かるたで遊んでアート作品模写

1月のクロッキー教室は恒例のかるた取りから始まりました。
聖書いろはカルタ、皆様本気!


このカルタの個性的で優しいタッチの原画は、レッティ・ガリさんが描いたものですね。


美術館に並ぶ作品のカード、3分割されています。
クロッキー帳も画面を3つに分割してバランスを考えましょう。


どの絵柄を選ぶか、好き嫌い、絵を書く時は我儘OK自分の気分に従いましょう。

次は、リラックスモードで、頭だけ描いて隣に渡し、鼻だけ描いて隣に渡し、
目だけ、耳だけ、ぐるっと回って、自分人物を仕上げましょう。
ユニークである事、楽しい事、アートのお勉強で一番大切です!
今年も楽しいクラスでありますように。
 

クロッキー教室のあとは錦織先生によるショートバイブルメッセージ。

– – – – – – – – – – – – – 聖書のお話 – – – – – – – – – – – – – 
今日のクロッキー教室、楽しかったですね!
何かに縛られないで、楽しく描くってことがどれほど大切かと思います。
 
聖書にはこんな言葉があります。
 
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」ピリピ4章4節。
 
でも、喜べない時もありますよね。だいたい、喜ぶ、って「喜べ」って命令されてできることでもないし。
だから聖書には、こんな秘訣が続きます。
 
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」同6節
 
いろいろ心配事があるときに、思い煩ってしまうときに、神様に心の中を見せてしまいなさい、というのですね。そのときに、どんなことが起こるか、それが次の約束です。
 
「そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」同7節
 
想像もしてなかったような、経験をしたこともないような平安があなたの心に与えられるよ、と。
 
ぜひ、あなたも祈ってみてください。そして、この平安を経験してください。
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – 
 
次回のクロッキー教室は、2月の6日(水曜日)です。
雪になりませんように〜!

2019年1月6日『イエスに触れる』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書20章30節〜31節

  • 4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)
    一つのイエスの生涯を、4人の人が書いた。
    4つの角度から書いた。・・・でも共通のメッセージもある
  • マタイ・マルコ・ルカは似ている。・・・共観福音書。
    マルコが最初に書かれて、マタイとルカはマルコを参考にした。
    イエスの伝記→「この方はほんとうに神の子だった」
  • ヨハネ・・・最初からおられた神の子→人となってくださった。
  • マタイ・・・ユダヤ人に向けて書かれた。イエスは旧約聖書に予言されてきた救い主。ユダヤ人の王。→世界の救い主。
  • マルコ・・・イエスは神の子、神のしもべ。人々に仕える方。イエスの言葉よりも、イエスの働き。「すぐに」という言葉の多用。
  • ルカ・・・テオピロというローマの高官宛。イエスは「ほんとうの人」として歩まれた。「良きサマリヤ人」「放蕩息子」「ザアカイ」など。
  • ヨハネ・・・最初からおられた神の子であり、言であり、光であり、命を与える方が、この世に来られた。私たちに命を与えてくださる。

→4つの角度から見ることによって、イエスの生涯が本当に豊かなものとして分かってくる。・・・聖書を通してイエスに触れる。

  • 共通するメッセージ。・・・イエスはご自身を与えてくださった。
  • 当時の当たり前の「王」「神のしもべ」「神の子」「救い主」「ほんとうの人」とは違う、革命的な形でご自身を表された。
  • 十字架の人々の言葉。「神の子なら、イスラエルの王なら、救い主なら、そこから降りてきてみろ」・・・サタンの誘惑の延長。
  • イエスはその期待には応えず、自分を与え尽くされた。
    →私たちはどのように応えるのか?

<テイクアウトQuestion>

  1. どうして、聖書には4つの福音書が入っているのだと思いますか?
  2. その4つの福音書に共通するメッセージはどんなことがあるでしょうか?
  3. あなたは全てを与えられたイエスにどのようにお応えしようと思いますか?具体的にお応えすることができるのはどんなことでしょうか?

「クリスチャンになるということ」

「クリスチャンになるということ」

2018 年が暮れようとするこの時、静まって多くの恵みを数え、神様がどれ程素晴らしい方であるかをもう一度覚えて、主のみ名を崇めます。 振り返ってみると、なんと多忙な一年を過ごしてきたか、その 中にあった主の御手による支えと励まし、慰め、またどれ程の祈りに支えられてきたかを思う時に、感謝の思いで一杯です。今年はただ神様の前にひれ伏して、その力にすがることを通して、クリスチャンとなることを一から学び直した年でありました。

『とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。』 (申命記33:27)

教会においては、今年初めて代表役員をさせていただきました。昨年末に神様から召命とビジョンをいただき、どうすべきかと数日間悩み抜いた末、ある人に相談しようとを決心しました。その日の夕方、 私が電話をする前にその方からメッセージが残っており、かけ直してみると、”あなたが思い悩んでい ることを示されたので、励まそうと思った。勇気をもって皆に話をしなさい。”と言われました。

その後神様から、『私は全能の神である。あなたは私に従って歩み、全きものとなりなさい。』 (創世 記 17:1)という聖書の言葉が与えられて、神様を信頼する姿勢において全き者でありなさい、と語られ ました。 昨年 12 月の役員会では神様に示されたことを全て語りました。そして、役員会のメンバーた ちは信仰を以てそれを受け入れてくれました。各世代から選ばれ、信仰面でも尊敬できる有能なメン バーに恵まれました。

しかし、自分の力量を越えるご奉仕を担っていく上では、上からの知恵、また、不足する愛と忍耐を増 し加えていただく必要があります。近くには、いつも”祈ってます。”と愛をもって声を掛けて下さる祈り 手たちが備えられていました。神様からの助け手でした。『あなたがたの父は、願う前から、あなたが たに必要なものをご存じなのだ。』 (マタイ6:8)

主イエスのサーバント・リーダーシップに倣って、神様と教会、そして地域に仕えていくことを目標とし ました。教会運営に関しての多くのビジョンが与えられ、一つひとつを祈りながら進めてきました。

教会では、一年の後半に選挙や次年度予算など、多くの重要議題を取り扱います。それを前に、教会 内外を取り巻く様々な状況を分析しようとしていた私に対して、神様は、『神と、恵みの、み言葉に委ね る』(使徒 20:31)、『(主イエスから)白い衣を買う』(ヨハネ黙示録 3:18)、そして、『己れ自身と群れ全体 に気を配る』(使徒 20:28) との聖書の言葉を与えて下さいました。そして状況分析ではなく、み言葉を 土台に、祈りと聖霊様の導きで教会運営を進めていくことを示して下さいました。悔い改めて、方向転 換をしました。 『私のことばを聞いて行なう者は、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。』 (マタイ7:24)

様々な議論や結論が自分の思いとは異って進むことも多くありました。しかし、いつも最善をされる神 様を信頼し、決まったことには委ねて従うことも学ばされて来ました。 『人の心には多くの計画がある。 しかしただ主のみ旨だけが堅く立つ。』 (箴言19:21)

来年のご奉仕に関しては、昨年のような強い召命感は与えられず、ただ状況的には継続することが 良いように思われるだけで迷いがありました。しかし、ギデオンは召命が与えられているにも関わらず、 何回も神様から印を求めた(士師記 6:36-40)ように、私自身も神様にある事を通して印を求め、コンフ ァメーションをいただく形になりました。 『主は今からとこしえに至るまで、あなたの入ると出るとを守 られるであろう。』 (詩篇 121:8)

来年は神様の前に静まることと、教会の力のベクトルは内側ではなく、もっと外側に向けて使うべきで あることを示されています。

職場においても変化があり、今年は、駐在員の人事異動により、量的にも質的にも自分がハンドルで きるとは思えない企画業務を担当することになりました。従来から違う仕事をしたいとの願いがありま したが、いざそれが実現すると、喜びが戸惑いと恐れに変わるのに時間はかかりませんでした。

プロジェクトマネージャーとして、イベントや新規プログラムの企画・調整をいくつか担当しました。社内 外には多くの関係者がおり、一体どういうタイミングで、誰と何を進めていったらよいのだろう?誰かに 背中を押されるように、プロジェクトがスタートしました。しかし、最初の打合せでは見事にリードを失敗 し、“上司は、私には出来ないと思っているだろうな。”と失望感が溢れました。もう辞めたい、でももう 少しはやるべきでは・・・?その狭間を回り決心がつかない中、翌日も、翌週も次々とミーティングを進 めていかねばなりません。“イエス様、この仕事を与えて下さり、有難うございます。でも、私にはこれ をやり切る力はありません。どうぞ助けて下さい” と毎日神様の憐れみにすがっていました。一緒に スモールグループで聖書を読み祈り合っている教会の女性たちにも伝えて、祈っていただきました。

特に、社長などエグゼクティブとの打合せが入っている時の緊張感は大きく、入念に準備をしても前日 から心がそわそわしました。直前には小部屋かトイレに行って、祈りました。『イエス様、分かりやすく プレゼンすることが出来ますように。言うことがアホに聞こえないように助けて下さい。』 と、主イエス の御名で祈りました。彼らとの打合せが終わった後はどっと疲れましたが、忘れる前に、『イエス様、 有難うございます。終わりました!』と感謝の祈りを捧げました。ただただ神様の憐れみにすがるのみ で、一年生のようにクリスチャンになることを日々学びました。 『主は、ご自分を恐れる者を憐れまれる。主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。』 (詩篇103:13-14)

大成功ではありませんでしたが、数か月かけて何とか最初のイベントを終えることが出来ました。そう すると、もうこのような仕事はやりたくない、やらないぞ、という気持ちになりました。そして上司にもそ のように言い放ちました。その時の彼の悲しげな顔が忘れられません。しかし、その日の夕方には、 聖霊様から “感謝の気持ちがない”との責めを受けました。私は何と罪深いのだろう、と一晩眠れず、 翌朝早く出勤して、朝一番で傲慢非礼であったことを上司に謝罪しました。彼は、”そう言ってくれてあ りがとう。”と寛大にも許してくれました。 『真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き 入れます。』 (ヨハネ16:13) そして、今も続けて同じ業務を担当しています。

今、クリスマスで語られたメッセージに思いを巡らせています。ベツレヘム近くで羊たちと野宿していた 羊飼いたちに天使の軍団が現れ、救い主イエスの誕生を知らせました。飼い葉おけに寝かされている ことが印です。羊飼いたちは直ぐに出発して赤子を探し出し、礼拝を捧げ人々にも伝えました。(ルカ2:8-17) “信仰とは神様からの語りかけへの応答です。神様のメッセージを聞いて自分のものにする には、心にゆとりが必要です。” と語られましたが、私は真逆で、自分の限界を探るような歩みをして きました。息もつけない忙しさの中、ゆっくりと神様の声を聴き応答することなど出来ない一年であった ことを主イエスの前に悔い改めています。

しかし、主イエスの恵みは十分であり、その御手による支えがいつもありました。私が知らないところ で、イエス様がくびきを押してくださるので、イエス様にお任せして、ただついていけば良いのです。“His york is easy and his burthen is light.” (私(イエス)のくびきは負いやすく、私の荷は軽いか らである。マタイ 11:30) 先週、マンハッタンの教会で、この賛美を心から歌いました。

全てのご栄光が主イエスの上にありますように。

牧師室より2019年1月号「新しい年に」

「新しい年に」

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

イエスは「救い主なんて私には関係ない」と思っている人々と、「救い主なんて私には必要ない」と思っている人々、その2種類の人々の狭間に「居場所のない」方としてこられました。

つい先日、クリスマスイブのキャンドルライトサービスでお話ししたことです。今の時代も「救い主?そんなの関係ない」「救い主?そんなの必要ない」と思っておられる方々も多いのでは?と思います。けれども、神は、その両方の種類の人々に「そんなことないよ」と語っておられる、と。

神はまず「関係ない」と思っていた人々に「かいばおけ」に救い主を送ることによって、彼らの誤解を解こうとしました。救い主が生まれたのが「お城のふかふかのベッド」だったら、おとぎ話のお姫様、王子様に憧れることはあっても、自分と関係のあることとは思えないでしょう。「高級ホテルのスイートルーム」も別世界だと思うのです。しかし、救い主が「かいばおけ」に寝かされていたがゆえに、お告げを聞いた羊飼いたちは、それが自分たちとは別世界の出来事とは思わなかったのです。

新しい年、私には何ができるだろうかとずっと考えています。神様がしてくださったように、私も「関係ない」「必要ない」と思っている方がおられたら、「そんなことないんですよ」ということを少しでも伝えることができれば、と思っています。

年末年始、我が家にゲストで来られていた方は、あるテレビ番組に出演されて、その収録の時に、まさに、そのことを感じておられたそうです。番組のパーソナリティの方が「私には関係ない」と思っておられる・・・と。しかし、その収録(3時間!)の間に、そのパーソナリティの方の心が開かれていくことを感じられたそうです。番組として編集されたもの(3時間→30分!)を見た私も同じことを感じていました。おそらく、そのゲストの方の人柄なんだろうな、と思います。

「関係なくなんかないよ!」「必要なくなんかないよ!」という神のメッセージをどのように一人でも多くの方々に伝えられるのか、チャレンジは続きます。まずは、あなたにこの神の思いが伝わりますように!

「あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。」ルカ2:12

2018年12月30日 『注がれた愛を知る』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネ第一の手紙3章1節

  • 今年のみ言葉・・・神の愛を味わう。
    →外側を飾るのではなく、内側から溢れるもの。
  • 私たちはどれだけその恵みをあじわってきただろうか?
  • キャンドルライトサービスから「関係ない」と「必要ない」
  1. 「救い主は関係ない」と感じている人への神の愛
  • 「教会は自分のような者の行くところではない」と思っておられる方がおられる。
  • イエスの誕生の場面の羊飼いたち。・・・飼い葉桶のしるし「これこそが救い主なんだ!」という神からのメッセージ。
  • 放蕩息子の弟息子。・・・自分には資格がない。
    でも、父は彼を抱きしめ、息子として受け入れた。
    洗ってこい!誠意を見せろ!ではない。
  • 神は、イエスの十字架ゆえに、私たちのことをそのように受け入れてくださる。
  1. 「救い主は必要ない」と感じている人への神の愛
  • 自分は大丈夫、と思っている人。
  • 放蕩息子のお兄さんの方。
    「自分はこんなに頑張ってきた!」
  • ほとんどの方々がこうだろう。
  • 私の使命がここにあることがはっきりした。
    自分もそうだったから。
  • 本当に神の愛がわかっていますか?
    ・・・第一ヨハネ3:1は教会の人へのメッセージ。
  • 頑張っても偽善者にしかなれない私たちも愛されている。

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは放蕩息子のストーリー(ルカ15章)を読む時には、兄と弟、どちらに自分を重ね合わせて読んでいるでしょうか?
  2. 神様の愛はあなたの人生のどこに注がれていると思いますか?
  3. この一年、あなたはどのように神様の愛を味わうことができたでしょうか?

クリスマス賛美歌と共に〜

早いもので、2018年も残りわずか。今年もたくさんの方々が、JCCカフェに参加して下さり、感謝の1年でした。今月はクリスマススペシャルカフェ。皆さんとクリスマスソングを歌ったり、カフェのコーヒーマスター錦織牧師のクリスマスメッセージを聞いたり、恵みいっぱいのカフェになりました。

クリスマスオレンジゼリー
バナナマフィン&抹茶クリーム 、シフォンチーズケーキ 、
アフタヌーンティーサンドイッチ 、抹茶シュークリーム
カフェから来ていただいた皆さんへ、みことばクッキーをプレゼント
クリスマスソングの賛美と錦織牧師のクリスマスメッセージ。
皆さんと一緒にクリスマスの恵みを分かち合いました。

1月2月はJCCカフェはお休みです。次回は3月13日@studioT-7です。

お楽しみにー!