2020年7月牧師室より「新しい時代を共に歩む」

私たちの教会では、7月5日から、いつもお借りしているザイオン・ルーテル教会のジムに集まっての礼拝を始めます。これは、3月にすべての集まりがオンラインに移行してからずっと待ち望んできたことです。しかし、まだまだ、NJ州全体で何百人レベルで新しい感染者が見つかっている段階なので、両手を上げて喜んでスタートできることではありません。換気に気をつけて、social distanceを十分にとって、細心の注意を払っての再スタートになります。

そして、今回準備している中で、気をつけていきたいと思ったことは、ひとりひとりの感覚が違うということです。すぐにでも喜んで集まって礼拝をささげたい、という方もおられれば、しばらく様子を見て判断する、またもう完全にリスクがなくなるまでは集まることはできない、という方まで、いろいろな方々がおられます。そして、それは決して「信仰」の話ではなく、それぞれの置かれた状況の違いであり、健康状態の違いであり、また感性の違いでもあるのです。その違うお互いを受け入れるのが教会です。

実際に教会堂に集まる礼拝が始まったときに、そこに集う方々と、「集えない」「集わない」方々が互いに互いを尊重し、受け入れ合い、励まし合って行くことがどれほど大切かと思います。そこに教会の真価が問われてくると思います。全員が同じ考えで同じ方向を向いているのではなく、それぞれ違うのだけれども、互いを受け入れ、互いを認め合って、神のもとにへりくだって共に歩んでいくのです。

「キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。」(ローマ15:7)

先月ここに書かせていただいたように、私たちは元に戻るのではありません。新しい地に踏み出すのです。新しい時代に新しく「共に生きる」ということが問われています。互いの違いを受け入れ、尊重し、互いにとって何が一番プラスになるのかを考え、そこにエネルギーを使っていきましょう。神様が私たちの新しい出発を守り、支え、また新しい気づきを与えてくださいますように。

丸-猫-イケメン位置関係

顔と肩の大きさを比べてみると
結構大きいですね。
位置関係のバランスを確認してから描きましょう。
丸を描いて、身体の線を描いて〜、猫を描きましょう。
想像しながら、楽しみながら、色々な表情にしてみましょう。

日本から、ドイツから、アメリカ各地から
元気な皆様のお顔が見れて、楽しい時に感謝です。
錦織先生のお話は、「アーメン」って何?
クロッキー教室の後は、錦織牧師のバイブルショートメッセージ。
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世界中に広がったヘブル語の言葉、その2は「アーメン」です。
子供時代、「アーメン、ソーメン、冷やソーメン」とふざけては怒られていました。
これはお祈りの最後の言葉でもありますが、「ほんとうに」という意味の言葉です。
その言葉が使われている箇所を開きます。
ヨハネ12:24の言葉です。
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
この最初の「よくよく」と訳されている言葉が「アーメン、アーメン」です。
本当に、大切なことなんだけれども・・・という意味です。
イエスはよくこの言葉を使って、弟子たちに大切な話をされました。
ここでは、これからイエスが十字架にかかることを預言した言葉ですが、自分のために生きるのではなく、周りの人を活かし、自分を与える生き方をするときにこそ、豊かな実を結ぶという、普遍的な真理をも表している言葉です。
私たちもそのような歩みをしたいですね。
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7月は、
1日(水)& 15日(水) 開催予定です。

直ぐに描かずに、先ずは観察しましょう

おなじみの消毒剤や洗剤など、
上から、横から、角度を変えて見てみましょう。


触った感覚などを想像しながら、形の変化を観察しましょう。


今日のモデルさんは可愛いスズちゃん、
顔と肩の次は、肘や手のバランスです。


オンラインだから出来る事、
形の測り方も指やペンでできますね。
日本からの参加もありがとうございます。

クロッキー教室の後は、錦織牧師のバイブルショートメッセージ。
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今、アメリカは新型コロナウィルスの感染拡大から少しずつ立ち上がろうとしているところですが、
ここで、人種差別の問題が大きく注目されてきて、抗議活動や暴動、略奪も起こっています。
私たちは早くこの混乱が収まってほしい、と思っていますが、
その一方で、その背景にある問題について無関心であってはならないと思わされます。
今日はルカによる福音書の10章25-37節の「良きサマリヤ人」の聖書箇所を読みましょう。
ここで、宗教的な指導者たちは、強盗に襲われた人々を見たら、向こう側を通っていってしまいました。
しかし、サマリヤ人は、彼を見て、いても立ってもいられなくて、走り寄って、介抱するのです。
私たちがただ、混乱が収まることだけを求めるならば、それは「向こう側を通っていく」ことではないでしょうか?
できることが何であるかはわかりませんが、痛みの中にある方々に心を寄せ、知らなかったことを知っていく、そのような姿勢を持って歩んでいきましょう。

誠実なる神様に守られて

NYでコロナウィルスの感染が拡大し始めた3月2日の仕事帰りの地下鉄の中、ルームメートから今月末でアパートを出ようと思っているので、契約を引継ぐか出ていくか決めて下さいというメールが入っていて呆然としました。一か月を切っている中で、仕事をしながらのアパート探し、片付け、引越し、しかもコロナウィスル感染が拡大しつつあるこの環境下で。

頭が真っ白になる中で「神様、助けて下さい!!!」と祈りました。NYでのアパート探しは簡単ではなく今月中に見つけて引越せるのか。。。不安な気持ちでいっぱいでした。でも「神様に不可能はない!必要を満たして下さる神様が絶対素晴らしいことをしてくださる!主よ、あなたが栄光を現して下って御業を成して下さったら証を書きます!」と祈り、ふっとよぎるマイナスな思いを口にはしないようにして「必ず主が栄光を現して下さるから大丈夫!」と自分自身に言い聞かせ祈りました。

錦織先生、SGメンバーに連絡をしてお祈りをお願いし、知り合いの方々に不動産屋さんを聞いたり、教えてもらったウェブサイトをチェックして連絡をしたりと行動を起こしましたが、すぐには動きがなく、更なる祈りのサポートの必要性を感じ、祈り手の皆さんへのリクエストも出させて頂きました。皆さんのお祈りに支えられながら行動していく中で、会社の同僚経由で知り合ったブローカーの方が物件を紹介してくれることになりました。私の希望はクイーンズのアストリアかフォレストヒルズでした。フォレストヒルズのお隣のレゴパークで紹介できる物件があるということで内見の約束をしました。

3月5日内見に行く日の朝、内見を予定していた部屋は決まってしまったとの連絡がありました。同じビルに家賃は少し高くなるけれども空いてる部屋があるので興味があれば今日見せられると言われ、丁度その週末にフォレストヒルズにあるアパートのオープンハウスに行く予定にしていたので、そのアパートを見に行った後、フォレストヒルズのアパートに行って祈ってこようと思い、バジェットを超えていて興味のない物件ではありましたが内見に行くことにしました。

他にハーレムやブルックリンのアパートも紹介されましたが、私の希望はアストリアかフォレストヒルズであることを再度伝えたところ、その後、電話があってフォレストヒルズの物件が出てきたので興味があればレゴパークのアパートを見に行った後、紹介できると言われ、二つ返事でOKしました。

その新たな物件についての詳細をメールで送ってもらい、内容を見た時に「あっ、これだな」っという思いが来ました。そして実際にアパートを見た時に「ああ、ここだ!」っと思いました。今回はアパートの希望のリストを書き出して祈ってはいなかったのですが、私が思っていた条件をクリアしていました。まだリノベーション中で完成するのが3月中旬頃とのことでした。私の中では心は決まっていましたが即答はしませんでした。その翌日、メールを送っていた不動産屋さんの1つから1件アストリアで紹介できる物件があるとのメールがありました。もう遅いんだけどなぁと思ったのですが、そこを見ることでフォレストヒルズのアパートが神様が備えて下さっている場所だというコンファメーションになるように感じ、翌日内見に行くことにしました。

思った通り、アストリアの部屋を見ることでフォレストヒルズのアパートが神様からのものだと確信し決断することが出来ました。今回は御言葉を頂くことはありませんでしたが、アパート探しを始めた時からいつも「神様の御心の場所だと私にはっきり分かるようにしてください!」と祈っていて、まさにその祈りは聞かれ、「ここだ!」と迷うことなく決断することができ、主に感謝します。

信じられない速さでアパートは見つかりましたが、その後引越すまで祈りの課題は次から次へと出てきました。まずは審査です。コロナ感染拡大の影響でアジア人に対する差別も増えている中で審査が通るのか不安でしたが無事に通り感謝でした。次はリノベーション。当初3月18日に完成、19日に契約、21日に引越しの予定でしたが、リノベーションが延びて、契約が23日の週前半頃になるとの連絡がありました。NYで外出禁止令が出るのも時間の問題という状況の中で、さらにリノベーションが延びたらどうしよう。。。と不安を感じ祈りました。次は引越しの日。23日の週前半に契約が出来たとしてその週後半の天気予報はほぼ雨。晴れの日に引越しが出来るように祈っていたところ、20日に連絡があり、翌日21日に契約、22日に引越しをすることになりました。そして引越し。コロナ感染拡大で自粛が進む中、2人で来る予定の引越し屋さんがもしかしたら1人になるかもしれないという話を契約直後に聞いて、「えっ、明日引越しできるの?明日の夜から外出禁止令出るけど・・・」と最後の最後まで祈らされ、また祈って頂きました。当日は無事2人で来てくれて、天候も晴れ、外出禁止令が発効される3時間前に引越しが完了しました。本当にギリギリ間に合って引越しができ、主のタイミングの凄さに畏れつつ感謝しました。

神様がなして下さったことはこれだけではありません。いきなり1ヵ月以内に引越さなくてはならなくなって呆然とする私に追い打ちをかけるようにルームメートからインターネットは13日で切るのでその後は自分で対応して下さいという連絡がありました。コロナの影響で在宅勤務となりネット環境は必須です。切れる日が近づいてきてモバイルWiFiを買わないといけないなぁと思っていたところ、丁度大家さんの息子さんが電話をくれたので、今回の経緯を話し相談をすると隣人にインターネットを使わせてもらえるよう交渉してくれることになり、切れる前日から使わせてもらえるようになりました。更にもし3月中に引越し先が見つからなかったら4月も今払っている分の家賃で住めるように大家さんであるお父さんに交渉してくれるとも言ってくれました。助け人を与え、万が一のバックアッププランをも備えて下さった主に感謝でした。

「神様が素晴らしい御業をなして下さったら証を書きます!」っと神様に約束してスタートしたアパート探しでは「神様助けて下さい!」と祈る度に神様は祈りに応え、御業を成して下さいました。そんな誠実な神様に対して、日々の忙しさや体調が良くないことを言い訳に約束を守れていなかったことをここに悔い改めます。引越しをして2か月が過ぎましたが、やっと神様がなして下さった素晴らしい御業についてお分かちできること、そして祈りでもって支えて下さった兄弟姉妹に心から感謝します。

最後に、リノベーションが延びて不安を感じていた時に祈り与えられた御言葉をシェアします。

主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。(詩編121:5-8)

2020年6月号牧師室より「新しい出発」

3月の初めに教会での集まりをオンラインに移行する時にも、4月の初め、イースターを迎えようとしているときも、こんなに長く、外出制限が続くとは思っていませんでした。また5月の初め、感染拡大もピークを過ぎている状況で、この5月のどこかでまた集まることができるのではないだろうか、という期待も少しは持っていました。しかし、6月になろうとしているこの時、少しずつ規制が緩んでいる中でも、教会堂に集まって共に礼拝をささげる見通しはまだ立っていませんし、また、もしも集まることができても、多くの制限の中で、どんな形で礼拝をささげるのだろうかと思います。

残念ながら、アメリカの大統領はそのような視点は持っていないようですが、多くの指導者たちは、「私たちはもとの生活に戻るのではない、戻ろうと思っても戻ることはできない。私たちは新しい出発をするのだ。」と人々に訴えています。そうだろうと思います。そして、同じことは教会にも言えるでしょう。ただ、回復するのではない、神様は私たちを新しい出発に導いておられるのだと。聖書のなかにはこのような言葉があります。

「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。 見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」イザヤ43:18-19

この言葉はバビロンに捕囚の民として連れて行かれたイスラエルの民に対して、解放の約束、回復の約束を語られた神の言葉です。バビロンから解放されて祖国に帰っていく、けれども、それは単なる回復ではなく、神が新しいことをなさるのだ、だから、今までの考えに捕らわれていてはならない、神はあなたが想像していなかったような素晴らしいことをなさるのだ、という預言だったのです。

19年前の9-11の時のことを思い出します。あの日から、ガラッと空気が変わってしまったアメリカの社会、早く元の平和な日々が帰ってこないだろうかと思っていた時に出たセミナーで「私たちは9-11前の時代にはもう戻れません。そのことを受け入れることが、第一歩です」と言われて、はっとして、それから前に踏み出すことができました。

私たちもコロナ前の社会にはもう戻れません。それは受け入れがたいことかもしれませんが、それを受け入れた時にこそ見えてくるものがあります。受け入れた時にこそ、前に進み出すことができるのです。そして、神様は私たちに「新しいことをなす」と言われています。より良いもの、より素晴らしい祝福を準備しておられます。私たちが経験したことがないようなもの、私達の思いを超えたものを準備しておられます。それを待ち望みながら、楽しみにしながら歩んで行こうではありませんか?