「主の愛に包まれて」

主の愛に包まれていました。八年過ごしたアメリカ生活を終えて、今、それまでのことを振り返ってみると、そう思います。どんなときにも主はともにいて下さいました。孤独、苦しみのどん底にあるときも、自分の力だけを信じていたときも、傲慢になっていたときも、神様の愛を知らないときも、その愛を知っていながら神様が悲しまれるようなことをしたときも、共に居てくださって僕を支えてくれていた。こんなにもどろどろとした心を持った弱い、罪人を。それを思ったときになんと大きな愛なのだと、こんな自分をここまで愛していてくださる方がいるのだと思ったときに抑えられない感動を覚えました。

その感動の中で特に心に残っていることを書かせていただきたいと思います。

二年前の八月だったと思います。その当時教会学校の校長先生をされていた姉妹から教会学校の先生をしてみないかという話がありました。それまでの自分は、絶対に僕には教会学校の先生は頼まれない、もし頼まれたとしても絶対に断ろうと思っていました。僕に頼むなんて血迷ったかとも思いましたが、そのときある御言葉に心を打たれていました。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた聖なる供え物としてささげなさい。」(ローマ人への手紙12章1節)神様のために何かしたいという思いが与えられていて、単純な自分は何も考えずにその御言葉を信じて引き受けますとその場で返事をしていました。

その後、家に帰って考えてみた時、自分がなんて大変なことを決めてしまったのか気づきました。というのは、自分は話すのが一番苦手だからです。冷静に考えてみると、自分には無理ではないのか、普通に考えたらやっぱりだめだよなーという思いでいっぱいになって、引き受けたことをすごく後悔しました。友達に教会学校の先生をやることになったと話したときには、「向いてないね」と皆に言われ、本当に自分はこの奉仕に向いていないのだと心のそこから思い、自分の至らなさに愕然としたのを覚えています。

その時、自分の心の中に五つのパンと二匹の魚で五千人の人のお腹を満腹にした話が浮かんできました。イエスについてきた五千人もの群集が周りに何もないとことにきて疲れ果て、食べ物を必要としていたが、イエスの弟子たちの手元にあったものは五つのパンと二匹の魚だけだったので、群集を近くの町に行かせるようイエスに提案した。しかし、イエスはそれを持ってきなさいと、五千人を前にして、弟子たちが持っていたちっぽけで何の役にも立たない食べ物を、イエスの元に持ってきなさいというのです。そして見事にイエスは何も役に立たないもので五千人もの人を満腹にしてしまったという話です。この話を思ったとき、自分はこの時の弟子たちと同じなのだ、自分にはちっぽけなものしかないけど、イエス様はそれを何十倍にも大きくしてくれるのだ、大事なのはその至らないところに働く力を信じて、そのままの自分を神様のために捧げることなのだと思わされました。そして教会学校の奉仕を引き受けたことを後悔していた自分に勇気が与えられ、やってみたいという気持ちに変えられていました。

そして二年間この奉仕をさせていただいた中で本当に主は至らないところに働いてくださる方なのだということを経験させていただきました。自分のようなものが担任をして生徒だった子供たちには申し訳ないという気持ちもありますが、自分ではなくて神様が確実に毎回のクラスにいてくださって子供たちを導いていて下さっていたのだと、人間の頭で考えるレベルを遥かに越えた事を日々されているのだと思わされました。

アメリカでの生活を終え、香港、中国本土で新たな生活を始めますが、どこに行っても、今までずっと共にいてくださった神様がこれからも共にいてくださると思うと、新天地での生活への不安が吹き飛んでいきます。これからどんな嵐が襲ってくるか分りませんが、その嵐の中を、僕を愛してくださる神様と共に歩んで行きたいと思います。

月報2003年9月号より

「私はこの6月、ペンシルバニアで行われた…」

私はこの6月、ペンシルバニアで行われた“クリエーション2003”というクリスチャンのイベントに参加しました。これは、1979年から続いているとても有名なクリスチャンコンサートで、イベントは5日間続き、参加者はテントに野宿しながら、コンサートや神様からのメッセージを5日間ノンストップで聞き、主を礼拝し賛美するものです。今回は、友達のデズリーの教会のユースグループで参加することになり、私も誘ってもらえたのです。こんな機会は一生に一度しかない!と興奮しましたが同時に5万人の若者が参加すると聞いた時にはちょっと心配でもありました。
キャンプの初日は、それまでの雨ばかり続いた天気とは打って変わって、90度を超える暑さとなり、この暑さの中どうやって5日間生き延びるわけ?と思い、私もデズリーもめまいがしてきました。でもプログラムがはじまったとたんに気持ちがしゃきっとしてきました。私は神様が私とともにおられることがわかりました。賛美の中には教会でもよく歌う“Above Allモ や メAwesome Godモなどもあり、その日のメッセージは、世界中に出て行って福音を述べ伝えなさい、というもので、夜には聖餐式もありました。
翌日の朝は礼拝から始まり、その日のスピーカーのトーマス牧師はクリエーションが始まって以来100人以上の若者に洗礼を授けた人でした。私は神様がこの私と共にいてくださるのと同じように、こんなにも沢山の若い魂に触れてくださっている事実に驚きすら感じました。その日の夜にはキャンドルサービスがありました。ろうそくを手にしてふと後ろを振りかえると、
5万人が入ったスタジアムがキャンドルでいっぱいになっている光景は、胸を打つものでした。
こんなにも沢山の人がひとつになって、主への賛美と感謝を捧げている姿は忘れられません。
次の日“PrayerTentモで起こったことは、私の人生を作り変えました。その夜のスピーカーのデイビッド牧師の「今、自分の人生を変えて神様にもっと近づきたいと思っている人」という招きに、私は立ち上がって前のテントに進み出ました。私は、昨年洗礼を受けてから、私の信仰生活はローラーコースターライドのようで、霊的な戦いの中にいたので、今私にそれが必要だということを感じていたからです。私は他の招きに応じた人たちと一緒に立ち上がり“PrayerTentモに行きました。友達のデズリーとデズリーの教会のYouth Pastorのデイヴも一緒に来てくれました。テントの中に一緒に座ったとたんに私は、心の中のすべてを注ぎ出す事ができました。クリスチャンになっても、いつも喜びと感謝に満たされているわけではないこと、未だに神様へ対しての飢え渇きがあること、妹とうまくやっていけないことなどを告白しました。デイヴとはまだ会ってから数日しかたってないし、あまりしゃべってもいないのに、彼は私の話を真剣に聞いてくれて、私が神様から目を離さないよう、霊的に強くなれるように祈ってくれました。そして、彼のクリスチャンとしての歩みの中にも同じようなことがあったし、これはクリスチャンが誰でも通る試練でもあることを話してくれました。そして、その試練は神様が私たちを強くしてくださるためであり、ずべての事において神様に立ち返るようにするためだとも教えてくれました。私はこの夜、自分が大きな思い違いをしていたことにはじめて気が付きました。私は、クリスチャンになったらその瞬間からすべてが変えられすべてが良くなると思っていたのです。でも実際は神様は私たちをテストして、私たちに色々な試練を経験させる、でもそれは、私たちを毎日少しずつ強めてくださるためだったのです。
一番大切なことは、そういった試練の中でも神様に立ち返っていくこと、決して神様に背を向けないことなのです。クリスチャンになったからといって一晩で何もかも変わるわけではないのです。デイヴの話のあと、私が“完璧”と思っていたデズリーでさえ、私と同じ体験をしたことを話してくれました。私は2人が私の話を聞いてくれて理解してくれたことをとてもうれしく思いました。そのあと、自分のテントに戻ってデズリーと他の友達と一緒に、夏が終わって、学校に戻ったら、まだイエスさまを知らない友達に対して、イエス様の良き証人となることができるよう、祈り合いました。私は神様がこのように一緒に祈り合える友達を下さっていることに本当に感謝しました。
このクリエーションでは、本当にクリスチャンが変えられるのです。私はこの5日間で、私が求めていたものすべてに出会うことができました。神様は本当に私の必要を全部ご存知でした。
なんて素晴らしいお方でしょうか。神様が私の必要を満たしてくださるために、このクリエーションへ送り出してくださったのです。この暑さの中、耐えられたのも神様が守ってくれた以外に考えられません。(教会の皆さんもお祈りしていてくれたことを後で知りました。ありがとうございます。)私は、こんな素晴らしい神様のことをこれからもまわりの人たちへ伝えてゆきたいです。

月報2003年8月号より

「しかし、わたしが与える水を飲む者は…」

「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」(ヨハネ 4:14)。去年のイースターに、私はこの御言葉によって生まれ変わったのです。
この御言葉に導かれるまで、私は毎日が不安で、自己嫌悪ばかり感じていました。常になにかをやって目標を達成していかないと、周りに認めてもらえない、こんな自分は誰にも愛されない、と思っていました。自分に自信がなくて劣等感を感じる時もあれば、友達よりもテストの点数がいいと優越感を感じたり、誰にでもいい顔をする表面的な付き合いに嫌気がさしたり、自分が何なのかわ分からなくなっていたのです。何のために生きているのだろうと思ったことも少なくはありません。あることを成し遂げた直後は、達成感で心が満たされていたのですが、時間がたつと、またやらなきゃ。。。と、あせりを覚えることの繰り返しでした。心にぽっかりと空いた空洞を埋めるのに一生懸命で、「幸せ」というものを感じる余裕さえなかったと思います。埋まったと思ったらまた穴が空いてしまう心。どうしたらこの苦しみから抜けられるのだろう。。。といつも思っていました。
そんな時、私は錦織先生に出会いました。日本で通っていた、ミッション系スクールの聖書の時間と違って、聖書に書かれていることをただ勉強するだけでなく、先生は、私の悩みに親身になって相談に乗って下さり、聖書の御言葉の中に一つ一つの答えを見出して下さいました。その時の先生の言葉は、どんなアドバイスよりも、一番私の心に平安をもたらしてくれました。そして必ず、「どうか沙織ちゃんが心のドアを開いて、あなたの大きな愛を受け入れられるようになりますように。」と一緒にお祈りをして下さいました。その時初めて、私は神様が差し伸べて下さっている手を取っていなかったことに気付きました。そのことに気付いた途端、私は言葉では表せないような暖かいものを感じました。あの生まれ変わった時の喜びは、昨日のことのように鮮明に覚えています。
洗礼を受けてから、本当に毎日が明るくて、神様に愛されることが嬉しくて嬉しくてしょうがない日々を送っています。どんなに辛いことがあっても、苦しい思いをしても、「いつだって神様と一緒だから!」と思うと、何でも乗り越えられる気がします。物事がうまくいかなくても、「これは神様が私にベストだと思って立てて下さった、神様のご計画のうちなんだ。」と思うと、何も怖くありません。切羽詰っている時でも、お天気が良いことを喜んだり、おいしくご飯が頂けたり、生まれて初めて「余裕」というものを感じることができるようになりました。些細な幸せを感じられるほど、素晴らしいことはないと今感じています。
しかし、ある教会の仲間へ送ったEメールに書いたことなのですが、神様に救われて怖いものも怖くなくなった後も、「完璧なクリスチャンになるには」ということで随分悩みました。この一年間を振り返ると、心の中で沢山のことと葛藤していたような気がします。正直に告白すると、聖書をまだ全部読んでいないし、学校とピアノの忙しさにかまけて、教会にもあまり行っていませんでした。自分のお祈りの仕方が間違っているのではないかと悩んだことも何回もあります。更に、「神様なんていないんだよ。」と言いつつ、「ああ、神様助けて!」、「神様恨むよ!」と言う、ノンクリスチャンに腹を立ててしまったり(自分だってついこの間まではクリスチャンではなかったのに!)。。。時には、非クリスチャン的な自分は教会へ行くことも、ましてや聖餐にあずかることなんてふさわしくない!と、思いました。
と、この様に反省点ばかりなのです。でも、そんな私を聖歌隊の伴奏で使って下さったり、Genesistersに仲間入りさせて下さったり、たまに教会へ行っても温かく接して下さったり、一緒にお祈りをして下さる兄弟姉妹を見て、なんてみんな心が広いんだろう!と、感動しました。どんな人でも寛大な心で受け入れる。。。これが、イエス様を信じるクリスチャンなのですね。この一年は本当に兄弟姉妹にたくさん励まされた一年でした。今、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
私には今、大きな夢があります。自分と同じ子供が、衣食住に不自由したり、病気で苦しんだり、親を戦争で亡くして寂しい思いをしていることがいたたまれません。「受けるより、与えるほうが幸いである」という教えのように、神様から頂いた充分な恵みを、奉仕を通して多くの子供に分けてあげたいと思っています。皆さんが私にして下さったように、乾く心を持つ人々に、永遠の泉のあることを教えてあげることができたら、どんなに素晴らしいことだろうと思います。まだまだ未熟ですが、これからも神様を愛し仰ぎつつ、歩んで生きたいと思います。
皆様、どうぞお元気で! May God bless you~♪

月報2003年7月号より

「修養会で受けた恵み」

私たちの教会では、去る5月9日から11日まで、Pennsylvania州のStroudsburgのキャンプ場で修養会を持ちました。その時にいただいたフレッシュな恵みをお証ししたいと思います。

私は2歳の時に母を亡くし、母方の祖父母によって育てられました。父とも生き別れの状態になってしまったので、両親の愛を直接体験する機会を持たずに育ちました。祖父母が祖父母なりの愛情を以って私を大事に育ててくれたので、特に問題も感じずにずっと人生を歩いて来ました。ところが、クリスチャンになって、神様の愛、イエス様の愛のメッセージを聖書から学んだり、聞いたりする度に、その愛を自分の中でイメージすることが出来ない自分を発見しました。そして、「自分を愛するように、隣り人を愛せよ」と言われると、はたして私は「自分」を愛しているのだろうかという疑問を持ち始めました。イエス様の愛はアガペーの愛といわれ、犠牲を伴う愛、惜しみなく自分の命を捧げる愛であると言われます。そしてその愛を、親が子供を愛する愛に喩えて私達は理解しようとします。両親の愛を体験せずに育ったので、私には実感としてそのことが分からないのだろうと思いました。今回の修養会には特別ゲストとして、ハワイからRandy & Gay本郷先生ご夫妻が参加して下さいました。そして、ニューヨークで働いておられる息子さんのAndrewも加わって、3人で、本当に素晴らしいハーモニーの賛美を聞かせてくださいました。3人が心を合わせて賛美される中に、ご家族の愛があふれんばかりに伝わってきました。Andrewの清々しい笑顔の中に、ご両親の愛を一心に受けて育たれたことをひしひしと感じました。私のまわりにも、愛情を自然に表現できる方が沢山おられます。私はいつも羨ましい、私もいつかそうなりたいと思っていました。イエス様の愛で心を満たしていただけば解決すると信じて、いつも祈っていました。確かに祖父母(すでに亡くなっているので昔のことを思いだして)、主人や息子、身内の人たち、教会の兄弟姉妹、あるいは友達を通して示されるイエス様の愛によって、少しずつ心が満たされて行きました。それでも、なおかつ、心の中に満たされない部分が残っているのです。イエス様が私の罪の贖いのために十字架にかかってくださったその愛にお応えして、私も「愛の人」になりたいと心から思いました。でもいつも自分の愛の足りなさが示されるばかりでした。

今回の修養会では、ロンドンのJCF(Japanese Christian Fellowship)の盛永進先生がヨハネの福音書4章1節~42節のサマリアの女の箇所から、4回にわたってメッセージを語ってくださいました。先生のメッセージを通して、十字架にかかられ、3日目に甦られたイエス様が、現在に生きている私たちの現実、抱えている問題に深く関わってくださる方であることが伝わってきました。そして私たちの問題に具体的に解決を与えることのお出来になる方であり、「生きた水」を与えたいと願っておられる方であることを強く感じました。それで、2日目の夜の集会が終わった後に、盛永先生に私の問題をお話してみよう、何か解決が与えられるかも知れないと言う思いになりました。「先生、実は私は、、、」と私の生い立ち、私の抱えている問題を先生にお話しました。「うん、うん」と相槌を打ちながら聞いておられた先生が開口一番「無理なんですよね。」と言われました。「無理?」「イエス様の愛で満たしていただいて、人を心から愛せる人になれるようにお祈りしましょう」と言ってくださると期待していた私は、一瞬「ではどうすればいいの?」と思いました。先生は続けて「そういう境遇に育った人は、その部分が閉じ込められているからね。でもイエス様はそれで良いと言ってくださっているのだから良いじゃないですか。神様は愛の足りないまま受け入れてくださっているのだから。親の愛を知らずに育ったことが利点となることもあるのですよ。」と言って、祈ってくださいました。(ご両親の愛情を一杯に受けて育った方と同じように人を愛することは無理だ、という現実を示されて、そのことで頭が一杯になってしまった私は、先生が何を祈ってくださったのか思い出すことが出来ません。)部屋に戻ってからも、「無理だ」と言う現実を理解しようと試みました。確かに、私のような境遇に育った人、つまり、親に愛されることを体験せずに育った人は、その部分が開発されることはなかったのだなということが理解できました。例えば、生まれてから一度も歩いたことがないとすれば、歩くために必要な筋力、歩くために必要なバランスが開発されないままに成長していきます。後から歩く訓練をして歩けるようになっても、自然に歩ける人とは開発される能力が違うかもしれないと納得しました。親に愛されて育った方と同じように、同じ仕方で愛さなくてはいけないと思っていた事が間違いであったことに気づきました。

そして、神様は私の全てをご存知で、そのままで良いと受け入れてくださっているのだ、と言うことが分かりました。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」イザヤ書43章4節のみことばが心に浮かび、神様が受け入れてくださっているように、そういう自分自身を認め、受容する=愛することが出来ました。次に「わたしの恵はあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」コリント人への第2の手紙12章9節のみことばが心に響いてきました。わたしの内におられるイエス様の愛が、わたしの足りないところに完全に働いてくださるとは、何と心強いことかと感謝の気持ちで一杯になりました。私が精一杯がんばっても、示すことの出来る愛は小さなものです。限りのあるものです。その何倍も何十倍もの大きな愛が、神様の力によって表されるとしたら、何という恵みでしょう! 私にとって素晴らしいというよりは、その愛を受け取る方にとって、何と大きな恵みとなるでしょう。私が愛する以上に神様はその方のことを愛しておられるのですから、きっとその方にとって必要な方法で愛を表してくださるでしょう。そう思った時に、私は捕らわれていた物から全く解放され、喜びに満たされました。翌日の礼拝のメッセージの中で、盛永先生が「この世で大きな功績を残している人、特に文豪と言われる人の中の多くが孤児だったのですよ。それは、『わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』という聖書のみことばの成就です。」と語られた時に、神様がもう一度私にそのことを確認してくださったと、本当に感謝しました。私達は私達に与えられている利点だけを神様からの賜物と考えてしまいがちですが、不利な点も神様が賜物として与えてくださっていて、それを用いての使命も与えてくださっていると思いました。私に実行出来ることは小さなことかもしれませんが、そこに働いてくださる神様の偉大な力に信頼して、小さなことを忠実に行っていくことが出来るように、毎日を歩んで行きたいと思いました。

修養会を開いてくださった神様、盛永先生ご夫妻、本郷先生のご一家、錦織先生、修養会のためにご奉仕下さったお一人お一人、そして、家で不自由を忍んで留守番をしてくれた主人と息子に心から感謝いたします。
月報2003年6月号より

「僕を信仰へと導いてくれました敬愛する楠秀樹先生へ」

ニューヨークは3月に入っても寒い日が続いており、「春遠し」という感じです。こういう時にはカリフォルニアの気候が懐かしく思い出されます。

毎週日曜日に行っているLTG*の交わりを通して、本当に恵みが与えられていますこと感謝しております。また、毎週、先生にお祈り頂いていることで、日々の生活が主によって守られています。ありがとうございます。

さて、これは、昨年11月から開始したLTGにより、確かに神様が僕を変えて下さったことを証しする手紙です。これからもLTGの学びが豊かに祝福されることを祈りつつ、ペンを取りました。

先ず、今回の背景となる僕の置かれた状況についてここで、改めて申し上げます。先月、2年半勤めていた会社を退社しました。その理由は(1)営業マンとして会社が期待する結果が出せなかった(2)結果だけでなく、会社の求める能力が自分自身の能力を超えてしまった(3)会社が急速に変化してくスピードについていけなかった、の3点が挙げられます。誤解のないように申し上げますが、これらの理由は会社との数回にわたる話し合いで双方同じ理解のもとで到達した結論です。

とは言っても、これらのことはビジネスマンとしては致命的な人事考課であり、僕自身の努力不足、勉強不足を考慮しても、仕事中心のアメリカ生活を送っていた僕にとっては、とても受け入れ難い出来事でした。人は自分自身の能力を知らされた時が一番辛い、と言われますがまさにその通りでした。会社に対する過去2年半の貢献が否定されたようで、いわゆる挫折感を抱きました。

しかしながら、このような事実を素直に受け入れることができたのは、ずばり「イエス・キリストを救い主とする信仰」のおかげでした。もし、この信仰がなければ自暴自棄になり、かなり荒れていたことでしょう。そして、何かをスケープゴートにして自分自身を正当化していたと思います。たとえ荒れていなくとも、この事実を受け入れるには多くの無駄な時間と労力が必要であったと思われます。

素晴らしい信仰のおかげで、辛いことを素直に受け入れることが出来ただけでなく、感じていた挫折感が主への感謝にと変わりました。ハレルヤ!です。僕をクリスチャンへと導いてくれました先生に改めて、感謝申し上げます。「ありがとうございました。」そして、神様は今回の出来事を通して僕自身をも変えて下さりました。その変えられた点を下記の3点にまとめてみましたので、お伝えします。

1「ラストチョイス」から「ファーストチョイス」へ
クリスチャンになってから、これまで祈りや聖書の中で求めてきたのは、自分が勝手に決めた行動の結果への安心と平安でした。つまり、クリスチャンとしての歩みの過程で、転び、つまずき、傷つき、壁にぶち当っても、最後の最後には神様の守りがあるから大丈夫だという考えでした。今回の件も、神様が最後には守って下さるので「それまでは自分自身で進めるところまで行こう」という神様を切り札とした自分勝手な歩みでした。これこそ、神様に背を向けることであり、神様が最も悲しむことでした。神様は全てにおいて、最後の最後ではなく、最初の最初として、求めていくお方であると気づかされました。

2「欲望」から「希望」へ
正直言って、これまでの人生のモチベーションはすべてが「何々したい」でした。過去10年のアメリカ生活は特にそうでした。「経済的に成功したい」「社会的に成功したい」「人からよく思われたい」「人からほめられたい」など、満たされない物事をなんとしても満たしたいという心、つまり欲望が僕を支配していました。

そうではなく、神様を第一とする歩みの中に欲望ではなく「希望」だけがあることに気づかされました。それは神様が僕にとって益とされるものを備えておられるという確信です。まさに暗闇の中に与えられた光のようでした。今のところその光は遠くの遠くにポツンと輝いており、何時その光に到達するか知る由もないですが、僕にも僕にふさわしい光を与えて下さるという神様への信頼が希望になりました。

希望を与えられたことで、今回の件も神様の計画の一部であると受け入れることが出来て、神様がこれから僕に何を用意してくれているのかと思うとワクワクします。希望を待ち望むことは喜びでもあります。まさに、希望が「喜望」になりました。もっと素晴らしいのはこの希望は失望に終わることはないと、しっかりと聖書(ローマ人への手紙5章3節~5節)に刻まれていることです。ハレルヤ!です。

3「主人公」から「脇役」へ
僕の人生の主人公はもう僕自身ではありません。これまでは、天動人生(天動説のように自分を中心にすべてが回っているという人生)などという言葉を信念として、自分中心にそして自分勝手に生きてきました。しかし、上記のように神様を第一とする歩みにおいて、すべては神様であり、僕の人生の主人公は神様であると告白できます。

僕は今年10月で34歳になりますが、ここにきて僕の人生の第一幕が終わり、これから第二幕が開こうとしているようです。人生の第一幕では僕という素人芸人がなんとなく舞台に立っていましたが、第二幕では、ステージに上るのはイエス様です。僕は脇役か黒子か、もしくは客席で拍手をもって主人公であるイエス様をたたえることが僕に与えられた役割であると気づかされました。

「神様はラストチョイス」「欲望に支配」「自分が主人公」というこれまでの歩みを振り返ると、それは綱渡りと譬えられます。それでも、ここまで綱から落ちずに歩んでこられたのは神様の愛のおかげでした。もし、このままこの状態で歩み続けるならそれは、綱よりももっと細い糸の上を歩んでいくようなもので、ゾットします。そうではなく「神様がファーストチョイス」「希望に満たされて」「神様が主人公」とする歩みは、硬くて広い舗装された土台の上を進むことであるとイメージ出来ます。

神様のしっかりとした硬い土台の上に、仕事とは何か、家族とは何か、将来築いていく家庭とはどうあるべきか、人間関係はどうか、ということをひとつひとつ神様に導いてもらい、これからの人生を歩んでいきます。その大きな第一歩を今、踏み出しました。

このように毎週行うLTGの学びを通して神様が僕を変えて下さったということに付け加えて、先生にもう一つお伝えしたいことがあります。それは、神様は先生を通してその栄光を僕に見せて下さったことです。毎週の先生との分かち合い、罪の告白、そして祈り合いで先生に「癒され励まされ」「慰められ元気づけられ」ました。それは先生を介された神様の素晴らしい働きによるものであると確信しております。「ああ、素晴らしいではありませんか、そのように神様は私たちのLTGの学びにいつもいて下さったのですね。ハレルヤです。」

先生、お祈りさせて下さい。「愛する天のお父様。あなたの御名を賛美します。神様、あなたに背をむけていた的はずれの歩みをお赦し下さい。悔い改めます。あなたとの和解がイエス様の十字架の死によるもので、私たちの罪を贖ってくれましたことを覚えて、大いなる神の愛とイエス様の恵みに感謝します。また、先生を通してあなたの栄光を現して下さったことを感謝します。今一度、心よりあなたを賛美したい気持ちで満たされています。感謝です。アーメン。」

チコさんにもよろしくお伝え下さい。チコさんの健康が支えられますようにお祈りしております。それでは、また、次回LTGの学びでお話します。

・LTG(Life Transformation Groups):LTGとは2~3人でグループを構成して行う楽しみを備えた双方向のコーチングプログラム。1週間に約1時間ミーティングを持ち、そのグループの中で、心を開き、正直に、人格形成を促す会話と罪の告白を行う。LTGの学びで行うことは次の3点。

(1)あらかじめ決められた人格形成の質問事項に交互に答えていく。その質問内容は「先週、主イエス・キリストの偉大さを、言葉と行いを通して証ししましたか?」「先週、あなたの身近な人の気持ちをよく理解し、やさしく寛大に接しましたか?」「先週、誰かに対して腹を立て、怒りが収まらなくなったことはありませんでしたか?」などを含む計11項目。これらの質問項目に基づいて、罪を告白し合うこと、相互に報告義務を持つことを目的とする。
(2)グループごとにその週に読む聖書の箇所を決めて、同じペースで聖書の御言葉を繰り返し読む。
(3)まだ救われていない人々のために祈る。

詳細参照URL: 日本語  http://homepage3.nifty.com/rac/coach_ltg.html
英語   http://www.missionspokane.org/globalocal_life_transformation_groups.htm

月報2003年5月号より

「備え給う主の道を」

今、私は20年11ヶ月のアメリカ生活に別れを告げようとしています。
過去40年薬学と製薬企業の中で働いてきましたが、良い薬は病気の原因を作っている仕組みを攻撃するけれども、正常な身体の仕組みには悪さをしないで、その使命を果たしたら速やかに体の外に出るべきものなのです。ここ10年余の私の専門は、薬が人の体に入ってから排泄されるまでの経路を追いながら、有害反応の可能性を臨床試験に入る前に見つけ出すということでした。かつてはあまり省みられていなかった領域でしたが、今では新しい薬の開発にとってかなり重要な事柄とみなされるようになりました。特にこの10年余、情報と技術の急激な進歩によって、製薬の研究開発過程で行われる試験の質も量も圧倒的に増加しました。それにつれて良い薬の標準は高まり、かつては死を待つばかりだった人々が新しい医薬のおかげで職場復帰できることがまれではなくなりました。一方、いまやどんな業界でもそうであるように、企業の生き残りをかけた競争のために、大手製薬企業の合併とその後に来る過酷なリストラが当たり前のように行われるようになりました。何と激しい時代に生かされてきたことかとしばしば思います。
あの国際多発テロは、この地での衝撃の体験でした。一人でも多くの命を救おうとする努力が医薬開発でなされている一方で、理不尽な大量殺人が行なわれたのでした。人権擁護思想が進歩して、これこそ人類の成長の証しかと思わせられる一方で、武力行使によって国際正義を打ち立てようとする旧約聖書の時代と変わらない戦術がとられています。平和共存にむけての人類の英知の進歩というものはないのかと心底問わずにはいられません。

女が海外で一人こんな時代を生き抜いてきたことを知って、尋常ならざるものが私の中にあると感じた方が、「ひょっとしてあの人はかつて全共闘の女闘士だったのでは?」と憶測されたと聞いていますが、それはかなりの見当違いです。
アメリカでの仕事の体験を学生に話して欲しいと言われてお話させて頂いたことがありますが、お招き下さった大学教授との昼食の折「私は本当に愚直としか言いようの無い融通の利かない生き方をしてきたのです。」と申しあげたところ、この方は我が意を得たりと言わんばかりに膝を打って 「そういえば、成功の秘訣は『運』『鈍』『根』といいますね!」とおっしゃいました。私が成功者かどうかは多いに疑問がありますが、その方の感のよさに感心したことでした。
私の場合、「運」とは信仰を与えられていたことにほかなりません。「鈍」は正真正銘文字どおり自分に優れた能力の無いことを自覚していましたから、神様の導きにすがって一歩一歩進むしかありませんでした。「根」とはそれに値しない者に神様から与えられた許しと恩恵に対する感謝の応答に他ならないのです。他から観たら馬鹿かと思われるほど、ある意味で私は「根」の続く人間です。

すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。(コリント第一1:19)

神様は確かに信じてより頼む者を担ってくださるのだとつくづく思うこの頃です。私の帰国の目的は老母を最善に介護するためでした。そのために昨夏以来、日本にいる妹達と知恵の限りを尽くして段取りをしてきました。しかし神様は2月28日満90歳の誕生日に母を召されました。それは私のこちらの住まいが売れた翌日でした。「人は心に自分の道を考える。しかしその歩みを導くものは主である」 (箴言 16:9)。私は今すべてを神様の導きに委ね、期待して日本での生活に向けて発ちたいと思っております。

月報2003年4月号より

「私は、小さいときは 神さまや…」

私は、小さいときは 神さまやイェスさまのことを何もしりませんでした。
クリスマスが イェスさまのたんじょうびだということもしりませんでした。クリスマスはサンタさんがプレゼントをもってきてくれる日とおもっていました。

5年前にアメリカにきて、おともだちにさそわれて、 たまにきょうかいに来るようになりました。でも、きょうかいがなにかはしらずに、きょうかい学校やJoy Joy キャンプに来ていました。れいはいのときも、まだgymであそんでいたので、 うえでみんながなにをしてるか、ぜんぜんしりませんでした。

2年前 に、お母さん がなくなってから、 きゅうにきょうかいの人たちとなかよくなって、はじめて「しゅうようかい」に行きました。しゅうようかいのときも、子どもはほとんどあそんでいたので、イェスさまのことはあまりわかりませんでしたが、とてもたのしかったので、また行きたいとおもいました。

それからまいしゅうきょうかいに行きはじめました。さいしょはなにもわからなかったけど、 行っている間に、みことばをならったり、イェスさまのことをすこしづつおしえてもらいました。
アメリカの きょうかいの ユース グループ にいきはじめて、そこのしゅうようかいにも行って、せいしょのお話をきいて、神さまが人間をつくったことなどをおしえてもらいました。

それから2年たって2002年のしゅうようかいに行ったとき、イェスさまについて行こうと思いました。このしゅうようかいでお話ししてくれた、くりす先生が
「イェスさまは わたしたちみたいな 人間 だった。」 って 言ったとき、
それから、「イェスさまが じゅうじかの上にいるとき、どんなにせなかが、すれていたかったか」 っていったときに、じぶんがいたいような気がして、どんなにイェスさまはいたかっただろうかと思って、すごく自分が つみびとだなってかんじました。
そして、それまでもイェスさまのことをもうしんじているけど、今、ちゃんとに神さまに、「しんじている」と、おいのりをして、きもちをつたえようとかんじて、せんれいをうけることをきめました。

その、しゅうようかい のちょっと まえ、ともだちから、あるしつもんをきかれました。
そのとき、じぶんの答えを secret にしたかったから、うその答えを言ってしまいました。
そのときは、べつにへいきだったけど、後になって、すごく guilty に思えました。
つぎの日、ともだちに学校であやまって、ほんとうのことを言いました。そのともだちは、ゆるしてくれました。
でも、あやまるときはとってもゆうき が ひつようでした。でも、あやまって本とうのことを言って、とてもきもちがあんしんしました。

もし、イェスさまが、わたしたちのために、じゅうじかにかかってくださったことをしらなかったら、うそを答えたことにあまり大きなguiltをかんじないで、さいごまで本とうのことを言わず、その子にはあやまらず、すこしたってわすれていたかもしれません。でも、イェスさまのことをかんがえると、とてもわるいことをしたんだなって思って、ゆうきを出してほんとうのことが言えました。
あやまってから、わたしの中で、もう、うそはつかない ようにしようときめました。

2002年12月 15日に、せんれいをうけました。

せんれいを うけた後、クリスチャンでないおともだちに、神さまや、イェスさまのことをつたえたい というきもち が大きくなりました。
わたしは 、おともだちに 神さまがいつもいっしょにいてくれることとか、せかいを作ってくれたのは神さまだとか、神さまはまちがえをしてない、とかをしってもらいたかったから、ほかのともだちがこういうことを しゃべっているときは、じぶんもいっしょにつたえたいと思うことがとてもおおくなりました。おともだちにまず 神さまをしってもらいたいとおもってます。

「しかし、かれをうけいれたもの、すなわち、その名をしんじた人々には、かれは神の子となる力をあたえたのである。」ヨハネによるふくいんしょ、第1章12節

イェスさまにかんしゃします。

月報2003年3月号より

「15年間の大きな恵」

「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」ヨハネ21章22節

2003年1月第2聖日説教が、この「ヨハネの福音書」最後の部分から「一人一人への召命」と題して錦織牧師を通して語られました時、著者ヨハネが自分の事を示すこの聖言葉を通して、この地域に日本語で福音が述べ続けられてきたのは、主のご意志であった事を、主は私に直接語りかけて下さいました。15年間ここまで教会として成長し、そして又、新たな夢と幻を持って新しい16年目をスタートしたこの教会の歩みにおいて、多くの牧師や信徒の献身的な働きがあった事は確かですが、その歴史の中に刻まれるのは個々の人間の名前では無く、ただ主の、私たちを赦し、救って下さった十字架のイエスのお名前だけなのだと言う事を明確に示してくださいました。

それは1通の日本からの手紙で始まりました。それまでいろいろな奉仕をさせて頂いた幾つかの日本語教会での信仰生活から離れて、英語の教会で日曜クリスチャンの生活に満足しきって過ごしていました者にとって、正木牧師からの「60歳の誕生日に裏山で祈っていたら主からニューヨークへ行って開拓伝道をしなさいと示されました。貴方をその責任者に任命しますから直ぐに準備を始めて下さい。」という全く予期していなかった、驚くような内容が書かれたお手紙でしたが、不思議にも非常に冷静に、そしてあたかも主が直接語られたように感じましたのは、長い年月が経った今考えます時、まさに聖霊様の働きであったのだと思わされます。人の思いで判断しますと、「何で数回しかお会いした事の無い牧師から?」とか「何で私なの?」といった感じを受けて当たり前の事ですのに、逆に自分がどこか遠くの方で感じていた使命感のようなものと共鳴して、「期は熟した。今がまさにその時!」といった言葉が語られたように感じました。本当に自然体でそのための一歩を踏み出せましたのは、主の導きが有ったからであり、まさに私にとりましては奇跡と言う他はありません。

今あらためて教会の出発時を思う時、私を洗礼へと導いて下さった主の御愛は、新しい教会をこの地で始めるという主の目的のために、多くの教会でいろいろな経験をさせながら導き、鍛えて下さる事に絶えず注がれていた様に感じます。その時その時の自分は何もそれを意識しておらず、自分で日々の生活を、信仰の歩みを進めて来たと自負していた事を恥ずかしく思い、悔い改めさせられます。サンタクララの教会で救いへと導かれ、多くの経験豊かな信仰の先輩方の中でそのご奉仕の姿を見せて戴き、ロサンジェルスに移され、開拓伝道と会堂建設に携わり、日本へ戻り大川従道牧師の教会で牧師の伝道旅行の鞄を持たせて戴き、他の教会の成長から学ぶ姿勢を教わり、そしてニューヨークでは日米合同教会で日英両語での礼拝と教会運営に触れ、テナフライの長老教会で米国教会の一員としての信仰生活。そのどれ一つも無駄の無い、欠かす事の出来ない素晴らしい経験として、主が活かして下さいました。そして約16ヶ月の準備期間を通して、それまでの信仰生活で交わりを持たせていただいた、牧師・信徒の方々が親身になって相談に乗ってくださり、力になって下さり、共に主に従う喜びを分ち合えました。しかしいざ日本語教会が始まりますと、ここまで導いて下さった主の労に感謝しつつも、この教会が1年間は維持できるだろうが、それ以上は無理だろうといった不信仰の思いが有りました事を今正直に告白いたします。主は私の思い煩いを見事に裏切って15周年を迎えるまでに成長させて下さいました。それは主の聖言葉、「わたしに従ってきなさい」だけがこの教会の支えであった事の証であり、主がお約束通りに導いて下さったのだと確信できます。この新しい年の初めに、一人一人が主に従って行く時、主が教会を成長させて下さる事を信仰の友と共に確認させて頂けました。

信仰生活の約半分を、この教会で過ごさせていただきましたが、これからの新しい15年は果たしてどのような道を主が御用意くださっているのでしょうか? 教会の中では孫もいないのに「爺様」と既に呼ばれる年齢になりましたが、期待に胸を膨らませ、祈りつつ主に従っていきたいと願っています。

「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいて下さいます。」 ヤコブ書4章8節


月報2003年2月号より

「新しい喜び」

1982年の夏、私が乗った伊豆大島へ向かう船の中は、海へ遊びに行く若者達であふれるばかりでした。なんて大きな空、なんて青くきれいな海、時々海面を魚が飛び跳ねる。船の中は賑やかでも、神様が造られたこの自然界のすばらしさ中に、生かされている自分を見つめるときでした。

この時の伊豆大島でのバイブルキャンプに,私は神様から何とか解決をいただきたい1つの課題をもっていました。それは1年以上抱えた心の中の葛藤でもありました。私が参加した学生キャンプには、東日本各地、カリフォルニアから、100人ほどの学生達が集まりました。3泊4日のキャンプは楽しいレクリエーション、きれいな海での海水浴、バーベキュー、バンドの演奏や賛美、聖書からのメッセージと、盛りだくさんのプログラムでした。キャンプ場は明るい話声や歌声が賑やかで、次々に神様の恵みを証して立ち上がっていく人の話を聞くと、自分だけが取り残されて行く思いでした。そんな中、ある方が「一緒にお祈りしよう。」と、声をかけてくださいました。短い祈りの時でしたがとても慰められる思いでした。

その時の私が1年以上抱えていた心の中の問題は、友人の事故死のことでした。当時、手紙のやりとりをする中、私が友人を傷つけてしまったため、生活が荒れ、事故のきっかけになってしまったのではないか・・・と長い間の心の痛みでした。交通事故はテレビでも報道され、その友人のご両親は即死したのは自分の子とは決して認めらないほど、ひどい状態でした。そのニュースを聞いた私はただ泣き叫ぶだけでした。既に教会に通っていた私は、友人を傷つけてしまったこと、キリストの愛を伝えられなかったことに、罪悪感を覚えたり、自分を責めることも度々ありました。この事において解決をいただかなければ、私はもう生きていても喜びが得られないと、解決がないならこのまま海に落ちてしまいたいとまで悩み苦しんで参加したキャンプでした。しかし、最後の晩、この時ばかりは神様に切なる願いをもって祈りました。「私の心のすべてをご存知な神様、既に過去の事であっても、私にはこの事においてはっきりとした解決が必要なのです。・・・」と、すがる思いでした。しばらくの祈りの中で、ヨハネ第1の手紙1章7節「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」の聖書のみ言葉が心にとまり、イエスキリストの十字架がわたしの心をとらえました。「十字架のもとに泉わきて、いかなる罪もきよめつくす・・・」賛美の中にイエス様の十字架がどんな罪からも私を救い、赦し、きよめてくださると、語られたようでした。そればかりではなく、もう生きていても価値がないのではないかと思っていた私に、神様は“あなたにしかできないことがたくさんある。”と、教えて下さいました。驚きでした。こんな小さな者でも、他の誰でもない、私にしかできないことがたくさんあるとは。そんなこと考えもしませんでした。目が開かれる思いでした。「そのことのために私をきよめて用いてください。」と、祈らされました。

この十字架の愛と赦しの体験は、私を心の底から変えてくださいました。どんな些細な事でも人のためになれる事が私の喜びと変えられる体験でもありました。なぜなら、こんなちっぽけな私が神様から愛され、生かされているのですから。既にクリスチャン生活3年目の出来事でしたが、私の第2の転機とも言えるほど、大島への船の行きと帰りでは全く違った積極的な生き方へと変えられた経験でした。神様はー歩ー歩の歩みを支え、確かな聖書のみ言葉をもって導いてくださいます。これからもイエス様の十字架の愛の深さを更に教えていただきたいと願います。


月報2003年1月号より

「聖書のことは前から知っていたのに…」

聖書のことは前から知っていたのに、大学では「キリスト教学」が必修科目で、試験の度にしっかり読んでいたはずなのに、それが、神様からの言葉としては自分に入ってこず、ずっと神の国からは遠いところにおりました。(でも、ずっと心にかけていただいていたわけですが。)卒業し、就職してからはプロとしての自分の技量を磨くことに忙しくなり、いつしか自分中心の考えを持つ典型的な人間になっておりました。それが...自分は会社に頼っていないとそれまで自負していたのに、アメリカに来て、実際に自分が勤めていた会社が破綻するという事実に直面したときに、実は会社や、自分の役職や、会社を通しての関係にどんなに寄りかかって生きていたかを思い知りました。

その頃、何故かまた教会(ニュージャージー日本語教会)に通い始めておりましたが、ある特別
伝道集会に参加したときの聖書の言葉で、それまでの自分のエゴと了見の狭い自分の人生哲学でコーティングしていた本当の気持ちが緩んで出てきたように感じました。その言葉は、ルカによる福音書8 章50 節の「恐れることはない。ただ信じなさい。...」でした。いや、そのときお話をしてくださった上野先生は、確かに「...信じていなさい。...」とおっしゃっておりました。「信じなさい」というより能動的な言葉ではなく、「そのまま信じていなさい、信じて見ていなさい」、とやさしく語りかけられたように思えました。後でわかったことでしたが、リビングバイブルでは、「恐れないで、私を信じていなさい。...」となっていました。私は、まさにそのように、確かに聞こえました。その言葉が、聖書の前後の意味とは関係なく、直接私に語りかけられたと思いました。そして、集会後のアンケートに洗礼を受けたいと書いたのでした。その後もいろいろと聖書や説教を通して、学び、気づかされたことは多いわけですが、結局このときの想いが私の信仰の中心にあるような気がします。

自分中心の考えはいけないと聖書は教えてくれます。私の信仰生活もそれが出発点でありました。でも、これを実践することはなんと難しいことでしょうか。毎日のいろいろな場面で、これを実践できない自分がいることに気づかされます。でも、最近、私たちは聖書に書かれていることを完全に実践はできないけれども、同時に、反省する機会を多く与えられていると感じております。 今の自分の態度は主が見て喜ばれるものだっただろうか、今の言葉は主をまた悲しませているのではないか、と。また、主はこのときどのようにしただろうか、と。でもまだ、事を起こす前に「主ならどうするか」と考えつかないのですが。

この世のものに執着していないかと見直す。一歩下がってものを見る。でも、一歩下がっているようでも、実は一歩主に近くなっているのではないか、一歩上がっているのではないかと、思えております。

信じること、でも、礎の確かなものを信じなければ、何の意味もありません。聖書の砂の上に家を建てるたとえの通りだと思います。今、私は、揺るがないものを信じている安心感があります。それでも、これからの人生でいろいろな苦難を味わうかもしれません。お金や仕事で渇望感を味わうこともあるでしょう。人間関係でもめることもあるかもしれません。でも、精神的には遠くに明るい光を望みつつ歩めるのではないかと楽観しております。

この私たちを取り巻く安心感に感謝します。

月報2002年12月号より