私は3人きょうだいの長女で、両親や祖父母に大事にされて育ちました。小学校5年生の時、父親の兄に会いました。東京の音大を出た伯父はクリスチャンで、九州のミッションスクールに転任になるのでお別れにと、父が私たちを連れて会いに行きました。「それでは元気で、さようなら。」と別れたことを覚えていますが、その後一度も会ったことはありません。その伯父の勧めで父は私と妹をカトリックの日曜学校に通わせ、自分も聖書を読むようになったようです。その頃よく訪ねてきたエホバの証人の人たちと議論をしていましたが、自分が教会に行くことはありませんでした。私と妹は2年ほど教会に通いましたが、中学生になると足が遠のき、いつか行かなくなりました。でもその教会での思い出はいつも懐かしく、時々こっそり前を通ったりしていました。
結婚してコロラドに住んでいたとき、夫の同僚から、自分の行っている教会のクワイヤーが伴奏者を募集しているのでやってみたら、と勧められて、オーディションを受けたのですが、「私はクリスチャンではありません、家は仏教です。」と言いました。後日採用の知らせがあった時も、「クリスチャンではないけど良いのですか?」とたずねたところ、「良いです。」と言われて、「へえ~」と思いました。お金をいただいて、週一度の練習と礼拝に出ているうちに、子供の頃通った教会で聞いたお話を思い出して、「ああ、そうだそうだ。こんなこと聞いた。」と懐かしく思いながら、毎週の礼拝を楽しみにしていました。皆に温かく接してもらい、女性の祈りのグループや教会のいろいろな行事に出席するうち、私もこの教会の一員になりたいと思うようになりました。居心地がとてもよかったのです。私に子供が与えられるようにと祈ってくれた友達のことも忘れられません。9年間子供がなかったのに与えられ、皆にお祝いしてもらいました。教会での幼児洗礼式を見て、自分の子にも洗礼を受けさせたいと思い、牧師先生に相談したら、「あなたも一緒に洗礼をうけたら?」と言われました。夫に言うと、「いいよ。」とあっさり承諾してくれたので、驚きました。でも、少し不安があったので、「私に従いたいと願うなら家族を捨てて云々・・・とあるけれど、私には捨てられません。」と牧師先生に言うと、癒されてイエスについていきたいと言った男に、家族のところに帰るように、とイエスが言われた、ということを話してくださいました。そして、私を通して家族が救われる、と言われたのです。とにかくその時はまだ聖書の学びもしておらず断片的な知識しかなかったので、「救い」の意味も良く分からず、友人が「I am so happy! You will be saved!!」と言ったのを聞いて、「Saved? Yeahノ,I think soノ」と答えたのを思い出します。
夫の仕事で日本に戻る日が近づいていたので、ろくに受洗前の学びもせずに洗礼式となりました。教会のたくさんの人に祝福されて、夫もその日は教会に来てくれて、喜びの中で洗礼を受けましたが、次の週には、「クリスチャンが1%しかいないという日本に直子を送り出します。直子のために皆で祈りましょう。」と言ってみんなに送られて日本に戻りました。
アメリカから移り住んだ山形には親戚知人が誰もいなくて、6ヶ月の子供を抱え、心細い思いをしていました。その頃モルモン教の人たちがいつも自転車で街を走り家々を訪問しており、うちにも若いアメリカ人や日本人が伝道に来ました。彼らと話しているうちに「やっぱり教会に行かなくちゃ。」と思ったのです。私が導かれたのはウェスレアンホーリネス山形南部教会、ちょうど同じような年代の子供を持つ人たちが何人かいて居心地が良く、娘とふたりで13年間お世話になりました。そこで受洗後の学びをし、勉強会や祈祷会などを通してイエス・キリストのことが少しずつ分かるようになりました。あまり熱心に学んだわけでもなく、ゆっくり少しずつ、時には抵抗も感じたり疑問を持ったり、ほかの事を優先したくなったり、本当にのろのろとした歩みではありますが、背中を押されたり手を引かれたりしながらここまで来ました。
山形での13年間は、子どもを通しての恵みと自分の音楽の仕事での恵みがたくさんありました。自宅でピアノを教えるほか、娘の通ったキリスト教の幼稚園のお母さんコーラスの指導や伴奏、教会での奏楽の奉仕と特別伝道集会でのコンサート、そのほかいろいろなところで音楽を通しての奉仕をさせていただけたのがとても祝福でした。もうひとつ私が10年間続けた活動がありますが、いくつもの国の紛争や内戦を生き抜いている人たちを映像と音楽で紹介するというNGOグループのコンサートでした。初めは山形近辺、東北地方、そして関東に足を伸ばし、もっと遠くの地域まで活動範囲を広げていきました。学校やPTA、公民館や県の国際交流課などの企画で呼ばれ、いろいろなところでコンサートをしました。とても良い内容でやりがいのあることのように思え、楽しくてやっていたのですが、その活動がだんだん忙しくなり、遠くまで出かけて泊まりになったり帰りが夜中になったり、仕事が日曜日にまで入るようになって、礼拝に出るのが難しいときもありました。礼拝に出ても後奏を弾き終えるとすぐ飛びだして行ったり、奏楽が義務のように感じられてきました。毎日忙しく活躍してすごいね、とひとに言われてそれが嬉しい反面、忙しさで気持ちががさがさしていました。そんな時、牧師先生に、「日曜日は礼拝に出る、仕事は入れない、ということにしたらいいですよ。はっきりそう決めたらかえってうまくいきますよ。」と言われました。いつの間にか高慢になって、神様より自己満足のための活動を優先しようとしていた自分の心を示されて、「そうか。そうしてみよう。」と思い、「日曜日は教会に行くので仕事は入れられません。」と言うことができました。するとすんなりとそれは認められて、何も心配することはなかったようにうまくいきました。ところが今度は別の、人間関係の難しい問題が出てきました。良い目的でやっているはずなのに、世の中何が正しいのか何が普通なのか、私がおかしいのか、と信じられなくなってしまうことがいくつかあり、神経の磨り減る思いをするようになりました。それでも続けていたのは、ステージに立つ楽しさと、自分がここまで作り上げてきたのに、という執着でした。もういよいよ耐えられないと思うようになった頃、NGO団体の内部の問題が表面化してごたごたが起こり、何人かがやめ、私もやめる決心ができました。いくら良いことのように見えても、人間の思いによるものでは限界があると思い知らされた出来事です。それからはピアノ教室も心を込めて教える余裕ができ、幼稚園のお母さんコーラスで賛美歌を教えるのが本当に楽しく、教会の奏楽も感謝してできるようになり、さらに牧師先生たちの宣教グループの事務の仕事までいただいて、精神的にも経済的にも恵まれました。クリスチャンになるにもドンと背中を押されるようにして洗礼を受けてスタートを切ったようなものだし、自分の信仰にも自信のない私が教会にずっとつながっていられたのは奏楽の奉仕と教会学校に行きたがった娘のおかげですが、それによっていただいた祝福は計り知れません。そして牧師先生方や教会の人たちによる祈りに支えられてきたことを思い、本当に感謝です。
ニュージャージーに来て一年間、教会を離れて心が弱ってくる思いを経験しましたが、この時期があったからこそ、今の教会に集えることの喜びが大きいのかもしれません。今も辛いことや祈りの課題はいろいろあるし、これからもあるでしょうが、神様が最善をなしてくださると信じ、「あなたが私を選んだのではない。私があなたを選んだ。」という御言葉を信じ、神様が私にどんなご計画をお持ちか楽しみにしています。教会につながり、聖書を学んで、恵みとエネルギーをいただきつつ、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」との希望を持って、祈りつつ歩んでいきたいと思います。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:6-7) 心強い御言葉に感謝です。

月報2008年10月号より