コロナ禍の中でも恵みを数えて

全世界の人々が同時に経験した患難であるコロナ禍の中で、多くの方々が困難を味わって来ました。こんな事が起こるとは!思いがけない事の中で私達が味わったことはなんでしょうか? 神のみ心を知り、尚深い愛なる神のご計画を知りたいと思っています。

コロナ禍が始まった頃の、不気味な不安、人との交流を絶たれた寂しさ、病気への恐れ、日常の変化の戸惑い、考えたらキリの無い暗闇が押し寄せたものです。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、全ての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。」ピリピ4章6〜7節

コロナ禍の始まる前に、この箇所から錦織先生がメッセージをされました。私はこのみ言葉の「祈り」の言葉の前に「感謝を持って」という言葉がとても気になっていました。
神様が「先ず恵みを数えるのだよ」と言われている気がしました。
詩篇103篇2節の「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」の言葉のように、日常のどんな小さな恵みにも感謝していくことの大切さを示されたのです。コロナ禍の中でも朝目が覚め、立ち上がり、手足が動くだけでも高齢の私には恵みの数々です。そう考えると恵みは溢れていきました。 三年間のコロナ禍でも小さい恵みを数えて行くと、確かに神様は共に居られ、最善を示して下さった事を知るのです。

皆様にも沢山のお祈りをして頂いた叔母が居ました。母の妹です。生涯独身を貫き90歳まで身の回りの事もきちんとし、お洒落も忘れなかったです。正に90歳の誕生日の後にコロナ禍が始まりました。私も誕生日を共にしてギリギリセーフの帰米をしました。今思えば、成田でひどい咳をしているアジア人がいた事を覚えています。

瞬く間に広がっていくCovid-19 の中、娘もマンハッタンでの仕事に不安を感じて、コロナ禍が始まる2年前に娘が購入したコネチカットの家で仕事をする準備を始め、私も一緒に生活することになりました。 娘の仕事の動きが止まり収入が減りましたが、国のサポートを受ける事が出来ました。そして何よりも感謝だった事は、娘は仕事が多忙過ぎて受ける事のできなかった建築の試験勉強を始める事が出来た事です。一年間で5回ほどの試験(一回4~5時間)を無事クリアする事が出来た時はバンザイをさけび、特別に与えられた時間を二人で感謝しました。又共に祈って下さった方々に感謝いたします。

礼拝や祈祷会などの集会にZoomが始まったのも不思議な事です。この方法を持って仲間と励ましあうことで助けられました。コロナ禍にインターネットを通して世界中に神の愛が伝わって行くという神のご計画の凄さを知りました。「何時になったら世界中に福音が伝えられるのか」と思いましたが、正に神には不可能な事がないのですね!

2021年半ばに妹から知らせがあり、何時も明るいメールで元気だと思っていた叔母の心不全が進んでいる事が分かりました。家での生活は無理になりそうなので、私の代わりに妹が施設を探すのに奔走して、家のすぐ近くに良い所を見つけてくれました。私の日本行きの時期を決めるのは難しかったのですが、未だ規制が厳しい11月30日着で日本入国しました。
空港の税関で叔母が危篤のことを伝えると、施設の方と相談するように言われ、施設の方の配慮で、入国3日目の12月3日に叔母と2年ぶりの再会をしました。まだ入国後14日間自宅待機の時です。時間も心配しないでと言われ驚きました。酸素を付けながらでしたがとても喜んで貰えました。次の日も面会して良いということで、12月4日の朝、更に苦しそうでしたが、面会室に来てくれました。 口紅を塗ってあげ、大きな声で笑い合いました。酸素量が殆どMaxになっていました。その夜、食事の後静かに息を引き取ったと連絡があり、駆けつけてまだ温かみの残る叔母に触れ、叔母の人生を守って下さった神様に感謝しました。 看護婦さんが「貴方に会うのを本当に楽しみにしておられましたよ、待っておられたのですね。本当にしっかり生きられた方で、いろいろ教えられました」と言って下さった言葉は、何にもまして叔母の人生を示している気がします。神様に支えられた人でした。

2022年の春、若い友人二人をガンで次々に失いました。あっという間のお別れで、大きな悲しみでした。教会にも来られ福音に耳を傾けた友ですが、確信を受け取れなかったのは心残りの辛いことです。世界中にコロナで家族を失った方がおられます。神がおられるならどうして?と悲しみから立ち直れない方もどれほど多い事でしょうか? 

天地を創造され、始めから最後までを御支配なさっておられる方が「今はわからないが、後でわかるようになる」と言われる時、解決を頂かなくても平安に包まれるからふしぎです。この平安の基なる方を機会を逃さずお伝えしていきたいです。

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなた方が私にあって平安を得るためです。世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。私はすでにこの世に勝ちました」ヨハネ16章33節

患難まで行かなくとも日々問題にぶつかる者ですが、世に勝った方が共に歩いてくださっているのです、感謝です。 短い証の行間にいちいち感謝の言葉は入れませんでしたが、コロナ禍の中でも数えると恵みは溢れます。自分自身を見ると望みも消えゆくような時にも、行いでなく恵みによって贖い出して下さったイエス・キリストの憐れみが、恵みの一つ一つに現れてきます。日常のささいに見える様な恵みを数えながら、与えられた命を歩んで行きたいと願っています。

望みも消えゆくまでに 世の嵐に悩むとき 
数えてみよ主の恵み (汝)なが心はやすきを得ん
数えよ主の恵み 数えよ主の恵み  
数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み(新聖歌172番)

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