<牧師室より>2025年8月号「瞳の輝く瞬間を求めて」

自分が子どもの頃、教会には子どもたちがたくさん来ていました。幼稚園とかやっていない、50人くらいの大人の通う普通の東京の教会でしたが、毎週日曜日の朝9時に、子どもたちだけで50人くらい集まっていたと思います。クリスマスとか、特別な子ども会になると100人くらい来て、小さな教会堂は子どもたちでいっぱいでした。今のように日曜日に、他にやることがたくさん、ということではなかったのだと思います。同じクラスの仲間たちの中にも、教会に来ている子たちが何人かいました。日本ですから、自分で歩いてくる、自転車で来るということもできる環境です。親が教会に来ていない友達もたくさんいました。

でも、小学校の高学年くらいから、だんだん教会に来る子たちが減ってきました。中学受験のために塾に行くとか、水泳教室に行くとかで来られなくなる友達もいましたが、それだけではありませんでした。一度、以前教会に来ていた友達に「また教会においでよ」と声をかけたときの、その友達の答えは忘れられません。「教会?行かないよ、つまらないから・・・」

正直なところ、自分も小学校高学年くらいになったときに、教会はガマンするところになっていました。「小さい子たちのためにぼくらはガマンしなければ・・・」「ガマンして静かにお話を聞かなければ・・・」と。もちろん、ガマンすることがすべて悪いとは思いません。教会に楽しさだけを求めるのも間違っているでしょう。また、自分はこの後、中学生になってからは、仲間とゲームをしたり、ギターで歌を歌ったりして楽しく過ごすだけでなく、共に祈ったり、語り合ったりすることに意味を見つけていきました。その中で、神様の愛を知っていきました。でも、この小学校高学年くらいの子たちの居場所も、なんとか教会の中に作ることができないかとずっと考えてきました。

今から、30年くらい前、この教会でJOYJOYキャンプを始めた頃から、私の願いはそこにありました。小学校高学年くらいの子たち、それも、エネルギーを持て余している子たちにとっても楽しいプログラム、そして、楽しいだけでは終わらない、心に届くプログラムを持ちたい、思いっきりエキサイティングなプログラムを持ちたいと思ってやってきました。子どもたちの瞳がキラッと輝く瞬間を求めてやって来ました。それがどこまでできたか分かりません。また、30年前はなんともなかったことが、今は「とても無理!」と思います。それでも、この思いはずっと持ち続けていたいと思います。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい」(マルコの福音書10章14節)

今年のJOYJOYキャンプ、「デカいぞ!あおいぞ!ちきゅうにむちゅう!」今年も、小さな子から、小学校高学年の子たちまで、みんな楽しめるキャンプ、そして、そこで楽しいだけではない、大切なことを知る機会になることを願っています。この世界への神さまの思いを伝えたいと思います。まだ今からでも、申し込みいただけます。詳しくはこちらの申し込み書から。

今年のJOYJOYキャンプ、今年も教会のジムに、子どもたちの歓声が溢れますように!

ありのままを生きることの難しさと恵み

私は会社員をしています。特に学校で学んだとかいう事を役立てているとかではなく、仕事をゼロから始め、教えられ、身につけて来た事を築き上げて来て今があり、給料を得ています。その中で一つ、日々の仕事の中で大切にしてきた習慣があります。もうすぐリタイアかなぁと思う歳になって来ましたが、長年それをひたすら続けて来たのです。それは、「ありのままを正確に認識し、誠実に報告すること」です。

問題が発生したとき、何が起きたのか、原因は何か、どれほど緊急性があるか、どのような対処が可能か——そうしたことを隠さず、事実のままに上司にも部署全員にも報告するのです。特に自分のミスや判断の誤りが関係しているときは、つい脚色したり、言い訳をしたくなるものです。しかし、私の会社では、「誠実な報告こそが最善の解決への第一歩であり、同じ事を再発させない対策を見つけるための正しい判断を生み出す」と繰り返し教えられてきました。その義務を全員で果たさなければなりません。当たり前のようで、実はこれが出来る環境は、なかなか作れないのではないでしょうか? 

最近この習慣が、実は私の信仰とも深くつながっていることに、気づかされました。

私は両親がクリスチャンの家庭に生まれ、幼児洗礼を受け、教会附属の幼稚園や教会学校にも通って育ちました。ただ、幼い頃の私にとって信仰とは、「クリスマスは特別な日」といった程度のものでした。兄や妹は成長の中で信仰告白をしており、私は少し遅れて24歳でクリスチャンとなりました。

クリスチャンの両親を持ったクリスチャンを妻とし、周囲には信仰を持った家族や親族が増え、私は「神様の祝福とはこういうことなのか」と自然に思うようになっていました。けれどもあるとき、私は実家の家族に関して重大な見落としをしていたことに気づかされたのです。

最近、あるインターネットの記事で「裏」という漢字の一部に「表」という字が隠れていることを知りました。その瞬間、「自分はずっと家族の“表”だけを見てきて、その上にちょこっとついている“裏”の部分を見ないで来たのではないか」と、はっとさせられました。

実際、私の家族は長年にわたって大きな問題を抱えていました。しかし、私たちはお互いに「ありのままを伝える」ことをしてこなかったため、正しい判断も、適切な解決策も見出せないままでした。とても親しいようでしたが、本当の事はあまり口にしていなかったので、問題として認識するのが遅れ、家族での作戦会議を開くような事は無かったのです。

私がその問題の存在を知ったのは、時間の経過が立った後、しかもそのごく一部で、更にその内容には事実と異なる話が含まれていました。つまり虚偽の報告です。それゆえ、問題の深刻さにも、当初は気づけませんでした。

問題の発端は、父が信頼していた知人の連帯保証人になったことでした。その人はほどなくして夜逃げしてしまい、父に多額の借金返済義務が降りかかりました。この事は確かな事実で、大きな問題の始まりでした。父は借金返済のために奔走しましたが、借金が借金を呼ぶ悪循環に陥っていきました。定年後に始めていた事業も立ち行かなくなり、最終的には長年かけてローンを完済し、手に入れた自宅まで手放さざるを得ない状況に追い込まれて行きました。こうした事実を、私はずっと後になってから知らされたのです。

しかし、それだけでは終わらず、さらに驚くような話が親族から出てきました。それらは、私が幼い頃にまで昔にさかのぼるもので、信じがたいような「家族の裏の歴史」でした。人は誰かを悪く言い出すと、あまり関係の無い話まで持ち出して、その人を責め立てる事があります。ですので、それらの話は真偽を確かめる術すらなく、何が本当なのか分からないままです。そのような話を聞く私の心はとても痛みました。

父は晩年、老化が進み、会話がかみ合わなくなることが増えていきました。そして父が亡くなり、まもなく母もその後を追うように天に召されました。こうして、両親の口から真実を聞く機会は完全に失われてしまいました。

さらに、両親と長く近くにいたはずの兄や妹夫婦から語られる話は必ずしも一致しているわけではなく、私にはどうしても信用できない内容ばかりです。証拠となるものも何ひとつ示されず、私は何を信じていいか分からなくなりました。私にできることは、もはやほとんど残されていないように思えました。確かな手がかりがあるとすると、まだ元気だった頃、私に父が言った一言があります。「最近ヨブ記をいつも読んでいるんだ」と。(注: ヨブは、とても正しく信仰深い人で、家族も財産もあり、神に祝福された人生を送っていました。しかし、悪魔が「ヨブは祝福されているから神を信じているだけだ」と言い、神の許しを得て、ヨブを試すことになります。子供達や財産を失なわせ、彼自身病気に苦しみます) ちょうどその頃が家を失った頃と一致します。また、遺品の中に父が書き残していた書類がいくつかありました。それらの中には、会社の取引先の方からの手紙もありました。「私はあなたがクリスチャンであるという事で、ここまで信用してきたのです。あなたの誠意を信じて待ちます」という借金の請求で、クリスチャンを愚弄するような言葉が続けて書いてありました。また、私に宛ててしたためていた手紙や、私に金銭の工面を電話で依頼するための下書きも見つかりました。確かに何年も前、そのような話をした事を思い出して、あの時か、という感じです。その他に、神様への叫びのような言葉も記されていました。そして、私がその頃、何かよくわからないとはいえ、状況を察して書いた歌があり、譜面を送った事がありましたが、その歌詞まで手書きしてありました。こんなところに書いてないで、ちゃんと全てをそのまま分かるように話して欲しかったです。どんなにか苦しい思いをしていたかと、哀れな気持ちでいっぱいになります。

私は会社で「事実を正確に報告すること」の大切さを学び、それを実践してきました。しかし、自分の実家では、それが長年なされてこなかったことに、私は取り返しのつかない思いになります。クリスチャン家庭でしたからなおさらです。

聖書には、偽りや隠し事、不誠実、自分本位な言動のゆえに神様の祝福を失い、ひどい結末に至った人々の例が、聖書の最初から、いくつも記されています。私の家族も、もし神様の前に「ありのまま」を差し出すことを大切にし、その事について共に祈る事を第一として来ていたならば、歩んでいた道はまったく違うものになっていたでしょう。主イエスが、明らかな盲人に向かって、「私に何をしてほしいのか」とわざわざ尋ねられた意味がここにあると知りました。私の父が財産を失う出来事が起こる事を許された神様は、ご自分に真実の叫び声をあげるしもべ達を待っていて、そしてそれに応える準備もされていたと思います。

私の人生は残り何年あるのかわかりませんが、神様の前に忠実であり、ありのままでいる事を大事にして行きたいと願っています。自分の力でそれが出来るとは思えませんので、日々ただその事を祈り求める毎日です。主の祈りの最後、「我らをこころみにあわせず,悪より救い出したまえ」が、私の心からの主への願いとなっているのは、そのためです。これらのことを日々教え、証明し、勇気を与えてくださる方に信頼して歩む事以外に私が行く道はないのです。クリスマスしか大事でなかった幼い頃の私でしたが、主イエスの復活の出来事、イースターを喜び、そこから生きる勇気を受けていて、主が再び来られる日を待ち望む者です。いつの日か、天国で両親に再会して、全てが明らかになる事も分かっています。その時、どんな顔をして話してくれるのか、少し楽しみでです。

主イエスは言われました。

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」ヨハネの福音書 16章33節

<集会紹介>「BIGクラス」(2025年7月)

BIGクラスは毎週日曜日の礼拝前(12:45 – 1:20pm)、教会の一室でもたれています。
近隣に住む中学生、高校生のためのクラスです。BIGはBelieve in Godから命名(ネーミング)されました。
この夏、下のクラスから進級した子もいれば、夏のこどもキャンプであるJoy Joy Campをお手伝いしてくれる中高生たちも参加しています。今後、8月から加わる予定の子などもいて、いつでも新しいメンバーを歓迎しています。
 
BIGクラスでは、学校や放課後、週末に経験したことや、夏の計画などもシェアしたりしています。
 
みんな賛美が大好きで、”君は愛されるため生まれた” 、”強くあれ、雄々しくあれ”、を喜んで大きな声で賛美したり、受験勉強中にイエス様を信じたという人のビデオ証(あかし)を見る機会もありました。
 
そして、最近のクラスでは、66巻からなる聖書の全体像を学びました。旧約聖書は39巻、新約聖書は旧約の3と9をかけて、合計 27巻 (3×9)。トータルで66の本からできています。 昔は紙1枚、2枚ではなく、巻物だったから聖書は1巻、2巻と呼ぶそうだ。いにしえの歴史を感じるね。旧約聖書、新約聖書の”約”は約束の”約”だけど、実は”契約”という意味で、神様と人間のあいだに結ばれた契約。旧約聖書はイエス様が来る前の契約、そして新約聖書はイエス様の十字架と復活による新しい契約とのこと。
聖書は1000年以上の時間をかけ、40人ほどの人によって書かれたものだけど、その人たちの後ろにいた本当の作者は神様なので、ばらばら感はなく、一貫性があるそうだ。
 
この話をきいたこどもたちは、聖書は古い本だねと言っていました。それも事実ですが、聖書のストーリーはいつ聞いても新鮮に響くよね。
 
これから、みんなが聖書の話を聞く時に、全体の中でどのあたりを読んでいるか、分かるようになればと思っています。プログラムの時間が限られているため、月次BIG集会に比べると、少しお勉強チックかもしれませんが、楽しい時間になるように心がけています。
あなたの若い日にあなたの創造主を覚えなさい。(伝道者の書 12:1)
聖書に基づいた価値観がこれからの世界を担うこどもたちの将来を導くように願っています。


注) 本人たち、保護者様より掲載許可をいただいています。

2025年7月号<牧師室より>「ここまで守られたから」

 私が妻と1歳の長男を連れてアメリカに渡って来てこの7月で33年を迎えようとしています。思いがけず、こちらでの生活も長くなりました。渡米記念日を前にして、もう一度振り返って見て、一番自分にとって大きな出来事は、31年前、願っていた道が閉ざされて、何とか道が開かれて、NJにやって来たことでした。

 「残念ながら、あなたを受け入れることはできません・・・」日本を出発する前から、繰り返し受け取ってきた不合格通知。今考えると、自分の考えの甘さゆえの当たり前の結果だったと思うのですが、その頃は、それなりに必死。ある時は郵便箱をチェックするのが怖くてできなくなることもあるほどでした。

 そんな中で、唯一合格通知をくれたNJの大学の大学院。少し不本意ではありましたが、行くところがあるだけでも良かったと、レンタルの引越トラックに荷物を積んで、自分一人で運転して、アトランタからやって来ました(妻はちょうど2人目の出産直後で日本に滞在していました)。最初のサンディエゴ、次のアトランタには迎えてくれる知り合いがいたのですが、NJには知り合いもおらず、弟の知り合いのそのまた知り合いを頼って荷物を降ろすのを助けてもらって何とかアパートに入ることができました。でも、そのトラックを返したあとに大学まで帰ってくる方法がなくて(今のようにUberがあったら・・・と思います)、一緒に行ってくれる学生を何とか捜し出して、助けてもらったことも思い出します。

 でも、頼る人がいないというのは、素晴らしいことでもありますね。一つ一つの新しい出会いに支えられてやって来ました。良い先生たち、仲間たちが与えられて楽しい学生生活を送りました。

 特に、その大学院の2年目に、自分の研究テーマも見えてきた時に、それに光を当ててくれる先生が思いがけず移ってきたのは、本当にものすごい驚きでした。自分が最初に願っていた道が開かれていたらあり得なかった出会いでした。学位は取れずじまいでしたが、良い学びをさせていただきました。そして、この教会との出会いも、もちろん、特別な神さまの導きだったと思わされています。

 まだ20代だった33年前の自分には、全く先が見えなかったけれども、そして、その頃願っていた道は閉ざされたのだけれども、一歩一歩神さまが導いてくださったのだな、と思わされます。

 私も「老後のこと」とかをいろいろ聞かれる年代になってきました。自分でも考えなくもありません。無策でいいとも思いません。しかし、どんなに自分で準備をしていても、これからの歩みも思ったような道が開かれないこともあるでしょう。予定どおりに行かないこともあるでしょう。一年先だって、何があるか分かりません。でも、そんな中でも、神さまが共にいて導いてくださる。これまで導いてくださった神さまが、これからも導いてくださる。それを信頼して歩んでいこうと思います。

なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも
そこを泉の湧く所とします。
初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。
詩篇 84篇5~6節

錦織学

証し

1、自己紹介

どうも、モレノ禱人(ときと)です。14歳で中学3年生です。ニュージャージーには3年も暮らしていて、その前は大阪に住んでいました。ニュージャージーには家族がいるので、前にも旅行で来たことがありました。でも今は、お母さんと一緒にテナフライという小さな町に住んでいます。

2、イエス様を信じたきっかけ

もともとお母さんがクリスチャンだったので、僕は家族の信仰に沿って、家族と一緒に教会に行っていました。兄と姉がいて、年はだいぶ離れているけど、いつも一緒に教会に行っていました。兄と姉が社会人になってからはもう一緒に住んではいませんが、その後もお母さんと一緒に教会に行っていました。

学校のために教会を変えないといけなかったけど、それでも毎週日曜日はお母さんと一緒に教会に行っていました。小学生の時、友達の教会に行きたいと言って、箕面にある教会に通い始めました。それから4年間同じ教会に通って、そこで洗礼を受けました。

3、イエス様を信じた後、どう変わったか

イエス様を信じた理由は、死んだときに天国に行きたかったからです。でも、イエス様を信じたときには、最初は「何も変わってないやん」と思っていました。でもその後、いろんな大変なことや困難があって、頼れる人が周りにいないと思ったときには、いつもそばにいてくれるイエス様のことを思い出しました。

「この人は絶対頼りになる」と思ったら、安心できるようになりました。今では、食べる前に感謝する時や、眠る前に今日の感謝と明日の祝福を祈ることを大切にするようになりました。

4、これからのイエス様との関係(将来のために)

これからも、いつも通り教会に来て、ちゃんと教会の手伝いをやっていけるように頑張りたいです。そして、家でもちゃんと祈りを続けて、もっとイエス様と過ごす時間を増やしたいです。

そして、もっと教会に人を誘いたいです。本当は、日曜日は家でゲームをしたいけれど、中高生がもっと教会にいたら、もっと楽しく来ることができます。だから、中高生を増やすために、いろんなイベントに協力して、ユースを増やしていきたいです。