説教: 錦織学牧師
聖書箇所 :ローマ(Romans) 8:1-11
今日は、特別講師の太田美奈子さんによる
ゴッホについて学びました。

特にゴッホとゴーギャンとの関係は知っていると絵がより理解でき、
作品の鑑賞が楽しくなります。

平行四辺形をいくつも描くと椅子になりましたね。
椅子の上には自分らしい物をそれぞれ描いてみました。

私の両親は典型的な日本の仏教徒です。
私は、両親の救いは、長い間、毎朝祈ってはいましたが、召される直前にでも、イエス様を受け入れてくれるか、私のとりなしの祈りによって、天国にいけたらいいなーと思っていました。
しかし、2018年7月、父が召されるひと月前に、私は父と心を一つにして祈ることができました。主が私の日々の祈りをお聞きになったのです。
父は、私を、生涯、とても可愛がってくれました。私も、父が大好きでした。
あの祈りがなければ、あっという間の、父の死は、私には、受け入れがたいものだったと思います。今、父が天国にいることを覚えて、平安でおります。
また、未知なる所だった天国は、愛する父との再会を期待する、親しみ深い所になりました。
そのお祈りのこと、加えて神様が私になさった善いこと、お計らいをお話ししたいと思います。
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両親は、80歳をすぎても、年齢に比べてとても健康だと言われていました。
旅行によく出かけ、日常は、電車に乗るより、自転車で用事を済ませるような夫婦でした。
しかし、父は、2016年に階段から落ちて、加えて、緑内障も進み、視界が狭まり、怖くて外出する機会が減り、筋肉が落ちて行きました。
そんな話を聞く頃、我が家の長女が2018年5月に大学を卒業する予定で、夫も何年も日本に行っていなかった為、私たち家族は、その正月に、アジアに旅行に行く計画を立てました。
私たちと20年近く、旅行をしていない両親とも、一緒に箱根に行くことにしました。
旅行が決まった後、気がついたのですが、その日は、偶然、父の誕生日で、私たち家族とともに旅行先で誕生日を祝うこととなりました。
―それが父の最後の誕生日となりました。
5ヶ月後、長女が大学を卒業し、友達と日本を旅行し実家を訪れると、父がとても弱くなったと、私に伝えて来ました。母と話すと要介護2になったということ、私はすぐに日本に行きました。
私はひと月強、実家に滞在しました。
初めの頃は、父は、自分でトイレに行き、ご飯を食べ、動けてもいました。
頭は、以前のままで、記憶力もしっかりしていて、体だけが弱ってしまっていたので、いつも、“情けないなあ”と、言っていました。私はその姿を見ては、心を痛めていました。
ある日曜日に、母たちに用事があり、私が父と2人で過ごすことになりました。
その日、教会礼拝に行けなかったので、私は、父と一緒にお祈りをしようと思いました。
両親が、昔、カリフォルニアの家に遊びに来たときに、Japanese Christian Church of Walnut Creekの礼拝に出席したり、信仰の友らの家族と、食事を何度かした際には、お祈りを一緒にしましたが、父と2人で祈るのは初めてです。
もし、一緒に祈ることを断られたらどうしよう、と思いながらも、勇気を出して、“今日は日曜日で、普段は、私は、教会に行くのだけれど、今日は行かないから、一緒にお祈りをしてくれる?”と聞きました。
父は、“はい”と答えました。
“お祈りの最後には、一緒にアーメンと言ってね“と言い、シンプルな祈りを始めました。
父は、始めはただ、聞いていました。
少し経つと、父が大声で”アーメン“と叫び出しました。
普段は穏やかで、大きな声を出すタイプではありません。
また、この頃には、声はか細くなり、普段は、父の顔の近くに耳を寄せて、彼の話を聞くようにしていました。
その父が、言葉の合間合間に、”アーメン“と大きな声で叫び、父の部屋の中は、不思議な空間になりました。
私は、涙がぼろぼろ出てきて、膝に落ち、祈り終わった後は、何も言うことができませんでした。
私が部屋から出終わるまで、その後で父が、”アーメン、アーメン、アーメン“となんども繰り返していました。
私は自分の部屋に戻ってから、しばらく呆然としました。
聖霊様のご臨在を実感しました。
何を祈ったのか、全く覚えていません。
ただそれは、まさしく、父と、心を一つにして、神様に祈りを捧げたときでした。
延命治療はしない、点滴もしない(手から試みたのですが、血管が細くなりすぎて、体の中に入っていかず、病院で、首から入れると言われて、父が断りました)、自分の口から、普通にご飯を食べて、自分の家で最後を迎えるーと言う、父の意思を尊重して、日々、過ごしていきました。
私が帰国する頃には、自分で食事は取れず、食欲もかなり落ち、体もとても細くなっていました。
これからしばらくは、寝たきりの状態になるのかなと思いながらも、おしゃべりもしっかりしていましたし、まさかこれが最後の別れになるとは思わずに、私は、父に、“また来るからね、元気でね”と言って、アメリカに帰りました。
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一月後、お昼ご飯に、大好きなスイカを、食べようとして、そのまま意識不明になりました。
母は、本当に突然だったと言っていました。
母が、主治医に電話をすると、先生はお昼休み中で、たまたま実家近くにご飯を食べにきていたので、すぐに駆けつけてくれました。先生が看取ってくださったので、自宅での死亡でしたが、解剖の必要もありませんでした。
父の死後の顔は、とても穏やかで綺麗でした。最後まで平安だったのだなと思いました。
どこまでも憐れみ深く、愛のお方、全てを最善へと導かれるお方、その主の御手の中に守られながら、主の元へと発って行った父は、本当に、本当に、幸いです。
詩篇23章6節
命のある限り恵と慈しみはいつも私を追う。
主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。
アーメン
皆さんは「祈り」に対してどんな印象を持っておられますか?就職活動での「お祈りメール」のように、あいさつ程度で実体のないものという感じでしょうか?または、「困ったときの神頼み」のような、ろくに自分の努力もしないで、祈るなんて神にすがっている哀れな人々のすることだと思われるでしょうか?
しかし、祈りは、わたしたちの届かないところにも届く神の御手を動かす力あるものなのです。
わたしたちの教会は「彼らはみな、・・・共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」(使徒行伝1:14)という聖書の言葉を頂いて、新しい年をスタートしました。わたしたちは「共に祈ること」「心を合わせて祈ること」そして、「ひたすら祈ること」を神さまからのチャレンジとしていただいたのです。
そんな新しい年をスタートしてまもなく、わたしたちはその「共に心を合わせて、ひたすら祈る」ということを、実際に、具体的に経験することになりました。教会に集う方のご家族が新型コロナ感染で入院されたのです。持病もなく健康な50代の男性です。でも、息苦しさを覚え、血中酸素濃度も下がって、入院したくてもなかなか入院させてもらえないこのアメリカの国で、入院となりました。なかなか病状が回復しない、いや、悪化していく中で、ほんとうにわたしたちは、共に祈ること、心を合わせて祈ること、ひたすら祈ることに導かれていきました。感染拡大防止のために昨年12月から再度完全にオンライン化した教会、でも、この共に祈る、ということは生き続けていました。そして、心を合わせて祈ること、ひたすら祈ることを、このことを通して経験させていただいたのです。聖書の言葉を分析して、学ぶこと以上に、実際の祈りの課題を頂いて、そのことについて心を合わせることがどれほどわたしたちを祈りに導くことかと思わされました。幸いなことに、その方は、その後回復し、無事退院されて、自宅療養中ですが、まだまだ完全な癒しのために、続けて祈っていくことの必要を感じます。そして、このような状況が続く中で、お互いの健康が守られ、また、心が支えられていくようにと祈らないではいられません。
祈る時に、もう一つ大きな事があります。それは、わたしたち自身が変えられていくことです。祈りは単なるお願いではありません。神さまと一緒に過ごす一時です。神さまとの会話です。心にあることを何でも神に訴え、答えを待ち望むのです。何でも相談するのです。その時に、わたしたち自身も変えられていきます。自分のなすべきことが示されます。声をかけるべき方のことが浮かんできます。
「神様助けてください」との一言の祈りが人生を変えた、という方も知っています。みなさんもぜひ、試しにでもいいですから、一言祈ってみてください。神さまは、あなたに答え、あなたの歩みを導いてくださいます。また教会では共に祈り合う時も持っています。ぜひ、ご連絡ください。自分では祈れないけれども祈ってほしい、という課題がある方もご連絡ください。(教会は祈祷料とかはいただきません、ご心配なく・・・)神さまが祈りに応えて素晴らしいことをしてくださいますように。
1964年の東京オリンピックで活躍したデザイナーさんや、
現在活躍しているデザイナーさんを紹介します。

ポスターや、色々な企業のロゴマークを作っていますね。

この有名なロゴマークもデザイナーも現在活躍のデザイナーさんです。

シンプルな形がら自由な発想で短時間でこんなに楽しい絵がかけました。
クロッキークラスの後は、錦織学先生による聖書のお話
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