神さまからのプレゼント〜父との祈り〜

私の両親は典型的な日本の仏教徒です。

私は、両親の救いは、長い間、毎朝祈ってはいましたが、召される直前にでも、イエス様を受け入れてくれるか、私のとりなしの祈りによって、天国にいけたらいいなーと思っていました。

しかし、2018年7月、父が召されるひと月前に、私は父と心を一つにして祈ることができました。主が私の日々の祈りをお聞きになったのです。

父は、私を、生涯、とても可愛がってくれました。私も、父が大好きでした。

あの祈りがなければ、あっという間の、父の死は、私には、受け入れがたいものだったと思います。今、父が天国にいることを覚えて、平安でおります。

また、未知なる所だった天国は、愛する父との再会を期待する、親しみ深い所になりました。

そのお祈りのこと、加えて神様が私になさった善いこと、お計らいをお話ししたいと思います。

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両親は、80歳をすぎても、年齢に比べてとても健康だと言われていました。

旅行によく出かけ、日常は、電車に乗るより、自転車で用事を済ませるような夫婦でした。

しかし、父は、2016年に階段から落ちて、加えて、緑内障も進み、視界が狭まり、怖くて外出する機会が減り、筋肉が落ちて行きました。

そんな話を聞く頃、我が家の長女が2018年5月に大学を卒業する予定で、夫も何年も日本に行っていなかった為、私たち家族は、その正月に、アジアに旅行に行く計画を立てました。

私たちと20年近く、旅行をしていない両親とも、一緒に箱根に行くことにしました。

旅行が決まった後、気がついたのですが、その日は、偶然、父の誕生日で、私たち家族とともに旅行先で誕生日を祝うこととなりました。

―それが父の最後の誕生日となりました。

5ヶ月後、長女が大学を卒業し、友達と日本を旅行し実家を訪れると、父がとても弱くなったと、私に伝えて来ました。母と話すと要介護2になったということ、私はすぐに日本に行きました。

私はひと月強、実家に滞在しました。

初めの頃は、父は、自分でトイレに行き、ご飯を食べ、動けてもいました。

頭は、以前のままで、記憶力もしっかりしていて、体だけが弱ってしまっていたので、いつも、“情けないなあ”と、言っていました。私はその姿を見ては、心を痛めていました。

ある日曜日に、母たちに用事があり、私が父と2人で過ごすことになりました。

その日、教会礼拝に行けなかったので、私は、父と一緒にお祈りをしようと思いました。

両親が、昔、カリフォルニアの家に遊びに来たときに、Japanese Christian Church of Walnut Creekの礼拝に出席したり、信仰の友らの家族と、食事を何度かした際には、お祈りを一緒にしましたが、父と2人で祈るのは初めてです。

もし、一緒に祈ることを断られたらどうしよう、と思いながらも、勇気を出して、“今日は日曜日で、普段は、私は、教会に行くのだけれど、今日は行かないから、一緒にお祈りをしてくれる?”と聞きました。

父は、“はい”と答えました。

“お祈りの最後には、一緒にアーメンと言ってね“と言い、シンプルな祈りを始めました。

父は、始めはただ、聞いていました。

少し経つと、父が大声で”アーメン“と叫び出しました。

普段は穏やかで、大きな声を出すタイプではありません。

また、この頃には、声はか細くなり、普段は、父の顔の近くに耳を寄せて、彼の話を聞くようにしていました。

その父が、言葉の合間合間に、”アーメン“と大きな声で叫び、父の部屋の中は、不思議な空間になりました。

私は、涙がぼろぼろ出てきて、膝に落ち、祈り終わった後は、何も言うことができませんでした。

私が部屋から出終わるまで、その後で父が、”アーメン、アーメン、アーメン“となんども繰り返していました。

私は自分の部屋に戻ってから、しばらく呆然としました。

聖霊様のご臨在を実感しました。

何を祈ったのか、全く覚えていません。

ただそれは、まさしく、父と、心を一つにして、神様に祈りを捧げたときでした。

延命治療はしない、点滴もしない(手から試みたのですが、血管が細くなりすぎて、体の中に入っていかず、病院で、首から入れると言われて、父が断りました)、自分の口から、普通にご飯を食べて、自分の家で最後を迎えるーと言う、父の意思を尊重して、日々、過ごしていきました。

私が帰国する頃には、自分で食事は取れず、食欲もかなり落ち、体もとても細くなっていました。

これからしばらくは、寝たきりの状態になるのかなと思いながらも、おしゃべりもしっかりしていましたし、まさかこれが最後の別れになるとは思わずに、私は、父に、“また来るからね、元気でね”と言って、アメリカに帰りました。

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一月後、お昼ご飯に、大好きなスイカを、食べようとして、そのまま意識不明になりました。

母は、本当に突然だったと言っていました。

母が、主治医に電話をすると、先生はお昼休み中で、たまたま実家近くにご飯を食べにきていたので、すぐに駆けつけてくれました。先生が看取ってくださったので、自宅での死亡でしたが、解剖の必要もありませんでした。

父の死後の顔は、とても穏やかで綺麗でした。最後まで平安だったのだなと思いました。

どこまでも憐れみ深く、愛のお方、全てを最善へと導かれるお方、その主の御手の中に守られながら、主の元へと発って行った父は、本当に、本当に、幸いです。

詩篇23章6節

命のある限り恵と慈しみはいつも私を追う。

主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。

アーメン

2021年2月 <牧師室より> 「心を合わせて共に祈る」

皆さんは「祈り」に対してどんな印象を持っておられますか?就職活動での「お祈りメール」のように、あいさつ程度で実体のないものという感じでしょうか?または、「困ったときの神頼み」のような、ろくに自分の努力もしないで、祈るなんて神にすがっている哀れな人々のすることだと思われるでしょうか?

しかし、祈りは、わたしたちの届かないところにも届く神の御手を動かす力あるものなのです。

わたしたちの教会は「彼らはみな、・・・共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」(使徒行伝1:14)という聖書の言葉を頂いて、新しい年をスタートしました。わたしたちは「共に祈ること」「心を合わせて祈ること」そして、「ひたすら祈ること」を神さまからのチャレンジとしていただいたのです。

そんな新しい年をスタートしてまもなく、わたしたちはその「共に心を合わせて、ひたすら祈る」ということを、実際に、具体的に経験することになりました。教会に集う方のご家族が新型コロナ感染で入院されたのです。持病もなく健康な50代の男性です。でも、息苦しさを覚え、血中酸素濃度も下がって、入院したくてもなかなか入院させてもらえないこのアメリカの国で、入院となりました。なかなか病状が回復しない、いや、悪化していく中で、ほんとうにわたしたちは、共に祈ること、心を合わせて祈ること、ひたすら祈ることに導かれていきました。感染拡大防止のために昨年12月から再度完全にオンライン化した教会、でも、この共に祈る、ということは生き続けていました。そして、心を合わせて祈ること、ひたすら祈ることを、このことを通して経験させていただいたのです。聖書の言葉を分析して、学ぶこと以上に、実際の祈りの課題を頂いて、そのことについて心を合わせることがどれほどわたしたちを祈りに導くことかと思わされました。幸いなことに、その方は、その後回復し、無事退院されて、自宅療養中ですが、まだまだ完全な癒しのために、続けて祈っていくことの必要を感じます。そして、このような状況が続く中で、お互いの健康が守られ、また、心が支えられていくようにと祈らないではいられません。

祈る時に、もう一つ大きな事があります。それは、わたしたち自身が変えられていくことです。祈りは単なるお願いではありません。神さまと一緒に過ごす一時です。神さまとの会話です。心にあることを何でも神に訴え、答えを待ち望むのです。何でも相談するのです。その時に、わたしたち自身も変えられていきます。自分のなすべきことが示されます。声をかけるべき方のことが浮かんできます。

「神様助けてください」との一言の祈りが人生を変えた、という方も知っています。みなさんもぜひ、試しにでもいいですから、一言祈ってみてください。神さまは、あなたに答え、あなたの歩みを導いてくださいます。また教会では共に祈り合う時も持っています。ぜひ、ご連絡ください。自分では祈れないけれども祈ってほしい、という課題がある方もご連絡ください。(教会は祈祷料とかはいただきません、ご心配なく・・・)神さまが祈りに応えて素晴らしいことをしてくださいますように。

デザイナー達のロゴマークと楽しい絵

1964年の東京オリンピックで活躍したデザイナーさんや、
現在活躍しているデザイナーさんを紹介します。


ポスターや、色々な企業のロゴマークを作っていますね。


この有名なロゴマークもデザイナーも現在活躍のデザイナーさんです。


シンプルな形がら自由な発想で短時間でこんなに楽しい絵がかけました。

クロッキークラスの後は、錦織学先生による聖書のお話
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「イエスは涙を流された。」ヨハネ11:35
イエスは救い主で、死をも打ち破る力を持っている方です。
そのイエスが、親しかったマルタとマリヤの姉妹の弟が亡くなった時、涙を流されたことが記されています。
このイエスの姿の中に神さまがどんな方かが表されています。
神さまは、全世界を造られた大きなお方なのですが、
それとともにわたしたちの痛みや悲しみをわかってくださるのです。
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2月は3日&17日(水曜)開催予定です。

新春クロッキー教室、今年もよろしく!

クロッキーの1月最初のクロッキー教室
モデルは錦織学先生です。


画面を縦に4つに区切り、
頭の大きさや、身体の半分の位置を確認します。


描きやすい素材で、
モデルさんとコラボする気持ちで
楽しみながら線を走らせましょう。


自分の作品に新しい自分も発見できますね。

錦織先生からの聖書のお話 ーーーーーーーーーー

今年は丑年ですが、今日は牛の話ではなく、羊の話です。
聖書の中で一番登場回数が多い動物は、おそらく羊でしょう。
詩篇の23篇1-2節にはこのように書かれています。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。 主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。」
ここでは、わたしたちが羊に例えられています。
わたしたちは迷いやすい羊、そして、そのわたしたちを神さまが羊飼いのように導いてくださるのです。
これは、緑豊かな地で書かれた詩ではなく、乾燥地帯で書かれた詩です。
神さまはこのように、困難の中でも、わたしたちを養ってくださるのです。
この一年も、困難がやってきても、神さまが守ってくださることを信じて歩んでいきましょう。
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次回は、1月20日(水曜日)です。

イエス様の大きな恵み

神様に出会う前の私は、神様がこの世に存在しているなら、何故自分の人生には辛いことが起こるのかと、目には見えない神様の存在を否定していました。そればかりか、自己中心的でプライドの塊、不平不満ばかりで心の中には大きな荒地が広がっていました。外面ばかり気にしていましたので、人の視線がいつも気になり、周りのことに振り回されて自分を見失い、満たされない何かがいつも心の中を渦巻いていました。

自分の人生をどうにかして変えたくて、1996年、先輩がニューヨークに2、3ヶ月滞在するということを聞き、私はその時の仕事を辞めてニューヨーク滞在に便乗することにしました。当時のボスは私に「仕事を辞めて今更何を考えているんだ」と反対しましたが、私は「今しかない」との思いでニューヨーク行きを決断しました。滞在中は思っていたより大変なことがたくさんあり、楽しいことよりも辛いことの多い滞在でしたが、何故か一度帰国してから、再度、今度は一人で渡米しました。その後ニュージャージーで私の専門である幼児教育の仕事が見つかり、現在の夫とも出会いました。彼はクリスチャンでしたので、私と会う度にイエス様の話をしました。でも「もうイエス様の話は聞きたくない」と拒否したことも度々ありました。時にはマンハッタンの教会にも一緒に行きました。そこで出会った日本人の方に、ニュージャージー日本語キリスト教会を紹介されました。なかなか一人では行けませんでしたが、ある韓国人の女性との不思議な出会いを通して、ついにニュージャージー日本語キリスト教会に行く日が来ました。

初めて足を踏み入れたニュージャージー日本語キリスト教会には、何かとても温かい安心できるものを感じました。そして毎日曜日教会に行くようになり、その年2000年12月10日に錦織牧師から洗礼を授かりました。ただただ嬉しかったのを覚えています。「この私がクリスチャンになった」と。私はミッションスクールを卒業していて、日本では教会付属の幼稚園に勤めていました。神様はその時から私をずっと待っていてくださったのです。

その翌年2001年12月に現在の夫と結婚しました。その年の9月11日の世界を揺るがす大惨事で夫は失業していましたが、「山の上での結婚より谷での結婚は上に上がって行けますからね」との、笑顔いっぱいの錦織牧師のお言葉に「それもそうだ」と納得して結婚しました。でもそれは上り坂ではなく、もっともっと深い谷底に降りて行く下り坂だったのです。私は夫の仕事が数ヶ月で見つかると思っていました。でも1年経っても2年経っても見つかりません。ようやく4年目に仕事が与えられ喜んだのも束の間、1年程で失業しました。結婚して今年で19年、その間夫が働いた期間は5年程です。男性は働くのが当然と思って育って来た私にとって、自分の夫に仕事がないことは信じ難い事実で、簡単には受け入れられませんでした。大変感謝なことに私の仕事は順調に途切れることなくありましたが、夫には仕事がないばかりか、家でブラブラしているという状況に耐えられず、頻繁に喧嘩をしました。何度も離婚を考えました。

でも、19年間、多くの問題を抱えながらでも生活できたのは、神様の大きなご愛と恵み、そして守りと支えがあったからです。食べるものがなくて困ったり、家賃が払えずに苦労したことは一度もありません。神様が全ての必要を満たしてくださいました。神様を知らなければ、私はこの試練から逃げ出していたでしょう。神様を知らない人から見れば、私の人生はとても奇妙で不思議に写っていたと思います。そうです。神様は人知を超えた不思議をなさるお方です。「神には、なんでもできないことはありません。」(ルカによる福音書1章37節)  自分の人生は何なのか。何故生きているのか。何故試練が続くのか。とずっと悩み彷徨って来た私を慰め助け出してくださったのは、天地創造主なる全能の神様だけです。この試練は父なる神様からの愛なる訓練だったのです。

 

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」ヘブル人への手紙12章11節

 

私は神様に心からの感謝をささげます。この神様の訓練がなければ、神様の大きな、深い、天よりも高いご愛を知ることはありませんでした。どんな境遇の中にも神様は共にいてくださいます。試練に耐え脱出する力と道を備え与えてくださいます。

2000年12月に洗礼を受けて浮かれていただけの私は、イエス様の十字架と復活の意味が全く理解できていませんでした。この神様の愛なる訓練を通して、イエス様が私の罪のために十字架にかかり私の罪を赦してくださった。そして3日目に復活されて今も生きてとりなしてくださっていることを聖霊様を通して教えていただき、悔い改めに導かれました。イエス様はご自分の命を私のために捨ててくださり、天の父はひとり子を惜しまずに私の罪のために十字架に差し出し、そして永遠の天国の国籍と永遠の命をくださったのです。

 

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」ヨハネによる福音書3章16節

 

COVID-19の影響で、2020年6月に、私が11年間勤めていた幼稚園が閉園しました。ショックでした。言葉になりませんでした。夫に仕事がないばかりか、私までも仕事を失い、この先どのように生活していったらいいのかと悩み苦しみ、神様に祈りました。形あるものは全てなくなることを実感しました。でも非常事態宣言が解除後、閉園した幼稚園の多くの保護者の方からご連絡をいただき、現在フルタイムの仕事はありませんが、引き続き私の専門である教育の仕事に携わることができています。神様がこのように仕事をくださり、養ってくださっていますことを心から感謝しています。

 

今も私の信仰は途上にありますが、これからも主を信頼して、真実なる神様の御言葉が記されている聖書に従って歩んで行きたい、この素晴らしい神様のご臨在と恵みに感謝し、喜んで主を賛美して行きたい、そして神様の福音を人々に伝えていくことができますようにと日々祈っています。このアメリカに来たことも神様の導きです。神様にお会いするための神様のご計画だったと確信しています。ニュージャージー日本語キリスト教会に行くために不思議な形で出会った女性も、神様が備えてくださいました。教会では牧師先生始め、牧師夫人、そして愛する兄弟姉妹方のお祈りに支えられていますことに感謝します。

今日も神様が私を生かしてくださり、罪だらけの不完全で弱い小さな者にも力を与え、永遠に変わることのない大きな愛と恵みを日々注いでくださっていますことに心より感謝申し上げます。

 

「イエスキリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない」ヘブル人への手紙13章8節

 

「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない」哀歌3章22節