牧師室より2019年4月号「いのちの勝利」

先月の月報で「今年は雪が少ないですねえ」と書いたとたんに雪が降って、その後も肌寒い日が続きました。私は庭に最初に咲くクロッカスの花で春の訪れを感じるのですが、一昨年は3月1日に、昨年は3月15日に咲いた花が、今年は3月26日にやっと開花。いよいよ春だな、と心から感じます。

そして、春の訪れを告げるお祭り、イースター。今年はこのイースターも4月21日と、いつもより遅いです。それはイースターが「春分の日を過ぎた最初の満月の次の日曜日」と決められているからです。今年は春分の日の翌日が満月だったので、次の満月は4月19日。その次の日曜日ということで4月21日となるわけです。

いつお祝いするかよりも大切なのが、その意味。イースターはイエスが十字架にかけられた後、三日目によみがえられたことをお祝いする日です。ですから、イースターのメッセージは「死に対するいのちの勝利」です。私たちすべての者がいつかは迎えなければならない死。その前には私たちは全く無力であり、そこに佇むことしかできません。ある人は、「人間は生まれた瞬間から死に向かって生きているのだ」というようなことを言うほどです。しかし、イエスはその死を打ち破ってよみがえってくださったのです。

それにはいくつかの意味があります。

まず第一に、イエスを復活させた神の力が今も私たちのうちに注がれているのだ、ということです。人類最大の敵、最後の敵である死を打ち破る力が、この世の中で、いろいろな悩みや困難の中を通っていく私たちのうちに注がれている、それはなんと心強いことでしょうか?どんなに大きな問題だとしても、この死の問題よりも大きな問題はありません。その一番の問題を打ち破った神の力は、私たちの人生の問題に、勝利を与えてくださるのです。

第二に、死の意味が変わってしまったということです。死はもはや無敵ではありません。絶対のものではなくなってしまったのです。恐れる必要は無くなってしまったのです。神はイエスによって永遠の命を約束してくださって、私たちを永遠の世界に迎えてくださるのです。「死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」(第一コリント15:55)

まるで死んでしまっていたかのようだった木々も芽を吹いていのちのあふれる春。イースターはこの自然界と一緒に、私たちも、イエスによって死の問題に勝利することができることを告げるのです。

今年のイースター、子どものためのJOYJOYイースターは4/7の午後3時半から。イースター礼拝と愛餐会(どなたでも歓迎の食事会)は4/21の午後1時半から。お待ちしています。

「神の業が現れるため」(ヨハネ9-3)

317日はセントパトリックデーでした。今まで「アイルランドのお祭り」と、あまり気に留めていませんでしたが、4世紀末から5世紀にかけて働かれたパトリック宣教師の辛い少年期を知りました。そして彼が残した言葉に目が止まりました。
Christ beside me.  Christ before me.  Christ behind me.  Christ within me.
Christ beneath me.  Christ above me. (St. Patrick)

目の前が真っ暗になったあの日から、全く変わってしまった状況の中に封じ込められてもがく中で 、神の存在を喪ったかの様な時にも、パトリック宣教師の言われるように、確かに私を支える存在は、一番近くで囲み守り抱えてくださって、深い慰めを持って立ち上がらせて下さろうとしておられたと、その足跡を振り返る毎に感謝に溢れます。

2017年後半、私達は多くの友人を天に送る不思議な年でした。12年間病と闘い続けた親友を含め10人の友を失いました。しかし最後に健康な主人が召されるなど?思いもしない事でした。「私達は明日のことはわからないのです。」(ヤコブ4:14)の通りです。

11月15日、どの位心臓マッサージが続けられたのでしょう? 救急医の「残念ですが。。」と言う声に、映画のシーンを見ている様な錯覚を覚え、主人の死に一人直面しました。まるで 生きている様な顔に思わず声をかけていました。「ね〜Aki—–     当たり前ですが、
返事が返ってこない、静けさの中に涙も出ずに立ちつくしていました。
主人が横たわるベッドと私の間の距離は僅かなものなのに、でもそこは全く声の届かない断絶の隙間でした。取り返すことのできない真っ暗闇「死」の壁がありました。
ヘンリー・ナウエンの慰めの手紙の中には、「死は私達のコントロールや影響が及ぶ領域から完全に外れたところにある。死は決定的な終わり、見たこともない終止符、完全な破壊。」と書かれていますが、そんな壁の前に立たされました。

「人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが決まっている」(ヘブル9:27)
神の言葉が迫りました。  これが? 神の言われる、全ての人間が迎える「肉の死」なのですか?   元気だった主人が突然迎えた命の終わりという現実を突きつけられて、答えを求めるようにつぶやきました。
全く聖い神の前に立つことが出来る人はいるだろうか?
裁きの前に、この世での多くの立派な働き、功績や財産などは何の力もないのでは無いか?

その時、十字架にかかられて血潮で真っ赤になったイエス・キリストの姿が、リアルに目の前に何度も迫って来ました。イエス様、わたしたちでなく、なぜ聖いあなたが、罪のないあなたが? 人間が掛かるべき十字架にかかられたのですか? 何故そこまでしてくださったのですか?言葉で表現出来ない程の重みを持って、十字架のあがないのすごさを受け取りました。

「私を通してでなければ、だれひとり神のもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6b)
突然の主人の死でしたが、この一方的な御愛を信じ受け止めていた主人が、ただ恵みによって神のもとへ帰って行ったことをハッキリと感じました。      聖なる神の前に立つ時も、
このイエスご自身が執り成して下さる方であることも。
🎶 
ああ感謝せん〜  、ああ感謝せん〜 🎶 不思議に静かに賛美が心に響き始め、
断絶の闇だと思っていた死の絶望の中に、希望の光が圧倒的な力で迫り覆いました。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった」(ヨハネ1:4~5)

十字架にかかられて死に、3日後に復活された主、死に勝利された方の約束が響きます。
「私は蘇りです命です。私を信じる者は死んでも生きる、あなたはこれを信じるか」
「これを信じるか?」 はい信じていました、でも今はっきりとわかりました。
主人からの別れの言葉はありませんが、この約束が残された言葉であると感謝します。

召天から1年5ヶ月。 彼は最高の場所に帰ったことが段々とクリアに信じられるようになりましたが、当初、主人に頼りきっていた私は、空虚さ喪失感から抜けきれない毎日が続き、眠れず、運転も出来ず、聖書も読めず、祈れない、ただひたすら主の憐れみの中に弱さを留める時間でした。主人に何回か「アメリカで、貴方が居なくなったらどうするの」と聞いたことがありました。主人の答えは何時も「イエス様がいるから心配ない」でした。
全てを主にお委ねする状況に追いやられました。

「主の祈り」が私の祈りとなりました。「御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ」!
寂しくなると、「Pray」という賛美を主に叫ぶように歌いました。
In time of sorrow, season of pain.
When all seems hopeless
One thing Remains
Our God is Faithful
His word is true, He said call on his name
And He will answer you.  Pray
  Pray
He has promised He will answer when you pray
Jesus is answer when you pray

詩篇を声を出して読みました「私のうちで、思い煩いが増す時に、あなたの慰めが、私の魂を喜ばせてくださいます様に。」詩篇94:19
「我が助けは天と地を造られた、主から来る」(詩篇121) 強められて行きました。

11/18=ハワイでお葬式。3/24 =主人の誕生日にNJでの記念会。5/30=日本の大和カルバリー教会での召天記念礼拝、沢山の皆様のお祈りとサポートによって無事に終えることが出来たことを感謝いたします。主人の死を知らせた時、父親っ子だった娘はどんなに辛かった事かと思いますが、あれからズーと私を支え続けてくれています。ありがとう!
「私は私を強くして下さる方によって」又歩み出しました。 お祈り有難うございます。
主人は「神の栄光の中で」、私はこの世で「神の業が現れるために」生きて行きます。
聖霊様どうぞ宜しくお願いします。   

『足を洗うイエス』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書13章1節〜15節

 

  • 最後の晩餐・・・大切な人たちと、大切な話をする。
  • イエスが足を洗われたことは、イエスの愛の現れ。
  1. 弟子たちに仕えたイエス
  • 当時の社会の中で、足を洗うのは奴隷の仕事。
  • ここには奴隷がいなかった。誰が?互いに一番格下の存在を探した。
  • イエスは自分が立って、弟子たちの足を洗われた。
  • イエスは言われた。「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と。
  • 今で言うならば、どういうこと?
  • 教会でいうならばどういうこと?
  • 注目されることでもなく、感謝されることでもなく、互いに「誰かやってくれるといいけど」ということ・・・。
  1. 弟子たちの足を洗われたイエス
  • 6-11節のペテロとイエスのやりとり
  • イエスの十字架は、私たちの罪を洗い流すことを象徴的に表していた。
  • 「もしも、私が洗わなければ、あなたは私となんの関わりもなくなる」
  • 「私の足は洗わないでください」・・・自分でやります?
  • それと同じことを私たちは神様に対してしていないだろうか?
    一生懸命自分で準備をして、「さあ、イエス様を受けいれます」と。
  • イエスは今も、私たちにそのままの心で来るようにと招かれている。
  • 洗うのはイエス様。自分の力できれいにするのではない。
  • 一番隠しておきたい、一番恥ずかしいと思うところをイエスに差し出すこと。

<テイクアウトQuestion>

  1. 人々の足を洗う、ということは、今の時代に当てはめるとどんなことになると思いますか?
  2. 教会で「互いに足を洗い合う」とは具体的にどんなことが考えられるでしょうか?あなたは何ができるでしょうか?
  3. あなたはイエスに、「自分の足を洗ってもらう」経験をしたことがありますか?どんな経験でしょうか?

2019年3月3日『十字架への道』

説教 : 錦織学牧師
聖書箇所:マタイによる福音書16章13節〜28節

 

  • イエスの「公生涯」の転換点になる時。
  • ここから受難(十字架)のことを、弟子たちに語り始める。
  1. ペテロの信仰告白
  • 「あなたは何と言うか?」という問い。
    他の人の意見は聞いた。でも、あなたは何と言うか?
  • ペテロの答え・・・「生ける神の子キリスト」・・・救い主
  • この岩の上に教会を建てよう。
    ・・・教会はこの信仰ゆえに一つになっている。
  • あなたの答えは?
  1. イエスの使命
  • 十字架への道を語り始めたイエス。
  • 弟子たちはそれを受け入れることができなかった。
    ペテロ「そんなことがあってはなりません」
  • イエスはその言葉の中にサタンの声を聞いた「十字架なんかやめろ」
  • 弟子たちは自分たちの期待にイエスを当てはめようとした。
  • イエスは一貫して、そのサタンの言葉、人々の期待を退けた。
    十字架への道・・・私たちを救うため。
  1. イエスに従う者たち
  • イエスは自分が、十字架への道を歩むだけではなく、
    イエスに従う人々をも、自分を捨て、十字架を背負う歩みに招かれる。
  • 十字架を負う・・・死刑判決を受けた者として歩む。
    自分の夢、自分の願い、自分の考え、自分の主義主張にこだわらない。
  • 自分を捨てる時にこそ、本当の自分を取り戻すことができる。
  • 捨てるべきもの、結局はプライド?

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは自分の言葉として、イエスをどんな方だと告白しますか?
  2. あなたにとって、一番大切なものは何でしょうか?それをイエスのためにささげることができますか?
  3. 自分を捨てた時に、どんなものを得ることができるでしょうか?

 

「人智をはるかに越える神様の御計画を見るとき」

私の名前、“日和(ひより)”には二人の名付け親がいます。

一人は私の両親の共通の親友である“ひより”さんという方です。ひよりさんはクリスチャンではなく、両親が主の招きがあるよう祈っていた友人の一人でしたが、私が生まれる10年ほど前にグアム旅行でスキューバダイビング中に現地のインストラクターに海中に置き去りにされ、行方不明となったまま、帰ってきませんでした。母はその頃たまたま読んでいた本の中で、ある宣教師が海で難破に遭い水底に沈んでいく体験をした時、非常な恐れよりも神様の大きな御手の中に包まれていくような平安を感じた、と書かれていたのだということをひよりさんがグアムへ出発する前日に彼女に話したのだそうです。ひよりさんが最期、海の中で何を思っていたのか私たちには知るすべもありませんが、きっと母が伝えた宣教師の話と平安を思いながら願わくば主の御光の中天に上げられたことを両親は信じています。

もう一人の名付け親は母方の祖母である和子さんです。和子さんはクリスチャンとなった私の母である娘に連れられ教会へ行き、自身もクリスチャンとなりましたが、私が生まれる1年前に兵庫県を直撃した阪神大震災の後、地震による酷い粉塵で肺炎に侵され亡くなりました。私は阪神の震災の翌年、1996年2月22日の午後2時22分に2220gで生まれました。2の羅列という驚きも去ることながら、和子さんも昭和2年2月22日生まれで、両親は祖母をなくした悲しみがこのような形で喜びに変えられたことに神様の壮大な御計画を見、祖母の名前から“和”の字を、また天での再会を願いひよりさんから名前を借りて、私を“日和”と名付けてくれました。

そんなわけで、神様のユーモア溢れる御計画のもと10年間子どもに恵まれなかったクリスチャンの両親の間に一人娘として生を受けた私は、自分を認識するよりも前に神様の存在を教えられ、祈ること、御言葉を読むこと、聖日(日曜日)の日に教会へ行くこと、が当たり前として育ちました。両親は私を諭す時も、祝福する時も、励ます時も、いつも御言葉をもって語りかけました。父も母も共に芸術系の仕事をしていた為、私も物心ついた頃には既に紙とペンさえあれば幾時間も過ごせてしまうような子どもで、振り返ってみると、私の周りにはいつも祈りと御言葉と、そして芸術が寄り添っていたことに気づかされます。母は厳しかったですが、早生まれで他の同年代の子どもたちよりも要領の悪い上のんびり屋な私に忍耐強く付き合ってくれました。芸大で若い芸術家の卵たちを教えていた父はとても頭の柔らかい人で、私が昆虫に興味を示せば林に虫捕りに連れて行ってくれ、私が道端のカラスノエンドウの弾ける様子に見入っていれば気が済むまで一緒にしゃがんで見てくれ、私が絵を描きたいと言えば床一面に紙を敷いて広々と描かせてくれました。私は他の子どもたちよりも鈍いところがあったので、幼少期はよくいじめられ悲しい思いをすることも多かったですが、“芸術”という吐き出し口を与えられていた私はのびのびと育ったと思います。ただ、幼少のその頃植えつけられた他の子たちよりできないことが多いという劣等感は年齢が少しずつ上がってもなかなか拭えず、その不安をかき消すように勉強もクラブ活動の練習も人の倍以上頑張って取り組んでいた子ども時代でした。教会にも楽しく通っていて、神様という目に見えない存在を幼い頭を一生懸命働かせて理解しようとしていましたが、ある時は大洪水を起こして全人類を滅ぼす恐ろしいお方、またある時は子どもたちをその膝の上に乗せ愛でられる優しいお方、そしてまたある時は右頬を打たれたら左頬を差し出しなさいと諭され自ら十字架の道を歩まれる苦しみと忍耐のお方、とそのイメージが時にいろんな形に変わっていき、迷走していたように思います。しかし、一人っ子で紙とペンが友達のようなところがあった私は、周りの子どもたちと関わるにあたって自己主張の全然できない子どもで、大抵の場合“我慢”して自分を押し殺すところがありました。その分を両親が大きな愛情を持って受け止めてくれていたのですが、自分の性質上、神様というのも“忍耐”を強いる方だというイメージが次第に強くなっていきました。

時は進んで高校2年生の頃、中高一貫校に進学した私は中学の頃から弓道部に所属し、“文武両道”を掲げて友だちと遊ぶこともなくただひたすら勉強と部活動に打ち込んでいました。自由と自主性を重んじる、日本の教育機関にしては珍しいリベラルな学校であったので勉強のプレッシャーを生徒に与えない長閑な雰囲気でしたが、勉強好きな生徒たちが多いのか進学校に類される学校でした。私も周囲の空気に押されるように、国公立大学への推薦入学を目指して勉強に励みつつ部活動も精力的に取り組み、部内の誰よりも練習をして副部長の任も務めていましたが、そのあまりの熱心さ故に同学年の部員たちとの間に熱の差が生じ部活動でトラブルを抱えてしまいました。部活に行けなくなった私は、勉強への意欲も失せ家に引きこもりがちになり、授業の欠課時数は貯まり、担任の先生からもこのままでは進級も危うい、と言われました。当時の私は頑張って積み上げてきたものが全て崩れどん底に落とされたような心地で、どうして神様はこのような残酷なことをなさるのだろうと絶望しました。小さい頃から共に教会学校に通っていた子たちはみな中学へ進学する頃には教会を離れた中、私は毎週教会にもきちんと通っていたし、部活動も勉強も誰よりも真面目に一生懸命に頑張っていたのに、そして何より聖書の教え通り“忍耐”を実行していたのに、なぜ神様はそれに報いてくださるどころか全部奪われたのだろう、と。自分の置かれた状況への不満や怒りはそのうち、いつまでもそうして八方塞がりの中惨めにうなだれている無気力な自分に対する不甲斐なさと失望に変わり、クリスチャンなのにこんなにもたくさんの負の感情に覆われていることに自分はこの世界で一番情けない者だ、ととても落ち込みました。教会にはかろうじて行っていましたが、兄弟姉妹にかけられる「祈ってるよ。」の言葉はその時の私にとっては重荷で、自分のみっともない姿を周りから、そして神様からも隠してしまいたい、とさらに引きこもるようになってしまいました。

そんな時、母は私に旧約聖書に出てくるヨブの話をしてくれました。神様の前にも正しく、富も地位も家族にも恵まれたヨブがその全てを奪われた上酷い皮膚病も患い、妻からも「神を呪って死になさい」とまで言われた時、ヨブは自分の生まれたことを呪うほど苦しみましたが神を決して呪わなかった、

そして神様はその後ヨブに以前持っていた物以上の祝福をお与えになったこと。

私が自暴自棄になって大泣きしながら自分の体を傷つけた時、母は涙を流しながら私の隣で静かに祈ってくれました。日和は生まれた時から神様に守られているから、必ずこの先に神様の御計画があるよ、と。ひたすら沈む娘の姿をどんな気持ちで支えてくれていたことか、と今振り返ります。母があの時流した涙は、私には小さな者たちのために主が流してくださった清い涙と重なるのです。それまでは神様との祈りにおいても“いい子”でいようと努めて本心を出さないままでいた私でしたが、その頃初めて、神様に悪態をつきました。神様ひどいです、私はもうこれ以上忍耐なんかできません、と、どうしようもない自分のままで祈りました。

転機となったのは、弓道部を辞め先生から誘われるがまま美術部に入ったことでした。酷い落ち込み方をしていた私を見兼ねてだったのか、美術の先生が余っている50号の大きなキャンバスに絵を描いてくれないか、と声をかけてくれたのです。前述した通り、美術の溢れる環境で育った私だったので、もちろん絵を描くことは変わらず好きだったのですが、美術というフィールドにいるとどうしても芸術家である父の存在が大きく、「親の七光りだ」とか「サラブレッド」だとか評されることに抵抗感があったため、しばらく美術から敢えて遠ざかっていたところがありました。久しぶりにじっくり制作する時間を与えられて、始めこそキャンバスの前に呆然と座っていたものの一度筆を下ろすと時間も忘れて描き続けていました。その頃は、教室には相変わらず行けないことが多かったですが、美術室には夜まで入り浸っているような生活でした。

次第に、散らかって何も見えなくなっていた自分の心が美術を通してクリアーになってきていることを感じました。私の前にも後ろにも左右にも道はない、八方塞がり、と思い込んでいたけれど、それならいっそうのこと真上に飛び上がってしまってもいいのではないか、と思った時、逆に言えば今私はとても自由なのだ、と気づいたのです。神様は私が固執していたこの世的なもの、良い大学へ進学して安定した将来を築くことだったり部活動で良い成績を納めて周囲からの賞賛を得ることだったり、そういうものを一度全て取り除けてくださったのだと思いました。また多くの立派な信仰と称される聖書の中の人物たちも、多くの場面で困難に頭を抱え、苦しみ悶え、そして神様に叫び、その弱さを神様に明け渡しながら歩んでいる様子が聖書にはたくさん書かれていることにも気づきました。人間である以上、苦しみの中で情けない自分の本性にうなだれるのは共通で、そこで神様に全身全霊で叫び呼ばわった時、神様は視界の霧を晴れさせそのビジョンを示してくださるのだ、と教わりました。

 

“私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行き詰ることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。〜たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。”

コリントII 4:8-9,16

高校3年生に進級できるかどうかも怪しかった私でしたが、側でずっと祈り支えてくれた両親や教会の方々と、私を信じて励まし続けてくださった学校の先生方、心配してたくさん話を聞いてくれた友人たち、そして愉快で無邪気な感性で疲弊した私の心を癒してくれた美術部の後輩たちに救われて、なんとか高校最後の学年を迎えることができ学校にも通常通り通えるまでに回復したどころか、その頃私は神様から新たな道を示されたのでした。美術の力を改めて身をもって経験したことで、将来は美術を媒体として誰かの心に寄り添うことがしたい、という思いが私に与えられました。特に、子どもと大人の間で大きなうねりにさらされる10代の若者たち、将来への限りない可能性に勇み歩もうとする一方、未知の世の中に踏み込む手前の不安で揺れる時期、私自身がそうであったように多くの10代の青少年たちが不安定な心の浮き沈みと格闘していることに私は心を砕くようになりました。私は幸いにも良い大人の方々に囲まれて立ち直ることができましたが、悲しいことに、多くの若者がそういう機会に恵まれていないというのが現実です。アートセラピーという、美術制作を通して自分自身と対峙し、対話し、そして整理する機会を提供しその過程をサポートするというお仕事があります。日本では未だほとんど認識すらされていない分野ですが、美術を通して青少年の心に触れることのできるアートセラピーを勉強したいという思いが私に与えられました。しかしながら、日本では勉強できないということで、それなら勉強できる国へ行こう、と自分でも拍子抜けしてしまうくらい私はあっさり異国の地での学びを決めたのでした。

 

“あなたは口のきけない者のために、また全ての不幸な人の訴えのために、口を開け。口を開いて正しくさばき、悩んでいる人や貧しい者の権利を守れ。”

箴言31:8-9

周りの同級生たちが大学受験に向けて必死な形相で勉強に励む中、私は担任の先生に「大学受験しません。アートセラピーが勉強できるアメリカの大学に行きます。」と大胆に宣言しました。それまでの慎重派な私だったらこんなリスキーな道を選択しなかっただろうと思いますが、なぜかそう目標を掲げた途端、普通の生活を送ることすらままならなかった空っぽの私の中にみるみる力が湧いて、高校卒業後はアメリカの大学へ進学するための英語の勉強やVISAの取得、渡米に当たっての資金調達のためのアルバイトの掛け持ちや派遣の仕事など、積極的に動くことができるようになりました。辛かった高校2年の大きな挫折はここに繋がっていたのかと思うと、本当に神様の御計画の素晴らしさを覚えずにはいられません。

“あなたがたは、さきの事を思い出してはならない。また、いにしえの事を考えてはならない。見よ、わたしは新しい事を成す。やがてそれは起こる、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、砂漠に川を流れさせる。”

イザヤ43:18-19

顎関節の不調のため2度ほど手術を受けなければならず、直ぐにはアメリカに来ることができなかったのですが、高校卒業から2年半の準備期間を経て、満を持して20歳の夏、2016年の秋学期からロングアイランドのコミュニティカレッジでの学生生活をスタートしました。念願叶ってのアメリカでの大学生活でしたが、文化も仕組みも右も左も全く分からず、言語の壁もまた大きく、幾度となく心を挫かれました。未知の土地での暮らしは、どんなに頑張っても自分一人の力ではどうにもならないことばかりで周りの方々に助けを仰がなければ生活できず、一丁前に自立して努力して進んでいると驕っていた自分を省みました。そして、自分の力で解決しようとする前に、まずは神様に委ね祈ることの大切さをレッスンされました。また、今まで当たり前のように近くにあった家族や友人たちという“支え”から離れたことで、これまで以上に聖書の言葉が私の拠り所となるようになったのです。

昨年末まで住んでいたロングアイランドの地元の教会にパラパラと足を運んだりはしていたものの、やはり英語で執り行われる礼拝では霊的な満たしが得られず、母国語でメッセージを聞き、賛美をし、交わりをしたい、との気持ちが次第に高まっていきました。正直なところ、生まれた時から教会に通い、小学生の頃に洗礼も受け、聖書の言葉も祈りの文句も諳んじれるというのに、私はこれまで心の底から神様を求めたことがありませんでした。気づいたら当たり前のごとくそこに神様の存在があったからこそ、その御恵みと本質を見失っていたのです。昨年末、個人的なことでいろいろと不安や悩みを抱え、かつてない霊の渇きを覚えた時、日本の教会の宣教師の先生から繋げていただいて、昨年のサンクスギビング特別礼拝の際初めてNJ日本語教会の礼拝に参加する恵みに預かりました。ロングアイランドから電車と地下鉄を乗り継ぎ、送迎の車に乗せていただいて教会の建物の前に降り立ったとき、私の霊が震えたのを感じました。聖霊様が働いてくださったのだと思いますが、なぜだか「私はこの場所をよく知っている」と思ったのです。確かにここには霊の癒しがあると感じ、教会の建物を見ただけだというのに、涙が止まりませんでした。久しぶりに日本語で歌う賛美、語られるメッセージ、全てがとてつもない勢いで私の渇いていた霊を潤していき、これまでのクリスチャンとしての歩みの中で一番恵まれた礼拝の時となりました。その時、錦織先生を通して語られたメッセージは導きについてでした。神様は私たちが気づいていなくてもいつも導いてくださっていて、私たちが“涙の谷を過ぎるときも、そこを泉の湧くところとし”てくださるというのは、その苦しみの渦中にあっても潤いと慰めを与えてくださるのだ、ということ、その時非常に心を悩ませていた私に直に響くメッセージでした。

神様の御力はこれだけに留まらず、NJの教会へ足を運んだのを合図にしたかのように次の数週間はものすごい恵みの連続でした。NYクリスチャンユースのバイブルスタディのVineへの参加で同世代のクリスチャンの仲間との出会いに分かち合いの機会が与えられ、高額なアメリカの大学の学費に頭を悩ませていたところに日本の教会の姉妹から学費援助の申し入れを受け、またその姉妹からの提案を聞いた同日に編入の願書を出していた数校の大学のひとつであったCUNY Hunter Collegeからの合格通知…恵みと驚きのドミノのような日々でした。Hunterはマンハッタン市内にある大都会の学校なので、マイペースに勉強したい私のような者にはあまりに忙しなく、合っていないだろうと願書を出した当初は第2〜3志望くらいに考えていました。第1志望であったアップステイトの私立校からも合格通知と高額な奨学金のオファーをその1週間後に受け取りましたが、NJの教会へ行けたこと、新たなクリスチャンの兄弟姉妹と出会ったこと、そして日本の姉妹からの学費援助の申し入れ、サンクスギビング礼拝の時に語られた神様からの“導き”を私の霊がそこに感じていました。このまま続けてNJの教会へ行きたい、兄弟姉妹との分かち合いに足を運びたい、今神様により与えられたこの場での繋がりを大事にしたい、その思いが募り2週間ほど祈った後、続けてNJの礼拝も守れる上バイブルスタディなどにも参加できる市内付近での生活を選び、第1志望を断ってHunterに進学することを決めました。

“あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。”

詩篇37:5

こうして新しい学校での学びと共に、新しく与えられた多くのクリスチャンの兄弟姉妹との分かち合いを毎週持つことのできる生活が始まり、今私はこれまで感じたことのない霊の喜びを感じています。毎週礼拝の中で神様からの課題や問いかけを与えられ、毎朝のディボーションの中でさらにその問いかけに対する神様からの追求があり、その日その日を聖霊様からの語りかけに自分の思いを寄せながら過ごし、週に何回か参加させていただいているスモールグループやバイブルスタディなどの場で兄弟姉妹とその週自分と神様との間で持たれた対話について分かち合うという、とても霊において充実した日々を送ることができています。この度、正式にNJ日本語教会への準会員としての転入を承諾していただく恵みにまた預かり、兄弟姉妹とともに主に仕える機会が与えられたことにさらなる喜びと感謝に溢れています。振り返ってみると、出生時から主の祝福はいつも私の上にあり、私が塞がって主の光も声も届かなかった重たい時期においても神様は私に必要な助けと慰めを常に側に置いてくださり、私の思いやその先に見ていたビジョンをはるかに超えた素晴らしい御計画と道へ誘ってくださいました。そしてその導きにようやく私の霊も気づいた時、これまで経験したことのない満たしと喜びを受け取ることができました。アメリカでの生活はまたチャレンジで闘いの日々ではありますが、神様に全てを委ねて共にゆく道は、人智をはるかに越えた神様の御計画に期待し歩む喜びの道である事を私は今確信しています。

“それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。”

ローマ5:3-5

私たちの前に絶え間なく試練こそあれ、それによってさらに主との関係が強められ祝福されるのであれば、それは私の喜びです。昔のようにただ自分を押し殺す忍耐ではなく、主に全てを明け渡して、主に手を引いていただいて挑む日々に、希望を寄せて歩みたいと思います。

牧師室より2019年3月「春を待つ」

今年、ニュージャージーでは、本当に雪の少ない冬を過ごしてきました。11月に突然雪が降って、大混乱しましたが、そのあと、12月から2月まで寒い日はあっても、降るのはいつも雨。こんなに雪が少ない冬は今まであっただろうか?と思って調べてみました。すぐ見つかるのはニューヨーク市のの記録。教会のあるNJのメイウッドよりも雪が少ない場合もあるのですが、こちらの記録を見ると、ほんの7年前、2011-12年の冬は7.4インチしか降っていません。そして、2001-2年の冬はなんとたった3.5インチしか降っていないんですね。こんなにお天気バカの私でも、意外と覚えていないんだなあと思いました。

でも、3月に入っていきなり連日の雪の予報、早く春になってほしいなと思いますね。どんなに穏やかな、雪の少ない冬でも、早く春になってほしいものです。

そして、教会は3月6日にレントの期間に入ります。この言葉を初めて聞いた時には「アパートのレントと紛らわしいなあ」と思ったものですが、英語では「Lent」、アパートの方の「R」で始まる「レント」とは全く違う言葉。イエスの十字架への道をたどり、イエスの苦しみに心を向け、イエスの復活をお祝いするイースターを待ち望む時です。

21年間ずっとこの教会の牧師としてレントのテーマを考え、その学びを導いてきて、イエスが十字架に向けて歩んでいかれた思い、以前よりも深く感じるようになってきました。それまでは「イエスの十字架によって、自分も罪赦されてありがたいなあ」という程度だったのですが、このレントの学びを続けていく中で、「イエスはどんな思いで十字架に向かっていかれたのだろうか」というイエスの思いに心を向けるようになってきました。もちろん、ただの人間である私たちにはイエスがどんなことを考えておられたのかは完全にはわからないのですが、そこに思いを向けることによって、イエスの歩まれた道をたどること、イエスが人々を愛されたように、私たちが人々を愛するとはどういうことなのだろうかを考えることの大切さを感じています。

「キリストは、・・・おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」ピリピ2:8-10

今年のテーマは「イエスの苦しみ・私たちの苦しみ」です。私たち自身はどうして苦しみを味わうのか、3月8日から毎週金曜日夜7時半から9時まで、教会で学びをしています。是非お出かけください。

そして、「Lent」は語源をたどると「春」という意味があるそうです。春の喜びを少しずつ味わっていくこの季節に、私たちのために命を与えてくださったイエスの恵みを少しずつ味わっていくことができますように。

2019年2月24日『主の祈り』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書6章9節〜15節

  • 「主の祈り」・・・イエスが「このよう祈りなさい」と教えられた。
  • 毎週の礼拝の中で祈っている。
  • 意味はどれだけわかっているだろうか?
  1. 主の祈りは何か?
  • 神の国を求める祈り
    →神様の素晴らしさ、神様の愛、神様の思いが、この地上でも、豊かに表されるようにと祈っている。
    →その視点で、後半を見ていくと、私たちの人生の中に神様の支配が溢れますように、という祈り。
  • 私を通して
  • 私を超えて
  1. 主の祈りの中心である赦し
  • 主の祈りの後で、イエスは赦しのことを改めて言われた。
    神の国、神の愛の支配の中で、大きな問題は赦しの問題。
    神の国を壊す問題・・・赦せない、という問題。
    神様の愛の支配は、赦しを通して表される
  • マタイ18:23-35・・・100デナリの借金を赦せなかった。・・・確実に相手が悪い。でも、自分はそれをはるかに超えるものを赦されている。
  1. 主の祈りの土台である神との信頼関係
  • 「父よ」からはじまる。・・・信頼の呼びかけ。
    それを可能にするイエスの十字架の恵み。
  • 山上の説教の前提は・・・「神が私たちを愛し、私たちを救ってくださったのだから」・・・あなたは10000タラント赦されているのだ。

<テイクアウトQuestion>

  1. 「主の祈り」をどのような思いで祈ってきましたか?
  2. 主の祈りの中で、どの祈りが、今あなたの心にぴったり当てはまるでしょうか?どこかに引っかかる言葉はありますか?
  3. あなたには赦すべき人がいるでしょうか?どんな人でしょうか?

2019年2月10日『神の報い』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書6章5節〜6節

  • 一緒にいるだけで嬉しい、楽しい、って究極の関係。
    神の報いって、そういうものではないか?
  1. 神様の報いって何?
  • この世でいいことがある?天国でいいものがたくさん準備されている?
  • 「天に宝を積む」→「献金をしたら天国銀行にたくさん貯金がある」
    「神様のために一生懸命やったから、神様はたくさんいいものを天国で準備してくださる」
  • でも、祈りの報いって何?隠れて祈ったら、天国の報いがある?
  • 天国・・・神の愛に満たされていること。神とともにあることこそが、「戸を閉じた祈り」に与えられる報い。
  • 神様ご自身と、神様が与えてくださる何か、とどちらを大切にしているか?どちらを期待しているか?どちらを喜んでいるか?
  • 神様の与える平安・・・ピリピ4:6-7
  • ヤコブのペニエルの経験・・・創世記32章
  1. 戸を開けておきたい気持ち
  • イエスはあえて「戸を閉じて」と言われた。⇔開けておきたい気持ち
  • 「私は祈っていますよ」と言いたい時。誰かへの励ましならいい。
  • でも、そうではなく、自分が祈っていることを認めて欲しい気持ち。
  • また反対に「恥ずかしいから」というのも「認められたい」の裏返し。
  • 放蕩息子のたとえ・・・ルカ15章
    兄息子・・・こんなにやったのに!認めてくれ!
    でも、父は兄も弟も、そのまま受け入れた。
  • 神とともにいることを喜ぶ。人に認められて満足なんてもったいない!

<テイクアウトQuestion>

  1. 神様は私たちにどんな報いを与えてくださると聖書は語っていますか?その中で一番素晴らしいものは何でしょうか?あなたは何が一番嬉しいですか?
  2. あなたは祈りについて、後ろの戸を開けて祈りたいと思うことはありません