2018年1月28日「愛の極み」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : ヨハネによる福音書13章1節〜17節

今年のみ言葉

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1

どれくらいの愛か・・・極みまで弟子たちを愛されたイエス

  1. 弟子たちの足を洗ったイエス
  • 弟子たちの姿・・・私たちの姿。
  • 弟子たちの姿にかかわらず愛し通された。
  • 最後の夜、何を語るか、何をするか、一番大切なこと。
  • 足を洗う・・・十字架で私たちの罪を洗うことの象徴。
    イエスは私たちの一番汚い、恥ずかしいところを洗ってくださった。
  • 「いえ、私は大丈夫です」というペテロ・・・プライド。
    「自分でできますから」「洗うほどではありませんから」
  • イエスに洗ってもらおう。イエスの愛を極みまで受けよう。
  1. 互いに足を洗い合いなさいとの招き
  • 自分が洗ってもらわなければいけない者であることを認めること
  • 誰かの足元に跪いて、足を洗うこと。その欠けや、醜さ、愚かさをおおうこと。あげつらうのではなく。
  • 上から目線で赦すのではなく。足元にひざまずく。
  • 16-17節:⎫ イエスのようにはできない。その限界を知りつつ、互いに仕え合っていく。

☆テイクアウトQuestion

  1. イエスの愛の極みとはどんな愛だったでしょうか?
  2. あなたの足元にイエスがひざまずいて、あなたの足を洗おうとされたら、あなたはどうしますか?
  3. 教会の中で、「互いに足を洗い合う」とはどういうことでしょうか?具体的なことを考えてみてください。そして、それを実行してみましょう。

 

 

2018年1月21日「赦しの世界への招き」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書18章21節〜35節

今年のみ言葉
「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1

私たちがこれほど愛されている→「赦しなさい」
実はこの言葉は第一ヨハネのテーマの1つ。第一ヨハネ4章19-21節

ストーリー
1万タラントの借金「もう少し待ってください。必ず返しますから。」
でも、主人はわかっていた、返せない。だから赦してやった。
そしたら向こうから100デナリ貸している奴が来た。
同じことを言うこの人。「ちょと待ってくれ、必ず返すから」。でも、彼はそれを赦さなかった。主人は怒って、彼を牢屋に入れてしまう。

100デナリ・・・100日分の稼ぎ。簡単に赦せない。
「お互い様」のことではない、「絶対に向こうが悪い」ということ。
100デナリ・・・先ほどは大したことはないと言った。でも、これはあくまでも1万タラント赦されたのだという前提があるから。
ここの部分だけ見ていると、簡単には赦せない。
1)自分が赦されたことを忘れている。
2)あれはあれ、これはこれ、と切り離して考えている。
3)1万タラントの意味がわかっていない。
→神を愛しているといいながら、兄弟を愛せない人は偽り者。

赦さないならば、苦しむのは自分・・・拷問役人

  • テイクアウトQuestion
    1)あなたはどうしても赦せない人がいますか?どうしてでしょうか?
    2)自分が赦せない時、上の1)2)3)のどの状態だと思いますか?
    3)あなたはどれくらい赦されたと思っているでしょうか?

 

2018年1月7日「神の招きに答えて」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : ルカによる福音書19章1節〜10節

 

  • 序)
    今年のみ言葉第一ヨハネ3:1
    クリスマスツリーの飾りと木の関係。
    外側を飾るよりも、内側から木を充実させよう。
    イエスに出会って、神の愛を知り、変えられた人・・・ザアカイ
  1. 目を留めて名を呼ぶイエス
    ザアカイ・・・取税人をも弟子とするイエスを見てみたい。
上から下を見下ろす。
    イエスは立ち止まり、声をかけた。
    神はあなたの名を呼ぶ方。あなたに目を留めて、声をかけられる。
    ヨハネ10:2-3
  2. あなたの家に泊まるイエス
    「あなたの家に泊まることにしているから」
    英語でも、”must”
    「片付けますから待っていてください」などと言わないで降りてくる。
    「財産の半分を貧しい人に。騙し取ったものは4倍にして返します」
→ザアカイが先ではなく、イエスが先。
    いつも神様の愛が先、私たちの信仰は応答。第一ヨハネ4:10
    イエスは後ろ指を指される。しかし、イエスはそのことを覚悟で断固たる思いでザアカイのところに行った。
    存在をかけて、命をかけて、あなたを愛してくださっている。
  • テイクアウトQuestion
    1)神様のあなたへの招きはどのような時に感じましたか?どのようなところで見ることができますか?
    2)イエスが、「あなたの心に入りたい」と行ったら、あなたは「もうちょっと片付けますから」と言いますか?すぐにイエスを迎えますか?片付けるとしたらどの部分でしょうか?
    3)神はあなたをどのように愛しておられるでしょうか?

 

 

新年から大盛り上がり!

本日のクロッキークラス

2018年最初のクロッキークラス。

この日は気温も低く、朝から雪がチラチラ。。

体調を崩している方も多いだろうし、きっと少人数でまったりクラスだろうなー。

と思いきや!なんと、雪の中12名もの方々が集まって下さいました!

 

こちらはアートカルタ。

 

一人一枚ずつ模写していきます。
ご本家より上手ですよね??!

 

皆さん素晴らしい作品ができましたー!

 

そして新年一発目の人物画は・・

もちろんこの方、錦織牧師!

 

男性のスーツ姿はバランスがとても難しいですが、初めての方もとても素敵に描けました!

 

クロッキー教室のあとはショートバイブルメッセージ。

ヨハネによる福音書6章20節
すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」

「恐れるな」という言葉は聖書にたくさん出てきます。
ある説では、365回出てくるとも言われています。
それだけ私たちが恐れやすい存在かということを表していると思います。

私は昔、絵を描くのが苦手でした。
ジャッジされることを恐れていました。
描いていても楽しくなかったですし、自信がありませんでした。
それが絵にも表れ、悪循環です。

このように色んな場面で私たちは恐れによって損しているのではないでしょうか。

この聖書箇所では弟子は嵐を恐れていました。
私たちの人生にも嵐があります。
環境、人の目に振り回されて損してしまうこともあります。

けれど、聖書は恐れなくて大丈夫と繰り返し語っています。
信じていきましょう。

 

バイブルメッセージのあとは、楽しいランチタイム。
新しい方も加わってくださり、自己紹介をしたり、新年の抱負を語りあったりと、お喋りに花が咲いた楽しいひと時でした!

次回のクロッキークラスは2月21日10:30〜13:00です。

どなたでも大歓迎です!

2017年12月31日「主の御手を信頼して」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書6章33節

  • 序)
    今年のみ言葉がマタイ6:33
    神を信頼して歩むように招かれた1年を振り返りつつ味わう。
  1. 地上での神の国
    空の鳥を、野の花をごらんなさい。神様は大切にしてくださる。
    あなたはもっと大切な存在・・・だから信頼していこう。
    神の国→神の支配→神の愛の支配→神の愛に満たされること
・・・神の愛に満たされて歩む。成果主義ではなく。
    神の義・・・神とのまっすぐな関係。神の前にありのままの自分で出る
    神の愛の中に抱かれる。
    神の国の生き方は・・・恵みに感謝して生きる。
⇔成果主義、頑張って認められる生き方
マタイ20:1-16
  2. 死を突き抜ける神の国
    多くの方々を天に送ったこの1年。
    聖書の約束
・・・イエスと共に、神と共に永遠に。悲しみも、痛みもない世界。
ヨハネ14:1-3
黙示録21:3-4
ピリピ1:20, 23
    私たちは希望を持って歩める。ローマ8:38-39
    イエスの死に対する勝利・・・ヨハネ11:1-44
  • テイクアウトQuestion
    1)この一年、あなたの歩みはどのような歩みでしたか?感謝したいことは何でしょうか?
    2)この地上で神の愛の支配に生きることは、どんなことでしょうか?
    3)死を突き抜ける神の愛の支配はどのようなものでしょうか?それを信じることは、私たちの地上の生涯にどんな力があるでしょうか?

 

2017年12月17日「我らとともにいる神」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書1章18節〜25節

  • 序)
    クリスマスの登場人物の中で、一番大きな役割・・・マリヤとヨセフ
    大きな使命、困難な使命・・・神が共にいるということが支えだった。
  1. マリヤと共におられた神
    ルカ1:26-38・・・マリヤへのお告げ
「恵まれた女よおめでとう。主があなたと共におられます」
    信じられない・・・「どうしてそんなことがありましょうか?」
    自分の身に起こってくる困難。
    使命を支えられる神
  2. ヨセフと共におられた神
    マリヤが身ごもっている。マリヤを信じられないでいるヨセフ。
ヨセフが訴えるとマリヤは石打ちの件
→密かに離縁しようと決心した。
    マリヤにとっては一番サポートが必要な時。
でも、ヨセフの判断は無理はない。
    無理なことを無理じゃなくす神の臨在。ヨセフはすぐに妻に迎えた。
  3. インマヌエルなるイエス
    イン=共に、マヌー=私たち、エル=神 イザヤ7章の預言
この方の中に神が共にいてくださる。
    イエスの生涯・・・人々と共に歩んだ。底辺を歩んだ。痛みの中にいる人と共に歩んだ。病の人に触れて癒された。
    イエスの存在・・・神と人が共にいる。
    十字架にまで共にいてくださった。どこまでも共にいる。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたはどんな時に神様が共にいてくださると思いますか?
    2)神様が共にいてくださるのはあなたにとってどんな意味があるでしょうか?
    3)神はあなたと共にいるためにどんなことをしてくださいましたか?

 

 

2017/12/1 マンハッタンオアシス 特別プログラム (ピアノコンサート) 

この日はピアニストの萌子さんをお招きした特別プログラム。

ドビュッシー(水の反映)、リスト (バラード2)、ガーシュウィン (Embraceable for you Fascinating Rhythm)などを弾いていただきました。

ピアニスト
千代崎萌子

水の反映は、印象派の絵のようなイメージで、オアシス会名称の由来となった

イエスが与える永遠の生命に至る水が湧き上がる(ヨハネ4:14)の様子を連想させるものです。

リストのバラード2番は嵐と平和が交互にくる曲想で、イエスが私たちの心の中の嵐を鎮めて下さることを表現したそうです。

 

バイブルトーク

そして、クリスマスを待ち望むこの日開かれた聖書はルカ2:1~20。

イエスの誕生に込められたメッセージが語られました。

世界で最初のクリスマスは、華やかなネオンもない静かな場所でした。

人々に大きな喜びを与える、救い主が生まれた!

この知らせは、まず野宿していた羊飼いたちに伝えられました。彼らは家畜の世話ゆえに安息日を守れずにいて、ユダヤ人の中で見下されていた人々です。

迎える客間もなく、家畜小屋で生まれた救い主、イエス。そのしるしは、布にくるまれ飼い葉桶に寝かされていると天使は告げます。

すぐに出発して、赤ん坊のイエスを探しあてた羊飼いたち。天使が告げたことはすべて真実でした。羊飼いらは自分の日常には戻らず、すぐ人々に見たさまを伝えに行きました。

クリスマスのメッセージを聞いて、そのまま日常に戻るのは、なんともったいない。

もしや、今年のクリスマス、楽しい気持ちではなくて不安を感じてはいませんか? クリスマスは幸せな人の為にある?と思っている方はいらっしゃらないでしょうか?

イエスはこの世の底辺に生まれました。

だから、人々の苦しみや痛みを分かり共感してくれるのです。

それがあなた方に喜びを与えます。

神様、それは本当ですか?

私も、その真実が分かるようにしてください。

そこに約束されている大きな喜びを、私にも与えてくださいと求めようではありませんか。

 

 

 

 

 

マンハッタン・オアシス

天突く高層ビルの摩天楼。

絶えない人々の流れと鳴り響くイェローキャブのクラクション。

煌びやかに輝くネオンの不夜城。エネルギーと活気に溢れた

マンハッタン。貴方にとって、憩える場所はどこでしょうか?

タイムズ・スクエア近くの一角で

牧師がバイブルのメッセージをわかりやすく語ります。

砂漠に突如現れたオアシスのように

希望と憩いの時となりますように。

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毎月第一金曜日 

場所 :Kirov Recital Hall @ 244 Rehearsal Studios
244 W 54th St. 10F (between Broadway & 8th Ave.) Manhattan, NY
スピーカー:錦織 学 (ニュージャージー日本語キリスト教会牧師)
連絡先 :1-201-221-6244 (牧師携帯)
参加費:無料 軽食付き
7pmより会場に入ることが出来ます。

Special thanks!

本日のJCCカフェ

 

あっという間に2017年も最終月。

クリスマスを控え、JCCカフェもクリスマス仕様です。

本日のスイーツメニューはこの季節ならではの、生栗から作るモンブランと、キャラメルブッシュドノエルです。

モンブランのトップと中には手作りの渋皮煮も。ベースはサクサクと口どけの良いメレンゲを敷いて、栗の風味が存分に感じられるモンブランに仕上がりました。

キャラメルブッシュドノエルは子供のころ大好きだったケーキ屋さんのキャラメルロールを再現。

カリカリにキャラメリゼしたナッツと、ほろ苦いキャラメルバナナをトッピング。

 

人気のスイーツプレートはレギュラーサイズとハーフサイズの組み合わせを自由に選んで頂けるようにしました。

スイーツプレートには特製のリンゴジャムとブルーチーズのカナッペがセットに!

これがもう、甘いのとしょっぱいのの禁断のマリアージュで。。!

1枚じゃ足りない!あと10枚!!という美味しさでした〜

色あざやかなピクルスプレートも準備万端です。

 

クリスマススペシャルとして、いつも来てくださる皆さんに、ささやかながらクリスマスクッキーをプレゼント♡

 

カウンターでは自家焙煎コーヒーをハンドグラインドして、ハンドドリップ!

なんとも贅沢なコーヒーです。

 

今回はクリスマススペシャルゲストとして、リッジウッド歌う会の皆さんがミニコンサートをして下さいました〜!!

クリスマスにぴったりなクリスマスソングや、日本の歌など、とっても素敵なハーモニー。

一気にカフェが華やかな雰囲気に包まれました。

 

皆さんリラックスしながら思い思いにコンサートを楽しんでいらっしゃいます。

小さな女の子は音楽に合わせてノリノリで踊っていてとっても可愛かったです♪

今後もまた是非、コラボレーション企画をして行きたいです!

 

8月にプレオープンしてからこの数ヶ月の間、誕生したばかりのJCCカフェにたくさんの方が足を運んでくださいました。

こんな場所があったらいいなーという思いを多くの方が共有してくださって、今年いっぱい続けることができました。

もっともーっと地域に根付いて、公民館とか児童館みたいな場所になればいいなと願っています。

あんなこと、こんなこと、アイデアは山積みですが、まずは一歩一歩ゆるりと皆さんと一緒に居心地の良い空間を作り上げていけたらいいなと思っています。

2018年もどうぞよろしくお願い致します。

 

☆次回のカフェは

2018年1月10日12:30〜15:30です!
※時間が変更になっています。ご注意下さい。

 

2017年12月10日「イエスのもたらす平和」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : イザヤ書9章1〜7節

  • 序)
    救い主は暗闇に輝く光。
    ゼブルン、ナフタリ、ガリラヤ・・・イスラエルの北部
・・・周辺からの攻撃を受ける。そこに光が、平和が与えられる。
    暗闇のようなところを歩む私たちに光を、平和を与える救い主。
  1.  イエスが与える平和
    戦いがなくなる。武器は必要なくなる、という預言。
↔︎「わたしは平和ではなく、剣を投げ込むために来た」(マタイ10:34)
→表面的な平和、見せかけの平和を打ち壊し、本当の平和をもたらす。
    神との平和(ローマ5:6−11)
神に背いていた私たちのために、神は和解の手を差し伸べられた。
イエスの十字架によって罪が清算される。
    キリストの与える平安(ヨハネ14:27)
  2. あなたから始まる平和
    聖書はいつも「内側→外側」の方向性。
↔︎状況によって、平和が変わる。周りがガタガタしていると心も不安。
    軍事的リーダー、強いリーダーを期待していたユダヤの民。
↔︎イエスは私たちの心を照らして、私たちの心に平安を与え、世の光へ。
    「光によって、明らかにされて、それが光に変えられる」エペソ5:13-14
    アッシジのフランチェスコの祈り
・・・私を平和の道具にしてください。
・・・理解されるよりも、理解することを。
・・・愛されることよりも、愛することを。
  • テイクアウトQuestion
    1)どんな時に平和が実現すると思いますか?
    2)イエスはどのような意味で、救い主なのでしょうか?
    3)あなたはあなたの周りに平和を生み出すために、どんなことができるでしょうか?

 

 

一年の締めは色のお勉強

本日のクロッキー

12月は年に一度の色のお勉強です。

光の三原色と色の三原色は同じ色ではありませんよ〜

知っていましたか?

光の三原色は、赤、青、緑。テレビの仕組みも同じです。

色の三原色は、赤、青、黄。混ぜると黒くなっていきます。

 

雑誌をちぎって色々な色を探します。
雑誌をルーペでよく見ると、赤、青、黄色、黒のドットで表現されていますよ。
家庭のプリンターも同じ原理です。

 

様々な色を探したら、青い台紙に貼ってお魚を作ります。

画面に貼り付ける技法はコラージュと言います。

個性豊かな作品ができました〜!!

 

クロッキー教室のあとはショートバイブルストーリー。

ヨハネによる福音書1章1〜5節、9節
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

この聖書箇所はイエス様がこの世に来たことを象徴的に表しています。イエスは光としてこの世界に来たというのが聖書全体を通してのメッセージです。

歴史を熱心に研究する人達の中にはイエスは12月に生まれたのではないと唱える人もいます。

12月の寒い夜、羊飼いが羊の番をするとは考えづらいので、実際イエスが生まれたのはもっと暖かい時期だったのかもしれません。

では、なぜ12月にXmasを祝うのでしょうか?
それは、キリスト教がヨーロッパに伝えられていったこと関係があります。
アメリカより更に緯度が高いヨーロッパでは、冬はとても日が短く、冬至はとても大切なお祝いでした。「これから日が長くなっていく!太陽が帰ってくる!!」と祝っていたのです。
それが、キリスト教がヨーロッパに伝えられていく時に、「光(イエス)が来る」と「太陽が戻ってくる」を重ねてお祝いするようになりました。

今日は、私達は色について学びましたが、光のない暗闇では、どんな色も黒にしか見えません。
光は私達にとってなくてはならないものです。
イエス様は暗闇を照らす光として私達のもとに来て下さいました。
日が短い時に光が来ることは大変な喜びですが、同時に私達の心にも光が必要です。

暗闇の中では全く気付かなかったシャツの染みに、光の中に出て初めて気づくように、私達も、光によって初めてその心の染みに気づくことがあります。
それは時として、とてもつらいことですが、その存在を知ることで、初めて「この染みを取り除いてください。」と祈ることができるのです。

皆さん、どうぞこのXmasに光を求めて、イエス様が私達のところに来たのはどういう意味なのか味わう機会として下さい。

 

次回のクロッキー教室は1月17日10:30からです。
新年最初のクロッキー教室で皆さんにお会いできるのを楽しみに待っています♪

2017年12月3日「慰めよ、我が民を慰めよ」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : イザヤ書40章1〜11節

  • 序)
    紀元前500年代のバビロン捕囚の中での解放の預言。
    もうダメだという民。70年間の捕囚。
    そんな絶望の中にいた民に慰めを語る神。救い主を待ち望む民への慰め
  1.  罪の赦しの慰め
    ・神が言われる。人の言葉ではなく、神が言われる。
    ・「我が民」と呼んでくださる。私のものだと、呼んでくださる。
    ・ここでは、十分に苦しんだから、あなた方は赦されると書かれているが、これが救い主の預言となる時、苦しむのは、私たちではなくて、イエス様、救い主。
    ・赦される=神とともに歩む。神に受け入れられる。私たちが立派になったら受け入れてくださるのではなく、そのままで受け入れられる。
  2.  御言葉による慰め
    ・御言葉によって慰められる。
    ・諸行無常・・・全ては変わっていく。⇔御言葉はいつも変わらない。
    ・御言葉が与えられる経験。御言葉が自分のものになる経験。
    ・神様の慰めをいただく。人に慰めを運ぶ。・・・第2コリント1章。
  3. 羊飼いの慰め
    ・私たちを抱きしめてくださる。受け入れてくださる。懐に入れてくださる。包んでくださる。
    ・神様の慰めは結局のところ、共にいてくださること。臨在。
    ・言葉で表しきれないもの。音楽や絵を通しても。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたが慰めを受けた経験はどんな経験がありますか?
    2)聖書の言葉によって慰めを受けた経験はありますか?
    3)神からの慰めを受けるために、あなたはどんなことをすればいいでしょうか?

 

2017年11月26日「我らは恐れない」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : 詩篇46篇

  • 序)
    神が共にいてくださる。今ここに。
遠くではなく、困難の中でも。
    詩篇46篇の背景・・・紀元前700年ヒゼキヤ王のユダ王国。
大国アッシリア帝国に包囲される。18万5000人の兵。
列王紀下18-19章、イザヤ36-37章
  1. 神がその中におられるので、都はゆるがない。
    普通は「砦がしっかりしている」「城壁が堅固だから」「負けない位たくさんの兵士がいるから」
個人「老後の蓄えがあるから」「保険に入っているから」
教会「会計が満たされているから」「能力のある方がおられるから」
    そうではなく、「神がここにおられるから、私たちは揺るがない」
    「一つの川がある」・・・命の水を与えられたイエス。聖霊の満たし。
  2. 静まって、わたしこそ神であることを知れ。
    口語訳「静まって」、新改訳「やめよ」、新共同訳「力を捨てよ」
NIV “Be still”, The Message “Step out of the traffic!”
流れに身を任せて、振り回されて、ではなく、一歩退いて。外に出て。
    アッシリアに攻められたユダの国。エジプトと同盟、バビロンと同盟。
あっちの国と同盟、こっちの国に助けを求める、そんなバタバタしている民に対して、「静まりなさい、神の主権を認めなさい」と言われた神。
    忙しくて、そんな時間はない?・・・だからこそ、神の前に静まる。静まって神を神とすること。神を見つめること。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは何を頼りにしているでしょうか?「これがあるから大丈夫」と思っているものは何でしょうか?それが取り去られたら、どうなるでしょうか?
    2)今、自分がstep outしなければならない状況は何でしょうか?
    3)神を神とするとはどういうことだと思いますか?あなたの現実の生活の中で、具体的にどんなことをすればいいでしょうか?

 

 

2017年11月19日「私たちを養ってくださる方」

説教者 : 錦織学牧師
聖書箇所 : 詩篇23篇

詩篇23篇は多くの人々に愛されている詩。
「羊飼い」といえばどんな場面を想像する?
緑の牧場、憩いのみぎわ、どのような場面?

この詩の背景は乾燥地帯。
ダビデの詩・・・ベツレヘム、エルサレム周辺。⇔ガリラヤ湖周辺。

死の陰の谷を行くときも
1)困難なときにも
2)本当に肉体の死の瞬間にも
・・・恐れない。なぜ?・・・主が共におられるから。
生きているときにも神と共にある平安
死に直面して、更に近く神とともにある平安

2013年11月の後藤兄の証しの2つの御言葉。
伝道の書3:1-11・・・すべてのことには時がある。
第一ペテロ4:12-14・・・試練にも驚き怪しむな。

敵の前で・・・祝宴が持たれる、油が注がれる、杯が溢れる。

  • テイクアウトQuestion
    1)神様がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのだろうかということはありますか?どんなことを感じますか?
    2)神様が私たちの羊飼いであってくださることを感じるのはどんな時でしょうか?
    3)神様があなたに油を注いでくださっている、あなたの杯を溢れさせていると感じることはありますか?どんなときですか?

 

11月15日クロッキー教室

本日のクロッキー教室

 

空想画にチャレンジです。
新聞紙をちぎってその形の輪郭を描きましょう。その新聞紙も画面に貼って。
お題は「コミュニケーション」形を見ながら思いつくまま想像力絞って発想を広げましょう。

 

紳士靴をデッサンしました。
アウトラインを何本か引いてどんなボリュームか確かめてから描いていきます。
かっこいい靴が描けました!

 

恒例の人物画は、たまには講師のケイティーさんがモデルです。

 

クロッキー教室の後は錦織牧師によるショートバイブルメッセージです。

テサロニケ人への手紙第一 5章16節〜18節
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリストイエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

サンクスギビングデーが近づいてきたので感謝について話します。

1、感謝出来る事を探す
2、感謝出来ない事を感謝する。

辛い中にも神様の御手があります。
感謝できないと思う状況の中でも、お祈りしてみたら最後に感謝の言葉が出てきて平安が湧いてくる。
感謝できない状況も、神様が許された上で起こった事だから、受け止めてみる。
その時に平安が生まれる。

例えどんな状況にあっても神様は常に私達を愛し、十字架にかかって下さりひとり子イエスを与えてくださいました。
大変な時や辛い時、神様に見捨てられてしまったのではないかという気持ちになることはないでしょうか。

私達の状況によって、神様の愛がないと思うのではなく、神様の愛のコミュニケーションはイエスを与えて下さった事に全て現れています。十字架で死んで下さりどんなに愛して下さってるかである。
神から与えて下さった良いもの 良いとは思えない物も感謝出来る様にしましょう。

個性爆発、抽象画

本日のクロッキー教室

 

今日のテーマは抽象画。
正方形を描きましょう。

4つの角から画面の四隅に線を引きましょう。
この繰り返しでできた空間に濃さを変えた色を塗りましょう。
なんともおしゃれで個性的な抽象画が完成です。

次は物体のデッサンです。
今日はポットや瓶、コップを描きます。

ポットや瓶はちゃんと同じ面に置かれているでしょうか?

 

恒例の人物画は立ちポーズにチャレンジ。
肩の位置に気をつけて描いて見ましょう。

 

クロッキー教室のあとは、錦織牧師によるショートバイブルメッセージ。

 

聖書箇所:詩篇121篇
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。見よ、イスラエルを守る者は/まどろむこともなく、眠ることもない。主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

先日、海岸で祈るリトリートへ参加し、そこで水平線から出る日の出を見ました。
リトリートとは元々、兵隊が一時退いて態勢を整えると言う意味で使われていた言葉です。

日の出の瞬間を写真におさめようと楽しみにしていたのですが、あいにくの曇り空でした。
雲がない方がいいのに。。と残念に思っていたのですが、雲の向こう側から黄金が輝いたのを見て、雲があるからこその感動と景色がありました。

人が見ていようが見ていまいが、写真を撮ろうが撮るまいが、毎日陽が昇り沈んでいます。
地球が周り、太陽が動く背後には神様がいらっしゃいます。

私たちが寝ている時も、神様が休まず私たちを守ってくださっているので、安心して神のもとで生きていけます。

 

次回のクロッキー教室は11月15日10時半からです♪
どなたもお気軽にご参加ください!

2017年11月12日「からしだね一粒」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書17章9〜21節

  • 山を降りたイエス。
山の上では栄光に輝く姿。
    しかし、山の下に降りて人々に仕えたイエス
山の下では、混乱が、困惑が、不信仰が、待っていた。
  • 悪霊に憑かれた子供が連れられてきた。
弟子たちは癒せなかった。
    イエスにはできるけど、人間には無理?
でも、弟子たちも「悪霊を追い出す権威」を与えられていた。
    「どうして私たちにはできなかったのでしょうか?」
「信仰が足りないからだ」「からしだね一粒ほどの信仰があれば・・・」どういうことか?
  • 「信仰が足りない」という言葉
    1)ペテロが水の上を歩いた時に、風を見て、恐れた時。
    2)何を着ようか、何を食べようかと心配している人々に。
    →神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば全ては添えて。
    →数量的な多さとか、少なさとか、小ささではなく、
 神を見ないで他を見ている人々。
  • 信仰って何?
使徒行伝3:12, 16「信心ではない」「信仰だ」
    ローマ4:5「不信心な者を義とする方を信じる信仰」
自分の信仰の姿勢に注目するのではなく、
イエスに注目する。神の愛に注目する。
  • からしだね一粒ほどの信仰・・・そこにはいのちがある。
    ヨハネ12:24「一粒の種も死ななければ・・・」
自分ではなく、自分に死ぬ時に、命を得る。
  • テイクアウトQuestion
    1)もしも、あなたの周りに「悪霊に憑かれた人」がいたとしたら、あなたはどうしますか?
    2)「信仰」と「信心」との違いは何でしょうか?「山を動かす信仰」とはどのようなものでしょうか?
    3)「山が動いた」経験はありますか?どんなことだったでしょうか?

 

本日も盛況JCCカフェ

本日のJCCカフェ

 

4回目のオープンを迎えたカフェ。

本日もスイーツもコーヒーもピクルスも準備万端です!

JCCカフェの定番メニュー候補のアールグレイパンナコッタとチーズケーキ。
それから、前回好評だったスイーツプレートには、
新作のりんごジャムもお目見えです。

ピクルスはビーツの赤が鮮やかですね!

ピクルスというとハンバーガーに入っているきゅうりぐらいしか思い付かないので、
色んな種類のお野菜のピクルスが食べられて嬉しいです♪

 

フンフン♪と準備しながらも、内心、「だ、誰も来てくれなかったらどうしよう。。」
「この大量のケーキとピクルス、全て我々の胃袋に収まるだろうか。。(じゅるり)」
と不安なのですが、、

本日も開店と同時に沢山の方が遊びにいらしてくださいました!

 

 

お子様連れの方、アメリカに来て間もない方、アメリカ生活ベテランの方などなど。。

色々な立場、環境の方が、思い思いに楽しく過ごしていらっしゃる姿を見ると嬉しくなります♪

海外生活初めたばかりの頃って、日本語で話せる環境にいるだけでホッとしたり。。

何気ない会話で得られる食材やスーパー情報などに、大いに助けられたなぁ。。

と、中堅主婦のカフェ子は新米時代を思い出してしみじみするのでした。

 

次回は12月13日(水)13:00~16:00オープンです。

初めての方も、お一人の方も、お子様連れの方も、どなたでも大歓迎です。

予約もいりません。お好きな時間に来て、お好きな時間に帰って頂いて結構です。

(比較的15時頃が空いています)

次回はスペシャルクリスマススイーツの予定です〜

お会いできるのを楽しみに待っています♪

2017年11月5日「貧しくなられた神の子」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書17章1〜8節

  • 序)
    イエスの栄光の姿・・・この1回だけ。3人だけ。復活まで黙っている。
    ・・・隠されていた。→この神の子がへりくだられた意味。
  1. 栄光を隠されたイエス
    モーセとエリヤ・・・OTを代表する2人。
    神と語る人・・・モーセは神と語ったあと、顔が輝いていた。
    イエスが輝いていたのは、本来の輝きだった。顔は太陽の輝きのように、衣は真っ白に。第2ペテロ1:16-17
    神様の栄光の輝き・・・本来、私たちは耐えられない。
イザヤ書6:1-5・・・「わたしは滅びるばかりだ」・・・畏れ。awe
    イエスは本来の輝きを隠していた。ピリピ2:6-11
    ・私たちの痛みや悩みや闘いをご自分のものとして経験。ヘブル4:14-16
  2. 山を降りられるイエス
    ペテロはこの光景を前に「ずっとここにいたい」と言い出した。
「小屋を3つ建てましょう」
    天からの声、「これにきけ!」と言われた。あなたが神に指図をするのではなく、あなたが聞くのだ。
    モーセもエリヤも人々に拒否された預言者。イエスも人々に拒否される。山にいたほうが楽だっただろう。山にいて栄光に輝く姿で、モーセやエリヤや弟子たちと一緒に。
    しかし、イエスは山を降りていった。降りたら何が待っていたか?
病の人々、弟子たちの不信仰。
    そして、十字架に向かっていく。ピリピ2:6-11
    私たちも山から降りるように招かれる。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスはどうして「これを誰にも言うな」と言われたのでしょうか?
    2)「小屋を3つ建てます」というペテロの提案の背後にはどんな思いがあったでしょうか?それに対して神はどう言われますか?
    3)私たちが「山を降りる」ということはどんなことを意味しているでしょうか?具体的に考えて、実行してみましょう。

 

 

2017年10月29日「神のことと人のこと」

説教者 : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書16章21〜28節

  • 序)23節のイエスの言葉:「神のことを思わないで人のことを思っている」
    この言葉は私たちすべての者へのチャレンジ。
    「神のこと-人のこと」
    神の視点−人の視点(New Living Translation)
    神の方法−人の方法(The Message)
    神のことを気にしている−人のことを気にしている(ESV, NIV)
  1. 人のこと
    イエスの受難予告・・・ペテロの信仰告白から始まる。
「イエスは神の子キリスト」という信仰
→それはどんな意味か明らかにされる。・・・受難と復活。
    22節のペテロの言葉:新改訳は「神の恵みがありますように」
原語のニュアンス・・・ペテロは神を利用した。
    人の方法・・・自分を守り、自分の夢、自分の願いのために神を利用
自分の夢、自分たちの国の独立、ローマに対する勝利、
  2. 神のこと
    「神のこと」なんかわからない?
イザヤ書55章8−9節・・・わからないことを前提に出発。
    続く10−11節。・・・御言葉に聞く。
神の方法・・・自分を与えることによって命を得る。十字架を負う・・・死刑宣告を受けた者・・・自分の夢、自分のこだわりを捨てる。
神様の大きなピクチャーの中で、私は生かされている。
損に見えるかもしれない・・・神様はそこに命を与える。
    まずそのために、イエスがご自身を与えてくださった。
私たちもその足跡を従うようにと招かれている。イザヤ55:12-23
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスがこのタイミングで受難と復活の話をされたのはどうしてでしょうか?
    2)イエスはどうしてペテロに厳しいことを言われたのでしょうか?
    3)人のことではなく、神のことを考えて生きるということはどうすればいいのでしょうか?

2017年10月22日「何が土台か」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書16章1〜20節

序)
建物の中で、外観よりも、玄関よりも、内装よりも土台が大切。
あなたの人生の土台は何か?教会の土台は何か?

  1. 他の土台
    2つの誤った土台
    1)しるし(奇跡)
    イエスに「しるしを見せてください」という人々。
    イエスの答え「この時代にはヨナのしるし以外にはない」
ヨナのしるし・・・イエスの十字架と復活を指す。
    十字架の下でも、「降りてきてみろ、そうしたら信じよう」の声。
    私達の信仰は「にも関わらず」「たとえそうでなくても」の信仰。
ダニエル書3章の3人。「たとえそうでなくても」
    2)行い(律法)
    パリサイ派・サドカイ派のパン種。・・・彼らの教え。
律法を守ることによって救われる。
    「パン種」は少しでも大きな影響を与える。
    宗教改革500年。ルターが回復したのは行いではなく信仰。
    ⇔「こんなに頑張っているのだから、愛される、認められる。」
  2. 信仰を土台とする
    弟子たちへの質問・・・人々は?<あなたは何と言うか?
    ペテロの答え「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」
    この信仰の上に教会を立てる。
ペテロの信仰・・・自分の力を頼った、弱い信仰。
    →自分の弱さを思い知らされた神の力を頼る信仰。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの人生の土台は何でしょうか?
    2)「しるし」や「行い」が土台にならないのはどうしてでしょうか?
    3)ペテロの信仰はどのような信仰だったでしょうか?それが教会の土台になったとはどんな意味でしょうか?

 

2017年10月15日「イエスに満たされる」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章29節〜39節

  • 序)
    「人はパンだけで生きるものではない」・・・これに続く言葉は?
    人はものだけがあればそれで十分という存在ではない。心の満たし。
    人々の癒し、解放、満腹も、イエスが私達の魂を癒し、解放し、満たしてくださることを示している。
  1. 私達の魂を解放するイエス
    イエスのもとに連れてこられた方々、手や足、口や目が不自由だった。彼らを癒された。
→イエスは魂の手を、足を、口を、目を解放し、癒やしてくださる。
    水野源三さんの証し。
    あなたの口は?あなたの目は?あなたの手はあなたの足は?
  2. 私達の心を満たすイエス
    7つのパンと少しの魚で4000人の人々を満腹に。
→「人はパンだけで生きるものではない」を前提に読む。
    宝くじに当たった人のその後・・・必ずしも幸せではない。
    心を満たすパンが必要。・・・命のパンであるイエス。
→最後の晩餐。→十字架のイエス。
    十字架のイエスこそ、私達の心を満たす方。
    状況は変わらない。でも内側が変えられる→状況にインパクトを与える。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの心の状態はどのような状態でしょうか?
    2)あなたの心の内側の状態は、あなたの生活にどのような影響があるでしょうか?
    3)イエスはどのように私達の心を満たしてくださるのでしょうか?

 

嬉しい悲鳴

本日のJCC Cafe

 

第3回目のオープン日を迎えたJCC Cafe。
本日も美味しいコーヒーに、日本風スイーツ、絶品ピクルスで準備万端です。

この日のメニューは濃厚チョコレートパンナコッタ。
『無類のチョコ好き。でも甘い物は苦手。ビターに限る』のわがまま味覚のカフェ子が、「美味しい!」と思える配合を目指し、ビターチョコとセミスイートチョコをブレンドして作ったちょっと大人なチョコレートパンナコッタです。

 

もう一品はしっとりなめらかベイクドチーズケーキ。
小さな頃から母が作り続けている定番チーズケーキです。

焼きたてはふわふわ、冷めるとしっとりクリーミーで、どちらの食感も捨てがたい!
いつかカフェで焼きたてをお出しできないかな〜と目論んでいますよ♪

 

 

今回からはジャム名人のとっておき、イチジクジャムも登場しました。
旬の生イチジクをたーっぷり贅沢に閉じ込めた絶品ジャムは、甘さ控えめでそのままパクパクいけちゃいます。
今後も季節のジャムが登場するかも。。??
という嬉しい予告を頂き、今からワクワク!

 

実は今回のカフェ、オープンと同時にたくさんのお客様が駆けつけてくださり、
まだ慣れないJCC Cafeは、てんやわんやの大騒ぎでした。
手が足りず、長時間お待たせしてしまったお客様も。。
ピクルス始め、いろんな写真も撮り忘れてしまったり。。

至らないことだらけで申し訳ない限りだったのですが、
初めていらしたママさん同士が「また来月もここで会おうね!」と約束してくださっていたり、
ピクルスをお持ち帰りされたお客様から、「美味しすぎて止まらない!来月もリピートします!」
とメールを頂いたり。。

みなさまの暖かい眼差しに感動の涙がポロリ。。

まだまだ改善点だらけのJCC Cafeですが、逆に言えば伸びしろは無限大(^^;

地域の皆さまの憩いの場JCC Cafeを、皆さまと一緒に育てていけたらなと思っています。

次回のカフェは11月8日(水)13:00〜16:00です。
どなた様もお気軽に足をお運びくださいね。

↑JCC Cafeのパンフレットができました!

2017年10月8日「小犬の信仰」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章21節〜28節

  • 序)
    イエス「あなたの信仰は立派だ」・・・どんな信仰?
    1節からのパリサイ派の人々とは対照的。
    「小犬のような信仰」・・・あまりかっこよくない。そこがまた大切。
  1. 資格がないという自覚
    自分は小犬だ、ということを受け入れた。
    「小犬」・・・今は家族の一員⇔この時代はかなり侮辱的。
    私達の信仰のじゃまになるもの・・・「プライド」
    放蕩息子・・・「あなたの息子と呼ばれる資格はない」
    マタイ5:3「心の貧しい人は幸い」
  2. 神の豊かさへの信頼
    神の恵み・・・パンくずでも十分だ・・・それほど豊かで大きい。
    詩篇81:10「あなたの口を広く開けよ。私はそれを満たそう」
    5つのパンと2匹の魚で人々が満腹になった。パンくずが12かご一杯。
    ダビデがゴリアテを打ち倒した時ダビデの袋の中には石が4個残ってた。
    勝ち得て余りある。ローマ8章37節
  3. 神のなさることへの信頼
    イエスは沈黙された。
    イエスは「ユダヤ人に遣わされている」と言われた。・・・神の救いの計画。十字架まではユダヤ人を通して、世界の人々に祝福を。イエスの十字架によって、全世界の人々に祝福を与える。
    神様の思いは私達の思いを超え、理解し難いことがある。
→それでも、神を信頼する。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスの沈黙にはどんな意味があると思いますか?
    2)イエスに「小犬」と言われた時に、この女の人はどんなふうに感じたと思いますか?
    3)この女の人の信仰と、あなたの信仰はどこが似ていますか?どこが違いますか?

 

 

お腹も心も満タン♪JCCカフェ

本日のJCCカフェ

 

こんにちは♪
カフェ子です。

先日、遂に本格オープンを迎えたJCC Cafe、おかげさまでご盛況いただき、来週には3回目のオープンを予定しております♪
既に足を運んでくださった方も、行こうかなぁどうしようかなぁ、と迷っていらっしゃる方も、
毎回おもてなしと感謝の気持ちを新たにお待ちしておりますので、是非足をお運びくださいね。

ところで遅ればせながら先日9月12日の様子をレポートさせていただきます!

秋晴れの昼下がり、パラマスの閑静な住宅街の一軒家。

玄関のドアを開けると既にいらっしゃった多くのお客様、スタッフの歓迎の笑顔と心落ち着く芳醇な引き立て&淹れたてコーヒーの香りで一気に気持ちが柔らかくリラックスしていくのがわかります。

 

(あぁ、やっぱりきてよかった。。)

そんな暖かい気持ちと雰囲気の中、目に飛び込んで来るのは、本日の素敵スィーツのラインナップ!!!
本日は、トロりんアールグレイパンナコッタ、濃厚ガトーショコラ、バタークッキーの3点です。
3つのスイーツが少しずつ楽しめる、スイーツプレートもありました♪


カフェ子、本日はガトーショコラをチョイスし、錦織牧師のこだわり自家焙煎コーヒーと共にいただきました。
正確には連れてきた二人の子供があっという間にほとんどを平らげてしまったのですが、
甘さもちょうど良く、添えられたミントとクリームとのハーモニーに心も癒されました。
続いてパンナコッタも頂いたのですが、これもまた子供らが瞬殺。
普段、着色料や刺激的過ぎる甘さが気になって敬遠しがちですが、このスィーツは子供にも安心してたべさせられます。

ゆったりと設けられたテーブルで皆さん思い思いにリラックスしておしゃべりに興じています。
カフェ子も今日は初めて来てくださった男の子連れのママと子供達をプレイエリアで遊ばせつつ、子育て情報交換に余念がありません。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、カフェ子も新しくお友達になったママと連絡先を交換し、スィーツやJCC Cafe自慢の手作りピクルスをお土産に購入しました♪

 

欲張り過ぎたもので、お土産で手一杯の荷物と二人の子供。
あたふたと帰り支度をしていたらスタッフのおじいちゃまが子供を抱っこし荷物を持ってくださり、車まで送ってくださいました。

「楽しかったね。また来ようね。」

子供に声をかけ、溢れる感謝を噛み締めながら家路に着くカフェ子でした。

 

次回は10月11日(水曜日)13:00〜16:00オープンです。
是非、皆さま足をお運びくださいね。

芸術の秋到来!

今日のクロッキー教室

 

今回のクロッキー教室は、芸術の秋!今年はセザンヌを模写してみよう!
ということで、まずはセザンヌの絵葉書を眺め、好きな絵を選びます。
淡い色彩と柔らかなタッチが素敵ですね〜

 

 

それぞれ初期の作品と晩年の作品と2作品模写しました。
雰囲気出てますね〜〜!!

 

 

模写を通して、その画家の一つ一つの作品とじっくり向き合うことで、新しい発見や初期から晩年にかけてのタッチの変化に気づいたりと、また、美術館めぐりが楽しくなりそうな今日この頃です。

 

模写のあとは、恒例の人物画。
最近は小物を持ったりポーズに変化をつけたりと、難易度アップです!

 

クロッキー教室のあとは錦織牧師のショートバイブルストーリー

ペテロ第1の手紙2:18〜25
あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、
御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。(2:21)

ざっくりとして思い切りが良い弟子のペテロですが、晩年彼はイエスは私達の模範なんだと語るようになりました。

芸事、特に落語などでは弟子は最初、自分の持ち味を出す前に師匠の真似をするところから始めます。
師匠の真似をするためには何が大切か。
観察し理解すること、そしてその大前提として、まず師匠のことが好きでなければなりません。
誰も好きではない人の真似などしたくないからです。

私達がイエス様を模範にするためにも、まず私達はイエス様を好きになる必要があります。
そしてイエス様は私達が好きになるのをただ待っている方ではありません。
自ら私達のところに飛び込み、私達を救うために、すべてを投げ出して十字架にかかってくださいました。

私達も歩んでいく中で、がっかりしたり、どうしてこんなことが起こるんだ!ということがあるかもしれません。
しかし、イエス様がそうしたように、自分が与えられた中で誠実を尽くして生きていきたいですね。

 

次回のクロッキーは11月1日水曜日10時半からです。
ぜひお気軽にご参加下さい♪

遠近法を極めよう!

今日のクロッキー教室

色々な積み木を描きました。
円柱は真上から見るとまん丸ですが、真横から見ると長方形です。
立方体の線は手前の方が長くなっています。
小さな立体なの中にも遠近法の基本がたくさん詰まっていますね〜

 

人物を描くときは全体のバランスを見ましょう。
真ん中はどこですか?
画面の過度に「サムネール」や「エスキース」と呼ばれる小さな全体像を描いてから始めてもいいですね。

 

クロッキー教室のあとは、錦織牧師によるショートバイブルストーリー。

マタイによる福音書6章26節
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
それだのに、あなた方の天の父は彼らを養っていてくださる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」

サウスキャロライナに皆既日食を見に行きました。

月と太陽の大きさの違いを比べると 太陽がバスケットボールだとしたら月はゴマの大きさだそうです。
400倍違います。
そんなに大きさが違うのに距離が離れているので重なりあい日食が起こりました。
究極の遠近法ですね。

自然界からは学ぶことが沢山あります。
私達は日常どれだけ、空の鳥から学ぶことができるでしょうか。
神様は自然界でおこる様々なことを通して、私達がどれだけ小さな存在なのかを示しておられます。
しかし、聖書は私達にそれ以上のことを伝えようとしています。

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなた方は彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」

自然界からみたら、私達はとても小さな存在です。それでも神様は私達一人ひとりを心にかけていて下さいます。
ですから、私達は思い煩うことなく、神様に感謝して日々歩んでいこうではありませんか。

 

バイブルストーリーのあとは、美味しいランチの時間です。
今日はアメリカ在住3○年のベテランメンバーの方が、ご本人とお嬢さんが大好きな絵本を紹介して下さいました。
パトリシアポラッコさんは失読症のため、14歳になるまで文章を読むことができませんでした。文章が読めないことで苛めに遭ったポラッコさんは長い間自分の障害を隠していたそうです。しかし、教員の一人が彼女の障害に気付きポラッコさんを援助したため、彼女は次第に文章を読むことができるようになり、大人になってからその体験を絵本にまとめたそうです。

英語の絵本と聞くと苦手意識が先に出て手に取ったことがなかったのですが、
こうして紹介して頂くと、読んでみたいという気持ちになります。
これもクロッキー教室の楽しみですね。

次回のクロッキーは10月4日水曜日10時半からです。
ぜひお気軽にご参加下さい♪

2017年10月1日「外からではなく」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章1〜20節

  • イエスと当時の宗教家たちとの対立。外側ばかりを気にしていた人々。
彼らを「嫌な奴ら」と片付けるだけでは不十分。
聖書は「あなたはどうですか?」と問いかける。
  1. 外側を気にする私達
    「どうしてあなたの弟子たちは手を洗わないで食べる?」
・・・「汚い!」とかそういうことではなく、儀式として手を清める。
    イエスの反論「あなたがたは言い伝えによって神の言葉を無にしている
「父と母とを敬え」⇔「これは神にささげます」(言葉だけ)
    口に入れるものが人を汚すのではなく、口から出るものが汚す。
内側から溢れてくるものが問題。
    あなたの内側には何がありますか?あなたの内側はどうですか?
    オートバーグ「あなたがずっと求めていた人生」
外的な基準・・・何章聖書を読む、何時間祈るとか。
本来の基準・・・「自分は神と人とをますます愛することができるようになっているか?」
  2. 内側に住んでくださる聖霊様
    外側ではなくて内側が問題だとイエスが言われた・・・私たちは困る。
外側はコントロールできても内側はどうにもならないから。
→聖霊様に満たしていただく。聖霊様にきよめていただく。
    使徒行伝1章6-8節。14節・・・祈り待ち望む。
    使徒行伝2章1-4節・・・キリストの証人となる。涌き上がる。
十字架と赦しを証ししないでいられなくなる。
    ガラテヤ5章22-23節・・・品性を整えてくださる。実を結ばせる。
    ルカ11章13節・・・求めること。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは自分の外側が気になる方ですか?内側が気になる方ですか?オートバーグが言っていることはわかりますか?
    2)内側の問題のためにはどのようにすればいいでしょうか?
    3)聖霊に満たされる時に、聖霊様に働いていただく時にどんなことが起こるでしょうか?

 

 

2017年9月24日「わたしだ、恐れるな」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書14章22〜36節

 

奇跡・・・「こんなことあったわけがない!」「あったんだ!」を議論することよりも、奇跡に込められたメッセージを聞くこと。

  1. 逆風の中で近づくイエス
    イエスは無理やり弟子たちを向こう岸に送った。
イエスに従うなら、順調に行くだろう・・・と期待する。
でも、そこに逆風が吹いてきた。
    イエスの訓練・・・イエスを信頼する訓練。
弟子たちはイエスを肉眼では見なくなる。→しかし、イエスは共におられる、ということを経験する訓練。
    私達も神が共におられることを感じられない、思えない時にも、共にいてくださることを信頼すること。
    「わたしだ、恐れることはない」と語ってくださるイエス。
  2. 溺れかけたペテロを引き上げるイエス
    喜んだ弟子たち、その中でペテロが「水の上を歩かせて下さい」。
    イエスの招き・・・おいでなさい。
    ペテロは踏み出した・・・信仰は冒険。イエスに従って踏み出す冒険。
    でも、ペテロは途中で風を見た。自分を取り巻く状況を見た。
    イエスを見ていた時は大丈夫。状況に気を取られて恐れるとダメ。
私達もイエスから目を離さないで歩こう。状況に振り回されないで、イエスを見つめて歩こう。イエスの言葉を信頼しよう。
    でも、失敗したペテロをイエスは見捨てなかった。引き上げた。
    チャレンジ・・・ペテロが踏み出した時に、他の弟子たちが経験できなかったことを経験した。水の上を歩くこと。イエスの力。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスに従っていく時に、どうしてこううまくいかないのだろうという経験はありましたか?どうしてでしょうか?
    2)イエスはどうして、弟子たちを先に行かせたのでしょうか?
    3)ペテロは水の上を歩いてよかったのでしょうか?そんなことしなかったほうが良かったのでしょうか?

 

 

2017年9月17日「それをここに持ってきなさい」

・聖書箇所 : マタイによる福音書14章13節〜21節

・説教者 : 錦織学 牧師

  • 5000人の給食・・・奇跡にはいつもメッセージがある。そのメッセージを聞く。「それをここに持ってきなさい」これはあなたのストーリー。
  1. 主はあなたを用いられるから
    問題の大きさ。男だけで5000人の人々だから全部で1万人以上。
    できない。不可能。問題の大きさに圧倒される。
    「あなたがたの手で」と言われた時に、本当に弟子たちは途方に暮れた
    自分の手の中に「5つのパンと2匹の魚しかない」。
    「そんなの役に立たない」という声。ヨハネによる福音書のアンデレの言葉。
    私たちは自分の手の中のものを見て、「これしかない」という。
    でも、イエスは「それを私のところにもってきなさい」と言われる。
  2. 主が奇跡をなさるから
    イエスのもとに持っていった時に、イエスはそれを喜んで、祝福された。
    「あなたがたの手で」と言われたイエスであるが、結局、イエスがこの奇跡をされた。
    イエスが私達を用いてくださるとき、「関知しない」「成功を祈る」ではなく、イエスは私達のすべてに責任をもってくださる。私が一緒に行くから。私が私のわざをするから。
    私達の訓練は、イエスを信頼する訓練。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの手の中には何があるでしょうか?神様はあなたに何を託されたでしょうか?
    2)私達が「こんなの役に立たない」と思うのはどうしてでしょうか?
    3)あなたが主に仕えていく時に、主はどこにおられますか?何をしてくださるでしょうか?
    4)私達が神様に仕えていく時に、孤独を感じることはありますか?それはどうしてでしょうか?

 

 

9月6日「先輩後輩白熱アート談義?」

本日のクロッキークラス

 

本日のクロッキー教室のお題は、「フォーク」
まずはシェイプをじっくり眺めます。一口にフォークと言っても、形は様々。

 

大きさも角度も自由!まずは自由にデッサンしてみましょうー!

出来上がったデッサンを見てびっくり。

大きいのに小さいの、可愛いのにかっこいいの。
みんな全く同じフォークを見て描いたんですよ?(^o^)
個性爆発です♪

 

今日はイタリアミラノからのスペシャルゲスト、内村牧師夫妻を迎えてのクロッキー教室。
ということで、次のテーマは「イタリア」
みんなが思い浮かぶイタリアのイメージを口々に挙げて、それをフォークのデッサンと融合させます。

 

イタリアと言えば、、ピザ!チーズ!パスタ!トマト!ワイン♪
と、食べ物しか思い浮かばなかった私ですが、内村牧師がイタリア人の人生訓を教えてくださいました。

「アモーレ!マンジャーレ!カンターレ!」
愛すること、食べること、歌うこと。
これがイタリア人が人生で大事にする3つのことだそうです。

なんとも簡潔明瞭で、しかし本質を突いた素晴らしい人生訓に感動!!
すっかりイタリアに行ってみたくなりました!

 

これまた一つとして同じ絵ではない、一人一人のイタリアを詰め込んだ作品のあとは、恒例のデッサン画。

内村牧師の奥様がモデルを担当してくださいました。

実は内村牧師は牧師になる前、高校、大学とも美術科を専攻。卒業後は美術教師をされていたそうです。

奥様も高校、大学ともピアノ科を専攻され、卒業後はミラノへ音楽留学へ。

筋金入りのアーティストカップルなのです!

しかも!内村牧師は我らがクロッキークラスの講師、渡邊啓子さんの大学の後輩だということが判明しました!

クロッキークラスにまたとないゲストです♪

 

 

クロッキー教室のあとは、内村牧師がメトロポリタン美術館に展示されている一枚の祭壇画の解説を通して聖書の世界観を紐解いてくださいました。

これが面白いこと面白いこと!
元美術の先生ならではの豊富な知識とわかりやすい解説で、きっと自分一人で美術館に行ったなら、
さーっと素通りしてしまったであろう絵の世界にぐいっと引き込まれました。

この絵は1400年頃にドイツ人の画家によって描かれた祭壇画だそうです。
当時は聖書はラテン語を習った一部の貴族しか読めない貴重な物で、
多くの一般市民は教会の祭壇に描かれた絵を見て信仰を持ったそうです。

つまり、祭壇画とは「見る」聖書

現代のように誰もが聖書を持てる時代では無かった当時、
絵画や音楽は五感で感じる聖書として、ヨーロッパを中心に目覚ましく発展していったそうです。

前々から、美術館に飾られている絵画や、クラシック曲って聖書がテーマな物が多いなー
と、薄ぼんやり思っていましたが!そういうことだったのか〜!!と腑に落ちて感動!

聖書の世界観を知るということは、美術史、音楽史を知るのに欠かせないことだったのですね。
せっかくNYに住んでいるのだから、もっともっと一流のアートに触れたい!とワクワクしました。

とっても面白くて、ためになる内村牧師のメッセージの続きは、こちらからどうぞ

 

内村牧師のメッセージのあとは、みんなで美味しいサンドウィッチランチを囲みました。
内村ご夫妻がイタリアの家庭料理、レンズ豆のスープを差し入れしてくださり、
ピザ!パスタ!しか知らなかった私は、その素朴で滋味深い味のトリコとなりました。

お腹も心も満たされて大満足!
今日も美味しく楽しいひと時となりました。

最後までお読み頂きありがとうございます!

次回のクロッキー教室は9月20日(水)10:30〜です。
参加費無料、申し込み不要、お子様連れ大歓迎!
どなた様もお気軽に足をお運びください!

場所等詳細のお問い合わせは下記までお願い致します。

お問い合わせ

 

 

9月6日クロッキー教室バイブルメッセージ

 

この絵画はヨハネ福音書19章23〜27節を元に描かれました。

さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

この聖書箇所には、十字架につけられたイエスの服をくじ引きで分け合う兵隊の姿と、
夫と息子を失い、完全な未亡人となろうとしているマリアが路頭に迷わないよう、
イエスが愛弟子に養子縁組を頼む。という2つの出来事が書かれています。

イエスは十字架につけられた時、縫い目のないとても良い服を着ていました。
当時、縫い目がない服を作るのはとても難しく、祭司しか着ることのできない高貴な服でしたので、
この服は母親であるマリアがイエスのために特別に縫ったであろう服だと言われています。

イエスを十字架につけた4人組の兵隊は、この高価な服を分け前として取り分けようと揉めていました。

我が子が十字架上で苦しむ目の前で、自分が縫った服が剥ぎ取られてくじ引きの対象になっているところを見ていたマリアはどんな思いだったでしょうか。

この絵画は十字架をテーマにした多くの絵画の中でも、史実に忠実に描かれているという点で特徴的です。

多くの宗教画では、十字架が高い位置に描かれていますが、実際は下で見ている人たちの頭ひとつ分の高さにありました。
つまり、母マリアから息子の壮絶に苦しむ姿は、ごく間近に見えたのです。

十字架をテーマにした作品の中でも、「ピエタ」という母親の悲しみに焦点を当てたジャンルがあります。
十字架から下されたイエスを母マリアが抱える。という作品を皆さんもどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。

この絵画はその「ピエタ」の中でも異色です。
十字架からイエスが降ろされる前のマリアの悲しみを描いています。

同じく「ピエタ」をテーマとしたミケランジェロの有名な彫刻がありますね。
まさしく美の結集であり、これ以上完璧な彫刻はありえないと賞賛されています。

 

そのミケランジェロの遺作となったのが、同じ「ピエタ」のテーマで作られたこの作品です。

最後の数年間、ミケランジェロは腰も曲がり、目も見えなくなり、手探りでこの作品を彫りました。
あの完璧な美の彫刻とは似ても似つかない仕上がりに、これは未完成だったんだと言う人もいます。
死んだ息子のイエスが母親を背負っているなんて、目が見えなくて間違えたんだと言う人もいます。

果たして本当にそうなのでしょうか?

聖書の世界は、ただ読んでいるだけではなく、私たちの完成の全てを使わないと理解できません。
聖書の中に、「愛のないものに神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」と書かれていますが、
これは絵を理解する時にとてもよく似ているなーと思います。

ではここから更に、表面だけでは理解できないもっとディープな理解へと降りていきましょう。

 

イエスは30歳まで母親の元で暮らしましたが、その間のことはほとんど聖書に書かれていません。
当時は18歳頃に結婚するのが通例でしたが、イエスはずっと独身でした。
早くに亡くなった父親ヨセフの家業である大工を継ぎ、母親と兄弟を支えてきました。
十戒の中でも「あなたの父と母を敬いなさい」という教えを、イエスはとても大事にしました。

 

その書かれていない30年を想像しながら、もう一度聖書を読み、絵を見てみましょう。
このシーンでイエスは、「女の方」「婦人よ」と、とても距離感を感じる呼びかけをしています。
最期の別れが迫った場面で、息子から母親にかける言葉としてはあまりにも他人行儀で引っかかりませんか?

実は、この時以外にも一度だけ、イエスがマリアのことを「婦人の方」と呼んだことがありました。

それはイエスが30歳になって、伝道の働きを始める時に一番最初に起こした奇跡の場面でした。
この時、イエスは水をワインに変えるという奇跡を起こされました。
大事な結婚式でワインが底をついてしまい、困ったマリアがイエスに「ぶどう酒がなくなってしまった」と告げます。
するとイエスは、「婦人よ。あなたはわたしと何の関わりがありますか。わたしの時はまだ来ていません。」と答えたのです。

マリアはこの時のことを絶対に覚えていたでしょう。
お子さんをお持ちの方はどうでしょうか?
一度でも子供から「女の方」とか「婦人よ」と呼びかけられたら、絶対に忘れないのではないでしょうか。

この時のマリアも「また出た!女の方発言!」と、水をワインに変えたあの時のことを、はっきりと思い出したことでしょう。

さて、イエスが何故2回にも渡って、最愛のマリアにこのような言い方をしたのかわかるでしょうか?
聖書の中でワインというのは、イエスが十字架の上で流された血潮を象徴する大事なモチーフです。

イエスは、十字架の上で流す血潮は、親子という関係以前に、一人の人間であるマリアのためのものでもある。
ということを伝えたかったのです。
30年余りも親子として過ごしてきたマリアにとって、息子を息子以上の存在として見ることは難しいことだったことでしょう。
けれども、これからはイエスの血潮を分けあって、民族も国籍も越えて救いを分け合うんだということを、イエスは伝えたかったのです。

この聖書の場面は、ただ養子縁組をお願いするという以上に、十字架のもとで新しい神の家族を作ろうとする瞬間です。
そうした理解を持ってもう一度この絵画を見ると、この絵が伝えたかった「良い知らせ」が見えてくるのではないでしょうか。

メッセンジャー:内村伸之師

 

 

2017年9月10日「恐れを追い出すもの」

・説教者 : 錦織学 牧師

・聖書箇所 : マタイによる福音書14章1節〜12節

  • 恐れ。・・・私達にとって大切なもの
・・・危険、避けるべきことの察知、
    しかし、恐れるべきものではないものを恐れ、恐れるべきものを恐れない・・・罪の結果。創世記3章。
  • ヘロデ・・・人を恐れて、人の反応に振り回された人。
自分の兄弟と恋に落ち、自分も妻を離縁し、相手も離婚させて自分の妻とした・・・ヨハネはそれを「間違っている」と責めた。
ヨハネを捕らえて、投獄。群衆を恐れて、またヨハネの話を聞きながら、「こいつは間違っていないぞ」とヨハネの正しさも恐れていた。
でも、最終的には自分が人前で誓ったことを引っ込めると人々はどう思うかと、恐れて、ヨハネの首を切ってしまった。
  • 恐れに支配されない人・・・ヨハネ、イエス。
  • 恐れに支配されないために、恐れを追い出すもの2つ。
  1. 神を恐れること
    バプテスマのヨハネは神を恐れ、神の命じられることを語った。命を奪われることを恐れず、大胆に語った。
    牢に入れられたあとも、相手が王(領主)であってもひるまなかった。
    イエスの言葉「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。からだも魂も滅ぼすことのできる方を恐れよ」マタイ10:24-33
  2. 愛に満たされること
    神を恐れるとともに、神に愛されて、受け入れられているその愛に満たされること。神の子として受け入れられている。
    第一ヨハネ4:18−19「完全な愛は恐れを取り除く」
    神の愛は十字架に表わされている。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは何を恐れていますか?それは本当に恐れるべきものでしょうか?
    2)恐れから解放されるために何が必要でしょうか?それはどのように与えられるでしょうか?

 

 

9月6日いよいよ本格オープン!

本日のJCC Cafe

 

本日から本格オープンしたJCC Cafe。
秋の始まりを思わせる澄んだ空気と、しとしと雨の中、ゆっくりスタートです。

 

雨に濡れた芝生を眺めながら、じっくり深めに焙煎したコーヒー豆を挽く錦織バリスタ。
本日のお豆はエチオピア産だそうです。
すっきり、少しの酸味と深いコクがお気に入りとのこと。

 

専用ポットで沸かしたお湯でじーっくりコポコポ。
ふわっとこんもりコーヒーが膨らみ、一気に良い香りが広がります。

 

本日のスイーツは、

チョコレート界の王様、VALRHONAのココアを使ったココアロールケーキ
皇室御用達、加賀ほうじ茶のエキスをたっぷり使ったほうじ茶プリン
さっくり繊細な口どけのココナッツチュイール

の三種です。

 

特製ピクルスプレートには、早速新作のトマトのピクルスがお目見え。
すっきり爽やかでほのかな甘みもあって、サラダ感覚でいくらでもいけちゃいます。

 

スイーツとピクルスが並んだカウンターで、何にしようかと真剣に悩むひと時もカフェの醍醐味です。

 

 

雨の1日にも関わらず、たくさんの方が足を運んでくださり、賑やかなひと時となりました。

 

次回のカフェオープン日は9月13日(水)13:00〜16:00です。

今後、年内は第二水曜日を固定日としてオープンしていきます。

ではではまた来週お会いしましょう〜〜♪

2017年JCCNJ修養会 9月2日〜9月4日

全体テーマ : 「神の国マインドで生きる」

講師 : 内村伸之師(ミラノ賛美教会牧師)


9月2日 開会礼拝

 


9月2日 バイブルアワー① 「神の国の価値観で生きる」
聖書箇所 : ルカの福音書15章8〜10節

 


9月3日 聖日礼拝 「キリストの十字架を誇る」
聖書箇所 : ガラテヤ人への手紙6章14節

 

 


9月3日 バイブルアワー② 「私があなたに何をしたか、わかりますか」
聖書箇所 : ヨハネの福音書13章1〜15節

 


9月4日 バイブルアワー③ 「神の視点で共同体を見る」
聖書箇所 :マルコの福音書10章42〜45節

 


9月4日 閉会礼拝

 


 

クロッキー教室へようこそ

Welcome to our Croquis Class!

 

デッサンの基礎を学びながら楽しく絵が書けるようにクロッキーをはじめませんか?
初心者大歓迎、お子様も一緒にご参加できます。授業料は無料です。
クロッキー帳、筆記具は用意してありますので、初めての方は手ぶらでお越しください。

どんなことをするのでしょう?

クロッキー教室では難しい絵の勉強はしません。
ペン一本で感性のおもむくまま自由に表現をして、普段使わない右脳をいっぱいストレッチします。

 

何を描くのでしょう?

見たものをそのまま描いてみたり、抽象画を描いたり、名画を模写したり、想像上の生き物を描いたり、時には音楽を聴いて絵にしたり。
きっとどんな絵画教室よりもオリジナリティー溢れる内容です。

 

クロッキー教室には私たちの教会の牧師先生も参加しています。

絵を描いた後は、牧師先生のショートバイブルメッセージを聞き、講師の啓子さんお手製の美味しいランチを食べて楽しいお話をします。

 

講師はNYで活躍するアーティスト、渡邊啓子さん。
多摩美術大学を卒業後、広告業界でイラストレーターとして活躍。

40歳の時に自分の絵を極めるため、単身ニューヨークへ。

時には整体マッサージ師、時にはバイク乗り、時には清掃のプロ、と、

ドラマよりドラマな人生を送っているとっても魅力的な方です。

小さい頃から絵が苦手だった人も、もう一度絵を描いてみたい人も、

マンハッタンの美術館をもっと楽しみたい人も、

小さな子供がいてなかなか習い事ができないという人も、

アメリカ来たばかりでお友達が欲しい人も、

みんなみんな大歓迎です。

ぜひ一度覗きにいらしてください!

場所等のお問い合わせは下記からお気軽にどうぞ♪

お問い合わせ

 

 

8月18日JCC Cafeプレオープン

JCC Cafeプレオープン!

 

初めまして、カフェブログ担当のカフェ子です。

構想から早3年..いや、2年..?
Paramusの閑静な住宅街の一軒家で、ついにプレオープンを迎えたJCC Cafe。

我らが錦織牧師が豆の仕入れから焙煎までこだわった、自家焙煎コーヒーの良い香りに包まれながらスタートしました。
ゆったりと設けられたテーブルの上には、お庭で摘んだばかりの野花のアレンジメント。

 

本日のスイーツは、堂島ロール風ふわふわミルクロールケーキ、アールグレイパンナコッタ、セミスイートチョコレートラングドシャ。

顎の裏が痒くなるほど甘いアメリカスイーツにお疲れの方に是非食べて頂きたい「The ジャパニーズスイーツ」です。
ロールケーキはパティシエの母から引き継いだ門外不出の秘伝ロールケーキ。
キメ細かくふわふわしっとりのスポンジです。
アールグレイパンナコッタは、紅茶の香りを存分に引き出せる工程を試行錯誤し、口どけぷるぷるの食感を追求したこだわりレシピです。

 

JCC Cafeには、スイーツだけではなく、ピクルス研究員特製のピクルスもあるのです。
スイーツ作りが趣味ながら、甘いものが苦手な私のような者にはなんとも朗報です。
半年前からピクルス班が結成され、何通りものビネガーやお塩、合わせるハーブの組み合わせを試作。
酸っぱいものが苦手な方も美味しく食べられる自信作のピクルスです。
スーパーではなかなか見かけない、カリフラワーカレーピクルスが大ヒット!
美味しくていくらでも食べてしまいます〜

 

アメリカならではの広々空間で、素敵なお庭を眺めながらのカフェタイム。
好きなところに座って自己紹介をしたり、おしゃべりを楽しんだり。
あっという間に閉店の時間となりました。

 

ちびっこ達が遊べるプレイスペースも。
初対面の同い年のお子さんが、すぐに一緒に遊び始めました。
子どもは仲良くなるのが本当に早いですね。

 

新しい出会いがあったり、ちょっとした生活の知恵をゲットしたり、何か楽しいことを始められたり、
いろんな人が自由に集える憩いの場所があればいいな。と思って始まったJCC Cafe。
まだまだ始まったばかりですが、今後はカフェの中で子どものためのリトミックや読み聞かせ、
手芸ワークショップ、お菓子・お料理ワークショップ、英語セッション、アレンジメントなど、
いろいろな楽しい企画ができたらな〜とワクワクしています。

次回のオープン日は9月6日(水)13:30~16:00です。
是非お気軽にのぞきにいらして下さいね。

What’s JCC Cafe?

ようこそJCC Cafeへ!

JCCとはJapanese Community Circleの略です。
自家焙煎のコーヒー、Japanese Qualityのスイーツ、自家製ピクルスでみなさんをお出迎えします。

アメリカに来たばかりの方。どこのスーパーで買い物したらいいの?右も左もわからない!と悩んでいませんか?
子育て中のお母さん。小さな子供を連れてゆっくりお茶する場所がない。。とガッカリしていませんか?
アメリカのスイーツはどれもこれも甘すぎる!日本の美味しいスイーツが食べたい!と思っていませんか?
最近何か面白いことないかなー。新しいこと始めてみたいなー。と思っていませんか?

そんな方々のためのJCC Cafeです。

情報交換をしたり、新しい方と出会えたり、新しいことにチャレンジできたり。
横の繋がりを必要とする方々が気軽に集える場所があれば。。と思い、地域の憩いの場としてJCC Cafeが誕生しました。

JCC CafeはParamusの閑静な住宅街に佇む一軒家の中でオープンしています。
アメリカならではの広々とした気持ちのいいお庭を眺めながら、ゆったりスペースでおくつろぎ下さい。
お子様を遊ばせることのできるプレイスペースもご用意しております。
お子様連れの方から、シニアの方までどなたでも大歓迎です。
ぜひお友達を誘ってお気軽にお訪ね下さい。お待ちしています。

全ての問い合わせは
JCC Cafe:
pastor.jccofnj@gmail.comまで。

2017年8月27日「賛美の力」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : 歴代誌下20章1節~30節

教会と音楽はずっと一緒だった。
旧約聖書の時代から、いろんな楽器や歌で賛美をしていた。
今日の聖書箇所:戦いの場面での賛美。

内側にあふれてくるもの→賛美・・・これが大切。
でも・・・溢れてくるまで賛美はできないのか、すべきでないのか?

ユダヤの国の国難・・・モアブ・アンモン・エドムの民が攻めてくる。
自分の力の無さを痛感する。太刀打ちできない!それを認める王。
→神に祈る。神に目を向ける。
→預言者の言葉。神が戦われる!
状況は変わらない中での賛美・・・そこに奇跡が起こる。

使徒行伝16章25-34節
パウロとシラス・・・濡れ衣を着せられた中での賛美。
囚人たちは聞き入っていた。
地震で牢の戸が開いてしまっても、誰も逃げようとしない。
獄吏が「わたしは救われるために何をすれば・・・」
賛美は自分を支え、周りの人々に影響を与えていく。

納得行かなくても、賛美をする時に開かれる恵み。
どんな状況の中でも賛美しよう。

  • テイクアウトQuestion
    1)あなたが賛美したくなる時はどんなときですか?賛美できない時はどんな時でしょうか?
    2)心にしっくり来る賛美、しっくり来ない賛美、ありますか?それはどのように受け止めればいいでしょうか?
    3)賛美によって力を頂いた経験はありますか?どんな経験でしょうか?

2017年8月20日「つまずいて立ち上がる」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章53節~58節

  • 序)
    つまずくのはどうして?・・・期待と違うから。
    イエスにつまずいた・・・イエスに対する自分の期待と、イエスがどんな方かが違うから・・・昔話ではない。私達の問題。
    つまずくこともある。しかし、そこから立ち上がらせていただける!
  1. 人々のつまずき
    自分が幼いときから知っているイエス。
    自分の常識の範囲、自分の理解できる範囲は受け入れられる。しかしそれを超えるものは受け入れることができなかった。
    ペテロ・・・「夜通し働いてもなにも獲れない」
・・・今更、沖に出ても無駄・漁師の常識⇔お言葉だから網を下ろそう
→イエスの奇跡を見る
    イエスに期待しなかった・・・御業を見れなかった。
詩篇81:10・・・あなたの口を広く開けよ!
  2. つまずきを超えて
    つまずいても立ち上がることができる。神との更に深い関係へと。
    不要なつまずき・・・マタイ18:1-6
    本当のイエスに出会うためのつまずき・・・私達のイエスへの期待・・・それを超えるイエスに出会う。
    多くのユダヤ人たちはイエスに軍事的、政治的メシヤを期待していた。
    「神がおられるならば・・・」という期待。しかし、イエスは完全な敗北に見える十字架の中に神の救いを表わされた。
  • テイクアウトQuestion
    1)私たちはどうしてつまずくのだと思いますか?
    2)自分の常識を超えてイエスに期待していますか?それを難しくさせてしまうものは何でしょうか?
    3)つまずきを越えて私達が立ち上がるために必要なのは何でしょうか?

ビデオは最初の11分が子供のためのメッセージ、その後に礼拝説教が続きます。

2017年8月13日「ハーモニーを作ろう」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : ローマ人への手紙12章3節~21節

  • 序)
    JOYJOYキャンプのテーマ「凸凹おんがくたい」
    ハーモニー・・・16節の「心を一つに」という言葉の英語訳。
    人生の指揮者は神様。一人ひとりが与えられたものを用いて、神様に従っていく時に、ハーモニーが生まれる。
  1.  ひとりひとり違うものが与えられている
    一人ひとりが違うものとしてつくられた。
    自分の使命に生きることの大切さ。(6-8節)トランペットはトランペットの役割、トロンボーンはトロンボーンの役割。シンバルはシンバルの役割を果たすことが大切。
    ちょうどからだのようなもの。
    特に教会はキリストのからだ。・・・手には手の役割、足には足の役割。相手を否定しない。自分の役割を超えないで、そこに生きる。
  2. ハーモニーを作るために
    9節からのところはハーモニーを作るために必要なことが幾つか出て来る
    愛と尊敬。⇔高慢。
    赦し・・・迫害するものを祝福する。善をもって悪に勝つ。
    そのために必要なのは、神の愛を知ること。神の愛に満たされること。
    第1ヨハネ4章11-12節・・・神の愛に動かされて、愛し合って歩んでいく時に、神が人々に伝わっていく。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたに与えられているものは何でしょうか?
    2)ハーモニーを作るために、あなたはなにができるでしょうか?
    3)自分の中に愛がないなあと感じた時には、どうすればいいでしょうか?

2017年8月6日「宝物の詰まった倉」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章51節~52節

  • 序)
    宝物の詰まった倉。・・・聖書・・・新約と旧約。
    あなたにも宝物の詰まった倉が与えられている。
  1. みことばの力
    13章の最初のたとえ・・・種には命があるから、芽を出して、育って、実を結ぶ。・・・みことばには命があり、力がある。
    人の励ましの言葉よりも、御言葉の力を知った人。
イザヤ43:19
    使徒行伝20:32・・・みことばには力がある。
    この宝物の詰まった倉を与えられていることを感謝して、この倉から宝物を出して使おう。
  2. 旧約と新約
    古いものと新しいものを取り出す。・・・古いものは古いものとして、新しいものは新しいものとして。
    旧約・・・人間の罪の現実と神の愛。救い主の預言。
新約・・・イエスにおいて、神は救いを表わされた。
    例:創世記3章
6−7節:アダムとエバが腰に巻いたのはいちじくの葉。
→自分で隠そうとしても隠すことはできない。
21節:神がアダムとエバに備えられたのは「皮の衣」
→動物が犠牲になって、人間の恥が覆われた。
→イエスが十字架によって、私達の罪を覆ってくださることの預言。
    聖書を通して、神の愛と救いが語られている。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは聖書の御言葉によって教えられ、力が与えられたことはありますか?それはどんな御言葉でしょうか?
    2)この宝物の詰まった倉をあなたはどのように生かしているでしょうか?これからどのように生かしていこうと思いますか?

 

 

2017年7月30日「網を下ろそう」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章47節~50節

  • 序)
    2014年からの3年間の任期。第一コリント16:8
    新しい任期のためにもその言葉が与えられている。それと共にダニエル書3章17節の「たとえそうでなくても」という御言葉が与えられた。
    困難があっても、目に見える成果がなくても、神に従っていく。
  1. とにかく網を下ろそう
    世の終わりには天使たちが仕分けをするのだから、わたしたちはただ、とにかく網を下ろそう。→どんな人にもどんな時にも伝道していこう。
    第2コリント4章4−5節。先走って裁いてはならない。裁かれるのは神だから、私たちはただ網を下ろしていく。
    放蕩息子・・・父親は帰ってきた息子を無条件で迎えた。テストとか、悔い改めが本当かとか、しないで、また同じ失敗をするリスクを含めて受け入れた。
  2. あきらめないで網を下ろそう
    十二弟子のうち最低4人は漁師出身。このたとえがよくわかった。
    彼らが思い出したであろう出来事。ルカ5章。
    ペテロたちが夜通し働いたのに何も取れなかった朝、イエスは「沖へ出て、網を下ろしなさい」と言われた。
    ペテロたちは漁師、イエスは大工出身。漁師の方が魚のことはよく知っていた。「夜通し働いたのに何も取れなかったのです。でも、お言葉ですから・・・」と網を下ろした。→沢山の魚が獲れた。
    私達も伝道師ても伝道しても誰も救われない、導かれない。そんな時があってもあきらめないで網を下ろし続けよう。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたはこれまで何人の人にイエスのことを伝えてきたでしょうか?
    2)あなたが今心の中に「この人に伝えよう」という人はいますか?
    3)あなたが「この人は信じないだろう」と決めている人はないでしょうか?どうしてそう思うのですか?

2017年7月23日「見つけた!」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章44節~46節

  • 序)
    2つのたとえ。「畑の中の宝」「高価な真珠」
    「たまたま出会った」⇔「ずっと探してた」・・・いろんな道がある。
    共通するのは「見つけた喜び」「全財産を売り払って」ということ。
  1. 神の国を見つけた喜び
    持ち物を売り払う。
    チャールズ・スウィンドル著「仕える喜び」
    天国を手に入れるためにすべてを売り払う。それくらい価値がある。
「自分自身」をも・・・全ては神のもの。所有者は神ご自身。
「天国」→「神の国」→「神の愛に満たされること」
    喜びのあまり 嫌々ではない。喜びのあまりすべてを投げ出す。
    ピリピ3:4-9 パウロは自信があった。自分の生まれ、熱心さなど。
イエスのゆえに、それらのものが損と思うようになった。
キリスト共に歩む喜びのためなら邪魔になるほど。
  2. 私達への神の喜び
    もう一つの読み方・・・この宝物は、私達。
私達を見つけたイエス様は、私達を自分のものとするために、喜んで全てを投げ出して、ご自分を十字架で与えてくださった。
神様が私達を「見つけた!」と喜んでくださる。
    ルカ15:4-7 一匹の羊をさえ探して見つけ出してくださる。そして大喜びしてくださる。
「神の愛の支配」ってこういうもんなんだよ、ということ。
私達がすべてを捧げる前に、神様がすべてを与えてくださった。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスに出会った時にどんなことを感じましたか?
    2)今も自分のものにしているものはないでしょうか?
    3)イエスは私達のために何を手放してくださったでしょうか?

 

2017年7月16日「神の国の広がり」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章31節~35節

  • 序)
    2つのたとえ「からし種」「パン種」
    最初は小さい、気がつかない。⇒大きくなる。
    神の国=神の愛の支配=神の愛に満たされることは
小さく始まるけれども、大きく広がっていく。
  1. イエスから始まった神の国
    誰も気づかない、小さなものから始まる。
    イエスの働きはまさにそのようなものだった。
    ヨハネ12章・・・ギリシャの人々がイエスに会いたいと言ってきた。
弟子たち「これから先生の時代だ!」
イエス「わたしが栄光を受ける時が来た!」
⇒「一粒の麦が地に落ちて死ぬ時に多くの実を結ぶ」
    イエスは自分を捨てて、自分を与えることによって人々の魂をとらえる
    十字架・・・ローマ帝国の権力によってイエスは処刑された。
イエスの復活の後も、軍事力ではなく、イエスの愛によって、自分を与えて、私達を救う恵みによって、一人また一人と変えられていった。
⇒やがて、ローマ帝国はひっくり返されてしまった。イエスが主になる。
  2. あなたによって広がる神の国
    パン種は粉と混ぜられた時に、パン生地をふくらませる。
私達も世の中に出ていく時に影響をあたえることができる。
「全世界にでていってすべての造られたものに福音をのべ伝えよ。」
瓶詰めのイーストになっていないだろうか?
    私たちは土の器。大切なのは中にあるイエス・キリスト。
    神の祝福を持ち運ぶために、私たちは神に祝福された。
私達の存在を通して、周りの人々の祝福される。

 

  • テイクアウトQuestion
    1)イエスはどのようにして「神の国」を始めたのでしょうか?
    2)神の国はどのように広がっていくのでしょうか?
    3)私達が神の国をこの世界に広げていくために、私達のなすべきことは何でしょうか?

 

 

 

2017年7月9日「裁かないで任せる」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章24節~30節、36節~43節


  • 毒麦のたとえ・・・畑は世界、イエスが蒔いた種は私達、そこに毒麦の種も蒔かれた。それは教会の中に入ってきている問題。それを取り除こうとする私達。でも、神は待てと言われる。
    「裁きたくなる人がいても、裁かないで神様に任せなさい」というのがこの喩えを通して、イエスが語られたこと。
  1. 正しい裁きがなされる日が来る
    神の国・・・神の支配・・・「神の『愛』の支配」しかし、理不尽な扱いをされている人々の正しい裁きを求める声⇒神の『正義』の支配。
    ユダヤの人々の叫び・・・どうして私たちはこんなに苦しむのか?
・・・バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマの支配下におかれる
→神の支配の下にあるならば、神が正しい裁きをしてくださる
    世の中の不正義、理不尽なこと、世の終わりには正しく裁かれる。
40節から43節
    しかし、困ったことがある・・・私たちは皆罪人。
⇒そのためのイエスの十字架。
  2. 互いに裁かない
    毒麦だと抜こうとすると、麦も一緒に抜いてしまうから、収穫まで待て。⇒私達お互いも先走ってさばいてはいけないということ。
第一コリント4:5
    毒麦と麦を間違えるかもしれない・・・私たちは正しい裁きをすることはできない。マタイ7:1−5。
    根が絡み合っているから、毒麦と麦が一緒に抜けてしまう。
    教会は完全ではない。不完全なものとして受け入れることが大切。
  • テイクアウトQuestion
    1)今あなたは理不尽な扱いを受けていると思うことはありますか?世の中不公平だと思うことはありますか?
    2)教会の中で互いを裁き合うことに対してイエスはどのように言っているでしょうか?

 

 

 

2017年7月2日「みことばの力」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章1節~23節

 

「天国の奥義」(11節)・・・死んだあとのこと?
天国⇒神の国⇒神の支配⇒神の愛の支配⇒神の愛に満たされること
御言葉によって、私たちは神の愛に満たされた歩みをする。

  1. 御言葉は実を結ぶ
    1つのポイントは・・・御言葉は必ず実を結ぶから、失望しないで、途中でやめないで、語り続けなさい。
    種には命があるから、必ず芽を出し実を結ぶ。
2000年の時を越えて花を咲かせた種。
    聖書の言葉にも命がある。神の言葉、神の約束。
    自分自身の証し・・・劣等感に苦しんでいる時に与えられた御言葉。
第2コリント12:9
    御言葉は単なる気休めや励まし、心理学的手法ではない。
⇒神の真実、神の約束。
  2. 御言葉を聞く姿勢
    道ばた・・・あっという間に忘れる。上の空。
    石地・・・喜んで受け入れる。しかし根がない。
心に根を張ることを許さない。
・・・自分が変えられること、砕かれることを受け入れられない。
根は土に深く入っていく時に根の働きをする。
    いばら
掘り起こされなければならない根が埋まっていた。
苦い根・・・言われた言葉、されたことが心のなかに残る。
この世の心遣いと富の惑わし・・・もっと良い生活。もっと豊かに。
    耕された、掘り起こされた心・・・御言葉を受け入れることができる。

テイクアウトQuestion

  1. あなたは自分がどの心だと思いますか?
  2. 石地の心の問題は何でしょうか?
  3. いばらの心の問題は何でしょうか?
  4. よく耕された心を持つためにはどんなことが大切でしょうか?

 

「何故またこのような時なのだろうか?」

何故またこのような時なのだろう か?

仕事や出張続きで忙しく、時間が 無い訳では無いのですが、物事が思ったように進まず「神様何故?」と思っている時に限ってこ のような原稿の依頼を受けました。 このまま忙しいのを理由に断ろうか、とも思いましたが、信仰が揺らいでいる(?)からこそ、神様が 「もう一度信じようと思った時の事 を思い出してごらん」とまだ地盤が緩い私に手を差し伸べてくれたのかも知れません。

私は生まれたのはスペイン・バルセロナ、育ったのはアルゼンチン・ブエノスアイレスと18 歳までずっとカトリックの国に住んでいたので、キリスト教は非常に身近なものでした。憧れのサッカー選手もピッチに入る時には十字を切っていました し、タクシーの運転手も教会の前を通る度に十字を切るのを 目にしていました。当時は「なんか格好良いなぁ」と思いながらも、自分以外の事に目を向ける事ができず結局キリストを 信じるには至りませんでしたが、健全な学生生活を日本で過ごし、社会人になりアメリカに赴任した頃に、妻と出会い、その時に再びキリスト教に出会いました。
ただ今回は憧れではありませんでした。
結婚当初、妻と意見が合わなかったりで色々と喧嘩が絶えな かった時期があったのですが、その際に妻が教会に連れて行ってくれと私に言ったのです。運転に自信が無かった彼女が喧嘩している相手である私にそこまでお願いするという事は相当に切羽詰まっているに違いない、と嫌々ながらもメイ ウッドの教会に来た事を覚えています。当時は、「中に入って しまったら二度と出して貰えなくなるのではないか?」「中に 入ったら全員が妻の味方で私は敵としてやっつけられてしま うのではないか?」と恐れ、一人駐車場で本を読みながら礼拝が終わるのを待っていた事を思い出します。

雪解けのきっかけは教会メンバー主催のバーベキューでした。 まさに花より団子なのですが、美味しいお肉につられて参加 してみると、とても面白い方々と知り合う事ができました。お 酒が進むにつれ色々な話になり、有名大学の卒業生や某宇 宙研究所の元研究員といった聡明な方々と「いかに神様は 存在せず、聖書は律法のために作られただけの書物である か」を熱く議論したりしました。酒宴は遅くまで続く事もありま したが、議論は尽きず、更には次回の議論のネタのために、 あえて聖書を開いてみたりするしまつでした。「神はわれらの 避け処 また力である。詩篇 46:1」の「さけどころ」って「酒処」 としか見えていなかった時代です。今となっては酒のツマミの 為に聖書を読んでいた、と非常に申し訳ないのですが。。。 そのような私でしたが、次第に変化が起こってきました。
クリスチャンの方々と深く関わるにつれ、非常に辛い(?)大 変(?)な思いをするようになりました。それは聖書に書かれている「生き方」を知れば知るほど、いかに自分が理想から 遠い、「なっていない人間」という事を突きつけられる事です。 もし聖書やキリスト教と出会っていなければ、神様はおろか、 隣人を愛そうともしないだろうし、まして自分を嫌う人の為に祈ろうなんて考えつきもしないと思います。しかし、それを知 ってしまったがために、自分がどれほど「嫌な奴」なのかが事 あるごとに突きつけられるようになってしまったのです。一方 で、私の身近にいるクリスチャンの方々と接していると、羨み、 憧れのような感情が出てきたのです。どのようにしたら、あの ように強く、優しく、愛に溢れて生きていけるのだろうか?答えはわかっていたのかと思いますが、それでも目を逸らし続けていました。心のどこかで、クリスチャンになったほうが大変、ならない方が良いのではないかと思っていました。
しかし、やはり私は弱い人間ですし、突っ張りながらも神様に頼り、祈らずにはいられない時が多くありました。切羽詰まっ ている時には、「この祈りが通じれば信じます」と禁断の取引 までしていました。しかも、何度もです。もちろん全ての祈り は通りませんでしたが(特に飛行機のアップグレード)、それでも多くの祈りは神様に届き、祝福を得る事ができたように思います。ただ、私はズルく、それでも色々と「言い訳」をして 約束を反故にしていました。

「門を叩けば開かれる」と聖書に書かれていますが、毎回神様へのピンポンダッシュをしていた訳です。
それでも神様は機会あるごとに、私に「勇気を出す」、つまり「信仰告白」のきっかけを与えて下さいました。
中でも最も大きなのは、妻ですが(そう書けと言われた訳で はありません)、2 番目は NJ に戻って来た事です。「それで もやっぱり神様を信じない言い訳シリーズ」の中に、まさかまた NJに仕事で戻る事は無いだろうと思って、「僕は洗礼を受 けるなら錦織先生からしか受けない」と公言していました。誤解なきよう改めて書きますが、もちろん、先生から授かりたか ったのですが、ただ、状況的には不可能なのだから洗礼は 受けれない、という言い訳でした。でも実際神様はそんな難しいと思った状況も簡単に覆されました。そして、自分が最も慣れ親しんだ教会に戻ってきて、素直に皆さんと色々な会話 をする事ができて、疑問をぶつけられたり、色々と後押しをし て頂いたり。修養会に参加するキッカケを作って頂いた妻や友人も、参加がキッカケで色々と会話・考えた事も、帰ってか ら夢で神様から直々に「さぁ、そろそろなるか!」と言われた事も。今考えれば、全て「勇気を出しなさい」「そろそろ突っ張るのはやめなさい」という優しい後押しだったのです。
今まで散々突っ張って来ましたが、それでも見放さず、愛を持って色々と与えて下さった事にしっかりと目を向けて感謝し、 自分一人の力では何一つできていなかったと、降参!と思わされました。
こうして私は「ただの罪人から、目指すべき姿を見つけてしまった罪人」に、「ただの迷い人から、行くべき場所を見つけて しまった迷い人」になったのです。

クリスチャンになってみて

すっきりしました(笑)。やっと聖餐式でまわってきていたあの 白い物体と赤い液体を味わう事ができました。初回は不謹慎ながら、乾杯までしたくらい待ち望んだ瞬間でした。また、今まではコソコソとお祈りしていましたが、堂々とお祈りできるようになりましたし、もごもごと「ァメン」と呟いていたのも、「アー メン」と言えるようになりました。
しかし、人間的にはどうなのでしょうか。変われている実感、 自信はまだ無いのが本音です。「前より輝いている」と仰ってくれる方もいらっしゃいますが、あれ?前頭部が後退?はた また脂ぎっしゅになってる?と傷つきますし、「柔らかくなって る」とか言われても、ん?顔が太ったから?お腹??とへこ みます(お腹とは裏腹に)。毎朝通勤時にアプリで聖書朗読を聴いているのですが、その後にある短いメッセージを聞きながら、歩きスマホをしている人に舌打ちしたり、タイミング的に譲れば良いのにあえて自分の歩調を緩めなかったりして、 やった瞬間に後悔しています。折角の有難いメッセージも効 果 0.1 秒しかもたない嫌な奴です。

しかし先日の上海出張の最終日の事です。朝 3 時まで仲間 と飲んでしまったのに早朝ランニングに出たのですが、そこで初めて「あーなんて素晴らしいんだろう!神様に感謝!」と 自然に出て来たのです。PM2.5 の中を前日 3 時まで飲んで走った身体の細胞が勝手にそんな事思うはずがないと思いませんか?
こういう幸せな体験が起こったり、常に拠り所(さけどころ)が ある事で思考に余裕が出て来ました。感謝できるようになりました。また、例えば仕事で偉くなりたい、もっとお金を貰いたい、みんなに誉められたい!とかしか考えられずに他人の せいにしていた事も、今はこれがご計画で、このご計画には意図がある。この中にある私の使命・役割は何なのか?と考えられるようになりました。これが出来る事で、怒る事が大分少なくなりました。もちろん稀に、怒る事が私の使命だ!と怒って後悔する事もありますが、私がどう喜ぶか、上司が喜ぶか、という単純な尺度では無く、神様が喜んでくれる私の役割は何か?を基準に動けるようになりました。これはすごく大 切な事だと思うのです。自分が与えられるものを与える。言葉にするとすごく簡単ですがとても難しい事です。しかも、人類のためにとか、地球のために、とかそんな小さな次元じゃ ありません。宇宙をも超えた、神様のためにです。

そしていつかは、かつて自分が感じたように、「あの人は何故あんな素敵なんだろう?」と、私を引きずりこんで(導いて)くださった皆様のように、神様を信じて生きていく事の素晴らし さを言葉ではなく生き様で伝えていく事ができたらと思ってい ます。

妻、そして皆様との出会いと神様の導きに感謝します。

2017年6月25日「神の家族」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書12章46節~50節

 

 

2017年6月25日JCCNJ主日礼拝説教

マタイ12:46-50
「神の家族」

教会用語・・・兄弟姉妹・・・「◯◯兄、△△姉」兄弟で来ている人が多い?
神を信じる者たちは「神の家族」エペソ2:19
でも、本当にそのことがわかって言っているのか?

  1. だれでも
    イエスの母や兄弟たち・・・外で立っていた。傍観者?
    イエスの対応は冷たい?・・・一度切ることによって結ぶ。家族だから・・・ではなくて、イエスとの個人的な関係。
    「だれでも」・・・特別扱いはない。⇒あなたも招かれている。この神の家族に招かれている。
  2. 神の御心を行う人
    「神の御心を受け入れる人」ではなく、「神の御心だと諦める人」でもなく、「神の御心を行う人」神の御心に生きていく人。
    神に聞く人 マルタとマリヤ(ルカ10:38-42)
    神を神とする者たちの集まりであるがゆえの「神の家族」「仲良く」「気が合う」ではない。

テイクアウトQuestion

  1. どうしてイエスは家族に対して冷たいと見えるような態度を取ったのだと思いますか?
  2. イエスはどんな人をご自身の家族と呼ばれたのでしょうか?
  3. あなた自身のキリストにある家族は誰でしょうか?誰を家族と呼びますか?