夏の間、新型コロナの感染が収まっていたヨーロッパでまた感染が拡大して、ロックダウンに追い込まれた国々のニュースが流れてきています。ここアメリカの北東部も、10月の後半になって急に感染者の数が増えてきています。これから、恐れられていた第2波が来るのでは、という心配が募ってきています。そして、11月3日のアメリカの大統領選挙。この状況の中で、手続きが混乱するのでは?どちらの結果になったとしても、結果を受け入れられない人々が暴動を起こさなければいいけれども・・・などという思いが湧いてきます。

そんな時に、一つの聖書の情景が浮かんできました。ガリラヤ湖を渡ろうとしていた弟子たちに、突然の嵐の中で、嵐が襲ってきます。イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、「しっかりするのだ、私である、恐れることはない」と言われます。それを聞いてホッとした弟子たち、そのリーダーであったペテロが、「イエス様、あなたでしたか、でしたら、私に命じて、あなたのところに歩いて行かせてください」と願い出るのです。イエスは「おいでなさい」とペテロを招かれます。ペテロは小舟を出て、湖の上に踏み出すのです。一歩、二歩と歩み始めたペテロ、しかし、途中まで行って、ペテロは風を見て恐ろしくなった、といいます。嵐の中で、波風に気を取られて、恐ろしくなってしまったというのです。その時に、彼はズブズブと沈んでいってしまいます。そこで、イエスはすぐに手を伸ばし、ペテロの引き上げ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた、という箇所です。ペテロはイエスのことを見つめていたときには水の上を歩けたけれども、風を見た時に、波を見た時に、嵐を見た時に、ズブズブと沈んでいってしまったのです。

ここには象徴的な意味があります。私達の人生でも嵐に遭う時に、イエスに目を留めていれば、イエスをまっすぐに見つめていれば、溺れることはありません。恐れる必要はないのです。恐れてしまうのは、嵐の方に注目してしまうからです。

これから、アメリカや世界に襲ってくる嵐、その中でも、私達は目を向けるべきところにしっかり目を向けていきましょう。決して周りの状況を無視するのではないのですが、でも、それに心を奪われてしまうのではなく、それに捕らわれてしまうのではなく、その嵐の中でも、たしかに共にいてくださるイエス・キリストに目を向けて歩んでいくのです。

「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」

ヘブル人への手紙 12章2節