2024年3月<牧師室より>「3月は嵐の季節」

3月になりました。

今年も我が家の庭で一番最初に咲くクロッカスの芽が出てきました。朝晩は氷点下に下がっても、昼間はすっかり春の日差し。今月10日にはサマータイムが始まり、19日のthe first day of spring(日本では20日の春分の日)を過ぎると、昼間の時間の方が長くなりますね。いよいよ春がやってくるな、と楽しみになります。

でも、油断は大敵です。1993年の3月、もう30年以上前になりますが、アトランタの大学で勉強していた時、春休みにフロリダのオーランドに行きました。アトランタを出る時にはレンギョウの黄色い花が満開でした。半袖短パンで2-3日楽しく過ごして、アトランタに戻ろうと思って高速に乗ったら、あちらこちら木々がなぎ倒されています。途中でガソリンを入れようと思ったら、軒並み停電でガソリンを入れられません。そして、フロリダとは思えない寒さ。フロリダ州を抜けてジョージア州に入る頃には雪が降り出しました。アトランタに電話をしたら、吹雪でとてもじゃないけど帰れないと。あとで分かったのは、その時、アメリカの南東部から東海岸を、後にstorm of the centuryと呼ばれるようになる嵐が襲っていたのでした。ニュージャージーも大雪だったようです。

実は3月は嵐の季節なのです。アメリカには “March comes in like a lion and goes out like a lamb” (3月はライオンのようにやってきて、羊のように去って行く)という言葉があります。この時期は冷たい冬の空気と暖かい夏の空気がせめぎ合って、特に前半は、しばしばとんでもない嵐になることがあります。

聖書の中にも嵐の場面が出てきます。それはもっと小さい規模のものですが、イエスの活動していたガリラヤ湖で、何度か、イエスと弟子たちは嵐に遭っています。湖で嵐に遭った弟子たちはどんなに不安だったことでしょうか。しかし、イエスはその嵐の中でも平安を保っておられて、「しっかりしなさい、わたしである、恐れることはない」(マタイの福音書14章27節)と言われ、嵐を鎮めておられるのです。

私たちの人生にも嵐がやってきます。イエスに従う道も万事順調、順風満帆ではないのです。でも、その時にも、イエスは私たちに「恐れるな。私がいるから」と語ってくださり、平安を与えてくださいます。皆さんの中にも今、嵐の中を通っておられる方もおられることでしょう。イエスはその嵐の中にも共に行ってくださいます。「主よ、助けてください」と祈ってみてください。神さまはあなたを支えてくださいます。

神さまからのチャレンジ

 2023年の11月で、フルタイムで働くようになって丸4年が経過しました。子育てが終盤に差し掛かり、子どもたちがそれぞれに巣立とうとする中、私にこの地でできる仕事を与えてください、新たに資格を取ったりする必要のない仕事を与えてください、と祈った結果与えられた仕事でした。専念していた20年の子育て期間を経ての社会復帰は、私なりにそこそこチャレンジングでした。子育ての大半が終わったとは言え、3人の子どものうちの2番目と3番目は高校生でまだ送り迎えが必要でしたし、大学進学準備もありました。ある日を境に共働きになったからといって、仕事漬けで走り続けている夫との家事分担は難しく、家や子どもたちのことがうまく回らないことや、自分の時間が取れないことにストレスを感じながらのスタートでした。

 一方、就職した先は、植物工場で日本のおいしいいちごを生産することを目指す農業ベンチャーでした。植物工場とは、屋内で植物の生育環境を人工的にコントロールし、計画的に作物を生産することのできる未来型の農業形態です。私はもともとアウトドアが好きで野山を駆け回っていたタイプだったのですが、ポイズンアイビーを繰り返しその度に重症化していたため家庭菜園さえドクターストップがかかっていました。そんな私にとって、害虫も雑草も排除された植物工場で再び植物に触れることができる仕事は、楽しくて仕方がありませんでした。いちご摘み、葉掻き、糖度測定、パック詰めなどの農作業に加え、ホースやパイプを切って灌水設備を設置したり、コンテナの上にのぼって電気ケーブルを通したりというベンチャーならではの実際の工場づくりも皆でやりました。当時、葉物野菜の植物工場はすでに存在していましたが、受粉の必要ないちごのような果菜類の植物工場は不可能だと言われていたのです。それは、植物工場のような閉鎖空間では、ハチが野生の感覚を失ってしまいうまく働いてくれなくなるという、主に受粉の問題があったからです。それをたった10数名のメンバーで、世界初を目指して夜遅くまで試行錯誤を繰り返す職場は、やる気とパッションに溢れていて、自分がしばらく忘れていた懐かしい感覚が蘇ってくるようで、一緒に働くことでたくさんのエネルギーをもらうことができました。

 そんな私が入社後に立てた目標は「3年でいちご博士になる!」でした。家庭と仕事の両立で苦しんでいた私の、3年は辞めないぞという決意表明でもありました。教育専攻で、小学校教師になり、子育て中も近所の子どもたちの日本語学習のサポートに関わっていた教育畑出身の私にとって、植物工場は何もかもが新鮮で、もともと旺盛な好奇心に火がつき、明けても暮れてもいちごの謎を突き詰める毎日が始まりました。まず、いちごをより知るために植物生理学から始め、夜な夜な借りてきた文献やネット資料を読みあさる一方、植物工場の電気がつく(=植物にとっての朝)6時には農場に入り植物の健康状態を観察する早朝5時起き生活です。実地と勉強会の並走は学びが多く、知れば知るほどまた疑問が生まれます。次に肥料配合や植物の根の栄養吸収を向上させるための有機化学。そしてその次は環境制御のために、例えば人工光の白、赤、青など異なる波長の組み合わせを試すために物理が必要になり、更にそれらのデータを収集して解析するためのデータサイエンス。と、どんどん広がり、終わりがない世界にのめり込んでいって、気がついたら4年が過ぎていたという感じです。残念ながらまだいちご博士にはなれていないと思います・・・奥が深いのです。

 1人で植物と向き合っている時、いろんなことを考えます。例えばいちごの実は、1つの房にいくつものつぼみができ、順番に花が咲き、先に咲いたものから順にいちごの実になっていくのですが、1番最初の実が一番大きく、2番目3番目の実は1番目の大きさを上回ることはありません。家庭菜園を経験されたことのある方はきっとご存知でしょうが、1番目2番目3番目の実を大きくするために、4番目5番目6番の実や花やつぼみを取り除きその栄養を最初の方の実に行くようにする摘果(てきか)を行います。またいちごの実は、最初緑で硬かったものが白へ、そして赤へと色づき、柔らかくなっていきます。赤くなり始めると実の成長自体は止まり、今度は糖度を充実させることへと切り替わるのです。つまり色が変わり始めると実がそれ以上大きくはならないという判断ができるので、この段階で規定サイズ以下のものは摘果します。この作業はいちごを出荷するためには必要ですが、3人の子どもをもつ母親の私にとっては非常に酷なもので、いつも複雑な思いになります。子どもたちの顔が順番に浮かんできて、いちごであっても出現順で見切りをつけるなんてあり得ない、4番目5番目6番目のこのいちごたちだってこんなに美しく咲いているのに、もしかしたら大きくなってくれるかも知れないのに・・・と摘果をしながら何度思ったか知れません。けれども、もう実ができていても、花が咲いていても、つぼみが膨らんできていても、摘果しなければなりません。時には小さなつぼみがたくさんついている房ごと取り除くこともあります。いつもため息が出ますし心が痛みます。ふと新約聖書のマタイ7章にある「良い実を結ばない木は切り倒されて火に投げ込まれる」という聖書箇所が思い起こされ、神さまの厳しい裁きのことを考えたりもします。そして、それぞれ違う道を歩み始めた子どもたちのことを思っては差がついてきたように感じられ、3人とも神さまに喜んで受け入れてもらえるだろうかという思いで不安になるのです。けれども、『今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっとよくしてくださらないでしょうか。』(マタイ6章30節)や『あなたは私の目には高価で尊い』(イザヤ書43章4節)のみことばを思い出すと、脳裏に浮かんだ子どもたちの顔が笑顔になっていきます。子どもたちのそれは、差ではなく違いであって、神様から与えられた個性であることをうなずくことができ、それぞれをそのままの姿で喜んでくださる神さまを思い、安心します。と、次の瞬間「良い実を結ぶとは?あなたは?」ということが突きつけられてくるのです。神さまからのチャレンジです。「私は大丈夫かな。良い実を結んでいないから炉に投げ込まれてしまうんじゃないかな。」と自問自答して胸が詰まりそうになります。すると決まって、♪ Jesus, I need you. Every moment, I need you ♪ という賛美の歌詞が心の中に流れてくるのです。私はすぐに「その通りです。今この瞬間、神様、あなたが必要です!」と心の中で叫びます。さまざまな思いがよぎっては不安になる自分。懸命に努力しても追いつけない高みがある現実に心がうなだれてしまう自分。けれども”Jesus, I nee you!”「この瞬間も、神さま、あなたが必要です」と叫ぶ時、心に平安が与えられます。立ち上がる力が与えられます。私が叫ぶ時、神さまはそこにいてくださいます。摘果は今でもあまり好きなタスクではありませんが、その作業を通して、どの瞬間も私には神さまが必要であることを毎回確認することができるのは感謝なことです。きっと私がそのことを忘れてしまいやすい者であることを神さまはよくご存知だからなのだと思います。自分の力では良い実を結ぶことはできず、ただただ神さまにしっかりとつながっていることが大切だということを再確認する幸いなときとなっています。Jesus I Need You – Hillsong Worship (2015 New Worship Song with Lyrics)
 
 4年前は20人弱だった会社も、現在は200名となり、急成長急拡大しています。喜ばしいことですが、ただそれゆえの難しさも感じています。「多様性」という壁です。スタートアップ当初の社内は日本人が主流で英語でなくてもOKでしたが、いつの間にか英語が公用語、書類やミーティング、プレゼンも英語となり、メンバーのバックグラウンドの違いからくるカルチャーギャップも多くなってきました。日本人の常識や普通が、そうではない場面に出くわして、うーんと思わずうなってしまうことがあります。働き方もさまざまです。メンバーの集中力、休憩の頻度、仕上がりの丁寧さなどを確認する必要がある時、この人たちは皆同じ給料でいいの?と思ってしまいます。そんな時思い出すのは、聖書の中には早く来た者も遅く来た者も同じ賃金を受け取るたとえが出てきて、すべての者に豊かに与えたいと願っておられる神の愛が語られています。そのたとえ話を思い出して、私自身が他の人と比べるのではなく、自分に託されたことに集中するようにと、「小さなことに忠実でありなさい」と語られました。ようやく、多様性を知ること、認めることはできるようになってきたかなあとは思うのですが、その多様性を尊重し、相手の個性と自分の個性を合わせて2ではなく3にするために上手にコラボしていくことが次の課題と感じています。これも神さまからの大きなチャレンジです。『それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。』(第1ペテロ4章10節)

 また、会社が大きくなるにつれ、全員で力を合わせてなんでもやっていたベンチャーから脱皮し、企業として成長していく時期に差し掛かっています。社内に部門が増え、業務が分化され、特定のスキルのある人が外部から雇用され、専門性が問われるようになってきました。その流れで私の所属や仕事内容も変わり、不満や不安を感じることが多くなってきている今日この頃です。この分野では全くのド素人であり、まだ自分が目指すいちご博士には届けていないと自覚しているのに、任された仕事内容に対する不満、任されないことに対する不満、一緒にプロジェクトをするメンバーへの不満などが積もってきています。最初はあんなに植物をさわれることへの喜びでいっぱいだったのに、いつの間にか、不平不満が溢れて止まらなかった出エジプトの民(旧約聖書)と同じように自分もなってしまっていることに気づき、このみことばによって立ち止まらされています。そう、詩篇103篇『主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』です。けれども、私が仕事に没頭している間にも、神さまは働き続けてくださっており、たくさんの良いことをしてくださっていました。コロナ禍でも、農業はエッセンシャルワークということで私は毎日出勤していて、リモート授業となっていた子どもたち3人(2人の大学生と1人の高校生)が週2回ずつ6日間の夕食を作ってくれる日々が1年ちょっと続きました。そのおかげで私は早朝からファームに入っていちごの観察をすることができ、一般業務の前に勉強の時間を確保できました。子どもたちは毎回5人分の食事を準備するのに最初は悪戦苦闘していましたが、次第にレシピの材料が揃っていなくても冷蔵庫にあるもので準備できるほど腕が上がっていきました。今は3人とも自宅を離れましたが、十分自炊できるようになってくれたので、ある意味安心して見ていられます。またコロナ禍の閉鎖的な日々も、子どもたちが作ってくれた夕食を囲みながら、その日私の会社であったことをシェアしみんながそれに突っ込んだりダメ出ししたり質問したりと、たくさん話をするのが日課となりました。新しく知ったいちごの植物のあれこれや、ハチの受粉の難しさ、垂直農法のシステムや競合他社との攻防、起業あるあるやシンガポールの大学インターン制度、同僚の20代男子にもっと効率を考えて動くように怒鳴られて凹んだことや、まるでTVドラマのような大人同士の激しい本気のディスカッションがあったことなどです。たわいもないことでしたが、このような分野に長男は興味を持ったようで、私の会社で夏のインターンシップをし、そのまま就職することになりました。小学1年生の頃からFarmerになりたいと彼が言っていたこと、けれどもそれをどのようにサポートしていいかわからなかったことなどをその時思い出しました。娘は、私の研究開発部門での実験の話に影響を受けてか、大学入学直後から生物系の研究に目覚め、それを突き進めるためにこれから研究の道に進もうとしています。立ち上げ初期のメンバーとCEO宅で一緒に食事をする機会が何度かあった次男は、アメリカ育ちですが噂に聞いていた日本的な体育会系のノリというベンチャーの雰囲気を肌で感じ、色々と学ぶこと思うところがあったようです。夫も数年経った今では、自分で洗濯機を回したり洗い終わった食洗機の食器を棚に戻したりと、共働き夫婦らしく家が回るように無言で動いてくれています。私が社会とつながり奮闘していることもまた、家族それぞれに安心を与えているのかもしれません。この4年の間、目に見えること見えないこと、たくさんのことを主がしてくださってきており、これからもしてくださる、働き続けてくださることを確信しています。最近この賛美の歌詞が心を離れません。♪ You are Waymaker, Miracle worker, Promise keeper, Light in the darkness・・・Even when I don’t see it, You’re working. Even when I don’t feel it, You’re working. You never stop, You never stop working ♪ 4年前は、この歳になって、この地で、自分がいちご研究に携わることになるとは、ほんの1ミリも想像していませんでした。けれども、私がこうして植物工場に導かれたことが、このあともきっと何かにつながっていくのだろうと思うと、そのタネあかしが楽しみでなりません。今いるところでどうあることが神さまに喜ばれることなのか、これも神さまからのチャレンジです。まどろむことがない(詩篇121篇3節)神さまが、これからしてくださることに大いに期待し歩んでいきたいと思います。そして日々喜びが口から出る者でありたいと願っています。Leeland – Way Maker (Lyrics)

<集会紹介>「レント集会」(2024年3月)

「レント」というと、アパートやお家を借りること・・・ですよね。だから「レント集会」というと、何か場所を借りて集まるの?なんて考える方もおられるかもしれません。でも、そのレントは「Rent」で(ちなみにブロードウェイのミュージカルの題名もこちら)、一方、私たちの教会の「レント集会」は「Lent」。元々は「春」を意味する言葉。「L」と「R」の問題、日本育ちの私には、何年アメリカに住んでもなかなか抜け出せないです・・・。

イースターまでの日曜日を除く40日間、教会ではイエスの十字架の苦しみを心に留める「レント」の期間を過ごしています。今年のレントは2月14日から始まりました。イースターの3月31日の前の日まで続きます。

そのレント期間の毎週金曜日7週にわたって、午後7時半から「レント集会」を持っています。イエスの十字架や苦しみをテーマに学んできました。今から36年前の教会創立当初の資料を見ると、教会が始まった最初の年のレントにも今と同じように集まって「レント集会」を持っていたことが分かります。それから変わらず毎年持たれてきています。

イエスの十字架の意味を学ぶこと、そのイエスの苦しみを思い、自分自身の苦しみの意味を見つけること、そして、そこに表された神の愛に応答すること、これはクリスチャンの歩みにとって、とても大切なことです。

そのレント集会の中で、毎年何人かの方々に「証し」をしていただいています。クリスチャンとして歩んでいる中で悩むことや困難にぶつかることの中で、神さまがどのように導いてくださったか、また、現実社会の中で聖書の言葉にどのような力があるか、体験をお話していただくのです。

今年もすでに3回、教会に数名が集まり、オンラインの同時中継にも十数名が集まり、良い学びの時となっています。今年残すところはあと4回。是非、教会でも、オンラインでも参加してみてください。毎回のテーマ等、詳しくはこちらから

「嘆きを踊りに変えてくださる主」

ある日、ハモリに負けずに歌い切る!というテレビ番組に、笑いながら共感している自分がいました。
そして身近な録画を見て「あれ?これ私の声?自信を持って歌っていたつもりなのに少し外れてる・・」と自分の歌声に気づき、恥ずかしくなることもあるのですが、「それでもめげずに歌おう!」と、今は心に決めています。

 以前、母が私の出産について語ってくれたことがありました。それは父の母の思いに反して、母の大きな決断によって4番目の子としての出産が私だったことでした。そして、キリスト教や聖書とは無関係だった田舎の家庭に育った私が、イエス様の救いに与るなんて、まさに大きな憐れみでしかありませんでした。運動部に夢中だった中学生の時、姉と一緒に初めて教会に行き、いただいた新約聖書を一人で読み始めました。自分の力で隣人を愛する努力に限界を感じて罪が示され、高校生の時に「神様の愛は罪を赦す十字架に示された!」と知り、クリスチャンになりました。しかし、私が教会に通うことに父は反対で、ある時は茶碗を投げることがありました。そんな時でも罪から救われた喜びと神の愛に感動し、学校や教会の帰り道には「主にすがる我に、悩みはなし、十字架のみもとに、荷を下ろせば、歌いつつ歩まん、ハレルヤ~ハレルヤ~♪」(聖歌498)と歌い、賛美に励まされたり、信仰の友の祈りにも支えられてきました。キャンプに参加したり、聖書を読んで祈る中で、神様と交わることが喜びとなりました。母を通して受けた肉体の命と愛に加え、神様からの霊的な命と愛をいただくことによって、生きる喜びを感じ取っていたように思いました。

 やがて看護の道を歩む中、人が生まれる時には、母も周囲も全力で臨み「命の誕生」「命への畏敬」ともいえるものに感動しました。しかしある時は、厳粛な「人の臨終」にも直面し、本人、家族、医療スタッフが必死になっても限界「人間には立ち入れない世界」があるのを感じる時がありました。遺族の大きな喪失感で悲しむ姿を知り、一人の人の命がどんなにかけがえのない大きなものか・・、神様に問いかけ、深く悩み祈ったものでした。「肉体は滅びても、魂を救うお方がいらっしゃる。」そのことを見出し、それから救いや天国の希望、神様の大きな愛を伝えたいと願うようになり、数年の祈りの後に「私の子羊を養いなさい。」(ヨハネ21:15)のみことばに立ち、聖書学院に導かれました。

 牧会生活の中では共に祈り合い、また恵みを分かち合う中で、主に導かれる方がおられたり、また、離れて弱っていた方が信仰に立ち返った時、一緒に泣いて一緒に笑って、神様が私たちと共にいてくださると感じる時、そして反対していた家族にも神様が’働いてくださった時、それは本当に私の大きな喜びでした。

 しかし、これまでの歩みの中で、ある時には神様は私を訓練してくださいました。髪を振り乱し必死の日々、「睡眠時間を削って、こんなに一生懸命頑張っているのに・・」と、自負や思い違いをしていた時、急に試練の中に落とされます。八方塞がりの中で自分の弱さ、まるでボロ雑巾のような惨めさ、ある時には人を赦しきれない罪深さを示され、悔い改めさせられ、主のみ前にへりくだることを教えられるのでした。それでもイエス様の十字架の愛に戻る時、わたしの心に賛美が湧き上がります。
「恐れは変わりて、祈りとなり。嘆きは変わりて、歌となりぬ。
歌いつつ歩まん、ハレルヤ~ハレルヤ~」(聖歌 498)

あるセミナーの中で、教えられたことです。
「皆さんは祈る時、自分に必要なことを一方的に提示して話していることはありませんか?神様の愛をいただくために、自分を空っぽにして、心の窓を開いて、自分の内側に神の愛の眼差しを求めましょう!」
「想定外の中でも神は働いてくださるのです。言葉も出なくなる時、うめくしかない時、それでも神の前に立つなら、祈りとなるのですから、自らを明け渡す祈りをしましょう。私たちは聖霊が働かれる条件を整えましょう!」と勧められました。
「御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちをとりなして下さるからである。」(ローマ8:26)

私の心のうめきをご存知で共にとりなしてくださる方がいる。そう思うと私の内側に、不思議なほどに平安と、勇気が与えられるようでした。
私の歩みのためには、主ご自身が、そして世界中に広がった兄弟姉妹がとりなしの祈りで支えてくださるのだから。そのように大きな愛に導かれるのを感じるのでした。

「苦しみや悲しみや嘆きを踊りに変えてくださる優しいお方、主により頼みます!」と祈るのでした。

「あなたは私のために、嘆きを踊りにかえ、荒布を解き、喜びを私の帯とされました。
これは私の魂があなたをほめたたえて、口をつむぐことのないためです。
わが神、主よ、私はとこしえにあなたに感謝します。」(詩篇30:11、12)

私をここまで導いてくださった主に、心からの祈りと賛美をささげて歩んで行きたいと願っています。

「主のみ約束に、変わりはなし、み許に行くまで、ささえたまわん。ハレルヤ~ハレルヤ~♪」
(聖歌498)

<牧師室より>2024年2月号「コミュニティに生きる使命」

良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。
平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、
「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。
イザヤ書 52章7節

私たちの教会は、この聖書の言葉をいただいて、2024年をスタートしました。
この言葉は、教会が、神さまからの平和と解放、救いのメッセージを託されて、出て行く使命を頂いていることを示しています。

それは、言葉によって聖書に表された神の愛、神の救いを伝えるということはもちろんですが、それだけではなく、私たちの行動によって、神の愛を表していくということも大切なことだと思わされています。

9-11の同時多発テロの直後、社会全体が大きな痛みを通る中で教会は何ができるだろうかと、いくつかのセミナーに参加している中で、「何かがあってから、『私たちは〇〇教会の者ですが、何かできることはありますか?』と聞いても、それからでは遅い、教会がいつもいつもコミュニティの中で生きていないと、いざという時に教会に手を差し伸べてもらおうなんて人は誰もいない」との講師の言葉は衝撃でした。今頃になってこんなセミナーに来ているようではダメだと言われているような、でも、これからの生き方が問われるのだとチャレンジをいただいたような思いになりました。

それから22年、ずっと私たちの教会が、そして、私自身が、コミュニティの中で生きるとはどういうことなんだろう、何ができるんだろう?と問い続けています。今年は特別にそのことを考え、受け止め、実践していく年となる様にと願っています。

 今月は14日のAsh Wednesdayから教会はレントの期間に入ります。教会の歴史を通して、この期間はイエスの十字架での苦しみを覚えて、聖書を味わい、悔い改め、人々に仕える時として重んじられてきました。

 私たちの教会でも、2月16日から3月29日のGood Fridayまで、毎週金曜日の午後7時半から9時まで、教会に集まって、レント集会を持ちます。今年は「受難週からのメッセージ」。受難週とは、イエスが十字架にかかった最後の一週間です。その一週間に起こったいくつかの出来事から、神さまが私たちに託されたメッセージについて学んでいきます。教会に集うのが難しい方のためにオンラインでの参加もできるようにします。是非、ふるってご参加ください。オンラインでのアクセスを希望される方は錦織牧師(pastor.jccofnj@gmail.com)までお問い合わせください。

証し

私は牧師家庭で生まれ育ち、家でも教会でも神様のことを聞くのが当たり前な環境でした。いつの間にか「ごく自然にイエス様を信じていた」というのが正直なところで、何か劇的な変化や感動的な体験を通して救われた、と言えるものがありません。クリスチャンとして「感動的で霊的な経験がなければならない」と思ったことはありませんが、人前で語るような証は自分には無いと感じたり、信仰が揺らいでしまう事はありました。

そんな私の歩みの中で、神様という存在を幼い時から知らされ、自由に信じることのできる環境に置かれていることの恵みや、教会やキャンプの奉仕をする機会が与えられてきたことに感謝をするようになりました。神様が私を遣わして用いてくださり、周りの人々に触れておられることを間近に感じることによって、自分自身の信仰が強められていくのを感じてきました。

中でも一人の方との印象的な出会いを通して、神様は私の信仰を強めてくださり、与えられた賜物を認識するきっかけを与えてくださいました。その方は私が高校生の頃、プリンストンの教会に初めて来られた未信者の方でした。彼女は近くの音楽大学大学院で声楽を勉強するために日本から留学していた方でした。当時の私は、音楽や賛美の奉仕に熱心に携わっていたものの、自分には特に賜物や秀でている部分はないと思っていたので、内側では葛藤も感じていました。また、その方の声楽家としての経歴を知ったことで、彼女の前で賛美をする事に恐れを感じてしまいました。緊張と恐れの中で何とか賛美を捧げることができ、その日の礼拝が終わりました。彼女はそれから約一年間、毎週教会の礼拝に来られました。日本への帰国が近づいたある日、その方から言葉を頂きました。「真歩ちゃんの賛美があの時の私には必要だったし、本当に心が開いていくのを感じました。」あの日、私は葛藤と緊張と恐れの中で賛美していたのですが、その礼拝や賛美がきっかけとなって彼女は神様を真剣に求め始め、帰国直前にイエス様を救い主として信じました。そして牧師である私の父と一緒に祈りを捧げられたそうです。

神様が導いてくださった出会い、彼女の魂への働き、そして彼女からの言葉を通して初めて、神様が私をも用いてくださったのだと感じました。その後も 私の周りで人々が神様への信仰を持ち、救われていく姿を間近で見聞きする中で、私自身も恵まれ、信仰が強められ、この道を歩むことに更なる確信が与えられていることを感謝しています。

<牧師室より>2024年1月号「神の恵みによって」

明けましておめでとうございます。

 私たちの教会は1988年元旦にスタートしました。2024年の1月1日に36周年を迎えます。最初はいつまで続くかと思った、と伺っていますが、ここまで守られてきたのは、ただ神さまの恵みであり、憐れみによるものであったと思わされます。

「神の恵みによって、私は今の私になりました。」
(コリント人への手紙 第一 15章10節)

 私が初めてこの教会に足を踏み入れたのは1994年の秋でした。その2年前に日本での牧師の働きを中断してやってきたアメリカ。最初のサンディエゴも、次のアトランタも、知り合いを頼って生活を立ち上げました。しかし、誰も知り合いがいないニュージャージーの大学院に進むことになり、まだEmailとかウェブページとか、あまり普及していない頃でしたから、「キリスト教年鑑」という名前の、日本の教会と世界各地の日本語教会の連絡先が載っている分厚い本を開いて、「神学生としてご奉仕する場はないでしょうか?」とNY周辺の教会に手当たり次第手紙を書きました。その中で、ただ一つ、お返事をくださったのが、ニュージャージー日本語キリスト教会だったのです。「何も約束はできないけれども、とにかく一度来てごらんなさい」と。そのお返事に励まされて、9月の初め、この教会に一歩足を踏み入れました。

 それから、間もなく30年。牧師としてご奉仕をさせていただくようになって、27年。本当に素晴らしい喜びもたくさん経験しましたが、痛みや悲しみ、戸惑うことも何度もありました。そして、私が来る前には、もっと大きな危機があったと伺っています。それでも、ここまで守られてきました。誰かが頑張ったとか、あの人がいたからとか、そういうことを超えて、本当に神さまの憐れみによるものだと思わされます。

 この世界の経済と文化の中心地であるニューヨーク周辺には、これからも日本語での教会の働きが必要でしょう。日本語で人々を支え、励まし、神さまの恵みを伝える教会が必要だろうと思います。そのために、これからも、願わくは、ニュージャージー日本語キリスト教会が用いられてほしいと思います。これからも困難が襲ってきたり、逆風の中を歩んだりするときがあると思います。それでも、ここまで守ってくださった神さまが、これからも一歩一歩導いてくださることを信じています。

2024年の元旦は午前11時から元旦・創立記念礼拝をいたします。また礼拝後にはお餅を準備しています。是非お出かけください。新しい年、神の前に出て祈りをもってスタートしましょう。

<集会紹介>聖書を読む会(2023年12月)

 今回、改めて調べてみると始まったのは2001年5月。Fort Leeで「初めて聖書を読むお友だちを誘って聖書を一緒に読んでいきたい」という方々の声によって始まった集まり。直後の9月には9-11の同時多発テロで一人の参加者のご主人が犠牲になるという大きな痛みを通りました。しかし、それによって、12月にはWaldwickでも始めたいという方が起こされて、2つのグループがそれぞれの場所で集まりを持つようになりました。その後、Fort Leeの集まりの皆さんはそれぞれのところに引っ越していかれましたが、Waldwickの集まりは、RidgewoodやMidland Park, Paramusなど、いろいろなお宅で引き継がれて続けられてきました。そして、一回に集まるのはもう無理かと、悲鳴を上げるほどに多くの方々が集まっていた時に、突然のコロナ禍での中断を余儀なくされました。何度かオンラインでの集まりを経て、教会で再開したときには本当に小さな集まりとなりましたが、今はParamusの牧師館に場所を移して、少しずつ集まる方々が増えてきています。

この集まりでは最初に一つ、聖書を開く前に、質問を投げかけます。最近のものからご紹介すると、こんな質問です。

  • 悲しいとき、辛いとき、苦しいときに、ありがたかった(ありがたいと思う)言葉や態度は何でしょうか?
  • あなたは何でも信じやすい方ですか?何でも疑ってかかる方ですか?場合によりますか?どんな人の言葉は信じられますか?どんな人の言葉は信じられませんか?
  • アメリカに来た時に、困ったこと、戸惑ったことはありましたか?どんなことだったでしょうか?そんな中で手を差し伸べてくれた人はいますか?どのように恩返しをすることができたでしょうか?
  • 社会を見ていて「これだけは許せない!」と思うことはありますか?個人的に経験したことで、「これはひどい!」と思ったことはありますか?どんなことでしょうか?

 それから聖書を開いて、聖書の内容についての質問に答えていきます。そして、最後にはこの最初の質問と聖書が絶妙につながってくることを感じるのです。

 教会の歴史の中で、一番長く続いている集まりの一つですが、それと共に多くの方々が聖書に出会い、イエスに出会ってきた集まりです。今はParamus一カ所だけですが、もしも「うちの地域でも!」という方がおられましたら、是非ご相談ください。新しくスタートできたらと願っています。

<牧師室より>2023年12月号「暗闇が深いところにこそ」

メリークリスマス!

 12月になりました。クリスマスまでいよいよ3週間を切りました。街がイルミネーションで華やぎ、お祝いムードに染まるこの季節ですが、世界に目を向けると、痛みを感じないではいられません。ウクライナはロシアの侵攻から2回目のクリスマスを迎えようとしています。そして、ハマスとイスラエルの間の停戦も一週間で終わり、また本格的な戦闘が再開しています。現地からのニュースに接すると本当に心が引き裂かれるような思いになります。私たちがもしもこの痛みを完全に失って、自分たちだけが良ければそれで良い、と思ってしまってはいけないのだろうと思います。

 クリスマスはイエスの誕生を祝う日。しかし、実際にイエスが生まれたのは12月ではないだろうと言われています。12月ではイエスがお生まれになった夜、羊飼いたちが野宿しながら羊の群れの番をしていた、という聖書の記述と合わないというのです。では、なぜ、12月にクリスマスを祝うようになったのかというと、緯度が高く冬の日中の時間が短いヨーロッパで、これから日が長くなっていく、太陽が帰ってくることを祝っていた冬至の祭りに、暗闇を照らす光として来られたイエスの誕生を合わせて祝うようになったのだろうと言われています。

 聖書の中に、イエスの誕生について語っているこのような言葉があります。

「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネの福音書1章5節)

「すべての人を照らすまことの光が、世に来ようとしていた。」(ヨハネの福音書1章9節)

 イエスは暗闇を照らす光だと、暗闇に勝利する光だと、またすべての人を照らす光だというのです。この暗闇は「一人一人の個人の心の暗闇」だとしばしば言われます。私もそう思います。イエスは私の心の暗闇も照らし、私の心も造り変えてくださいました。しかし、それだけに限定されないのではと思います。この暗闇を照らす光、すべての人を照らす光は、今、暗闇のような状況にある人々のところに届き、その暗闇を照らす光なのだと信じます。そして、私たち自身も心を照らされて、光とされて、出て行くのです。世界の反対側のことも忘れてはなりませんが、身近なところにも暗闇の中に置かれている人々もいるでしょう。そこにも私たちは光を届ける使命があるのです。

「起きよ。輝け。まことにあなたの光が来る。主の栄光があなたの上に輝く。」(イザヤ書60章1節)

 今年のクリスマス。私たちの心がイエスによって照らされて、私たちも光とされて、光を世にもたらす存在とされますように。

<牧師室より>2023年11月号「痛みの中でのサンクスギビング」

 11月になりました。

 アメリカで11月と言えばサンクスギビング。この国では各地から郷里に帰ってきて、家族で過ごす方々が多いようです。私たちの教会でも2019年以来4年ぶりになるサンクスギビングの愛餐会(食事会)をします。また、この機会に以前こちらにおられた方々で戻って来るという方々もおられて、賑やかになりそうです。楽しみにしています。

 しかし、ひとたび世界に目を向けてみると、ロシアによるウクライナへの侵攻は続いていて、戦争の中で2回目の冬を迎えようとしています。そして、10月にはハマスによるイスラエルへのテロ攻撃、またそれに対してハマス殲滅を目指すイスラエルの反撃が続いていて、多くの人々が苦しんでいます。こんな状況の中で、私たちはサンクスギビングを心から楽しめない思いにもなります。

 しかし、実際のところ、アメリカでの最初のサンクスギビングも、万事順調、順風満帆の人生を歩んできた人たちによってではなく、多くの苦しみを経験してきた人々によって祝われたのです。ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々はイギリスで迫害を受け、困難の中に歩んでいました。そんな彼らが自由を求めて船出した大西洋を渡る航海と、ようやく到着した新大陸での例年にない厳しい冬の寒さによって、乗り込んだ人の半分は命を落としたといいます。希望の船出が悲惨な結果になって、彼らはどんなに大きな痛みを経験したでしょうか?その痛みの中にいた彼らが、現地の人々の助けによって得た初めての収穫。そこで祝われたのがアメリカでの最初のサンクスギビングだと言われます。

 ですから、私たちは今も世界各地で、そして、もっと身近なところでも、痛みの中にある方々のことを心に留めながら、与えられている神様からの恵みに感謝して、サンクスギビングをお祝いするのです。この時期、多くの団体が困難の中にある方々のための働きへの協力を呼びかけています。私たちもこのような働きに心を向けて、出来ること、なすべきことを求めていこうではありませんか。

 今年のサンクスギビングが、多くの人々にとって、感謝と慰め、癒しに満ちたものとなりますように。