「神さまのなさること」

私は、来年70歳になりますが、これまでの人生で最も嬉しいこと、誇れることは、神様と出会いクリスチャンになったことです。

「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネによる福音書1章12節)

プチ証し1
23年前(2002年)に、このNJ日本語キリスト教会(JCCNJ)で洗礼を受け、クリスチャンとなりました。
そのころ、私は米国の会社に勤めており、ユダヤ人の同僚に、「今度洗礼を受けることにしたんだ」と言いましたところ、即座に「Congratulations!(おめでとう!)」と言われ、握手を求められました。
私は、「洗礼を受けることは、おめでたいことなんだ~」と、とても新鮮な発見をした気持ちでした。
それから数日後、実際に私の受洗の日、皆さんから「おめでとう」「おめでとう」と言われ、握手やハグの嵐。なるほど、日本人のクリスチャンも受洗した人には「おめでとう」というものなんだ、と、初めて思いました。
何ヵ月か後に、この教会で私の次の受洗者が与えられました。私は、この時とばかり、自分の時に教わった挨拶言葉「おめでとう」と言い、その受洗者にハグしました。
そうしましたら、どうしたことか、急に後から後から涙が出てきて、もう嗚咽が止まりませんでした。本当に嬉しかった!
それからは、毎回、洗礼式のたびに、牧師が受洗者の頭に手を置いて、右手を高々と上げ、
「我、父と子と聖霊の名によって汝にバプテスマを授ける。子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は許されたのだ」と言ったとたんに、涙が溢れ出て、カメラのファインダーを覗くふりをして隠すのに必死です。

プチ証し2
クリスチャンとなった後で、会社の米国人のクリスチャンの同僚と宗教の話題で話をしたことがありました。彼女は「ほとんどの日本人は仏教徒なのか」と尋ねました。私はちょっと考えて、「いや、ほとんどの日本人は、仏教徒とは言えない。宗教というものを持っていないと思う」と答えましたところ、彼女は目を丸くして驚き、「信じる神様(仏様)が無くて、どうやって生きてゆけるの?」と、ほとんど絶叫していました。
ある時、台湾に出張したときのこと、台北で1,2の大銀行の頭取と会う機会がありました。
その女性頭取は、約束の有名な寿司店に、見たこともないほど大きなロールスロイスでやってきました。「台北中の信号機は、この車が通るときは全て青信号になるように警察が調整するのだ」と、ドライバーが言っていました。
彼女は50代くらいの日本人で、クリスチャン。若いころピアノの先生として台湾に来て、先代の頭取と20代で結婚し、そのご主人を最近亡くされ、頭取となったのだそうです。
「それは、さぞご苦労されたのでしょうね」と言いましたら、「神様がいなかったら、これまで私は生きてこられなかった」とおっしゃいました。その淡々とした話しぶりが、本当にたくさんの辛い目に会われたであろうことを物語っていました。もう、私は涙でぐちゃぐちゃになり、高級なお寿司を涙と共に口に押し込んでいました。

プチ証し3
私は、前の妻を25年前に米国で亡くしました。それがきっかけでJCCNJに通うようになりました。
教会に通い始めて2年ほど経ち、牧師や周りの方々から、「そろそろ洗礼受ける?」などと囁かれ始めていました。
聖書の学びも行い、心を打たれる御言葉にも出会いました。しかし、神様を信じて、洗礼を受けることがどうしてもできない理由がありました。それは、イエス様が起こされた奇跡です。死者を蘇らせる奇跡、そしてイエス様ご自身も、十字架で死なれて3日目に蘇り、今も生きておられる。これらの奇跡が、自然科学を学んだ者としてはどうしても信じられませんでした。
「そこだけ目を瞑って受洗してしまえばいいじゃないか」とも少し思いましたが、そこは教会もしっかりしています。洗礼式で受洗者に尋ねられる唯一の質問は、「あなたはイエス様があなたの罪のために十字架につけられ、3日目に蘇られたことを信じますか?」
「あぁ、そこ訊くか?!」 こうはっきり訊かれたら、ま、ここだけは目を瞑って、、、とはいきません。そこでいつまでも決心できずに、時だけが経っていました。
2002年、妻が亡くなり2年もたつので、久しぶりに当時12歳の娘と、初めて2人で旅行に行きました。
娘と並んで歩いていると、誰か別の人の気配がします。周りをキョロキョロ見回してみても誰も居ません。しかし、歩いていると、確かに人の気配がするのです。
その人はついには話しかけてきて、「何をいつまでも迷っているの? 私はここに居ますよ。永遠の命を信じなさい」と。確かに妻の声でした。
私は、旅行から帰って、錦織先生のところに飛んで行きました。「先生、洗礼受けます!!」
それから一度も亡くなった妻の声を聴いていません。
私たちクリスチャンは、地上の生涯を終えると故郷である天国へ帰ってゆきます。決して亡くなった後に霊が地上をさまようことはありません。あの時の妻の声は、神様の声だったのだと今は確信しています、
神様は、本当に必要な時には、想像もつかない方法で、私たちを支え、導いてくださいます。

私は、この70年の半生で、最も誇れることは、神様を信じ、クリスチャンとされたことです。

<集会紹介>「聖書の教え基礎コース」(2025年10月)

実はこのコース、10年以上前から続いているのですが、このコーナー初登場です。というのは、これは「集会」というよりも、希望者を募って、皆さんの都合の良い時間に集まって、学びをしていたからです。

でも、このたび、今年の10月19日から日曜日の礼拝前、12時45分から1時20分まで、「集会」として持つことにしました。どなたでも歓迎です。そして、出入り自由、1回だけの参加でも、都合が良いときの参加でも歓迎です。礼拝に出ないで、この学びだけに出る、という方も歓迎です。ノープレッシャーで、質問、反論大歓迎で、学びの時を持ちます。

このコースでは、聖書がどんなことを語っているのか、その全体像をお話したいと思います。「聖書について」「神さまについて」「人間について」「キリストについて」「救いについて」などのテーマを、全部で20回くらいになるのでは、と思いますが、少しずつ学んでいきます。

今までも、このコースを通して、イエス様を救い主として受け入れられた方もおられますし、ずっとクリスチャンとして歩んできたけれども、聖書の教えについて全体像が整理できたという方も起こされました。また、このコースで使うテキストを使って、友達にイエス様のことを伝えた、という方もおられます。

初めての方も、クリスチャンとして長く歩んでこられた方も、どなたも歓迎です。お待ちしています。

版画って何?リトグラフって何?

現代版画家の松村誠一先生をお招きして、リトグラフ版画を体験しました。
キッチンリトグラフとも呼ばれるこの技法は、身近なもので制作できます。


アルミホイルに油性マジックなどで、絵を描きましょう


アルミホイルに描いた絵の上にコカコーラ(炭酸)をかけて〜
水と油の反発作用を利用しての版を作ります


ローラーを転がして、絵の具を付けます
好きな紙を置いて、爪楊枝でゴシゴシ擦ります。


大人も子供もみんなで作品作りを楽しみました!

錦織先生の聖書のお話し
「人はパンだけで生きるのではなく、、、」という言葉がマタイの福音書4章4節にありますが、この続きは何でしょう?私たちに必要なものは何なのか、考えてみましょう。

ある人達は、家族や友人、周りの人の優しさや愛情、その存在が支えになると言います。
また、生きがいとなる目標に向かって張り合いを持って生きるという人達もいます。

それらの答えと、聖書の「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という言葉は通じるところがありますね。

聖書の御言葉をしっかり受け取って歩んでいきたいです。

シマウマのシマって?漫画学校とモデルさん

夏のJoy Joy キャンプで子供達もやりました。
シマウマのシマを描いてみましょう。


あれ?
今日は、どれも正解〜にしましょう!
動物園に行きたくなりましたね。


次は、漫画学校「丸描いて、丸描いて、丸描いて、、、豚さん!」
猫だって、どんな種類も描けますね、馬は年賀状に描けそうですね。


人生初のモデルさん!緊張しましたね〜。


初めての人も、頑張りました。
人物の頭は紙の上の方から描き始めましょう。


錦織先生のお話は、マルコによる福音書、10章13〜16節

イエス様が、「子どもたちを受け入れなさい」「あなたがたも子どものようになりなさい」と弟子達に言った箇所ですね。
今日は絵を描くという子ども時代の気分になりましたが、
子どもたちのように信頼の心を持って、イエスの愛を受け入れられるように、
私達もなりたいです。