2020年6月号牧師室より「新しい出発」

3月の初めに教会での集まりをオンラインに移行する時にも、4月の初め、イースターを迎えようとしているときも、こんなに長く、外出制限が続くとは思っていませんでした。また5月の初め、感染拡大もピークを過ぎている状況で、この5月のどこかでまた集まることができるのではないだろうか、という期待も少しは持っていました。しかし、6月になろうとしているこの時、少しずつ規制が緩んでいる中でも、教会堂に集まって共に礼拝をささげる見通しはまだ立っていませんし、また、もしも集まることができても、多くの制限の中で、どんな形で礼拝をささげるのだろうかと思います。

残念ながら、アメリカの大統領はそのような視点は持っていないようですが、多くの指導者たちは、「私たちはもとの生活に戻るのではない、戻ろうと思っても戻ることはできない。私たちは新しい出発をするのだ。」と人々に訴えています。そうだろうと思います。そして、同じことは教会にも言えるでしょう。ただ、回復するのではない、神様は私たちを新しい出発に導いておられるのだと。聖書のなかにはこのような言葉があります。

「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。 見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」イザヤ43:18-19

この言葉はバビロンに捕囚の民として連れて行かれたイスラエルの民に対して、解放の約束、回復の約束を語られた神の言葉です。バビロンから解放されて祖国に帰っていく、けれども、それは単なる回復ではなく、神が新しいことをなさるのだ、だから、今までの考えに捕らわれていてはならない、神はあなたが想像していなかったような素晴らしいことをなさるのだ、という預言だったのです。

19年前の9-11の時のことを思い出します。あの日から、ガラッと空気が変わってしまったアメリカの社会、早く元の平和な日々が帰ってこないだろうかと思っていた時に出たセミナーで「私たちは9-11前の時代にはもう戻れません。そのことを受け入れることが、第一歩です」と言われて、はっとして、それから前に踏み出すことができました。

私たちもコロナ前の社会にはもう戻れません。それは受け入れがたいことかもしれませんが、それを受け入れた時にこそ見えてくるものがあります。受け入れた時にこそ、前に進み出すことができるのです。そして、神様は私たちに「新しいことをなす」と言われています。より良いもの、より素晴らしい祝福を準備しておられます。私たちが経験したことがないようなもの、私達の思いを超えたものを準備しておられます。それを待ち望みながら、楽しみにしながら歩んで行こうではありませんか?

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