2020年11月牧師室より「嵐の中で」

夏の間、新型コロナの感染が収まっていたヨーロッパでまた感染が拡大して、ロックダウンに追い込まれた国々のニュースが流れてきています。ここアメリカの北東部も、10月の後半になって急に感染者の数が増えてきています。これから、恐れられていた第2波が来るのでは、という心配が募ってきています。そして、11月3日のアメリカの大統領選挙。この状況の中で、手続きが混乱するのでは?どちらの結果になったとしても、結果を受け入れられない人々が暴動を起こさなければいいけれども・・・などという思いが湧いてきます。

そんな時に、一つの聖書の情景が浮かんできました。ガリラヤ湖を渡ろうとしていた弟子たちに、突然の嵐の中で、嵐が襲ってきます。イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、「しっかりするのだ、私である、恐れることはない」と言われます。それを聞いてホッとした弟子たち、そのリーダーであったペテロが、「イエス様、あなたでしたか、でしたら、私に命じて、あなたのところに歩いて行かせてください」と願い出るのです。イエスは「おいでなさい」とペテロを招かれます。ペテロは小舟を出て、湖の上に踏み出すのです。一歩、二歩と歩み始めたペテロ、しかし、途中まで行って、ペテロは風を見て恐ろしくなった、といいます。嵐の中で、波風に気を取られて、恐ろしくなってしまったというのです。その時に、彼はズブズブと沈んでいってしまいます。そこで、イエスはすぐに手を伸ばし、ペテロの引き上げ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた、という箇所です。ペテロはイエスのことを見つめていたときには水の上を歩けたけれども、風を見た時に、波を見た時に、嵐を見た時に、ズブズブと沈んでいってしまったのです。

ここには象徴的な意味があります。私達の人生でも嵐に遭う時に、イエスに目を留めていれば、イエスをまっすぐに見つめていれば、溺れることはありません。恐れる必要はないのです。恐れてしまうのは、嵐の方に注目してしまうからです。

これから、アメリカや世界に襲ってくる嵐、その中でも、私達は目を向けるべきところにしっかり目を向けていきましょう。決して周りの状況を無視するのではないのですが、でも、それに心を奪われてしまうのではなく、それに捕らわれてしまうのではなく、その嵐の中でも、たしかに共にいてくださるイエス・キリストに目を向けて歩んでいくのです。

「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」

ヘブル人への手紙 12章2節

聖霊様に導かれて

私が洗礼に導かれて行った時のお話をさせて頂きます。

私の若い頃から、クリスチャンではなかった母が、しばしば、聖書は世界最高の書物だと言っていました。また、母は、教会や賛美歌を美しいものとしてとらえていたように思います。しかし、残念ながら私の日本での生活では殆ど教会に行くチャンスはありませんでした。

しかし、アメリカの生活が始まった頃からは少しずつですが教会に足を運ぶチャンスに恵まれる様になりました。何故ならば、元夫がカトリックのクリスチャンであったからです。夫の行動には素直に従って付いて行っていましたし、彼からの特別の強制も無かったので、自然な感じで教会に足を踏み入れていました。それから年月が経ち私達夫婦にも色々な試練が起こりまして、細かな話は致しませんが離婚に至る迄になりました。

そうこうしているうちに、子供達との三人の新生活にも大分慣れてきていた頃に、あるクリスチャンのピア二ストの友達の誘いで教会の礼拝前の音楽奉仕に参加させて頂く事になりました。そこは現地の教会でした。奉仕の後、すぐ帰るのも失礼な様な気がしまして、英語の弱い私でしたが、解らないながらも、どうにか礼拝の終りまで出席するようになりました。唯々牧師さんの素晴らしい人柄が滲み出ていたお説教に聞き入っていました。勿論英語なので理解する事は難しかったのですが、それなりに不思議な世界に浸っている自分がいました。そして、何時しか聖書の世界を知る上でも日本語の教会に行きたいという思いになっていました。

その様な矢先、別のクリスチャンの友人から、「私の行っている日本語教会に来ないか」との誘いがありました。「実は私も日本語教会に行きたかった」という事を告げ、直ぐOKの返事を致しました。彼女は祈りのハンナ(聖書のサムエル記に出てくる熱心に祈った女性の名前)と言うあだ名が付いている位祈りを大切にしていました。多分祈りの中に私を見たのでしょう。突然の誘いに不思議さも感じない訳では有りませんでしたが。

そこの教会の場所はニュージャージー日本語キリスト教会がお借りしているザイオン教会の様に立派な建物ではなく、一人の教会員の家でした。私にとっての「教会」のイメージは、外目に見ても教会だとわかるような建物だったので最初は少し驚きました。このような所でも教会として成り立っていけるのだろうか、と思いましたが、友達がいたので大丈夫という安心感はありました。私にとってのそこでの最初の礼拝で心に留まったのは、説教以外の話で、牧師さんが「来週は日本に行く前の最後の週なので洗礼を受けたい方のチャンスですよ!」と言われたことでした。勿論それは私にとっては全く無縁の世界という思いで聞いていました。

その同じ週に、私に思いも寄らない事が起きました。日本からの姉の電話で、母が半年もつかどうか解らない状態である事を医師から告げられた事を知らされたのです。その電話口で二人で暫く時間も忘れ、泣き崩れていた事を覚えています。
それから直ぐに、祈り方も知らない私は生まれて初めて手を合わせ、「神さま」という言葉を口にし、私の思いを神様に聞いて頂きました。その祈りの中で、礼拝のときに牧師さんの言っていた事が思い出されました。洗礼を受けるという事の意味も、何も知らない私は、直ちに洗礼を受けて、神さまに、私の思いを母に告げるパイプ役、橋渡しになって頂こうと思いました。
聖書の勉強もした事が無く、中身も全く解らず、心の準備も十分に与えられずの洗礼でしたが、牧師は心から喜んで授けてくださいました。この牧師は、洗礼を受けたいという気持ちが先ずは大切で、それから聖書の世界を知る方が深く理解出来るのだという御考えをお持ちの方でした。
でも本当に何も知らなかった私には学びもとても大変なものでした。しかし、洗礼を受けた後で振り返ってみた時に、人にはそれぞれ洗礼を受けるタイミングがあって、私にとってはこの様なスタイルが相応しい形だったのだと、思いました。

いよいよ迎えました洗礼式は涙涙でした。全く泣く事を予想していなかった私は人前で大泣きした恥ずかしさで一杯でした。人前で泣く事は当時の私には実に恥ずかしい事でした。お願いだから私の涙を止めて下さいと、洗礼中ずっと願っていました。その当時の私は、流した涙がどういうものなのか、どこから来たのか、全く理解出来ませんでした。その涙を通して、私は不思議なものを見ました。勿論聖霊という言葉、存在すら知らない私だったので、目に気流の様なものが見えましたが唯の目の錯覚という思いでいました。今から思えば全てが聖霊様に導かれていた私の洗礼式迄の行程ですが、十字架によって贖われた私の罪を示す涙だったのだいうことがわかります。涙で終わった洗礼式も、今では、私の罪がきよめられた喜びの証しとなっています。不思議な事に、それから半年と言われた母の命も、三年の時間を与えて頂く事が出来ました。感謝の喜びでいっぱいです。
聖霊の働きは、陰の力、縁の下の力と目立たない存在です。私の日々の祈りの中でも、神さま、イエス様と頻繁に呼ばさせて頂いておりますが、聖霊様をこれからも沢山お呼びして、祈りの中心になって頂きたく思っています。
聖霊様有難うございます。この様に聖霊様によって今回の証しを書けるこの時にも感謝致します。これからも宜しくお願い致します。

「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない。」

コリント第一の手紙12章3節

キュビズムを学んでピカソになろう。

ピカソの絵って変な絵ですよね?
今日は、キュビズムを学びましょう。
特別講師の太田美奈子さん、よろしくお願い致します。

バイオリンも正面、横から、色々な方向から見て
同じ画面に描くのですね。

横顔から始まって、正面、防止、耳、手、足、
自由に同じ画面に描いていくのですね、キュビズム出来ました!

クロッキー教室の後は、錦織牧師のバイブルショートメッセージ。
ーーーーーーーー

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」ヨハネ15:5
実りの秋になりました。
聖書の背景になっているイスラエル、パレスチナ地方の果物といえば、ぶどうです。
あなたがたはぶどうの枝なんだよ、枝は幹である私につながっているときに、実を結ぶことができるんだよ、と言われました。
もう随分前になりますが、裏の家の枝がうちの庭に落ちてきたことがありました。
その時、しばらくは緑だったのですが、1週間ほどたつうちに、葉っぱがしおれ、やがて枯れてしまいました。
私達も、時には「大丈夫、自分ひとりで生きていける」と思うかもしれません。
でも、もしも自分の心が枯れてしまっているなあ、と思うときがあったら、ぜひ、この言葉を思い出してみてください。
そして、神に祈ってみてください。
私達はこの生命の源なるお方によって力を頂いて歩んでいくことができるのです。
ーーーーーーーー

2020年10月牧師室より「与えられているものを用いて」

今年の3月に、新型コロナウィルスの感染が広がって、「集まらない」「会わない」ことが、相手を尊重することであり、愛することである、という普通とは真逆な事が起こりました。いつもは時間を取り分けて集まること、時間と労力をかけて会いに行くこと、会って話をすることが、お互いを大切にすることでした。私自身、「大切なことは会って話をしなければ・・・」といつも思っていました。しかし、「誰が感染しているかわからない」「自分が感染していることを前提にして、周りの人々を感染させないように行動しよう」という状況の中で、「会う」ことは相手を危険に晒すことであり、「集まる」ことは、社会に対する無責任な行動となってしまいました。今は、少し状況が落ち着いて、礼拝だけは集まっていますが、そこでも、互いに距離を取り合い、握手はハグはなし、讃美歌も声を抑えて、曲を減らして歌っています。やはり、それが互いを尊重し、愛することだからです。たとえ、それが「なんだか物足りない」「さびしい」と思っても、そのようなお互いの気持を遥かに超えて、互いの安全を守ることが大切なことだと思うからです。それは決して、ある人々が言うような、見えないウィルスに対する「恐れ」による逃げではなく、「愛」による積極的な行動です。それが責任をもってこの地に生きる教会の使命なのです。

そのような状況の中で、インターネットやコンピューターの発達がどれほど助けになっているかと思います。

私がJCCNJの牧師となったのは、やっとeメールが普及し始めた頃でした。教会がホームページを作って、教会の存在を知ってもらうということが始まったのもその頃です。「ダイヤルアップ」でインターネットに繋ぎ、文字で情報を発信し、また集めていました。しかし、それから23年が経ち、今は教会の礼拝の様子をビデオで発信することができるようになりました。また、Zoomなどの会議ツールで互いの顔を見、互いの声を聞きながら、あたかも、同じところにいるかのように語り合い、祈り合う事ができるようになっています。これが今から23年前に起こっていたら、私たちはどうしていただろうかと思います。

最近の礼拝メッセージの中で繰り返し語られていることは、「私たちに与えられているものは、神様が私たちに任されたもの。私たちはそれを神様の望まれるように用いることが大切」ということです。お金や、時間、才能などを、神様が私たちに託されたものとして、互いのために、神様のために用いていくのです。今、私たちはそこに「テクノロジー」も加える事ができるのではないでしょうか。神様から任され、託されたものとして、このインターネットやコンピューターの発達も、思いっきり、色んな方法で用いさせていただこうではありませんか。そして、「お金」があくまでも神様が託された道具でありながら、しかし、私たちがそれに支配され、コントロールされてしまう危険もあるのと同じように、このテクノロジーも、私たちがそれに支配され、振り回される危険があることをわきまえながら、しかし、恐れないで大胆に、このテクノロジーを用いさせていただこうではありませんか。

「福音のために、わたしはどんな事でもする。」コリント第一の手紙9章23節

振り返って神の祝福を実感する – 福音と共に成長した証し-

わたしは子どもの頃、神の言葉と福音のメッセージを聞きながら育ちました。両親はクリスチャンで、私と弟を毎週欠かさず教会に連れて行きました。そこで私は、神が人間を創造されたこと、罪がどのようにしてこの世に入ってきたのか、そして私たちを地獄から救うためにイエス様が犠牲になられたことを学びました。子どもの頃,わたしたちは永遠の命と永遠の苦しみについて常に思い知らされていました。教会の長老たちが口癖のように言っていたのは「もし今夜死んだらあなたはどこに行くのか?」という言葉でした。自分がこのままでは地獄に行くのだと知っていましたが、小さな子どもだったわたしにとって、死はとても抽象的に思えたので、あまり深く考えたことはありませんでした。母は病院で薬剤師として働いていたので、家にいない夜が多かったのですが、父は母が働いていた病院の前を車で通ると必ず 「さあ、おかあさんに手を振って!」と言っていました。ある日、母の働いていた病院の前を車で通り過ぎた時、「ここがママの職場 」とは思わず、「ここは病気の人がいる場所 」と思ったのです。わたしの祖父はその何年か前に亡くなっていたのですが、亡くなる数日前に両親に連れられて、もう一度祖父に会いに病院へ行きました。ベッドで寝ている祖父を見て、なぜいつものように起きて私たちに話しかけてこないのだろうと不思議に思ったことを今でも鮮明に覚えています。それが祖父だとはわからないほどでした。帰りの車の中で、これらの記憶や考えが頭の中を駆け巡り、死はとても現実的で怖いものだと気付きました。教会の日曜学校で、先生が「天国に行く唯一の方法は、あなたの罪を背負って十字架で死んだイエス・キリストを信じることです」と言っていたことを思い出しました。両親に毎日怒られていたので、自分が罪人であることを知っていました。そして、両親に対して、何度も「ごめんなさい」と謝ったのと同じように、自分は罪人であり、自分ではどうすることもできないことを神様に悔い改めなければならないと思いました。そして、その夜、私はキリストを受け入れたのです。私はとても幸せな気持ちになりました。その時はまだ8歳でしたが、それくらい幼くても、救いの喜びを味わうことができたのです。

ここまでは、私がどのようにしてキリストのもとに来たのかということを書いてきました。しかし、正直なところ、私のライフスタイルが変わるようなことは何もありませんでしたし、一人の人がイエス様を信じる時に経験するような試練は一つもありませんでした。これは神を中心とした家庭で育った者の特権だと思います。しかし、キリストを受け入れた後に私の試練は始まりました。私はクリスチャンになったことをすぐに両親に話しましたが、私の行動は何も変わらず、あまり簡単に信じたように見えたのでしょう、両親は信じてはくれませんでした。このことにとても傷つき、私は自分がクリスチャンであることを隠して学校生活を送っていました。クラスメートは、私が通っていた教会が他の教会に比べてとても厳しいことを知っていたので、いつも私のことを「良いクリスチャンの女の子」と思っていたり、私がどうやって楽しんでいいかわからないとか、私がとても頑固者だと思っていたりしました。そのため、自分がこの教会の一員であることが恥ずかしくて、恥ずかしくて、クリスチャンであることは、ルールを守らなければならないので、私の人生はつまらないものになってしまうのではないかと思いました。それに加えて、私は学校で唯一のアジア系の生徒だったので、自分の文化を楽しむ機会もありませんでした。学校に馴染むために、クラスメイトと同じように話したり、同じ音楽やテレビ番組に興味を持とうとしたりして、「クールなアメリカ人の女の子 」と思われるようにしていました。大学に入ると、また状況が変わりました。私が所属していた教会の正式なメンバーとなったので、私が守らなければならないルールはより厳しくなりましたが、それに従うのではなく、それとは正反対に生きようと思いました。その中には、女性はスカートを履いて頭を覆わなければならない、クリスチャンではない人と付き合ってはいけない、礼拝の中では楽器は使ってはいけない(全てはアカペラでした)、一切の例外なく日曜日の礼拝には出席しなければならない、そうでないならば、献身的なクリスチャンとは言えない、などのルールがありました。私はこれらの教えの多くには同意できず、反抗的になっていきました。聖書にはこれらの規則についての説明がなかったからです。大学では、教会の教えに反していたとしても、自分のやりたいことは何でもやり、自分が正しいと思うことは何でもすることを選びました。そして、私は自分が、共同体の一員であるという感覚や、さばかれないで愛される体験することを切に求めているのだとわかりました。私とは異なる霊的背景や文化的背景を持つ友人ができましたが、彼らは私が教会で生涯を共にしてきた人たちよりも優しさを見せてくれたのです。悲しいことですが、この時、私は強い信仰を持ったクリスチャンは、自分たちとは違っている人たちに対しての心を持っていないのだと信じるようになり、「良いクリスチャン」にはなりたくないと、神様から離れ始めていました。私は、教会と学校の二重生活をしていて、とても葛藤していました。私の両親、特に父は、この時期に私が幸せではなく、自分の霊的な成長に苦労していることに気がついていました。私たちは家族としても、教会と同じ価値観を受け入れるのに困難を感じるようになり、閉じ込められているように感じていました。このような状況は、家族でその教会を去ることを決意するまで4年間続いたのです。

私の弟は、子どもの時からニューヨークのディスカバリーキャンプという日本人クリスチャンのサマーキャンプに毎年通っていました。そこで彼は同じ日本人の友達と出会い、その友達の多くが私たちの近くに住んでいることがわかりました。そのキャンプの仲間のうち、弟と特に仲良くなった一人の子が、ニュージャージー州メイウッドにある教会に来てみないかと弟を誘ったのです。弟と父は、2017年の11月にニュージャージー日本キリスト教会(JCCNJ)を訪問しました。父はJCCNJの自分たちを歓迎してくれる雰囲気とそこでの人々との交わりにとても満たされて、数週間後に母と私を連れて行ってくれました。私は、それまでの教会を去ることについて父と同意するのに時間がかかりました。ずっと共に歩んできた仲間たちのところを去ることについて、私たちは口論になり、私は3日間泣き続けました。しかし、父の言葉が私にその教会を去る決意を与えてくれました。「あなたは、幸せかい?幸せならここにいてもいいが、神はあなたに賜物を与えたのだから、ここにいてもその賜物を使うことはできない。神は私たちが成長するためにはここを離れる必要があると言っているのだと思うよ。」一ヶ月後、私は初めてJCCNJの礼拝に行きました。最初の頃は、私が育った教会とは全く違っていたので、JCCNJを受け入れるのがなかなかできませんでした。しかし、少しずつですが、想像以上に日本の教会が好きになりました。JCCNJに来たことで、私は本当に新鮮な空気を吸うことができました。私は自分らしくいられるようになり、神様から与えられた関係を通して神様の愛を学び直すことができました。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」エレミヤ29:11

これらの経験は、私の想像をはるかに超えた素晴らしい未来を神様が準備してくださっているということを確信させてくれました。生涯の友だちもでき、生まれて初めて、教会だけでなく、自分の人生全体に神様を受け入れたいと思いました。今では、家族や仕事、そして友人たちと生きていく私の人生を神様が祝福してくださっているのだという確信を持って歩んでいます。そして、心から喜びをもってイエス様への愛を宣言できます。アーメン

Looking Back and Realizing God’s Blessings – A Testimony About Growing Up with the Gospel

As a child, I was surrounded by the word of God and the gospel message. My parents were both Christian and brought my brother and I to church every week without fail. There, I learned about God created man, how sin was brought into the world, and Jesus’s sacrifice to save us from Hell. As kids, we were constantly reminded about eternal life and eternal suffering. A big phrase all the elders used was “if you died tonight, where would you be?” and I knew that I would be going to Hell, but death for a small child seemed like a very abstract concept so I never thought about it too much. My mom worked as a pharmacist in the hospital, so there were many nights when she was not home. Every time my dad drove us past the hospital where she worked, he would always say “wave to mom!” One day, when we drove past her hospital, instead of thinking “this is where mom works,” I thought, “this is where sick people live.” My grandfather passed away a few years before and a few days before he died, my parents brought me to the hospital to see him one more time. I still have a very distinct memory of seeing my grandpa sleeping in the bed and wondering why he wasn’t waking up and talking to us like he always does. I did not recognize him at the time. So in the car, on the way home, these memories and thoughts ran through my head and then did I realize that death was a very real and scary thing. I remembered that in Sunday School, the teacher would say that the only way to go to Heaven is to believe in Jesus Christ who died on the cross to bear all your sins. My parents would yell at me everyday so I knew that I was a sinner, and just like I repent to my parents many times, I had to repent to God that I was a sinner and could do nothing to help myself. I received Christ that night and was felt very happy. I was only 8 years old at the time, but I was able to enjoy the joys of salvation even at a young age.

This testimony of how I came to Christ but honestly, nothing life altering to my lifestyle and I did not have to face any trials a child to believe in Jesus. This comes with the privilege of growing up in a God-centered household, however, it was the time after I received Christ where my trials began. I told my parents right away that I became a Christian, but they were skeptical because my behavior didn’t change and it seemed too easy. This hurt me very much and I would go through my school days just keeping it to myself that I was Christian. My classmates knew the church I went through was very strict compared to other churches so they always pictured me as “the good Christian girl” or that I didn’t know how to have fun or I was very stuck up. This made me shameful and embarrassed that I was part of this church and that being a Christian would mean that my life would be boring because I must stick to the rules all the time. In addition to that, I was one of the only Asian students in my school so I didn’t have an opportunity to enjoy my culture either. As I went through school, in order to fit in, I would try to talk like my classmates and be interested in the same music and TV shows as my classmates so I could be seen as a “cool American girl.” When I went to college, things changed again. I joined as an official member at my church so the rules became more strict, but instead of following, I decided to live in the complete opposite way. Some rules were that women had to wear a skirt and head covering at all times, no dating non-Christians, no instruments during worship (everything was acapella), and you must attend Sunday worship without exception in order to be seen as  devoted Christian. I did not agree with many of these teachings and went through a rebellious stage because there were no explanations to these rules in the Bible. In college, I did whatever I wanted and chose to do whatever I felt right to do, even if it was against the teachings of the church. I realized that I craved a sense of community and experience love with no judgement or conditions. I have made friends who come from different spiritual and cultural backgrounds than me, but they have shown me more kindness than people I have known for my whole life in the church. As sad as it sounds, at this time, I created a belief that Christians with strong beliefs lack heart for others created differently from them, so I started to push myself away from God because I did not want to become that person of a “good Christian.” I was very conflicted living this double life, one for church and one for school. My parents, especially my dad, could see that I was unhappy and struggling with my spiritual growth during this time. Our family as a whole, were having a difficult time accepting the same values the church did and feeling like we were trapped. This progressed for 4 years until we decided as a family to leave that church.

My brother, went to a Japanese Christian summer camp in New York called Discovery Camp every year when growing up. There, he met many friends who were also Japanese and we found that many of these friends live close to us. One camper who was particularly close with my brother offered him to come visit his church in Maywood, New Jersey. My brother and dad visited the Japanese Christian Church (JCC) of New Jersey in November 2017. My dad was very pleased with the welcoming atmosphere and fellowship at JCC and brought my mother and myself weeks later. It took a long time for me to agree with my father to leave our church. We argued and I cried for 3 days thinking about leaving certain friendships. But it was what my dad said that gave me the determination to leave – “Are you happy? If you are, you can stay, but God gave you a gift and you will not be able to use your gift staying here. I believe God is telling us that we need to leave in order to grow.” A month later, I went to my first JCC worship. I was very stubborn to accept JCC in the beginning because everything was so different from the church I grew up in. Slowly, though, I have come to love the Japanese church more than I could every imagine. Coming to JCC has really given me a huge breath of fresh air. I was able to be myself happily and relearn God’s love through the relationships He gave me. In Jeremiah 29:11 it says “For I know the plans I have for you, declares the Lord, plans for welfare and not for evil, to give you a future and a hope.” These experiences of my life really affirmed my belief that God has a wonderful future waiting for me that is far beyond my imagination! I have made lifelong friends and for the first time in my life, I want to incorporate God into my whole life, not just at church. Now I live with certainty that God has blessed my life with family, work, and friends and I can declare my love for Jesus with joy from my heart!! Amen!