説教: 錦織学牧師
聖書箇所 : イザヤ書50章4節〜11節
2014年2月から2017年7月まで、私は会社より派遣されて妻と2人でニューヨークに赴任をしていました。
もともと、海外勤務の希望を出していたこともあり、私自身はニューヨークでの仕事・生活を楽しんでいたのですが、帯同してきた妻は、日本で長年やりがいをもって務めてきた仕事を辞め、知り合いもいないなかで日々を一人で過ごさなくてはいけないという状況でした。
そのような状況の中、ニューヨークでの赴任が1年過ぎたころ突然妻から「ニュージャージーに日本語の教会がある。マンハッタンへの送迎もしてくれるようなので日曜日に教会に行かせてほしい。」と言われました。
自分のやりたいことを通してついてきてもらった妻への申し訳ない気持ちと、せっかくの週末を別々に過ごすこともないだろうという思いから、一緒にニュージャージー日本語キリスト教会に行くことにしました。
妻はもともと、クリスチャンホームに生まれ洗礼を受けておりましたので、礼拝に行くことが普通の生活でありましたが、結婚後は訳あって教会からは離れた生活になっていましたので、礼拝に定期的に参加すること、他のクリスチャンの方と交わりを持つことはニュージャージー日本語キリスト教会が私にとっては初めての経験でした。
それまで、キリスト教、クリスチャンというと(日本人の大半がそうだと思います)よくわからない、特殊な人たちの集まりといったあまりポジティブではないイメージを持っていたのですが、教会の方との交わりを持つ中で、クリスチャンの人々というのは「普通」の人たちであり、否むしろ非常に魅力的で尊敬のできる人々がたくさんいらっしゃることを知りました。私よりも経験を積んだ年上の方、元気いっぱいの10代の若い中高生と世代を超えて1つ同じ価値観を共有して集う時間は他では感じることのできない心地よさがありましたが、特に同年代のクリスチャンの家族との交わりは私の中でキリスト教、クリスチャンに対する印象を大きく変えていきました。たくさんの素晴らしい方々に囲まれながら非常に充実した米国生活をおくることができ、日曜日に教会に通うことが日常になっていきました。
そのような満たされた生活が続いていた2017年、私は社内の大規模なプロジェクトを任され、日本に帰任することとなりました。
帰国後に参加したプロジェクトはすぐに佳境を極め、昼ご飯を食べる時間もろくに取れず、連日終電で帰宅する生活が1年半も続き、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積していきました。
一方で教会生活においては、日本に帰任となった後もニュージャージーで知り合った方々との親交は続き、また日本での教会にも恵まれて引き続き教会につながる生活を送っておりましたが、洗礼を受ける決心はなかなかつかない日々が続いていました。
帰国してから2年目となっていた2019年の2月17日、私は担当していたプロジェクトに関して、役員向けの重要な会議での発表を前にプレッシャーに押しつぶされていました。案件の見積もりは数百億円にもなり、プロジェクトに参加するメンバーは100人を優に超える状況。私のプレゼン次第でこの案件が止まってしまうかもしれないという、18年にわたる社会人生活において経験したことのないプレッシャーの中にあり、初めて誰かに助けてほしいという気持ちでした。
そのような状況だった私に、会議が開始する直前、妻が1通のメッセージを送ってくれました。
「大変な仕事、本当にお疲れ様です。プレゼンうまくいくようにお祈りしてるね。時間があったら、イザヤ41:10開いてみて。God be with you」
すぐにトイレに駆け込み、イザヤ書41章10節を読みました。
“恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。”
この御言葉を読んだ瞬間、それまで疲労とプレッシャーでつぶれたボールのようになっていた私の中に何かが入ってきて、私の心は内側から支えられ、もとのボールの形に戻るような感覚を感じました。
こんなにも力強く、私を励まし支えてくれる神様が妻を通して、本当に必要としているときにその姿を現し私に力を与えてくれたことに、ただただ感謝の思いとともに涙を流しました。
結果、私はプレゼンを無事に終わらせることができ、プロジェクトは無事に先に進めることに関して承認が与えられ、現在はロンドン(ニューヨークの次に経験を積むならロンドンと思っていたので、こちらの願いも聞いていただいた神様はなんと太っ腹なんでしょう)にて、日々発生する問題に対峙しながらも貴重な経験を積ませていただいています。
教会生活としては、1歳の娘を連れて通える教会が多くの方の助け、祈りのもとに与えられたことにも感謝しております。
今回、ニュージャージー日本語キリスト教会にて洗礼を受けるにあたって、多くの方の支え、導き、お祈りがあったことに改めて気が付きました。
ニュージャージー、東京、ロンドンそれぞれの場所で聖書の学びの時間を与えてくださった、錦織先生、福田先生、清水先生。また、同じようにそれぞれの地で交わりを持たせていただいた教会の方々。そして何より、3回の聖書の学びを一緒に受け、日々の生活においては第一ペテロ3:1-2をそのままにそばで支えてくれた妻。
ちょうどうちの子供がヨチヨチ歩き始めたのと同じように、私自身は未熟なクリスチャンですが、ひびだらけの土の器である私からこぼれる神様の光を通して、少しでも周囲の人々に影響を与えられるものとなりたいと思います。
「クリスマスは終わらない」
新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
最後に年末年始を日本で過ごしたのは、もう28年前になりますが、その頃の日本では12月25日には街のクリスマスツリーが一斉に門松に変わったものです。クリスマスが終わると慌てて新年の準備をしていたように記憶しています。今でもそうでしょうか?アメリカにある日本語教会の私たちも、門松は飾りませんが、でも、やはりクリスマスが終わると、慌てて新年の準備をするのは同じかな、と思います。そして、一年を振り返って、新年は新しい気持ちでスタートをします。
しかし、最近思わされるのは、もうちょっとクリスマスの意味を考える時があってもいいのではないか、ということです。こちらの歌で12 Days of Christmasという歌がありますが、それはクリスマスまでの12日間ではなく、クリスマスからの12日間です。1月6日までの12日間です。ですから、今月号でも、もう一回だけクリスマスの話を書きますね。
先月号では(読んでおられない方、忘れてしまった方は、ぜひこちらからご覧ください)、イエスが暗闇を照らす光としてきてくださったことを書きました。キャンドルライトサービスの時もお話ししたように、暗い中、ろうそくを灯すのは、その雰囲気を味わうためではなく、暗闇の中にこられた光であるイエスのことを表すためなのです。
その時に、一人一人がろうそくを持って、火を隣の人から受け取って、また隣の人に回すようにしていただきましたが、それは、イエスの光を私たちが受け取って、また隣の人に受け渡していく、その使命をいただいていることを表しています。イエスは言われました。
「あなたがたは、世の光である。」マタイ5:14
イエスが光としてこの世に来てくださっただけではなく、私たちがその光を受けて、そのともしびを受け取って、今度は周りの人々に手渡していくのです。広げていくのです。あのイブのキャンドルライトサービスの時、一つ一つのともしびの光は小さくても、皆さんに受け渡していったときに、会場全体が明るくなったように、私たちの持っている光は小さくても、それを周りの人々に受け渡していく時に、この世を明るく照らすことができるのです。そういう意味では、クリスマスの日に起こったことは、クリスマスが終わったら、おしまいではなく、続いていくのです。クリスマスは終わらないのです。
教会ではいつでも皆さんを歓迎します。イブだけではなく、新年も、そして、特別な日だけではなく、いつでも、皆さんを歓迎します。ぜひこのともしびのリレーに加わってください!
12月、いよいよクリスマスがやってきますね。
クリスマスは、イエス・キリストの誕生をお祝いする日ですから、教会では、ここぞ、とばかりに力を入れて、多くの皆さんにおいでいただけるようにと準備をしてお待ちしています。
みなさん、クリスマスというと何が思い浮かびますか?
最近の私は、クリスマスというとイルミネーション、という感じになっています。
毎年、クリスマスの時に、家族や友人とどこか行こうか、となると、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーをはじめ、マンハッタンのあちらこちらでイルミネーションを楽しみ、ブルックリンの Dyker Heightsに繰り出しています。
ふと考えたのですが、もしもこのクリスマスの時期、イルミネーションがなくなってしまったら、どうなるのでしょうか?NYでのクリスマスは、寒くて日が短くて、何か魅力があるだろうか、そう思うほどです。そして、もしも、本当に停電とかで、真っ暗になってしまったら、どうなってしまうんだろうかと。
ニュージャージー日本語キリスト教会では、毎年、12月24日のクリスマス・イブはキャンドルライトサービスを持っています。その時にいつもチャレンジするのは、ろうそくに火を灯す前、どこまで暗くできるだろうかということです。楽器を演奏する方々や、讃美歌を歌う方々の楽譜が見えないと困るとか、入ってくる人の足元が見えないと危ないとか、いろんな問題はあるのですが、その中でもできるだけ、暗くできないだろうか、と考えるのです。それは、イエスがこの世に来てくださったのは暗闇を照らす光のようなものなのだ、ということをできるだけ皆さんに経験していただきたいからです。
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」(ヨハネ1:9)
本当の暗闇を経験しことはありますか?何も見えない暗闇。目の前に手をかざしてもそこに手があることさえもわからないような暗闇。足を10センチ前に踏み出すことさえ怖く感じるような暗闇。でも、その真っ暗な部屋に小さな小さな光が入ってくる時に、暗闇は消え去って、今まで見えなかったものが見えるようになってきます。そして、どうにもならない不安も消え去って、ホッと一息をつくことができます。
イエスが暗闇を照らす光としてこの世にこられた、とはそういうことです。もしも、マンハッタンやブルックリンのイルミネーションが見に行く機会がなかったとしても、イエスが私たちの心に来てくださるならば、それは最高のクリスマスになります。今年のクリスマス・イブのキャンドルライト・サービスは午後6時から7時15分です。ぜひお出かけください。
私たちの心に、私たちの人生に、イエスの光が輝くクリスマスとなりますように。
As a child, I always had so many questions about the world and I was always thinking about deep concepts like how things were made and what life is about. I loved thinking about the 5 senses and was so amazed at how everything in the human body functioned. I remember when I was in the car, I would look out the window and think Why did God create me? How did he create me? Is there more to life than just… life? It amazes me now, how much I questioned deep things like this at such a young age. But because I had so many questions, I found faith at a young age too, as the Bible had answered a lot of my questions particularly about creation and heaven vs hell. I was baptized at age 9 and I remember how strong my faith was. I was eager to learn more about God and with God because I thought it would help me understand and make more sense of the world.
When I went into middle school however, I looked to the world and became more confused with how broken and terrible it can be. At this point, most of my questions were why does God let terrible things happen? I thought God was good. I didn’t have a relationship with Him, but the little bit of faith in my heart was telling me that God was still good. I knew that he was real and that he was good, but I didn’t have any reasons; I just believed because it was all I knew.
In high school I developed a mindset that a relationship with Christ is one that is an exchange of obedience and reward. I wanted to please him by being a good person because I was afraid of what he would do in my life if I did something bad or committed sin, so I disciplined myself thinking God would love me and give me what I want if I’m good. So when I didn’t get the college results I anticipated, I thought God where is my reward? I have studied and done well in school, why aren’t you giving me the opportunities that I dreamed of? Many friends moved away, and I hated God for it, telling him God you give me wonderful people in my life for just a little bit and then you take them away! What did I do wrong? I became frustrated with God about things that hadn’t gone as I planned, and my prayers became selfish and resentful, blaming God for how miserable I felt when he wasn’t giving me what I wanted. The world didn’t make sense and the Bible didn’t make sense to me anymore. I hated that the world was so broken and terrible and I no longer saw any answers in the Bible that answered my questions of why the world was this way. My life was good, but my faith was almost nonexistent because I walked away from God, thinking my life didn’t make sense with Him in the picture.
Then I went to college where I came across a program called YoungLife, and I walked away from it thinking, I know about God, I don’t need an outreach program to tell me things I already know. But God transformed my heart by sending me to YoungLife camp. The speaker at this camp told a story about his relationship with his 4 year old daughter. He took her to a Disney on Ice show as a surprise for her birthday, dressed up, drove for hours, and bought her overpriced popcorn. During the show he whispers to her daughter, “Guess what?… I love you”. She whispered back, “Guess what?… I want more popcorn!”.
This expresses how my relationship with God had been for 10 years. God had repeatedly told me in my life through his blessings, “I love you”. And the only times I prayed were when things weren’t going the way I wanted. I was ignoring the thousands of times he has told me “I love you” in the events of my life, through nature, through people, and especially through the Bible. I didn’t understand the Bible because I never understood the power and the depth of God’s love. That night I went outside after the meeting and prayed under the stars in the middle of the night and for the first time in my life I went on my knees and I wept to God and prayed to Him for the first time in a long time– a true prayer. And that night I heard Him whisper in my ear, “I love you… you can either choose to live with the world or live with me.”
Choosing to live with God meant that I would live differently than what I desire for myself, but I know that it is better to live for God because I am serving the one who has saved the world! And there is no greater joy than knowing His love and living to share it with others for Him. What humanity wants to hear is that someone loves us, and we are looking for love through other things which results in the brokenness of the world. The world is broken because the world does not know about Jesus! I love Jesus because He loves me, and I want to share that love by loving them the way Jesus did. (1 John 4:19 We love because he first loved us)
I think people get so caught up in how we ourselves and other people are obedient or disciplined based on “religion”, which is what I was guilty of. But in times like this I catch myself and think, Jesus would love them above judging, and God is the only one who knows the condition of anyone’s heart. So I need to love them too, like Jesus does. The Bible is not a book about rules and discipline, but rather about LOVE and what stems from true love.
I was selfish to think that God would reward me for being obedient and disciplined, but now I live in a way that glorifies Him because HE is good, and without Him, I am nothing. I now see God through everything in my life because I have finally given it to Him. He is constantly moving people like He has moved me. He has given me and continues to give me endless opportunities that show His goodness, and it is truly indescribable how much He is capable of doing. I still have little faith, but I am eager and excited to see what God is able to do in my life and to those around me. All my life I had been searching for the world to make sense… and I finally can say with confidence that the world only makes sense when you let God take over your life and show you.
Galatians 2:20: I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me. The life I live in the body, I live by faith in the Son of God, who loved me and gave himself for me.