<牧師室より>2022年2月号「解放されたのだから・・・」

2022年がスタートしました。

「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」ガラテヤ5:13

 今年はこの聖書の言葉が私たちの教会に与えられています。

 私自身、イエスと出会って、本当に自由にされたなあ、と思います。

 私は、教会で育ちました。でも、本当の意味でイエスに出会っていなかったのだと思います。その頃は、「もっといい子でなければいけない」「クリスチャンらしく生きなければいけない」というプレッシャーを自分にかけて、がんじがらめになっていました。

 しかし、ある時、私は、自分がそのようなプレッシャーの中でも、そのように生きられない、外側はクリスチャンっぽく生きることができても、内側は醜い思いでいっぱいだということに気がついてしまったのです。

 ですから、私は2つの意味で縛られていたのでしょう。一つは「自分はクリスチャンなんだから、こう生きなければいけない」という義務感であり、また「思ったような生き方ができない」という自分の無力さでした。

 しかし、そんな自分の姿にがっかりする中で、私はイエスに出会いました。そんな生き方しかできない、私のために、イエスが罪を背負って十字架にかかってくださった、ということが、わかったのです。私が立派だから、私が「神様に喜ばれる生き方」をしているから、神様は私を愛してくださったのではなく、内側は醜いものでいっぱいなのに、外側だけは飾っているという偽善的な生き方しかできない私をも愛してくださったのだと、わかったのです。

 その時に、私は本当に自由になりました。解放されました。どう思われるか、ということよりも、この愛にどう応えていこうか?ということが心を占めるようになりました。

 聖書は、そんな自由が与えられたのならば、「その自由を隣人を愛するために使いなさい」と語っています。2022年、この御言葉をいただいて、まず、その自由を確実に自分のものにする、何かに縛られる生き方ではなく、神様に愛されている喜びに押し出されて生きる歩みをさせていただきたいと思います。そして、その自由を、自分勝手な生き方をするためではなく、周りの人々を愛するこのために用いていきたいと思います。

 その時にまた、「愛するってどういうこと?」ということが問われていきます。その問題にもじっくり取りかかっていこうと思います。愛すること、仕えること、お互いに対して、またこの地域に住んでおられる方々に対して、どんなことをすることなのだろうか、求めながら、問いかけながら、実践していこうと思います。神様がこの1年を豊かに祝福してくださいますように!

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