牧師室より2018年11月号「感謝したいこと」

「感謝したいこと」

「今からお花持っていきます!」との電話から15分くらいで現れたのは近所のNさん。教会のメンバーでもある彼は、野菜もお花も上手に育てる名手です。今回も見たこともないような立派な鉢植えのカニサボテンを持ってきてくださいました。数え切れないほどのつぼみ、これからどんな花を咲かせてくれるのかが楽しみです。

サンクスギビングが近づいて、今、自分自身が一番感謝したいこと、それは何かなあ、と考えていました。そのときに、まず、思いついたのが、「洗礼を受けて喜びにあふれて歩んでおられる方々の存在」でした。信仰に導かれて、洗礼を受けた方々の存在は本当に大きな喜びです。

でも、もっと深いところで感謝していることはないかなあ、と考えてみました。もしも、それがなかったとしても、これがあるからやっぱり感謝、と思えること、それは何かあるかなあ、と。

「健康が与えられていること」「家族が仲良くしていられること」なども感謝しましたが、たとえそれさえも失っても、自分を支えているものはなんだろうか?一つ一つのことが削ぎ落とされて、そこに残るのはなんだろうか、と。

その時たどり着いたのが、

「神様をより深く知ることができていること」

「神様を近く感じることができていること」

「礼拝メッセージの中で力を与えられていること」

でした。

10月の「eお知らせ」でも書かせていただきましたが、今年の9月から「ひびみこデイリー」を毎朝発信して、その1週間の聖書の箇所から礼拝でもメッセージさせていただいている中で、本当に神様との関係がさらに豊かに、さらに深くされて、礼拝でも力をいただいて語らせていただいます。ああ、自分にとってそれがいちばんの喜びであり、力なんだなあと感じましたのです。

「洗礼を受けた方々の存在」「教会に集う人々が与えられること」などは、植物で言えば、花や実にあたるのでしょう。しかし、立派な花や実をつけさせるためには、しっかり根を張らせ、株を充実させなければいけません。それが日々の祈りであり、そこで語られたことを分かち合っていくことだと思うのです。見える結果を出すためには見えない部分に心を留めないといけないのですよね。

これからの歩みの中でも、もっともっと神様を知っていくことができますように。そして、豊かな実を結ばせていただくことができますように。

2018年10月28日 『神を王とする歩み』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨシュア記5章13−15節

神を王として歩む。・・・「ははー」とひれ伏し、嫌なこともしないといけなくて、無理してやらないとダメ、と思っている?
⇔神を王として歩むことは、祝福にあふれ、平安と喜びにあふれている。
1)何を王とするのか?
自分・・・自分のやり方、自分のビジョン、自分の考え。
人の声、人の顔色・・・結局、自分の評価、自分の評判が気になる。
サウル王・・・民が去っていこうとするときに、サムエルを待てずに、自分で犠牲を捧げてしまう。(サムエル上13章8-15節)
滅ぼすべきもの中から、それには惜しいものを取っておく。「民が神様への犠牲にするために・・・」
神よりも人を恐れた。・・・自分のため。
ヨシュアも、自分の作戦を捨てて、神の作戦を聞いた。
この作戦実行のために人の声ではなく、神を王とする必要があった。
2)神の前の降伏
この主の軍勢の将の「NO」は「敵ですか?」に対する「NO」であると共に、「味方ですか?」に対する「NO」でもあった。
「足の靴を脱ぎなさい」・・・全面降伏。
「あの人を取り扱ってください」という祈りから「私を変えてください、私があなたに従います」という祈りへ。
崩されなければいけないエリコの城は何?・・・自分の心の中に。
テイクアウトQuestion
1)あなたは、クリスチャンになる前に、何を王としていましたか?今も、自分が何を王としやすい傾向があると思いますか?
2)神を王とするということはどういうことでしょうか?
3)あなたの心の中にはエリコの城はないでしょうか?それはどんな城でしょうか?それを崩していただくためには何が必要だと思いますか?

工具もネジも主人公

身の回りにある物を描いて見ましょう。
小さな部品のネジ、豆電球、分岐器具、ドライバー、じっくり観察して見ましょう。
描きやすい角度はどこでしょうか?
工具箱を開いた時、いつもと違う見え方に感動しませんか?
ただの工具だったハンマーやペンチ等が今日は絵のテーマとなり主人公となります。


空間に釘を付け加えることにより、画面の物語性がグッと出てきますね。


モデルさんは、見た事ある人ですね、お疲れ様です。
皆さんよく特徴をとらえて楽しく描けました。

クロッキー教室のあとは錦織先生によるショートバイブルメッセージ。
– – – – – – – – – – – – – 聖書のお話  – – – – – – – – – – – – – – – – – 
今日10月24日は私の洗礼記念日です。
今から42年前に油壺海岸で洗礼を受けました。
マタイ9:2でイエスは言われました。
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」
洗礼ってこの言葉が、私たちに起こることです。
わたしたちの罪をイエスが赦してくださるのです。
神様の前にはわたしたちは罪を持っています。
わたしたち、悪人ではありませんよね、清廉潔白、善男善女ですよね。
それでも、自分の弱さ、醜さを思い知らされたことはないでしょうか?
その罪からも、わたしたちはイエスによって赦されるのです。
イエスはわたしたちの罪を背負って十字架にかかってくださいました。
だから、私たちもイエスを信じる時に、その罪が赦されて、自由な者にされるのです。
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次回は、11月7日(水曜日)です!

2018年10月21日 『神と共に歩む』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 出エジプト記20章1節〜17節

 

  • 十戒・・・十戒の全体像、十戒こそ、神と共に歩むガイドライン。
  • イエスの言葉、マタイ22:36-40「神を愛しなさい」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」。
  1. 神を愛しなさい。
  • 私の他に何者をも神としてはならない(1)・・・神を神としなさい。
  • 刻んだ像を作ってはならない(2)・・・神様を形の中に、自分のイメージの中に、閉じ込めようとしてはなりません。
  • 主の名をみだりに唱えてはならない(3)・・・神を自分のために利用してはならない。

→神様をあなたの子分にしていないだろうか?

  1. 隣人を愛しなさい
  • 6つ目から9つ目は、明らかな周りの人との関係における戒め
    殺すな(6)、姦淫するな(7)、盗むな(8)、偽証をするな(9)
  • 人格を大切にしなさい・・・「神のかたちは人格である」
  • 「自分がしてほしいように、人々にもしなさい」マタイ7:12
  1. 自分を愛しなさい
  • 「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
  • 安息日を覚えなさい(4)・・・ただ、主の前に愛されている存在として、主に作られて、受け入れられている存在として「ある」。
  • 隣人のものをむさぼってはならない(10)・・・神様が与えられたもの、神様が託されたもの、そこに感謝をしなさい。
  • 父と母を敬え(5)・・・神があなたをあの両親のところに送られた。
  • 全ては最初の言葉が土台・・・「私はあなたを導き出した者である」
  • いつも神様の愛、神様の恵みが先。
  1. イスラエルの民はエジプトから解放されて、十戒を与えられましたが、あなたは神様からどんな解放を与えられているでしょうか?
  2. 神を愛すること、自分を愛すること、隣人を愛することの中で、一番難しいと思うことは何ですか?

 

広がる輪、美味しくおしゃべり牧師館

10月10日、今月のカフェが牧師館にて開催されました!いつもと場所を変えての開催でしたが、
アットホームな雰囲気の中、情報交換やおしゃべりに花が咲き、楽しいひと時となりました。
スタッフも一緒になって楽しんでいたら、あっという間に終わりの時間に。
カフェを通じて広がっていく輪。今月も感謝な1日となりました。
スイーツはスイートポテト、チョコレートケーキ、シュークリーム


サンドイッチは豪華!具沢山サンドです。


カフェ当日の朝。綺麗な朝焼けです。(撮影:錦織牧師)

来月のカフェは11月14日@Studio T-7です。
皆様のお越しを、スタッフ一同心よりお待ちしております!

牧師室より2018年9-10月号「神の愛に満たされて」

「ああ、大変だ、もうアガペがない!」
「アガペを探しに行かなければ!」

今年のJOYJOYキャンプでは、「アガペ」をエネルギーに動くタイムマシンを舞台にしました。「アカペ」とは「神の愛」を表す「アガペー」というギリシャ語から名前を取りました。神様が私たちを愛してくださったその愛をエネルギーにして生きている、その私たちの思いを子どもたちに伝えたいと思ったのです。

また、その前、7月末から8月の初めまで、南カルフォルニアでのリトリートの講師のご奉仕に行って参りました。そのリトリートでいただいたテーマはずばり「生きる」。生きるためのエネルギーの源は、神の愛であることを思わされていました。

私たちは「オギャー」と生まれた時から、愛されなければ生きていけない存在です。親に愛され、周りの人に愛されて、それで生きていけます。それが生きるためのエネルギーになります。でも、成長していく中で、その人からのエネルギーが足りなくなる時があります。自分の中のエネルギーが枯れてしまって、誰か他の人にそれを期待するときに、期待を裏切られてがっかりするときもあります。そんなとき、他のところからの愛をもらう必要があるのです。

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」第一ヨハネ3:16

イエスは私たちのために十字架の上で命を与えてくださいました。そこに、私たちが生きるためのエネルギーの源があります。そして、その愛をいただいて、私たちも周りの人々を愛することができるようになるのです。神の愛を求めていきましょう。

2018年10月14日 『海を分けられる神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 出エジプト記 14:10-31

 

言葉だけではなく、いろんな方法で私たちに語られる神。
アブラハムとその子孫を通して、「神と共に歩む」ことを伝える。
1)人のピンチが神のチャンス
神と共に歩む・・・万事順調、順風満帆・・・ではない。
イスラエルの民・・・エジプトから解放される。
でも、海に向かって進むように導かれる
+そこにエジプトの軍隊が追いかけてくる。
人のピンチは神のチャンス(神を知るチャンス)
前後挟まれて、どうにもならない・・・神こそが助け!
800年後、アッシリアの脅威の下にあったユダ王国
神の助けではなく、エジプトの助けを得ようとした。
神は静まりなさい!落ち着きなさい!私を頼りなさい!と言われる。
イザヤ書30:15-18
「悔い改めて神を信頼する」
2)静まることってどんなこと?
民は「エジプトで奴隷であったほうがよかった!」と文句を言う。
「神が戦われるから見ていなさい」「あなたがたは黙っていなさい」
→詩篇46:10「静まって私こそ神であることを知れ」
こちらはsink, relax, withdrawなどの意味。
出エジプト14:14の「黙っていなさい」
「いろいろ言いたいことはあるだろうけれども、黙りなさい」の意味。
乱暴な言葉?
私たちは納得いかないことがあるかもしれないけれども、神に従っていく。私たちには見えていないこともある。そこでも神様を信頼すること。
<テイクアウトQuestions>
1)神と共に歩んでいるのに、どうしてこんなことになるのだろうか?と思うことはありますか?どんなことでしょうか?
2)困難の中で、私たちに求められているのはどんなことでしょうか?
3)納得できないときにも神を信頼することはできるでしょうか?どんな難しさがありますか?

2018年10月7日 『祝福の約束』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記12章1節〜3節

 

「三つの願い」のストーリー。
あなたならば、何を願う?
私たちが願うべき「神の祝福」
1)「祝福」って何?
状況ではない。内側にあふれて外側に流れていくもの。
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、イスラエルの歴史。
「祝福」は困難の中にあっても神によって与えられる力。
ブドウの実が熟して触ると果汁があふれてくる様子。
あなたは触ると何が出てくるか?
愚痴や文句、怒りが出てくることはないか?
2)呼ばれたら応える!
アブラハムは招かれて、神様に答えた。その通りに従った。4節。
自分を支えているもの、それを神様ゆえに手放した。
安定した生活、人の繋がり、慣れた土地
→頼るものは神なんだというところに立った。
神の約束を信頼した。
約束の子供が与えられるまでこれからさらに25年
ガタガタした時もあった。でも、そこでも神との関係に生きた。
3)やっぱりイエス様!
神の祝福はアブラハムとその子孫に。
その子孫というとユダヤ人、ユダヤ民族?でも究極的にはイエス
ガラテヤ3:16
そして、イエスを信じる者たちへ(ガラテヤ3:6-9)
イエスの十字架によって、神と共に歩む。
<テイクアウトQuestions>
1)あなたは今、何を求めているでしょうか?
2)「祝福」は何でしょうか?祝福されている人は周りにいますか?どうしてそう思うのですか?あなたは祝福されていますか?
3)祝福をいただくためには何が必要でしょうか?

2018年9月30日 『人の弱さ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記11章1節〜9節

 

過ちを犯した人の言葉「自分の弱さと未熟さを自覚しました」
星野富弘さんの言葉「私は自分の弱さを自ら認めたくなかった・・・」
私たちは弱い存在。聖書はそのことをどのように語っているのか?
その中で私たちはどのように生きるべきか?
1)私たちの弱さ
アダムとエバの罪・・・神のように。逃げる、隠れる、責任転嫁をする。→それから罪が広がっていった。
カインの罪・・・妬み。
ノアの時代の罪・・・神に従うよりも、自分の好みを優先する
バベルの塔の罪・・・力を合わせて神に届く。
私たちの弱さ・・・もっと良く生きたいのだけれどもどうにもならない
でも一番弱さは、自分の姿を認めないこと。
2)弱さを持って生きる
弱さは克服しなければいけないような先入観。
→弱さを隠す。攻撃されると怖い。
⇔でも、聖書は弱さに神の恵みが注がれ流のだということを語る。
バベルの塔を建てた人々、「みんなで力を合わせる」
 力を合わせることによって、神に届こう
力を合わせることによって、散らされるのを防ごう
・・・地に満ちよ、と言われた神の言葉に対する不従順。
弱いから、神が必要。「神を信じるなんて、弱い人だ」?
神の前にひれ伏す。(ヨシュア記5章13−15節)
「一つになる」ことが変わる・・・神の前にへりくだることによる一致
<テイクアウトQuestions>
1)人は弱いものでしょうか?強いものでしょうか?強くなるべきでしょうか?そのままでいいでしょうか?どうしてそう思いますか?
2)バベルの塔を建てた人々の問題はなんだったでしょうか?
3)弱さを抱えて生きる私たちにとって、大切なことはなんでしょうか?

洋梨も美味しい収穫の秋!

美味しそうな、洋梨を色々な方向から、縦割り横割りも描いてみましょう。

先生の描いた洋梨も美味しそうですね。

ゴッホやセザンヌも油絵で果物を描いています。

どの絵がゴッホでどの絵がセザンヌか?
それぞれのアーティストの背景を知りながらそれぞれの特徴を学びました。
クリスチャンシンガーの向日かおりさんも参加してくださり楽しいひと時になりました。
モデルさんの髪型が素敵です!

クロッキー教室のあとは錦織先生によるショートバイブルメッセージ。
– – – – – – – – – – – – – 聖書のお話  – – – – – – – – – – – – – – – – – 
マタイ13:31-33
「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」
今日は梨の絵を描きましたが、収穫の秋、いろんな作物ができていますね。野菜を育てていて感じるのですが、最初はとても小さな種だけれども、見えないところでだんだん成長して、実をならせる、すごいなと思います。
ここで、「天国」とありますが、これは単に「良いことをして生きたら死んだ後に行くところ」ではありません。聖書では、この「天国」は「神の国」「神の愛の支配」「神の愛に満たされたところ」という意味です。ですから、ここでも、神様の愛に満たされたあなたが小さな存在でも、それはだんだん大きくなって、広がっていって、豊かな実を結ぶのだというのです。与えられた人生、そのような生き方がしたいですね。
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – 
次回は、10月24日(水曜日)の予定です。
第4週になりますので、お間違いのないように〜。