「私は、小さいときは 神さまや…」

私は、小さいときは 神さまやイェスさまのことを何もしりませんでした。
クリスマスが イェスさまのたんじょうびだということもしりませんでした。クリスマスはサンタさんがプレゼントをもってきてくれる日とおもっていました。

5年前にアメリカにきて、おともだちにさそわれて、 たまにきょうかいに来るようになりました。でも、きょうかいがなにかはしらずに、きょうかい学校やJoy Joy キャンプに来ていました。れいはいのときも、まだgymであそんでいたので、 うえでみんながなにをしてるか、ぜんぜんしりませんでした。

2年前 に、お母さん がなくなってから、 きゅうにきょうかいの人たちとなかよくなって、はじめて「しゅうようかい」に行きました。しゅうようかいのときも、子どもはほとんどあそんでいたので、イェスさまのことはあまりわかりませんでしたが、とてもたのしかったので、また行きたいとおもいました。

それからまいしゅうきょうかいに行きはじめました。さいしょはなにもわからなかったけど、 行っている間に、みことばをならったり、イェスさまのことをすこしづつおしえてもらいました。
アメリカの きょうかいの ユース グループ にいきはじめて、そこのしゅうようかいにも行って、せいしょのお話をきいて、神さまが人間をつくったことなどをおしえてもらいました。

それから2年たって2002年のしゅうようかいに行ったとき、イェスさまについて行こうと思いました。このしゅうようかいでお話ししてくれた、くりす先生が
「イェスさまは わたしたちみたいな 人間 だった。」 って 言ったとき、
それから、「イェスさまが じゅうじかの上にいるとき、どんなにせなかが、すれていたかったか」 っていったときに、じぶんがいたいような気がして、どんなにイェスさまはいたかっただろうかと思って、すごく自分が つみびとだなってかんじました。
そして、それまでもイェスさまのことをもうしんじているけど、今、ちゃんとに神さまに、「しんじている」と、おいのりをして、きもちをつたえようとかんじて、せんれいをうけることをきめました。

その、しゅうようかい のちょっと まえ、ともだちから、あるしつもんをきかれました。
そのとき、じぶんの答えを secret にしたかったから、うその答えを言ってしまいました。
そのときは、べつにへいきだったけど、後になって、すごく guilty に思えました。
つぎの日、ともだちに学校であやまって、ほんとうのことを言いました。そのともだちは、ゆるしてくれました。
でも、あやまるときはとってもゆうき が ひつようでした。でも、あやまって本とうのことを言って、とてもきもちがあんしんしました。

もし、イェスさまが、わたしたちのために、じゅうじかにかかってくださったことをしらなかったら、うそを答えたことにあまり大きなguiltをかんじないで、さいごまで本とうのことを言わず、その子にはあやまらず、すこしたってわすれていたかもしれません。でも、イェスさまのことをかんがえると、とてもわるいことをしたんだなって思って、ゆうきを出してほんとうのことが言えました。
あやまってから、わたしの中で、もう、うそはつかない ようにしようときめました。

2002年12月 15日に、せんれいをうけました。

せんれいを うけた後、クリスチャンでないおともだちに、神さまや、イェスさまのことをつたえたい というきもち が大きくなりました。
わたしは 、おともだちに 神さまがいつもいっしょにいてくれることとか、せかいを作ってくれたのは神さまだとか、神さまはまちがえをしてない、とかをしってもらいたかったから、ほかのともだちがこういうことを しゃべっているときは、じぶんもいっしょにつたえたいと思うことがとてもおおくなりました。おともだちにまず 神さまをしってもらいたいとおもってます。

「しかし、かれをうけいれたもの、すなわち、その名をしんじた人々には、かれは神の子となる力をあたえたのである。」ヨハネによるふくいんしょ、第1章12節

イェスさまにかんしゃします。

月報2003年3月号より

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