1992年10月10日、私の海外生活が始まった日でした。それまで海外に行ったこともなく、飛行機に乗るのも初めてでした。最初の勤務地はオーストリアのウィーンでした。
ウィーンには92年10月から97年12月まで約5年間滞在しました。もちろん、会社の命でのことで、特に希望してこの地を選んだのでもありませんでした。赴任当初2年半ほどはただ海外での生活と仕事に慣れるために必死で、知らぬ間に歳月が過ぎていった感じでした。妻も3ヶ月、2歳半、3歳の3人の子育てと言葉のわからない中での生活は大変でした。
95年になると、会社に私を含め3人いた日本人が続けて2人減員され、私一人で現地会社に取り残される状況となりました。これには、私もまいってしまいました。そんな頃、妻はウィーンの日本人教会に集うようになりました。妻は私と結婚する前からクリスチャンであり、ノンクリスチャンである私との結婚には大きな障害がありました。その為に一時的に信仰から離れる状況にたたされていました。彼女の信仰を回復させる機会にめぐりあったのでした。ウィーン教会の石川牧師夫妻を通して神によって完全に回復させられたのでした。私はこのような妻の心の動きに当初は気が付きませんでしたが、石川牧師の誘いにより度々土曜日の午後に牧師宅にて聖書の学びをする様になりました。また、日曜日の午後にはウィーン日本語キリスト教会の礼拝にも出席する機会を持つ様になりました。
しかし、会社生活しかなかった私にはその内容はなかなか入り込めないものでしたが、家族と一緒に礼拝には行く事にしました。そのうちに神の愛と恵みにより、私が生かされていること、その支えがイエス・キリストであることが家族や会社の人々・仕事を通してわかるようになりました。
そんな生活をしている内に、突然、神は私に次なる海外生活をドイツ・ハンブルクに移されました。ハンブルクでも神は私と家族にハンブルク日本人教会をお与え下さり、その地で98年11月に当時の牧師、メッツガー牧師から受洗することになりました。涙が出ました。ハンブルクは兄弟姉妹の少ない教会ですが、現在では河村牧師を中心に神の愛に満たされています。今年の夏にはヨーロッパキリスト者の集いの主催教会として、神の力により成功されたと聞いています。
私たちの海外生活も10年を越えた2003年夏になると、もうそろそろ日本への帰国になるだろうと考えていたのですが、神はまたも、次なる海外生活を米国に与え11月には当地へ異動しました。米国は会社にとっては世界中で最も重要な拠点で、何も力を持たない私などでは勤まらないと思うのですが、今は自分が仕事をしているのではなく、すべてが神様により与えられ、時間が過ぎているという不思議な状態です。いまこそ聖書によって、信仰によって生かされなければならない試練の時期だと思って、日々祈っています。人生は聖書の言葉と信仰です。その中で神により人は生かされています。感謝です。
ニュージャージーの日本語教会は大きな教会で、私にとってそれまで経験した海外の教会とは異なり、兄弟姉妹の年齢のバランスも良く、組織だった働きのできるもので非常に安心できます。

『あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。』
ヨハネの福音書 5章39節

環境の大きく変わる海外での生活には人生観の変化があります。これから、神は何を私にされるのか、私には分りませんが、これからもただ神を信じる事で身を委ねるのみです
妻とのめぐりあわせ、ウィーンとのめぐりあわせ、石川牧師、メッツガー牧師とのめぐりあわせ、これらひとつひとつが別々のものでないことには驚きを感じます。すべてが繋がっているのです。
更に、これが予想もしていなかったドイツでの受洗、そして米国での今日と繋がっているのです。私自身、海外生活を始める前にこんな事があるとは到底考えてもみなかった事です。神の働きです。

月報2004年9月号より