「私がニュージャージー日本語教会に行くようになったのは…」

私がニュージャージー日本語教会に行くようになったのは、2008年の夏。そして、2010年の8月22日に受洗の恵みをいただきました。
私が洗礼を受けるまでの2年間、主日礼拝は一週間の心の汚れをクレンジングし、リセット し、新たに始まる一週間へのエネルギーを頂いてはいましたが、洗礼を受けることは、実はかなり抵抗がありました。そこには、私が乗り越えるのが困難だったハードルが2つありました。
一つ目は、『冠婚葬祭のこと』 私の実家は神道。私が小学校に上がって間もない頃、高校に入学したばかりの年の離れた姉が白血病で亡くなりました。神道では、亡くなればみんな神様になって私たち家族を守ってくれるのだ。と母から聞いていましたので、私はそういうものだと思っていました。毎晩必ず寝る前に神棚の前で手を合わせ、祝詞(聖書のみ言葉のようなもの)を唱えてから床についていました。そして、神様は、亡くなった家族やご先祖様だけでなく、太陽や大地、海、山等々自然も含まれ、いっぱいあちらこちらに大勢いるものだと何の疑いもなくそう思っていました。その結果、すべてのものに感謝し神様を受け入れることは、何の疑いも抵抗もなく自然に培われたように思います。
話は?し飛びますが、私がキリスト教に興味を持つようになったきっかけはマザー・テレサでした。何かのTV番組で観たのですが、マザー・テレサが行き倒れて死に行く人の最後を看取る時、その人が信じている宗教を尊重し、クリスチャンなら聖書を、イスラム教徒ならコーランを、ヒンズー教徒には聖典を読んで見送るというのに深く感動しました。 が、教会に来るようになって、神棚も仏壇もだめ、冠婚葬祭で故人の宗教の流儀に合わせない、初詣もしない。というのを知ってかなり疑問に思いました。その人をそのまま受け入れるものが愛であり尊敬ではないの?亡くなった姉や祖父母は偶像ではなく家族であり、生きているか死んでいるかの違いはあっても、自分の家族を思う気持ちは同じ。亡くなった後でも、話しかけたり大変なときに相談したり甘えたりすることを、偶像礼拝の中に含められるのはおかしいと思いましたし、信じている家族の気持ちを思いやる必要はないの?とも思い、なんと視野の狭い、器の小さい宗教だと、その時は感じました。そして、もし私が親戚のお葬式や法事に出ない、死者へ手を合わせなかった場合、母は確実に私をただでは済ませないだろうな。と思っていました。
2つ目は、『なぜ神様と私だけの関係ではだめなの?』 今思えば、勝手に作り上げた完璧なクリスチャンの理想像に対する失望でした。クリスチャンでない私でも、いくつかの聖書のみ言葉は知っていましたし、クリスチャン=敬虔な人だと思っていました。多分、キリスト教や聖書をちゃんと学んだことのない人は、きっと私と同じように思っている人は結構いると思います。あまりにも崇高な聖書の言葉が独り歩きし、そのように生き、実行しているのがクリスチャンだと勝手に思っていたので、人に躓きました。 『人を見ないで神様だけをみて。』と言われても見るのが人間であり、『あの?、人である私を見てるのはクリスチャンの方なんですけど、クリスチャンでない私が言われるんですか?』と思ったこともありました。今思えば不謹慎ですが、『とても良い人なのに神様を知らないだけで地獄に行き、自己中でもクリスチャンになっただけで赦され天国に行くの?天国にはクリスチャンばっかりウジャウジャいるんだったら、地獄の方が楽しくていいかも。』とさえ言い放ち、申し訳ないですが錦織先生を唸ならせ椅子から転げ落ちそうにしてしまったこともありました。ビジターの方が自由で気負いがなく、真面目さゆえに人を責めたり妬んだりする人からのリスクを回避するためにも、このまま神様と私だけの関係だけでいいと思っていました。なんと理屈っぽい、素直じゃないと言われそうですが、私が心から洗礼を受けたいと願い、神様を心から信じ従おうと思えなければ、形だけ知識だけのクリスチャンになりそうで、それでは意味がないと思っていたのも事実でした。
では、何故そんな私が、洗礼を受けたか?というと…、勢いでした。色々問題を抱えていた私は、疲れて考えるのが面倒になり、洗礼を受けたら祝福や恵みや神様の御業を見せてもらえるかも、何かが変わるかもと甘い期待をしていました。また、確固たる基準(経験や状況、感情、人によってころころ変わる基準ではない、不変の基準)を心から求めていました。が、洗礼を受けた後、甘い期待とは正反対の体験、それは2008年9月に東海岸合同キャンプで講師で来られていた中川先生のお言葉を思い出すような体験をすることになりました。
『クリスチャンになって良いことがいっぱいあって楽になったというより、問題が増えて大変な経験をしたと思う人、手を上げて。』大勢の人が手を挙げていました。その時の私は、宗教とは現世利益を得るもので、苦しみや試練が増えるようなら本末転倒。なんでわざわざ試練を受けるために洗礼を受けてクリスチャンになるわけ?と思っていたことを、後になって思い出しました。そして、中川先生がおっしゃった通り、さらに私の問題の状況は悪化してゆきました。生きていくということは、こんなにも虚しく世知辛いものなのか、なんと愛のない人の中で生きていくことなのかという思いの中にいました。ある時は、全ての人の記憶から私の存在を消したいとさえ思っていました。教会の人の記憶からは私が教会に来ていることも洗礼を受けたことも、職場でもプライベートでも私が関わる全ての人の記憶の中から、そして、特に母からは私を生んだことの記憶さえ消し、こんな娘はいなかったと忘れさせることができたらどんなに楽だろうかと。。
しかし、そのような経験も多くの祈りと励ましをいただく中で、?しずつ霊的に目を開かされ、人に傷つき人に生かされ、成長することをことを体験させていただきました。2週に亘っての錦織先生の礼拝のメッセージ『キリストによる新しい共同体(1/16)』『赦し合いの共同体(1/23)』で、私たちは一人で生きていくためでなく、互いに支え赦しあって生きるために神様は私たちを作られた。『赦しあうこと』を学ぶことが目的だったと語られました。それが目的だと分かった今、その為に共同体に招き入れられ、『なぜ神様と私だけの関係ではだめなの?』の答えが、やっと胸の中にストンと落ちたようでした。
それでも人を愛せない、赦せないのが人間で、理解と行動を一致させ簡単に実行できるわけではありません。信頼する、信頼されることの大切さや喜びも学んだ一方、人と信頼関係を築くには、「時間、約束、お金」に誠実でなけば、簡単に崩壊してしまうことも感じました。そして、一度崩壊した関係は、簡単には修復できない難しさも感じています。しかし、本当に自分の罪がキリストの十字架で赦されたと理屈ではなく心で実感できたなら、きっと他人のことは小さくなるのだろうと思っています。
教会図書で借りたある本の中の『はじめに』に書かれていた箇所からで、今でも心に響き残っているものですが、それは著者である牧師が、牧師として一番苦しかった時は?の質問に答えられた文章でした。 『一度でいい、自分は悪くない、君が悪いんだ。』と言いたかった。と書かれていたある牧師の文章に対し深い感銘を受けた。事実を捻じ曲げ捏造され、事実無根のことで責められるとき、人の罪を負うというのはこういうことなのか、そして、全ての人の罪を負ってくださったイエス様の苦しさを計り知る。 そのような内容でした。正当な評価を受けられないことの悔しさ、事実を捻じ曲げられることの苦しさをも受け入れ、そこにキリストの十字架の赦しに心馳せることは霊的成熟がなければできないと思いました。私は、キリストの十字架を本当に私のためのものだったとまだ実感できていないのですが、それでも?しずつ導かれていることに感謝しています。そして、神様からのたくさんの愛を頂き、いつか霊的な心の背丈が伸びた時できるのかな。そうなりたいな。と期待しています。
私たちはみんな『神様の作品』。自分の限界を知り、与えられた賜物を大切にし、それを活かして神様の品性に近づく者とさせていただきたいと思います。できない自分を駄目なんだと卑屈になることなく、できる自分を自分の力だと奢り傲慢になることもなく、今年の聖句である『主イエス.キリストの十字架』を唯一の誇として、そして神の知恵を不変の基準として歩んで行けるようにと思います。洗礼を受けた日の夜、この先神様を信じられないようなことが起こったとしても、私は信じることを自分の意思で選択したのだから、感情ではなく理性をもって信じていこうと思いました。

<2011年の聖句>
私自身には、私たちの主イエス.キリストの十字架以外に、誇りとするものは、断じてあってはならない。ガラテヤ6:14
これから神様がどのように私を導き、整え、私だけにカスタマイズされた計画の中で使っていただけるのか、今から楽しみです。

月報2011年2月号より

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