「証し」

私と妻はニュージャージー生活に一区切りをつけ、2024年3月に日本に帰国しました。5年半に及ぶニュージャージー生活のなかで、私が神様から頂いた愛と試練についての3つの出来事を振り返り、お証したいと思います。

1つ目の思い出は、2018年10月にニュージャージーに参りましてから、仕事の引継と生活の立ち上げが一段落したところでニューヨーク男声合唱団の門を叩いたことです。学生時代に打ち込んでいた男声合唱ですが、就職して以後、なかなか取り組む機会に恵まれていませんでした。
2015年1月にシンガポールでのベートーベンの第9演奏会、そして2017年12月のことになりますが、モーツアルトの命日にウィーンのシュテファン教会で「レクイエム」を歌うという企画旅行があり、それらの練習から徐々に自分の持ち時間を合唱へと取り分けるようになりました。
これらに続き2019年2月に予定されていたブラームスの「ドイツ・レクイエム」の演奏会にオンステージすべく練習を始めました。ところが急なニュージャージー転勤の話が舞い込んだことから途中で断念せざるを得ませんでした。この時の思いが、自分としては着任早々に男声合唱の門を叩いた動機となりました。
しかし20年前のロサンゼルス勤務時と同様、どうもアメリカの空気質が合わないのか、アレルギー性副鼻腔炎が悪化。ポリープ除去の手術を2019年5月に行い、更に注射による減感作療法を2年間に亘り行いました。結局これは今もなお完治せず、以前のように声が出せなくなってしまいましたが、なんとか定期演奏会に4回も乗ることが出来ました。この間、指揮者の山内竜二さんを始め多くの新しい友と知り合う機会ができ、これから先の人生においても自分には男声合唱の活動はどんな試練が有っても続けていくべきだと、神様からのお導きがあったと思っています。

2つ目の思い出ですが、2021年6月6日の私の洗礼記念日です。受洗の決意に至るきっかけは錦織学先生とバイブルおばさんとの出会いを神様が作ってくださったからに他なりません。もともと父方の親戚は全てクリスチャンというクリスチャンファミリーに生まれたものの、親の方針で信仰を積極的には推奨されなかったこともあり、人生の最後の時に、病床で洗礼を授けてもらう「病床洗礼」を視野に入れていました。その様な私が、このニュージャージーの地でふと見たFacebookをきっかけとして、私の多くの友人と繋がりがある錦織先生を神様が引き合わせてくださったのは、今考えても奇跡としか言いようがありません。
その錦織先生とニューヨーク男声合唱団でご一緒できたこと、合唱団の指揮者の山内さんが教会で指揮棒を振られたことには二重の喜びがありました。

そして最後にですが、今般、想定していたよりも早くに帰国時期を迎えてしまった原因の試練についてお話しします。2022年9月、PSA検査という前立腺の血液検査をオプションで受けました。過去にも何度か受けましたか基準値内、しかしその時は基準値内でしたが数値の上昇傾向が見られたので半年後に再検査となりました。そして2023年3月、再検査の数値も基準内で上昇が続き、ホームドクターの勧めもあって泌尿器科医を受診しました。今思えば、オプション検査を選択したこと、意を決して専門医を受診したことは神様が背中を押してくださったからではないかと思います。
泌尿器科医はベテランの先生で触診だけで怪しいと判断され、すぐに生検(バイオプシー)の手配に入りました。実施したのは私の還暦の誕生日の翌日、2023年4月12日の事でした。2週間後には「中程度リスクの前立腺がん」という所見で「まだ若いのでロボット手術による全摘出」を推奨され、実際に執刀するマウント・サイナイ病院の泌尿器科を紹介されました。その後、MRI検査を受けてのセカンドオピニオンでも結果は同じで、7月14日(金)に手術を行いました。
その後、尿失禁は完璧には収まらないものの、お陰様でその後3回のPSA血液検査では検出限界値以下、すなわち転移の兆候なしとのことです。手術後2年間は経過観察ですが、そもそも前立腺がん手術の予後10年生存率はステージ3でも99.5%なので「死なない癌」ともいわれてます。とはいうものの早期発見に越したことはなく、神様に守られたことを強く感じる日々です。
このような事が起これば、企業は当然に海外駐在員に帰国命令を出します。自分としては会社の産業医ともWeb面談を行い、帰国時期については業務優先で良いと言われ、実際のところは全く業務に支障をきたしておりません。ただ、自分のポストの前任者が過去3名も任期中に病に倒れており、部位は異なるものの2名の方が癌でお亡くなりになっていたので、帰国命令は仕方のない所ではあります。
しかし、神様。私はこのニュージャージー日本語教会の愛する兄弟姉妹、ニューヨーク男声合唱団の仲間たち、信頼できるアメリカ人の同僚や部下たちと離れ離れになってしまうことが、とても残念で、悔しくてなりません。何故ここを離れればならないのでしょうか。
日頃、食生活には十分に注意し、運動習慣もあり、家族にこの病歴の者もいないのに、どうして、このような病を私にお与えになったのでしょうか。いまでもなおどこか心の中で叫び続けております。
この病のことを家族以外へ最初に打ち明けたのは錦織先生でした。先生には余計なご心配をおかけしてしまったことを申し訳なく思っていますが、絶えずお祈りを頂けましたこと、また術後にベッドで読みました、先生の示された聖句には本当に心から救われた思いがあり感謝しております。

最も心に残った、というか最後のまさかの展開に目の前がぱっと開けた部分を最後に読みます。

ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。 そこで彼のすべての兄弟、すべての姉妹、および彼の旧知の者どもことごとく彼のもとに来て、彼と共にその家で飲み食いし、かつ主が彼にくだされたすべての災について彼をいたわり、慰め、おのおの銀一ケシタと金の輪一つを彼に贈った。 主はヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもった。 また彼は男の子七人、女の子三人をもった。 彼はその第一の娘をエミマと名づけ、第二をケジアと名づけ、第三をケレン・ハップクと名づけた。 全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。父はその兄弟たちと同様に嗣業を彼らにも与えた。この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。

ヨブ記42:10−17

 

<集会紹介>(2024年4月)「祈祷会」

「祈祷会」って何をやるの?という方も多いかもしれません。その名前から「祈祷師さんか何かにお祈りしてもらうの?」という質問を受けたこともあります。英語では「prayer meeting」。祈りたい課題を挙げて、互いのために祈り合う集まりです。

クリスチャンにとっては「祈り」は「呼吸」のようなものと言われます。それがなければ生きていけない「いのち」を支えるものです。また「神との会話」とも言われます。何でも、神さまの前に自分の思っていることを言葉にして(また、言葉にならない部分も合わせて)、訴えるものであり、また神さまが私たちの心に語りかけてくださるのを待つときでもあります。

私たちはその「祈り」を普段は個人的に一人一人の心の中でしています。日本の文化の中で育った皆さんはそちらの方がなじみがあるかもしれません。日本のドラマでも、神社で並んでお祈りをして、「何を祈ったの?」「それは秘密だよ」なんて言い合うセリフがあったりしますね。それが日本では普通なんでしょうね。でも、教会では、それと共に、声を出して一緒に祈る時もあります。

イエスもこのように言っています。「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」(マタイの福音書 18章19節)

2-3人で、5人で、10人で共に祈る時があります。個人的にそのような集まりを持つこともありますが、私たちは今、教会全体として、毎週木曜日朝と夜にZoomで集まって祈り会を持っています。

実は、このZoomでの祈祷会、4年前にCovid-19の感染拡大で、教会の集まりがすべてオンラインに移行したときに、とにかく単なる一方的なオンライン配信ではなく、双方向通信で、お互いの情報を交換することも含めて集まり始めたのがスタートでした。仕事も学校もすべてオンライン、買い物に出るのもままならない中で、多くのメンバーが集まって共に祈っていました。4年が経ち、多くのことが平常に戻る中で、参加者もずいぶん減りましたが、続けてオンライン上に集まって祈っています。この集まりの中で「創世記」から読み始めた聖書も今は「列王記第一」まで進みました。

祈祷会は「spiritual ER」と呼ばれます。人の力の届かないところまで届く神の御手を動かす集まりです。この祈りの時は自分自身のためだけではなく、教会全体や地域社会、そして、世界で起こっていることへのとりなしの時でもあります。世界各地からアクセスできます。是非一度のぞきに来てください。Zoomのアクセス情報が必要な方はこちらまで。

2024年4月<牧師室より>「信じられない者への招き」

ハッピーイースター!

いつまでも肌寒い日が続いていますが、今年もイースターがやってきました。

このイースター、イエス・キリストが十字架につけられて、葬られたあと、3日目によみがえられたことをお祝いするお祭りです。今年も3月31日にはイースター礼拝と、礼拝後には愛餐会(ポットラックでのお食事会)を、また、4月6日には子どもたちのためのJOYJOYイースターを持ちます。是非お出かけください。

復活したイエスにお会いした、という人々がいる中で、イエスの十二弟子の中にもそれが信じられなかった人がいました。それはトマスという人です。イースターの日の夕方、イエスが弟子たちのところに現れて、本当にご自分がよみがえったのだと伝えた時、たまたま、トマスはそこに居合わせませんでした。他の弟子たちが喜びにあふれて「トマス、イエス様はよみがえったんだよ!」と言っているのを見て、彼はどんなに寂しい思いになっただろうかと思います。「どうして、私がいるときではなく、私がいないときにイエスは来られたのだろう」と思ったことでしょう。勢い余ってか、トマスは「私はイエスが十字架で手に釘を打たれたその傷跡に指を入れ、脇腹の槍の跡に手を差し入れてみないと、決して信じない」とまで言うのです。

それから1週間後、トマスがいるところに、イエス様が現れて、トマスが言っていたとおりのことを告げます。「さあ、あなたの指を私の手の釘跡に、あなたの手を私の脇腹に入れてごらんなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と。

そこで、トマスは「わが主よ、わが神よ」と答えるのですが、この場面、多くの画家たちによって描かれています。その代表的なものが、16世紀末から17世紀初めにイタリアで活動していたカラヴァッジオの絵です。

このトマスがイエスの脇腹に指を突っ込んでいる絵を初めて見たときには、本当にびっくりしました。私の想像では、トマスはイエスの言葉に、ただひれ伏すしかなかったのでは・・・と思っていたからです。「じゃあ、いいですか、指入れますよ」みたいな事をするだろうかと。今でもそのように思っています。

しかし、カラヴァッジオの絵をよく見てみると、トマスの手はイエスの手にしっかりと握られています。トマスの手を脇腹にぐっと引っ張っているのは他ならないイエス自身の手なのです。これは聖書に書かれていることではなく、あくまでもこの画家の解釈なのですが、イエスの脇腹の傷跡にトマスの指が入っているのは、彼の好奇心や「触らないと信じないぞ」という頑固さではなく、イエスの招きであり、イエスが「ほら触ってごらんよ」と手を引っ張ってくれたからなのです。

イエスは今も私たちを招いておられます。信じられないならば、調べてごらん。さあ、あなたの手を伸ばして調べてごらんと招いておられます。その上で「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言っておられるのです。

今年のイースター、一人でも多くの皆さんが、復活のイエスにお会いすることができますように。

フラワーコーディネーターTさんと薔薇、3月の花を描く

お花の季節ですね、
今月はガーデンコーディネーターや
フラワーアレンジメントを指導しているTさんに
薔薇の花束を持ってきていただきました。

薔薇の花を描きましょう。最初はひらがなの「の」の字から〜


M a r c h という英文字もお花にしてみましょう。
春の画面になってきましたね。


薔薇の花束とTさんを描きましょう。


まずは全体のバランスを〜良く見てみましょうね。

錦織先生からお花を育てているお話、自然の恵みへの感謝の気持ちや
プレゼントする気持ちの愛についてお話ししていただきました。

本日の聖書箇所
“人が自分の友のためにいのちを捨てること、
これよりも大きな愛はだれも持っていません。”

ヨハネの福音書 15章13節