「祈りが与えられている恵み」

昨年11月24日、洗礼を受けさせていただきました。洗礼までに導かれた証を書かせていただきましたが、また機会を与えてくださりありがとうございます。

昨年2月信仰告白に導かれ、10月錦織先生に受洗したいと伝え、11月24日洗礼を受けさせていただきました。クリスチャンになって一年になりました。私が、思い描いていた一年後とは現在の状況は大きく異なっていました。COVIDー19が突然現れ、全世界に影響を与えました。多くの方が病に苦しみ、そして亡くなる方の数も私達の想像を遥かに超えました。目に見えないウィルスへの不安、私達の日常生活は大きく変化し、当たり前だったことができなくなったこと、特に家族以外の人と会うことができないことは大きなストレスともなりました。そして、個人的には、日本への本帰国が延期となったことでした。しかし、このような状況下の中で、神様は私に多くのことを気づかせていただき、そして与えてくださいました。感謝です。

洗礼後、私はクリスチャンとして、これから神様とともに歩めることに嬉しさを覚えていました。それと同時に不安も持ち合わせていました。それは、2020年夏に本帰国の予定があったため、日本へ帰国しても教会が見つかるだろうか、このNJにいるときのように信仰生活が守られていけるかなどでした。ですから、本帰国までの間に、イエス様と出会ったこのNJの地で、兄弟姉妹との交わりや、スモールグループでの学び、また私にとってチャレンジでしたが、聖歌隊やハンドベルなどのご奉仕を通して、クリスチャンとしての歩みを学べる機会を増やしていけたらと考えていました。

しかし、3月、COVIDー19で私達の生活は突然変化しました。No school、Stay home。買い物へ行くにも大変な状況になってしまいました。そして、教会もオンライン礼拝、スモールグループもZoomとなり、何もかも初めてのことで戸惑い、不安を抱える毎日となりました。私は本帰国までにクリスチャンとして色々なことを学びたい気持ちでしたので、このような状況になり、どのように歩めばよいかわからなくなりました。

Zoomを通して、以前より参加していた子育て中のお母さんたちのスモールグループであるJoy Joy奥様会やRidgewood聖書を読む会などに続けて参加し、神様の御言葉より力をいただき、Joy Joy奥様会で皆さんと共に祈りを続けていましたが、なかなかCOVIDー19の状況は良くならず悲しいニュースばかりの毎日に、私の心が落ち着くことはありませんでした。しかし、皆さんと共に祈りをささげているときは、神様から平安を与えられ、祈りがもつ力を改めて思わされました。私は、毎週木曜日、朝晩祈祷会が行われているのを知り、参加したい思いがあるものの、なかなか参加することができませんでした。それは、祈ることが苦手で、Joy Joy奥様会など知っている方たちの中でやっと祈ることができる私にとって、お会いしたことのない方たちの中で、祈ることは難しいと感じたからです。家族以外の誰とも会うことのできない毎日、一日中家族が家にいることで家事も増え、自分の時間をとることが難しくなり、日に日に少しずつストレスを感じていく自分がいました。この状況の中で平安を与えてくださる方はただ一人、私が信じている、主である神様で、祈りが苦手でもいい、どうしてもこの祈祷会に参加をしたいと強く思いました。この思いが強くなったのは、聖霊様が働いてくださり、導いてくださったからだと思います。そして、この祈祷会を通して、神様は多くのことを私に教え、気づかせて下さり、力を与え、平安を与え、慰め、助けを与えてくださいました。

絶えず祈りなさい。(第一テサロニケ 5:17)

  あらためて、私達クリスチャンには、祈りがあたえられていること、そして、祈りを聞いてくださる方、神様がわたしたちと共にいてくださることに、感謝を覚えました。

そして、共に祈る兄弟姉妹を与えてくださったことも、神様からいただいた恵みでした。参加する前は、お会いしたことのない方たちやお話しをしたことのない方たちと、ともに祈ることが、私にはできるだろうかと不安でしたが、なかなか人と会えない中で、オンラインを用いて、遠くに住んでいる方たちや普段お話しをしたことのない方たちと交わる機会、祈る機会を与えてくださいました。

祈ることが苦手な私に、神様はCOVIDー19という厳しい状況下を用いて、祈祷会に参加するように招いてくださいました。そして、この祈祷会を通して、ゆっくりゆっくりと私の歩幅に合わせて神様は私を洗礼まで導いてくださったように、祈りについて…神様はゆっくりゆっくりと今も私に教えて下さっています。祈りとは、神様との対話、神様との親しい交わりであり、そして、神様は特に私に足らなかった、とりなしの祈りについて教えて下さいました。今までの私は、自分の願い、思いを中心にお祈りをしていました。祈祷会で、創世記を皆さんと読みすすめている中で、創世記18章の、ソドムとゴモラのために、神様の前に立ち、熱心に神様と向き合う、アブラハムのとりなしの祈りをする姿に思わされました。

創世記28章で、ヤコブは、父イサクから祝福を受け、母リベカの兄ラバンのところへ向かう旅を始めました。しかし、ヤコブは旅の途中、不安を覚えているところに、神様はヤコブに「わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守る。」と語ってくださり、ヤコブは「私はそれを知らなかった。」と応える姿に思わされました。私は日本での信仰の歩みに関して、先が見えない不安ばかりに目を向けている自分であることに気付かされました。この聖書の箇所から、弱さや困難を覚えているとき、私達は神様がそばにいて下さっていることに気づくことができないことがあり、そのような時、神様は私達の前にあらわれ、力強い言葉を語りかけてくたさる方で、主は、私がどこに行っても、守ってくださり、信仰が歩める場所に導いてくださる方、

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5)

神様に目を向けること、そして、神様を信頼し、神様に委ねることを、祈祷会を通して、あらためて教えていただきました。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いを、キリスト·イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)

私の大好きな御言葉です。神様に感謝を持って祈りと願いをささげる。このCOVID-19が落ち着いたあと、神様は今までとは違う新しい道を作ってくださることを期待し、神様の御心を尋ね、神様に委ね、これからもゆっくりゆっくり信仰の歩みをすすめていけたらと思います。

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