです。

それからの20年間の間に、ドイツ、フランス、日本、スペイン、イギリス、アメリカなどに暮らしてきました。ある国の常識はこの国の非常識。違う国には違う文化、違う価値観があること。僕が受けたレッスンでした。モ違うモと言う事に僕は虫歯のように敏感だと思います。例えば、子供の時の僕は外人である事をとても嫌いました。毎日、外見だけで違う目で見られるのが大嫌いでした。それに我慢が出来なくて、日本にいた時に母に酷い事を言った事を今でも後悔してます。

でも文化が違っても、人にはあるモ変わらないモ共通点があると気づきました。

人は人の心を求めると思います。
感謝して感謝されないと心が満たされないと思います。
言葉や文化の常識を超えるようなレベルの心のつながりを人は同じ国でさえ求めてると思います。

どの信仰でも人を幸せにするためにある物だと思います。
どの信仰でも心のつながりを大切にしてると思います。
クリスチャンになることを選ぶ前も後も今でもそう思ってます。

でも一ヶ月前まではそれは神様を信じる理由にはなりませんでした。

信じるキッカケ。

ある日。

NJにある日本人教会の錦織先生に出会う機会がありました。

“信仰のことをどう思ってる?”と先生に聞かれました。

それをキッカケにNJに戻る度に先生のご家族と共に話をしていきました。

“変わる物と変わらないもの。”

いつかこの話をされた時に、

今の家庭関係、今の健康、今の所有物、今の友達関係、今の仕事の夢、今の人の愛、

これら全てに自分の幸せが乗っている事に気づきました。
変わったらどうなるでしょう?想像は大体できます。悪い方に。

自分の人生とクリスチャンのことをもっと真剣に考えるキッカケになった一つです。

変わらない物の中に、モ死モがあります。
“人生の究極である死を明日直面するとしたらどうする?”
これはお父さんから聞かれた事です。

家族にも助けてもらえない。
健康は死に向かって走る。
所有物の何が助けてくれるでしょう。
友達の誰が救ってくれるでしょう。
仕事の夢は。。?

必ず来る人生の最後。何がどうやって想像できない虚しさ、絶望や孤独を癒してくれるのでしょう。
この会話で命拾いをしたのかもしれません。
変わらない物に神様がいるのかもしれない。。

洗礼を受けたのは、その話を聞いた一週間後です。
メ今、生き方を変えたい。。。じゃないと。モと思ったからです。

神様が僕にどんなことをしてくださったのかは正直、今でもわかりません。
でも少なくとも根本的に人生の価値観と優先順位を考え直させるものが僕の中にあると思います。

違う国の文化や言葉、考え、宗教、マイノリティーの人達、友達や家族、
僕はクリスチャンになって、もっと人と人との心のつながりを今まで以上に大切にしたいと思ってます。

最後に洗礼に導かれたことに、僕はどうしても感謝したい事があります。それは母さんと父さんとバアちゃんです。僕がクリスチャ ンにならなくても、酷い事を言ってもずっと愛してくれると感じているからです。それだけは変わらない気がしてたまらないです。彼らみたいになりたいからキリスト教に興味を持ち続けられたと思って います。

そういう人達を僕の周りに置いてくれたのが神様なのかも知れませんね。

月報2010年2月号より

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