証し

私は96歳になります。日々、主に生かされ、日々、主に守られて恵みを受けております。そんな私でも、寄る年波で、病による痛みや苦しみがあります。そのような時は正直に「神様、痛いです。苦しいです。」と申し上げて、主に在る慰めをいただいております。

 私はかつて高ぶる者でした。主人との結婚生活において日々、口争いが絶えず、相手を傷つけ、私も傷ついてまいりました。

 クリスチャンとなってある日、教会の牧師先生に家庭のことを話したところ、ひどく叱責を受けました。私に同情してくれるどころか責め立てられるなど、思いもよらないことでした。しかし、神様の恵みは低いところに流れます。「謙遜になりなさい」という神様からのメッセージだと受け止めて、家庭においてへりくだることを心掛けました。

 しかし、そう易々と変化は起こりません。私の中で何かが変わり始めていたとしても、主人には伝わらず、相変わらずの結婚生活が続きました。そんなある日、こともあろうか、主人は突然、「家を出ていく」と言い出しました。

 すでに成人していた娘は驚きあきれ、弁護士を立てて離婚するよう勧めてきましたが、私の心の中に聞こえてきたのは「とどまりなさい」という声。「なぜ?なにを?どうやって?」と問い続けつつ、まだ夜が明けきらない暗がりの中で、聖書を開きました。意図せずに開いた聖書の箇所はヨハネの福音書15章4節。そこには、はっきりと「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。・・・。」と書いてありました。びっくりしました。と同時に、私の心の中に聞こえてきた声が神様からの声だったと確信できました。ならば、従おうと心に決めました。

 それからの道のりも、決して平坦だったとは言えません。離婚は思いとどまりましたが、その後、主人は大病をして治療に時間とお金がかかりました。「とどまりなさい」との御言葉を握りしめて、看病と介護にあたった日々でした。医療保険に入っていなかったため、医療費は莫大な額になり、私が長年積み立ててきた預金は底をつきました。さすがの主人も「すまない」と謝ってくれましたが、その時に私の口から出た言葉は「そんなことはいいから」でした。

 神様が主人の心に触れて下さいました。「そんな言葉を言わしめる神様はどんな方なのだろう。僕も黎子の信じる神様を知りたい。」主人は神様を求めて歩みだし、やがて信仰を得るに至りました。

 今、私は最高に幸せです。身体が衰え、酸素吸入器の手放せない毎日ですが、イエス様がいつもそばにいて下さいます。神様が語りかけてくださいます。大病が癒され、信じる者とされた主人が、かいがいしく私の身の回りの世話をしてくれています。

 ヨハネの15章4節は、こう続きます。「・・・枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」そして次の5節では、「・・・人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。・・・」人生の最期を迎えつつある今、神様が聖書で約束してくださっている多くの実を、私は見せていただいているのです。

 これから実りそうなものも、まだまだあります。神様の素晴らしさを、外へ出て行って伝えることはできなくなりましたが、家の中でたくさんの祈りをささげています。友人がクリスチャンとなってくれますように、祖国日本に福音が広まりますように、ウクライナで苦しむ人々のもとに平和が訪れますように・・・私の祈りのリストは長く、果てしなく、どれだけ時間があっても足りません。だから神様は、私をまだ生かしてくださっているのでしょうか。

 神様はすばらしい方です。神様の御言葉を信じ、とどまる者に、恵みを与えてくださいます。このすばらしい方のことを、一人でも多くの皆さんに知っていただきたいです。信じていただきたいです。

 すべての栄光を主にお返し致します。

<牧師室より>2023年9月号「空の鳥を見てごらん」

8月の最後の日曜日は「ピクニック礼拝」。多くの皆さんが参加されて、楽しい時を持ちました。礼拝後のサンドイッチのランチや、その後のレクリエーションも良かったのですが、私自身はそれと共に、緑豊かな公園での礼拝の中で、イエスの言葉に従って「野の花に目を留める」ことを実践してみて、新しく目が開かれる思いがしました。

礼拝のメッセージの中で「では、皆さん、自由に歩き回って、野の花をじっくり見る時を持ちましょう」とアナウンスして、10分ほどそれぞれで野の花を見る時をもっていただきました。正直なところ、当日の朝、会場の公園に来てみて、かなりしっかりと刈り込みがなされていて、元々あまり花の多くない8月の下旬、「花なんて咲いてないじゃん」と言われるんじゃないかと思いました。でも、注意して見てみると、普段は目に留まらないような小さな花がいろいろ咲いているのですね。そして、その一つ一つ、花びらの形、その数、おしべが出ているかどうか、など、それぞれに個性があって、いくら時間があっても足りないくらいでした。ちょうど今、NHKの連続テレビ小説「らんまん」の主人公が這いつくばって、草花に見入っているのが、こんな感じなんだろうかと分かるような気がしました。

イエスは「野の花を見てごらん」と言われた後に、「その一つ一つの野の花よりも、神はあなたの事を何倍も大切に思い、心にかけておられるんだよ」と言われるのです。

「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」

マタイの福音書 6章30節

これからいい季節になります。散歩をしたり、空を見上げたりするときに、自然の中に込められた神さまのメッセージに耳を傾けてみませんか?

<集会案内>「JOY JOY キャンプ」(2023年9月)

1995年に始まったJOY JOY キャンプ。エネルギーのあふれている子どもたちが、教会で「静かにしていなさい!」とか「おとなしくしていなさい!」と言われることよりも、楽しいことをたくさん経験して欲しい、そして、その中で、楽しいだけじゃない、大切な神さまのメッセージを知って欲しい、とスタートしました。

夏の1週間のデイキャンプ(通いのプログラム)。毎年違うテーマを決めて、工作やお話、テーマソングなどもキットなどに頼らず全部手作りで準備してきました。お借りしている教会の体育館にセットを造って、トンネル迷路を張り巡らして、毎日、エキサイティングな探検をしながら、その中で聖書のメッセージを分かち合ってきました。地域の皆さんの間にも浸透して、たくさんのお子さんたちを迎えてきました。

ところが、2020年はコロナのために中止。オンラインでのアクティビティーをしました。そして、2021年は午前中のみ+人数限定で再開。2022年は午後まで時間を延ばして・・・と、少しずつ正常化を進めてきました。

そして、今年のJOY JOY キャンプは、8月7-11日の午前10時から午後3時、20人の参加者を迎えて持たれました。

今年のテーマは「JOY JOY 探検隊〜宝物を探しに行こう!」で、まずは毎日教会の地下の部屋やメイン会場のジムを探検して、宝さがし。そして、JOY JOY キャンプ名物トンネル迷路も「ミニ版」で4年ぶりに復活!やはり、子どもたちはこのトンネル迷路、とても楽しかったようです。

 

そして、テーマソングや教会の歌を歌って聖書からのお話。神さまが私たちに与えてくださった宝物を一つずつ取り上げていきました。毎日のテーマは「この世界、地球、宇宙」「家族や友達」「いのち」「自分自身」「イエスさま」。子どもたちは毎日真剣にお話を聞いていました。その中で、子どもたちから飛び出してきた名言・・・「宇宙は神さまの宝箱だね!」・・・まさに!です。

その後は、毎日工作をしたりゲームをしたり・・・ちなみに今年の工作は「宝箱」「風船ランプシェード」「ロケット」「宝石石けん」「クレーン」「プラ板」そして、「Tシャツプリント」などなど。そして、ゲームは「震源地」「十字おに」「鬼玉入れ」「しっぽ取り」「風船バレー」「水風船投げ」「スイカ割り」などなど。5時間があっという間に過ぎていく5日間でした。

そして、その週末、13日の日曜日の礼拝には半分以上の子どもたちが出席してくれて、教会の皆さんの前でキャンプの中で歌った歌やテーマソングを歌ってくれました。

 

コロナ前は40-60人の参加者を迎えて持ってきたJOY JOY キャンプ、これからも地域の子どもたちを迎えて続けていくことが出来るようにと願っています。

例年4-5月に申し込み受付を開始します。来年はどんなテーマになるか?お楽しみに!

<牧師室より>2023年8月号「宝物を探しに行こう」

 今年もJOY JOY キャンプがやってきます。
 今年のテーマは「JOY JOY 探検隊〜宝物を探しに行こう」です。5日間、20人の子どもたちと、毎日宝物を探しに探検に行きます。

 我が家の「宝物」と言えば、「松井秀喜選手のバット」です。

 もう20年も前ですが、ヤンキースの試合を見に行った時、松井秀喜選手が空振りしたバットが手から滑って観客席にいた私達のところに飛んできました(その時の様子はこちら)。「これはさすがに返さないといけないだろう」と思って係の人に渡したのですが、その時、球場全体で大ブーイング!「何だ?何か自分はブーイングされることしたか?」と思っていたら、周りの人が「あの係の人にブーイングしているんだよ!あれはおまえのものだ!もらってこい!」と口々に言ってくれて、係の人を追いかけて、無事いただいて帰ることができました。それから、野球を見に行く度に、良くもこの大きな球場の中で、自分のところに飛んできたな、と思います。特別な神さまからのプレゼントだったと思います。

 でも、当時良く思ったものですが、もしも強盗に銃を突きつけられて、「おまえの家の宝物を持って行くぞ!」と松井のバットを奪われたら、間違いなく「どうぞ!」と言うだろうなあ、でも、もう一つの我が家の宝物であるその頃小さかった自分の子どもたちに同じことが起こったら、絶対に命をかけて、「自分はいいから・・・」と自分の身を差し出しても、子どもたちを守るろうとするだろうな、と。実際、本当に大切な「宝物」は決して「モノ」ではないんですよね。

 今回のキャンプで子どもたちに是非見つけて欲しい2つの宝物があります。それは、一つは「神様の愛」、そして、もう一つは、「自分自身」です。聖書の中に、天国(=神さまの愛に満たされた人生と死の向こう側にも続く命)という宝物を見つけたら、喜びにあふれて、全財産を売り払ってそれを自分ものにするだろう、というイエスの言葉があります。

「天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。」(マタイの福音書 13章44節)

 私達がこの宝物を自分のものにするために、すべてを投げ出してもちっとも惜しくないだろう、というのです。それくらい価値があるのだよ、というのです。でも、この言葉にはもう一つの意味があります。それは、立場をひっくり返すと見えてくることです。宝を探しているのはイエスであり、宝物は他でもない、私達だというのです。イエス自身が、「私達」という宝物のためには、すべてを投げ出しても惜しくない、と言ってくださったのです。実際、イエスは十字架にかかって、私たちの代わりに罪を負ってくださいました。そこまで私達は愛されているのです。

 今年のJOY JOY キャンプも、子どもたちの安全が守られて、子どもたちが、神さまが自分たちの事を宝物としてくださっていること、そして、愛されている喜びを知ることができるようにお祈りください。

<集会紹介>「Friday Nightオアシス」(2023年8月)

「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書 4章13~14節)

日々の歩みの中でのオアシスのような場になるようにという願いで2015年に始まった「Friday Nightオアシス」。月に1回ですが、お腹を満たすご飯と、心を満たす聖書の言葉、そして、ホッとできる場所を提供しています。

3年前のコロナ禍ですべてがストップしたときは、オンラインでの集まりを続けました。一番大切な「聖書の言葉」は残りましたが、やはり食事も場所も提供できないのはちょっと寂しかったです。2021年の夏には食事を復活して、「屋外ならばいいだろう・・・」と、牧師宅の裏庭で集まったこともありましたが、3ヶ月連続で途中から雨が降り出して、慌ててテントを張ったりもしました。「広い空間なら・・・」と2021年秋からは教会のジムに集まってきました。そして、今年の6月からはやっと牧師宅に戻ってきました。

7月のFriday Nightオアシスには10人ほどが集まって、ちょうどNJに戻っておられたポール鈴木宣教師とキャロル夫人を囲んで、まずは準備されたお食事(写真撮り忘れました・・・)。それから、鈴木ご夫妻に100クエスチョン(実際は40クエスチョンになりましたが)。鈴木ご夫妻も楽しく質問に答えてくださって、ぐんと心の距離が近づきました。そして、錦織牧師の聖書のお話。40クエスチョンの最後の質問、「今日だけ会える人に何でもいいから5分話して、と言われたら何を話す?」に錦織牧師自身が答えて、「私達は神さまの宝物」、神さまは一人子イエス様を十字架にかけるほどに、私たちの事を愛してくださったのです、という聖書の話でした。とっても5分では終わりませんでしたが・・・。

そして、その後もしばし、デザートやコーヒーで、気がついたら夜の10時。楽しい時間はあっという間に過ぎていきますね。

Friday Nightオアシスは毎月第3金曜日午後7時から牧師宅で。教会の礼拝とはまた違った距離感で聖書のお話を聞くことができ、「本当に、私にとってはオアシスです」と言われる常連の方も。聖書の話は初めて、という方も大歓迎です。場所など詳しいことは錦織牧師(pastor.jccofnj@gmail.com)まで。

<集会紹介>野外早天祈祷会(2023年7月)

3年ぶりに昨年から復活した夏の野外早天祈祷会。今年は5月最後の土曜日、27日から始まりました。5月の早朝は空気が冷たく、でもハドソン川のほとりのFort Lee Ross Dock Picnic Areaは、視界が開けて清々しい景色が広がっていました。爽やかな初夏の天候の下で野外早天祈祷会を持つことができて感謝でした。

6月は24日の土曜日でした。その週の天気予報は毎日雨マーク。でも予報は外れ続き。金曜日から土曜日にかけても雨マークが出ていて、野外早天祈祷会の場所を教会に変更するかどうか悩むところでしたが、教会の天気予報番、錦織牧師の的確な判断で、金曜日中に翌日の野外早天祈祷会を教会で行うことに変更されました。

当日は予報通り朝から雨でしたので教会で祈祷会を持ちました。共に讃美歌を歌い、聖書(聖書箇所はヨシュア記3章14節〜17節)を学び、祈祷課題を出し合いました。その後男性と女性グループに分かれて、近況を分かち合い、祈りの時を持ちました。

8時からは持ち寄った朝食をいただきました。ベーグル、ヨーグルト、フルーツ、ピクルス、今回はスモークサーモンもありました。入れたての美味しいコーヒーを飲みながら、朝食をお腹いっぱいいただき、私達の心もお腹もいつも満たしてくださる神様に感謝しました。

早天祈祷会は6時半からです。いつもより早起きする方もそうでない方も、共に讃美歌を歌い、聖書を学び、分かち合い、祈り合いましょう。今後の野外早天祈祷会は7月29日、8月26日ですので、皆様、どうぞ積極的にご参加ください。

<牧師室より>2023年7月号「自由とされたのだから」

「ああ、またやられた!」18年前の初夏。庭に日本の野菜を作ろうと一生懸命になっていた頃、本当に毎年、グランドホッグとの戦いに苦戦していました。ネットを張ったり、動物の嫌う匂いのスプレーを蒔いたりいろいろ試しましたが、敗戦続き。これはもう捕らえるしかない、とワナを買ってきて、捨てるクズ野菜を餌に、庭に仕掛けました。そうしたら、かかるわ、かかるわ、家族で住んでいたのでしょうか、次々とグランドホッグがかかります。後でネットで調べてみたら、この地域では許されていないようですが、そんなことも知らず、山に連れて行っては、放すことを繰り返していました。

 グランドホッグは昼行性。朝にワナをかけて、夜は変な動物がかからないように閉じておくのですが、ずぼらな性格の私は、ついつい閉じるのを忘れてしまい、ある朝はオポッサムがかかっていました。あまり可愛くない動物なのですが、ワナを開けたら、一目散に逃げていきました。

「あ、また変なのがかかっている!」7月5日の朝、前の晩にワナを閉じるのを忘れてしまっていて、何か動物がかかっていることに気づきました。あたり一面砂ぼこり。かなり暴れていたようです。今度は何がかかったのかな、と近づいてみて、「わっ」と血の気が引きました。ワナにかかっていたのはなんとスカンクだったのです。「どうしよう・・・」と思いました。自分の愚かさを悔いました。逃がすためには近づかなければいけない、近づいたらスプレーをかけられる。まともに食らったら、何日も匂いが消えない・・・。

その後の顛末を詳しく書いているととても長くなってしまうので、詳しく知りたい方は、以前毎日書いていたこちらのブログの記事を。

結論を言うと、最後は覚悟を決めて、すべて捨てていい服で身を固めて、頭には目のところだけ穴を開けた紙袋をかぶって、スカンクのスプレー攻撃を全身に浴びながら、近づいていって、ワナを手で開けて、スカンクを逃がしたのですが、ワナの扉を開いても、スカンクはおびえて、奥の方から動かないんですね。それで最後はワナの一番奥のスカンクがいるところをバンと一発蹴ったら、慌ててワナからでて、逃げていきました。

そのワナの奥でおびえていたスカンクの姿を思い出すと、私達も同じように狭いところでビクビクしていることはないか、と思わされます。神さまは私達のところに来て、私達を解放しようとしてくださっているのに、私達はその神さまの思いに気がつかないで、おびえて、逃げて、閉じこもっていることはないだろうかと。聖書のメッセージは解放のメッセージです。神様が与えてくださる自由を受け取って感謝して歩んでいきましょう。

「真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネの福音書 8章32節

<牧師室より>2023年6月号「人を迎える喜び」

5月は3年ぶりに牧師館での集会を再開しました。初めて来られた方や、久しぶりの方々も加えて、聖書をじっくり味わいながら、とても楽しい集まりとなりました。いいですね。本当にいろんな事が次々と平常に戻りつつあります。

 昭和の日本の牧師の家庭に生まれ育った私にとっては、教会の2階だったり、教会の隣だったりした自分の家に教会の皆さんにおいでいただくのは、ごくあたりまえのことでした。日曜日の朝はいつもよりも早く起きて、簡単に朝食を済ませて、家の片付け。弟の部屋一つと、風呂場の脱衣所だけは「荷物置き場」にとっておいて、他の部屋の片付かない荷物を全部そこに押し込んで、自分の部屋も「教会学校」の部屋として使っていただいていました。同じような経験をした牧師の子ども仲間の中には「自分の部屋に入られるのがすごく嫌だった」という子たちもいましたが、私はそういうことを感じたことはありませんでした。逆に来てもらっていることが、うれしかったことを思い出します。

 今でも、同じです。多分、自分のスペースに来てくれるのは、自分のことを信頼してくれているから、自分のことを受け入れてくれているから、と感じるからなのかな、と思います。それがコロナ禍で互いに距離を取るようになり(「6フィートのソーシャルディスタンス」!この言葉にも懐かしささえ感じます)、お互いの家に招き合ったりすることがとても難しくなりました。そして、それが単なる物理的な距離ではなくて、いつの間にか、心理的な距離、お互いの心の距離にもなってしまっていたのでは、と思います。

 互いの心の距離、急に詰めようと思っても難しいですよね。少しずつ、信頼関係を築いていくのだと思います。これからですね。

 神様もそうです。私たちをご自分の家に招いて、ずっと一緒にいて欲しいと思っておられるのです。

 「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。・・・わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネの福音書 14章2~3節)

 この言葉は最後の晩餐の時にイエスが弟子たちに言われた言葉です。神様は私たちを喜んで、その家に迎えてくださいます。私たちが、神様を信頼して、神様のところに行くことを喜んでくださるのです。これは究極的にはこの地上の歩みを終えて神様のところにいく「天国」のことを語っています。でも、この地上の歩みの中でも、私たちを喜んで迎え、共に歩もうとされているのです。

 今月も牧師館での集まりが続きます。また、他にご家庭を開放してくださる方もおられます。これらの集まりを通して、更に神様の愛が多くの人々に届きますように。

<集会紹介>BIG集会(2023年6月)

毎月第4土曜日の午後4時から8時までの間、教会ジムは中高生たちの喜びと笑いと熱気に包まれています。今から15年ほど前、教会に集う中高生たちのグループ “BIG” (Believe In God)が中心となって始めたBIG集会は、コロナ禍で集まることができなかった時間を経て昨年の春から再開し、毎回約15名の元気な中高生たちが集っています。

普段のBIG集会の様子をご紹介します。まず初めに輪になって自己紹介をします。名前と何かひとつテーマを決めて自分について言ってもらうのですが、ふざける子、真面目に答える子、恥ずかしがる子、なんとか笑いを取ろうとする子(&おじさんたち)など個性が溢れ、もう既に楽しいです。次に場の雰囲気を和らげるためにアイスブレークのゲームをするのですが、大体このゲーム中に盛り上がりは最高点に達してしまいます。そしてメインの遊びです。バレー、ドッジボール、バドミントンなどのスポーツ、ジムを暗くして犯人を当てるゲーム、教会全体を使ったかくれんぼ、ブックマーク作りなどのアート、夏は水遊びやスイカ割りなど、様々な内容のアクティビティを楽しみます。また自由時間を入れて好きなことをしたり、スポーツが苦手な子はキッチンを手伝ってもらったりと、子供たちの思いや個性も大切にしています。

十分に遊んだ後は賛美と聖書の時間です。ピアノやギターの伴奏でコンテンポラリーの讃美歌を歌います。最初は歌えなかったり恥ずかしそうにしていた子たちも、今では大きな声で楽しそうに歌っています。聖書のメッセージの前には、その日のテーマや自分自身やについて考えさせる質問を投げかけてから始めます。真剣な話には照れがある子や、あまり興味が持てない子もいるようですが、中高生にも分かりやすい聖書のメッセージに多くの子が耳を傾けて聴いている姿が見られます。

続いて楽しく美味しい食事の時間です。毎回スタッフミーティングで「中高生たちが喜びそうな食べ物」を話し合って決め、数名のスタッフが材料調達から調理まで担当します。皆で一緒に食卓を囲んで、ワイワイしながら食事ができるのは最高です!もちろん腹ペコの子供たちはあっという間に食べ終わり、またすぐに遊び始めます!

そして8時に保護者の方が迎えに来られて解散です。中高生たちは居心地が良いのか、なかなか帰ろうとしませんが。いつも参加している子たちに「なぜBIG集会に来るの?」と聞いてみたところ、「居て楽しいから」「楽しくキリスト教について学べるから」「癒される場所だって分かってるから」「リフレッシュや癒しがもらえるから」等の答えが返ってきました。考えてみると「楽しい場所・癒しのある場所・居場所」は、年代を超えた多くの人々にとって重要なことではないかと思います。次の世代を担う中高生たちにとって、これからもBIG集会がそんな場所でありますように。

<牧師室より>2023年5月号「神の時を待つ」

 昨年のクリスマス直前、12月22日の午後に携帯電話にテキストメッセージが届きました。「・・・旅行の帰り道にある出来事に遭遇し、その時神様がいらっしゃるという事を実感しました・・・」

 4月の最後の日曜日、今年初めての洗礼式を持ちました。今回の月報にも証しを書いてくださっていますが、クリスチャンの男性と結婚されて数十年、それからずっと教会に集って来られた方です。その方のために、御家族はずっと祈っておられたそうです。教会でもお祈りしてきました。その祈りが聞かれるまでは、時間がかかりましたし、もう、ずっとこのままなのかな、とも思いました。一緒に聖書の基礎の学びもしました。イエスの十字架の話も何度もしてきました。それでも、なかなか聖書の言葉が入っていかない、そんなもどかしさも感じていました。しかし、この時に、神様は特別な方法で、その方の心に触れてくださったのです。

 その前の週、4月4週目の日曜日は一人の方がカリフォルニアに引っ越されると言うことで最後に一言挨拶をお願いしました。その中で、NJで経験した一つ一つの出来事の中で、心に与えられた聖書の言葉を分かち合ってくださいました。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」(伝道者の書 3章11節)

 私たちには分からないことがあります。すべてを見極めることはできません。でも、神様の時があって、神様の時に美しいことをしてくださるというのです。

 私たちはしばしば、思い通りに行かないことに出会います。自分の願った道が開かれなくてがっかりすることもあります。「どうして?」と思うことにも出会います。でも、神様はすべてを美しく導いてくださり、神の時に御業をなしてくださるのです。その神の時を待ち望み、神様を信頼して歩んで行こうではありませんか。