「こんなに長くなるなんて・・・」。わたしたちは何度この言葉を口にしてきたことでしょう? 3月にCovid-19感染拡大の影響を受けて、生活に影響が出始めてから、ちょうど半年が経とうとしています。

NY・NJ地区が少しずつ落ち着いてくる中で、私たちの教会では7月からは感染予防対策をとって、いつもとは違った形で、ザイオン教会のジムに集まって礼拝をささげていますが、その中で、まず私の心に引っかかったのは賛美歌のことでした。

私は子どもの頃から、教会で大きな声で歌を歌ってきました。賛美歌を思い切り歌うのは、私にとっての礼拝の本当に大切な部分だったのです。神様に捧げる賛美ではありますが、賛美をささげている中で、心が整えられ、神様に語られて涙したことが何度あるでしょうか?しかし、感染対策を取るためにはマスクをして、控えめに歌って、また歌う曲数も歌詞も減らして、最低限にしなければなりません。場所によっては歌うことを完全に禁止されたり、自粛したりしているところもあると聞きます。そんな中で、私たちは集まることの意味があるのだろうかとさえ思いました。礼拝が完全にオンラインだったときは、私たちの家のリビングルームで何曲も賛美歌を大きな声で歌っていましたから・・・。

そんなことを思っていた時に心に浮かんだのは、ナチス・ドイツの強制収容所の中で信仰を守った人々の礼拝のことでした。彼らは秘密に持ち込んだ聖書を開いて、看守に気付かれないように小さな声で賛美歌を歌って、神に礼拝をささげました。そして、その礼拝のあるところには、人々の間のギスギスした空気が薄れ、ちょうど暗闇に灯火が輝くように、影響が周りに広がっていったといいます。大きな声で歌いたくても歌えない、命の危険もある、そんな状況の中でささげた賛美、その声がどんなに小さかったとしても、神様はそれをどれほど喜ばれたことでしょうか?

彼らのおかれた状況と、私たちの今の状況は全くレベルが違います。私たちには自由が与えられ、いろいろな制約はありますが、それはお互いを守るための制約です。彼らが経験したような厳しい状況と比べることはできません。しかし、その賛美を喜ばれた神様が、私たちがお互いを守るために、いろんな制約の中で集まって礼拝を捧げようとする中で、大きな声を控えて賛美をささげることを、喜ばれないことがあろうか、小さな声であったとても、私たちの心からの賛美を喜ばれないことがあろうかと思わされたのです。

「さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。 われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。」詩篇95:1-2

毎週、神様に心から捧げる礼拝の中で、賛美歌は以前よりも、もっと深い意味を持つようになりました。一つ一つの歌詞をもっと味わいつつ、心からの賛美として神にささげるようになりました。困難の中で、神は私たちをより本質を重んじるように、本質に立ち返るようにと招いておられるのだなあ、と思わされます。今月も心からの賛美を神様にささげながら歩むことができますように。