12月初めに行われた洗礼式は印象深いものでした。ともに喜びにあづかりつつ、自分の洗礼式のことを思い出していました。また、ひとつひとつのキャンドルに灯りをともすことから始められたクリスマス礼拝では、心静められ、深い祈りへと導かれて恵みの時を過ごしました。主イエスキリストの誕生、罪の自分が主の十字架のあがないによって赦され、生まれ変わる死と再生の神の奥義をあらためて深く味わいました。今こうしてアメリカの地においても、礼拝をともにする信仰の友に支えられ、平安の内に暮らせる幸いを心から感謝しています。

15年前、私は家族とともに初めての海外生活をブラジル・サンパウロで送っていました。日本から遠く離れ、異文化の地で受けたカルチャーショックの数々は、当たり前と思っていた私の常識をひっくり返し、立つべき基盤を持たない自分に直面しました。青く広がる空と地平線まで続く赤い大地を見ていると、限りなく自分が小さくされ、「なぜここにいるのだろう?私はだれ?」と問わずにはいられませんでした。

ブラジル滞在3年目、思いがけず目の病を得て、失明の危機に陥り、結核の闘病生活を半年送りました。肉体的にも精神的にも闇の中に落とされて、自分の無力さと弱さを味わい、深く内省する時を与えられたことが神を知るきっかけとなりました。私の目となり手足となって支えてくれた友人達の中に、かたわらで祈り、集会へと誘い出してくれたキリスト者の友人夫妻がおりました。温かさに満ちた小さな集会で語られる牧師のみ言葉と賛美は、私の心深くに染み込み、聖書というものがこの私に向かって語られる神のメッセージであることを自然に知りました。闇の中に落とされている私を、神様はみ手の中に捉えてくださったのです。

夫の転勤でブラジルからタイに移り住んで半年後、目の状態が再び悪化しました。悩んだ末、独り日本に帰国し、レーザー手術を受け失明をまぬがれることができました。新しい地に慣れることで必死だった私は、神様のことなどすっかり忘れていましたのに、「神様の守りの中にいる」ことを強く感ぜずにはいられませんでした。すべてが備えられていたのです。「祈りは時空を超えてきかれる。タイにもキリスト者の仲間がいるはずだから..。」と言って送り出してくれた牧師の顔が思い出されました。そしてバンコク日本語キリスト教会の輪の中に加えていただきました。

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」 ヨハネ8章12節

このみ言葉に出会った時の嬉しさに導かれ、1991年、スラム伝道に身を奉げる山口譲牧師より洗礼を受けました。この時の平安と喜びは今も忘れられません。

私はタイのスラムや辺境に住む人々との出会いを通じて、この世のすさまじい人間の欲望と罪が、これらの人々に不条理におそいかかっている現実を目の当たりにしてきました。しかし、ここにも神の福音が届けられているのです。厳しい生活を互いに支えあい、主を賛美し礼拝するその姿に、わが身の貧しさがあぶりだされ、悔い改めを迫られ、何度も信仰の原点に引き戻されました。

神様は私達がどんな状態のときでも招いていてくださり、ご自身のものとして愛してくださいました。この愛に励まされながら、神の祝福の内に置かれた幸いを心から信じ、皆様とともに歩んでいきたいと願っています。

月報2001年2月号より